2018/12/19 - 2018/12/21
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旅人のくまさんさん
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大分と福岡の名城巡りです。続日本百名城の181番に選ばれた、小倉城の紹介です。歴史的価値や遺構などから判断すれば、『日本百名城』に選ばれなかったことが不思議と思えるお城でした。模擬天守であることが、大きく減点されたのかも知れません。
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既に紹介しましたが、野面積と打込み接ぎの折衷のような石垣のズームアップ光景です。表面が平らに揃えてある部分が多いようですから、打込み接ぎと呼んだ方がよさそうです。(ウィキペディア)
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算木積が完成する前の時代の角の部分の石積のようです。周りの部分と比べますと、より大きく、立派な石が使われていました。ただし、後年のように交互に長辺と短辺を組み合わせたものとは工法が異なっていました。算木積は、慶長10年(1605年)前後に用いられて以降、城郭の石垣に広く用いられるようになりました。(同上)
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道案内標識の光景です。奥向きの矢印で『小倉城天守郭』、『漬物処・糠蔵』と『松本清張記念館』が案内されていました。推測ですが、『漬物処・糠蔵』の箇所に修正があるのは、この建物が『着見(つきみ)櫓』と表示してあったためのようです。(同上)
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『大手門』近くの石垣光景です。巨石が随所に使われた迫力ある石垣でした。野面積というより、表面が平面加工された打込み接ぎと呼んだがよさそうです。使われた石材に見とれてしまう石垣でした。(同上)
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珍しい色彩と形状の建物でしたから、離れた場所からでしたがカメラに収めておきました。ネット検索しましたら、『北九州市立・中央図書館」の建物であることが確認できました。ネットでは、『建築家磯崎新によって1974年に設計されたもので、磯崎作品の1970年代の代表作(中略)ガラス張りのスロープからは小倉城が見える』と紹介されていました。 (同上)
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『小倉城周辺案内図』のタイトルがあった説明パネルの光景です。休館中の『小倉城』、『松本清張記念館』と『小倉城庭園』が紹介されていました。休館中の『小倉城』については、続百名城スタンプが『小倉城庭園』に置いてあることも紹介されていました。(同上)
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野面積と打込み接ぎを折衷したような石垣と、その上の白漆喰の長塀の光景です。石垣には、鏡石らしい巨大な石も見えていました。お城の中の表通りのような場所のようでした。(同上)
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『大手門』の入口付近の石垣と、白漆喰の長塀などの光景です。この後紹介する、小倉城ライトアップ事業の『城下をめぐる、感動が巡る明かり』には、模擬天守だけでなく、白塀や石垣のライトアップ計画も紹介されていました。(同上)
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平成31年春オープン予定と紹介されていた、おもてなしステーション、『しろテラス』の案内パネルの紹介です。小倉城エリアに設置される休憩所の紹介でした。ゆっくりと休憩できるスペースと、清潔なトイレがうたい文句でした。(同上)
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このパネルには、『小倉城周辺エリア』のタイトルがありました。航空写真をベースに描かれたイラストの中心部に、来年(2019年)春刊行予定の『しろテラス』が赤く記されていました。(同上)
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次のライトアップされた小倉城の写真には、小倉城ライトアップ事業、『城下をめぐる、感動が巡る明かり』のタイトルがありました。天守閣をはじめ、石垣、白塀などのライトアップ計画でした。(同上)
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最後に紹介するパネルには、『小倉城城内の樹木再整備』のタイトルがありました。写真左がイベント広場・紅葉広場、右上が花木園、右下が松の丸さくら広場の紹介でした。桜の植樹がメインの事業計画のようです。(同上)
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少しどっきりとした道案内看板の光景です。どきりとした理由は、右側に記された『ここの地盤は3メートル」の標示でした。とっさの場合には、小倉城の高台に逃げ込めばいいようですが、そちらの標高標示や道案内はありませんでした。(同上)
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現在工事中の小倉城の模擬天守ですが、お堀の外からは、工事中とは思えない外観を見ることができます。小倉城は細川忠興公が1602年(慶長7年)に築城、天守閣は1837年(天保8年)の火災で焼失しましたが、再建はされませんでした。1866年(慶応2年)に長州藩の侵攻を受けた小倉藩は、自ら城に火を放ち、現在の天守閣は1959年(昭和34年)に旧小倉市などが再建したものです。(同上)
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同じく、小倉城の模擬天守と天守台、それに長塀の光景です。2018年の石垣調査では、堀の水を抜いて石垣の下部や濠底などの調査が行われました。石垣調査をしている北九州市は3月16日、堀の底から江戸時代後期の火災で焼失した天守閣の一部とみられる木材が発掘されたと発表しました。埋蔵文化財調査室は『火災を裏付ける重要な史料』とコメントしています。(同上)
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イチオシ
天主石垣の東北角の裾部分の光景です。静かな水面に綺麗に石垣が写り込んでいました。見つかった木材は、焦げた跡が残る長さ約1・4メートルの角材や、和くぎが付いた状態の板材など約50点です。角材には、くぼみがあり、柱や梁などに使われていたと考えられています。また、潰れた鉄製の蝶番や1000点を超える瓦、多数の漆喰の欠片なども発掘されました。(同上)
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模擬天守と石垣のズームアップ光景です。1602年に小倉城を作った細川忠興公が自慢した、野面積の石垣とも伝わります。水を抜いた堀底から見つかった遺物には、小倉藩を統治した小笠原家の家紋の『三階菱文(さんかいびしもん)』や、細川家の『九曜文』のほか、豊臣家の家紋である桐の葉を表現した瓦も出土しました。戦国時代末期の武将が居城していた史実とも一致するようです。(同上)
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東側の正面から眺めた小倉城の模擬天守の光景です。もし、地元財界の要望を容れずに、細川忠興時代の天守の外観再建で建築されていたなら、『日本百名城』に選ばれていたと推測する人は多いかも知れません。しかし、設計者にとっては無視できない発注者の要望、断腸の思いで飲み込んだのかも知れません。(同上)
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お堀の水を抜いた石垣調査は、大規模災害に備えた情報収集を目的に、平成30年2月20日に始ま利ました。天守閣東側の堀約4400立方メートルの水が抜かれ、木材などは天守台直下の堀を約8メートル四方、深さ約2・5メートルに亘って発掘した際に見付かりました。(同上)・同上
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イチオシ
東北方面から眺めた模擬天守の光景です。小倉城に詳しい北九州市立大非常勤講師の永尾正剛さん(日本近世史)は、『瓦や部材を調査することで、天守閣の具体的な構造が明らかになる可能性もある』と評価しています(読売オンライン)。(同上)
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小倉城の歴史年表には、『2004年(平成16年)春から秋にかけての調査により、篠崎口から清水門の外堀で畝堀と堀障子が発見される。忠興当時のものと考えられている』との記述があります。清水口門は、現在の地名で金田1丁目、かつての長崎街道の出入口になります。ここは内堀ですから、別の場所です。(同上)
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金文字の『八坂神社』の扁額が架かった鳥居の光景です。八坂神社への東側の出入口になります。『祇園さん』の愛称で呼ばれる『八坂神社』の総社は京都です。京都出身の細川氏の思い入れがある神社のようです。(同上)
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金文字の『八坂神社』の扁額が架かった鳥居のズームアップ光景です。鳥居の先にも、次の鳥居が見えていました。『八坂神社』の社名は、元の祭神だった牛頭天王が祇園精舎の守護神とされていたことから、『祇園神社』、『祇園社』、『祇園感神院』などと呼ばれていましたが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により『八坂神社』と改名されました。 (同上)
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『北九州市立・小倉城庭園』の表示があった掲示板の光景です。ここにも、続百名城スタンプの取り扱いについての表示がありました。小倉城庭園での受付時間は、朝9時から、午後5時まででした。(同上)
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『小倉城庭園』の文字が刻まれた石標の光景です。現在、天守閣が修復工事のため、続百名城巡りのスタンプは、ここに置かれていました。このことは、事前にネット情報で確認しておきました。(同上)
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『北九州市立・小倉城庭園』のタイトルがあった説明看板の光景です。小倉城主の下屋敷跡に再現された、江戸時代の大名屋敷と紹介されていました。平成10年(1998年)の開園です。(同上)
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『小倉城下と中津口門の大石」のタイトルがあった説明看板の光景です。小倉城の前に、40万国に近い石高で中津城に在城していた細川忠興(1563~1646年)に因む『中津口』の呼び名のようです。忠興公は、小倉城から更に熊本城へと移りました。(同上)
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昼食のために立寄ったビル内の光景です。『リバーウォーク北九州』の建物でした。その近代的なダイナミックなデザインの建物の良く似合った、巨大なクリスマスツリーの光景です。第一期事業はアメリカのジョン・ジャーディのデザイン、第二期事業は同じくアメリカのマイケル・グレイヴスのデザインです。(同上)
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少しだけズームアップした、巨大なクリスマスツリーの光景です。『リバーウォーク北九州』は、2003年(平成15年)4月にオープンした、大型複合商業施設です。北九州市ルネッサンス構想と呼ばれる事業の一つとネット紹介されていました。(同上)
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イチオシ
更にズームアップした、巨大なクリスマスツリーの光景です。各ゾーンが独立した建物群の集合体のような外観になっていて、それぞれの建物に用いられている色は、日本の伝統的色彩美の融合を表し、『茶色』は大地、『黒』は日本瓦、『白』は漆喰壁、『赤』は漆、『黄色』は収穫前の稲穂を表現したものとネット解説されていました。(同上)
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久留米
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