2018/12/29 - 2019/01/03
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entetsuさん
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年末年始に海外(台湾)で過ごすようになって何年経つかと思い調べましたら、6年連続でした。
2018-19年越しは、高雄からスタートで、高雄に3泊・台北2泊のスケジュールです。
2日目は、台南でこの地に多大な貢献をした偉大な日本人の足跡を辿っています。
①2018-19年越しは、高雄からスタートです。
②日本の偉人を巡る旅(台南/八田與一)。
★③日本の偉人を巡る旅(台南/杉浦少尉・林百貨店)。
④高雄の新旧観光スポットを回ります。
⑤「高雄忠烈祠」の後は、高雄ならではの海鮮中華!
⑥高雄で「鳳儀書院」と「鳳山城隍廟」を訪れました。
⑦訪台4日目午後、雨の台北にやって来ました。
⑧桃園駅から大渓老街へ行きました。
⑨ノスタルジーたっぷりの大渓老街を楽しみました。
⑩5泊6日もあっという間、年越し台湾を後にして帰国です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- チャイナエアライン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
午前中、「烏山頭水庫」で当時の台湾総督府内務局土木課の土木技師「八田與一」の功績に触れてきました。
台鉄で「隆田」から30分ほどで「台南」に到着です。台南駅 駅
-
台南駅はレトロな建物として有名です。
現在の建物は、1936年に改築されたものですが、 初代駅舎が「台南停車場」として竣工したのは1900年(明治33年)のことです。
また、裕仁皇太子(今上天皇)が台湾を巡視したのは、1923年4月20日で、木造駅舎のプラットホームには小学生が列を作って皇太子を歓迎したといいます。 -
在りし日の台南駅2階には鉄道レストラン(鐵路餐廳)と鉄道ホテル(鐵道飯店)があり、いまでもその存在を窺うことができますが、1986年に鉄路レストランが営業を終了すると、そのまま閉鎖されています。
-
現在の2代目駅舎でも80年以上経っているという訳で、建物自体にうっとりしてしまいます。
-
台南駅、ゆっくりしたいところですが、行くところがあります。
台南駅からタクシーに乗ります。
「同安路×大安街 飛虎将軍廟」のメモを運転手さんに見せます。
15分くらい走ると、「同安路×大安街」に到着です。
195元(700円)でした。 -
やって来たのは「飛虎将軍廟」です。
鎮安堂飛虎将軍廟 寺院・教会
-
「歓迎 日本のみなさん ようこそ参拝においでくださいました」
立派なHPをお持ちです。
↓
http://aoisystems.jp/hikoshogun/access.html -
ご祭神が「飛虎将軍」。
では、「飛虎将軍」とは誰か?? -
ご祭神の「飛虎将軍」は、1923年に水戸市で生まれた杉浦茂峰兵曹長(死後は少尉に特進)なのです。
-
1944年10月12日、海軍航空隊に所属していた杉浦少尉は台南上空でアメリカ空軍を迎え撃つも撃墜されてしまいます。
その場で発火した戦闘機から脱出すれば助かったかもしれませんが、眼下の村を巻き込まないように住民のいない畑へと飛び去ったのちに墜落し、壮絶な戦死を遂げたと言われています。享年21歳でした。 -
第二次世界大戦後、村では不思議な噂が広まります。
「白い帽子と服を着た人が畑を歩いていた」また「白い帽子と服を着た日本の若い海軍士官が枕元に立っている夢を見た」という者が複数現れたのです。 -
この体験をきっかけに、村人たちはその海軍軍人が杉浦であり、集落への墜落を避けるため被弾した乗機を操縦して郊外まで飛び、そのために脱出が遅れて戦死したことが判明。
-
村人たちは、海尾朝皇宮の保生大帝に対して指示求め、その魂を鎮めるためと、村を守ってくれたことに対する感謝をこめて1971年に廟を建てました。
その際、親寺となった朝皇宮の保生大帝は杉浦少尉に「飛虎将軍」(飛虎は戦闘機、将軍は杉浦少尉への敬称)の称号を与えました。 -
廟が建ってからはたくさんの台湾人と日本人が飛虎将軍廟で行われるお祭りにやって来ました。そして飛虎将軍は徐々にこの地方の守り神となっていきます。
-
現在では毎日管理人が朝夕の2回、3本の煙草に火を点けて神像に捧げ、日本の国歌「君が代」と日本海軍軍歌の「海ゆかば」を祝詞として流しています。
我々が訪れた際にも、管理人のおじいさんがいらっしゃってお線香のあげ方(順序・方法など)を教えてくださいました。
記帳してくださいと言われ記帳させて頂きましたが、多くの日本人の方のお名前がありました。 -
タバコやお菓子など、日本の方からのお供えでしょうね。
-
神になった零戦パイロット。
かなり飛ばして運転してくれたタクシーで、台南駅から15分。中心部からは相当離れています。
台湾島で最も早くから開けた地区の一つが台南で、「鄭成功」が台湾を拠点に反清復明の運動を開始した際は、首府の位置づけでした。
第二次世界大戦当時でもかなりの人口があったことが推測され、畑と養殖池しかなかった村に機首を上げて目指し、命と引き換えに都市住民を守った杉浦少尉です。 -
村は安泰で、今では畜産業なども盛んだそうです。
-
今の建物は、多くの信者さんからの寄進で、1993年に建て替えられた建物です。
台湾の人が日本人をこのように祀ってくれて嬉しいような、でも、戦争は絶対にやってはならないという気を強く持つような複雑な気分で「飛虎将軍廟」を後にしました。 -
タクシーを拾って「林百貨店」を目指していましたが、市内中心部に入り、道路は大渋滞中。百貨店が見えるところまで来てるのに進みません。
ふと、道路脇を見ると霊廟がありましたので、ここで降ろしてもらいました。鄭成功祖廟 (鄭氏家廟) 史跡・遺跡
-
なんとここが「鄭成功祖廟(鄭氏家廟)」でした。
昨年台南を観光したときに行けなかったスポットでしたので、ラッキー。 -
「鄭 成功」は、1624年日本の平戸で父・鄭芝龍と日本人の母・田川マツの間に生まれました。幼い頃は平戸で過ごしますが、7歳のときに父の故郷福建に移ります。
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鄭一族は泉州府の厦門島、金門島などを根拠地に密貿易を行っており、政府軍や商売敵との抗争のために私兵を擁して武力を持っていたといいます。
「鄭 成功」が長じた頃に明は清に滅ぼされますが、鄭一族の武力を完全に掌握し清に対する北伐軍を起こし抵抗運動を続けます。 -
当初優勢だった北伐軍ですが、南京で大敗。
鄭成功は、勢力を立て直すために台湾を占領し拠点にしようと試みます。 -
当時の台湾は、オランダ東インド会社が統治していましたが、1661年に澎湖諸島を占領した後に同3月30日からゼーランディア城を攻撃、翌1662年2月21日にこれを落としてオランダ人を一掃し鄭氏政権を樹立します。
ゼーランディア城跡に安平城を築き王城としますが、熱病にかかり同6月23日に亡くなります。 -
その後の抵抗運動は息子の鄭経に引き継がれます。
ここ「鄭成功祖廟」は、1663年に鄭経が鄭成功を祀った祖廟です。
「開台第一」。
最初の創設という意味らしい。台湾に最初の国家を創設したという意味なんでしょう。 -
イチオシ
鄭成功像。
台湾ではオランダ軍を討ち払ったことから、孫文、蒋介石とならぶ「三人の国神」の一人として尊敬されています。
台南地方に多大な貢献をした偉大な日本人の足跡を辿っていましたが、台湾にとって偉大な功績を残した鄭成功関連の施設に来ることが出来ました。 -
「鄭成功祖廟」を出ると、すぐ隣に三官廟なる建物発見。
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三官廟というからには、三官大帝を祀る廟なんでしょう。
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三官大帝は、道教で、天・地・水の三界を司るとされている天官、地官、水官の三神の総称です。
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関係資料は少ないのですが色々調べると、この廟の前身は蒋元枢の屋敷だったという記述もあり、「蒋公生祠」という石扁があるそうですが、気づきませんでした。
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更に道路の反対側には五帝廟がありました。
誰をもって五帝となすかは、諸説あるそうです。 -
「台湾土地銀行台南支店」。
台湾土地銀行は、1946年に設立された台湾を代表する大手銀行の一つ。
前身は、日本統治時代に日本勧業銀行が台湾各地に開設した台北・高雄・台中・台南・新竹の各五ヶ所の支店で、中国国民党が台湾を接収した際に誕生した銀行です。旧日本勧業銀行台南支店 (現台湾土地銀行) 史跡・遺跡
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強烈な逆光ですが、見えているのが「林百貨店」。
元は、日本統治時代の1932年12月5日に創立した5階建てビルの日本の百貨店です。 -
当時は流行の最先端として人気を博しましたが、太平洋戦争の敗戦により、林百貨は廃業。その後、政府機関や空軍施設としての役目を果たしていたこともありましたが、長い間廃墟状態でした。
1998年市定古跡に認定され、所有権は台南市政府に属し、歴史的な建物を復活させようと、修復工事が行われ、ついに2013年1月に完成します。
そして2014年6月、林百貨は当時のモダンなスタイルと現代の台南の要素を取り入れた、ここにしかないデパートへと生まれ変わりました。
何台もタクシーで乗り付ける買い物客や観光客です。
我々は途中から歩いたけど・・・。林百貨店 建造物
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1階です。大勢の人ですね。
台南らしく食べ物が中心です。
地元の有名店や老舗のお土産がずらり。 -
「林」ロゴ入りの中華まん。
長男のお嫁さんの旧姓が「林さん」で、昨年ロゴ入りのクリアファイルを買ったところ、たいそう喜ばれ、今年も何か買って帰るつもり。
ただ、中華まんは日持ちが・・・。 -
当時「流れる籠」と呼ばれたエレベーターを復刻しています。
長蛇の列です。 -
階段でゆっくりフロアを眺めながら上がっていきます。
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階段もいい味出してます。
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手摺りは木製で、しかも金具には「林ロゴ」!
-
イチオシ
屋上にやって来ました。
「林ロゴ」の旗がたなびきます。
いいですねぇ、これ、長男の嫁が好きなんです。 -
屋上にあるエレベーター塔屋は建物から突き出し、外観は展望台のような八角形になっています。
元々エレベーターのシャフト及び機械室として機能しており、ここからエレベーターシャフト内部の様子及び動作の仕組みを覗けるようになっていました。 -
台南地方は、太平洋戦争の時に台湾は米軍の空襲を受けました。
1945年3月1日、連合国軍による台南史上最も激しい空爆が始まり、市街地を一連の大規模な爆撃にさらされ、林百貨店の屋上や一部の床は壊滅的な被害を受けました。被弾の痕跡や機銃掃射の弾痕が多数残されています。 -
レトロなポスト(「林ロゴ」入り)!
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屋上には、神社もあります。
百貨店開業当時、屋上にはまだ神社が設置されていなかったのですが、開業してから半年を過ぎた頃に神社が完成され、1933年5月12日に竣工しました。
台湾の商業建物に現存する唯一の屋上神社だそうです。 -
戦後防空軍備用として使われていた時の銃の射撃台です。
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先ほど下を通った台湾土地銀行台南支店が見えます。
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4階です。
当時のエレベーターが保存されています。 -
創業当時の写真。
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この「林百貨」は、日本人の実業家林方一が創立したものです。
林方一は、明治16年(1883年)12月6日に山口県の山村に生まれますが、両親を幼少の頃に亡くし叔父と叔母の世話になりますが、その叔父と叔母も相次いで亡くし、姉と弟とだけで互いを頼り合って日々を過ごします。 -
明治35年(1902年)、林方一は生計を立てるために独りで家を離れて運送会社を創業します。
明治45年(1912年)4月には会社を閉めて、同年に台湾に渡り台南にて奮闘。8年後に建物を借り小さい商店をはじめます。その後続々と2社の店を開いて、多くの利益を上げ、さらに4つの会社に投資したため林百貨店の創立資金を貯めることできました。
そして1932年12月5日、林百貨店をグランドオープンします。
しかし、残念ながら林方一は百貨店オープン前に倒れ、1932年12月10日に台北で病死しました。
2013年1月上旬、林方一の次男の妻、林千恵子さんは家族を連れて日本から台湾に来て、林百貨店を訪問します。オープンから80年を経って、初めて林方一の子孫たちは林百貨店内に入ったということになります。 -
グレーとオレンジの市松模様の床材が素敵です。
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創立87周年記念のポスターが出来たようです。
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イチオシ
「林ロゴ」沢山!
長男の嫁に写真を送ると、携帯の待受けにしたようです。 -
圧倒的な存在感のこの柱。
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3階は、アクセサリーや靴などの服飾雑貨やコスメが並ぶフロア。
「林ロゴ」製品の数々・・・。
結局、長男の嫁さんにはこの赤地に金の「林ロゴ」トートバッグをプレゼント。
(すっごく喜ばれました(笑)) -
林ロゴ。
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林家のご親戚用に「林ロゴ」入りクリアファイル、お買い上げ。
去年1枚だけ買ったら、「親戚7人居ますが・・・」との声がありましたので、リベンジです。 -
紙袋ももらいました。
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林百貨店前に降りてきました。
台湾土地銀行台南支店の勇姿。 -
プラプラ街歩きしながら台南駅に向かう途中、慰安婦像がありました。
嫌ですね、今更・・・。 -
歩いていると、昨年は修復工事中で、外観が見えなかった「台南消防署」が現れてびっくり。
台南市内中心部、7つの道路が交わる民生緑園ロータリーと西側の民生路との交差点に沿って建つ建物です。
1930年(昭和5)年、台南州政府は火の見櫓の役割を果たす塔を現在の場所に建設し、1937(昭和12)年、塔の両脇に「合同廳舎(総合辨公廳舎)」が建設され、消防詰所、警察会館、錦町派出所となりました。
今でも使われている、現役の建物です。台南消防署 (台南市消防局中正消防分隊) 建造物
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続いて現れたこの建物も、1916年落成の日本統治時代の代表的建築物。
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「台南州庁舎」。
第2次世界大戦中に大きな被害を受けましたが、その後修復・保存され、2003年10月には台湾初の国家規模の文学博物館である「国家台湾文学館」として開館しました。 -
建築家森山松之助氏の手がけた西洋歴史建築様式で、台湾総督府及び監察院と共に台湾における有名な建築の一つです。
国立台湾文学館 博物館・美術館・ギャラリー
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昨年来た際は閉館中でしたので、初めて館内に入ります。
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建物好きにはたまらない空間。
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ゆっくりと時間が過ぎて行きます。
当時流行した西洋の建築スタイルを残そうと、現在も修復工事が行われています。 -
入館は無料で、開館時間は09:00~18:00、月曜日は休館です。
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台南駅まで戻りました。
このレトロ感が好きです。台南駅 駅
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45分ほどゆっくり乗って、「左営」駅で降りました。
台鉄左営駅 駅
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台南エリアの台鉄駅が依然レトロなまんまなのに対して、高雄地区の駅舎は一変しているようです。
最近、左営駅(地下化)→内惟駅(再設)→美術館駅(新設)→鼓山駅(再設)→三塊せき駅(再設)→高雄駅(地下化)→民族駅(新設)→科工館駅(新設)→正義駅(新設)→鳳山駅(地下化)と大幅に工事が進みました。
高鐵との連絡駅「新左営駅」から「鳳山駅」まで地下化されたということになります。 -
周囲はガランとしていますが、駅舎は立派です。
でも、コンビニなども無く、インフラはまだまだの感。
高雄在住の「台湾見聞録さん」がよくぼやいていらっしゃいます。 -
地上にあった旧駅舎は取り壊し中。
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「左営」駅前からタクシーに乗って、レストランに向かっています。
今日は1日台南にいましたが、夕食は高雄で~。
最高の人気スポットの前を通りました。
慌てて車窓からパチリ。左営蓮池潭/龍虎塔 滝・河川・湖
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続いて見えたのが「左營北門」。
昨年この近辺を観光しましたが、ここには来ていなくて、ゆっくり見たいところですが・・・。左營北門 (拱辰門) 史跡・遺跡
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やって来たのは「劉家酸菜白肉火鍋」。
「台湾見聞録さん」の旅行記でよく登場し、一度来てみたかった店です。
本店は混むそうですので、二館(介壽店)に来ました。
左営駅からタクシーでちょうど100元でした。
住所:高雄市左營區介壽路227號
TEL:(07)588-6855・ (07)588-6856
劉家酸菜白肉火鍋 二館 (介壽店) 地元の料理
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メニューです。
「台湾見聞録さん」の旅行記や、店のHPで事前に決めていました。
http://www.lius.com.tw/index.php
で、何にしたかというと、安直ながら820元のセットです。
火鍋、水餃子10個、捲餅(牛・鶏・野菜から選択)2個、小皿料理(好きなもの)2個、デザート2個付きます。
食べてみたいものがバランス良くセットになっていて、しかも安い。 -
台湾ビール(なんと大瓶!)に、家内がチョイスしてきた小皿はピータン豆腐と、南京豆の塩茹で。
美味いです。 -
水餃子。
もちもちして美味しい。
中に入っている餡も絶品。 -
牛肉捲餅。
美味いです。クレープの中に肉と野菜が入っている。
生春巻き風ですが、火は通っており、初めての食感です。 -
タレは自分で好きなタレを選んだり、調合したりします。
-
そうこうしていると、来ました。
「劉家酸白菜火鍋」。 -
豚肉、酸っぱく発酵させた白菜、魚のすり身のだんご、豆腐湯葉、高野豆腐が入っています。
-
鍋のポイントは、なんといってもこの古漬けの白菜。
絶妙な味がスープに出ます。 -
これまでに食べたことの無い味です。
タレを色々持ってきたり調合しましたが、タレなしでも少し薄味ですが十分に美味いです。 -
デザート。
蒸しパンでした。
腹一杯で残す羽目に。 -
この日は12月30日の日曜日。
来たときは17:30頃でしたが、店内は既に満席。
土日は予約が必須かもしれませんね。 -
ごちそうさま。
腹一杯、満足満足でした。
また来たい店です。
なお、料金はビール3本飲んでちょうど1000元(3560円ほど)ですので、安い。
表では、大勢のお客さんが入店待ちでした。 -
タクシーで「巨蛋」駅まで来ました。
高雄アリーナ(高雄巨蛋)で、なにかイベントがあったのか大勢の人出でした。巨蛋駅 駅
-
「美麗島」駅まで戻ってきました。
ホテルに戻って、2日目終了です。
④に続きます。
https://4travel.jp/travelogue/11439399光之穹頂 博物館・美術館・ギャラリー
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この旅行記へのコメント (2)
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- 台湾見聞録さん 2019/01/09 07:18:42
- こんにちは
- いつもぼやいてる台湾見聞録です。
新設の台鉄の駅ですが、簡易通路ができて少しは楽になりました。
それ以外のインフラは多分もっと先になるのでしょうか。
それにしても、南台湾は随分回れていますね。
次は屏東辺りは如何でしょうか。
entetsuさんの旅行記を拝見して、また、台南に行きたくなりました。
言われるように、台南へは、台鉄が便利です。40分で行けますからね。
では。
- entetsuさん からの返信 2019/01/09 19:08:26
- RE: こんにちは
- 台湾見聞録さん、こんばんは!
先ほど、ウォーキング途中に「はま寿司」鶴見店に行ってきました。台湾見聞録さんの旅行記を拝見し回転寿司にもよく行かれているのでチャンスを窺っていました。寿司はイマイチですが、ポテトフライやうどんなどを食べて面白がってしまいました。
来年(または今年)、台湾に行けるかどうかは分かりませんが、屏東などにも行ってみたいです。高雄にもまだまだ行きたいスポットがあります。
いずれにしても、冬の台北は「×」です(笑)。
また、色々ご教示ください。
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