2018/11/01 - 2018/12/17
220位(同エリア448件中)
さいたまさん
今回、VISAに関して、勉強させられました。
本旅行記の目的は、現行規則の制約の打開を目的とするものではなく、入国審査における現場の判断が、重要視されている実例を紹介するものです。
紹介に際しては、関係する入国審査官等に、遡及しないことを願いつつ記述しています。
大使館の発行するVISAや大使館の見解は、入国に関する参考にはなりますが、入国の可否に関する最終判断は、入国時の入国審査官の判断によります。
VISAが発行されたからといっても、入国者の個別の状況を把握した入国審査官が、入国を許可するか否かの最終的な責任を負います。
大使館のVISA発給時に、入国者を面接し、入国者の状況を確認したうえで、VISAを発給することは、ほとんどあり得ず、入国審査官が、国内の要注意人物リストとの照合を含め、入国許可の可否を判断することとなります。
在京タイ王国大使館に、VISAの件で質問した際も、大使館では判断しづらいケースについては、VISAを取るように指導しますし、VISAを取ったとしても、必ずしも入国を保証している訳ではなく、入国審査官の判断によると、繰り返し言っています。
写真は、49年前の1970年8月、最初にタイを観光で訪れた際の観光ビザです。
当時、タイはベトナム戦争に、タイ王国軍を派兵していたこともあったのでしょうか、観光目的であっても、VISAが必要とされていた時期です。
現在は、日本のパスポート保有者は、タイへは、30日以内の観光目的の入国に対して、査証免除処置として、VISA無しで入国することができます。
VISAが有ろうと無かろうと、入国に関する入国許可権者は、入国審査官です。
49年前でも、現在でも、入国審査官のスタンプが、すべてを決します。
他国の場合でも、同じです。
今回は、査証免除入国とタイへの陸路再入国の件で、苦労しました。
今回ほど、VISAに関して勉強し直したことはありません。
今後も、いたずらに例外を追及することなく、原則に基づき、慎重に対応して行きたいと思っています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス
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今回の旅行の目的は、発展が著しいメコン経済圏の大動脈の南部経済回廊と、インド洋に面したダーウェー経済特区を見ることでした。
併せて、旧日本軍が建設したクラ地峡を横断するクラ地峡横断鉄道の跡地を見ることでした。
1970年以来、続けて来たインドシナ半島の旅の総集編かと思います。
ミャンマーは、3回目の訪問です。
もって、アユタヤ王朝の栄華の基盤となった東西交易の陸上交通路とアンダマン海の港湾都市を確認する旅行です。 -
現在、通常に取得するパスポートは、いわゆる一般旅券と言われるパスポートで、
渡航先が限定されておらず、原則としてどこの国や地域へも渡航することができるものです。
しかしながら、1970年当時は、一般旅券でも、申請された渡航先以外に渡航することは、できませんでした。
戦争状況にあった南ベトナム(REPUBLIC OF VIET-NAM)、THAILAND及びLAOSへの渡航に際して、当該国大使館へVISAを申請するには、渡航先に、国名が記載されていることが必須でした。
第一番目の難関でした。 -
1970年に発給を受けたタイの観光VISAです。
このVISAがあったとしても、入国審査官の許可が無い限り、入国はできないことになります。
貧乏旅行をしていた関係上、服装が汚らしかったのでしょう、タイ入国に際し、質問攻めにあいました。(戦争中だったせいかもしれません。)
大変な思いをしました。
VISAがあるのに、何でしつこいのかと、思いました。 -
ベトナム共和国、当時のいわゆる南ベトナム(REPUBLIC OF VIET-NAM)の大使館で、発給を受けた観光VISAです。
VISA代が、日本円で1800円の記載、印紙120$の貼付があります。 -
南ベトナムと同じく陸続きのラオスに、観光目的でも訪問する際も、VISAが必要な時期でした。
観光客自体が少ない時代でしたが。 -
左上部が、タイの入国審査官の許可した入国スタンプです。
このスタンプが、最終的な入国許可の証明です。
左下部は、ラオスの入国審査官の許可した入国スタンプです。 -
同じく、ベトナム共和国、1970年当時のいわゆる南ベトナム(REPUBLIC OF VIET-NAM)の入国審査官の入国許可のスタンプです。
VIET_NAMの文字が見えます。 -
頻繁に出張する職業外交官には、数次旅券が交付されますが、公用旅券でも、原則的には1次旅券が交付されます。帰国した段階で失効します。
数次ではない公用旅券における渡航先は、業務上必要な関係国に、限定されています。
入出国手続きをせずに、行き来できるメキシコ領ティファナ等へは行けますが、渡航先の記載がない国には、一般的には、行けません。
また、一般旅券には無い官職が記載されます。 -
米国のVISAと入国審査官のスタンプの一例です。
VISAは、5年間有効のマルチビザですが、旅券が1次旅券ですので、帰国した段階で失効するため、5年間有効も意味が無い場合があります。
左ページが、公用のためのVISAで、右ページが入国審査官の入国許可のスタンプです。
A-2VISAは、 日本国政府の要請による公用入国者で、A-1VISAは、 外交官としての入国者です。 -
カンボジアの場合は、空港や陸上で到着した後、所要のVISA料金を支払い、入国審査の前にVISAの発給を受けることができます。(現在は、30$ですが。)
一般的に言われるVOA(Visa On Arrival)と言われる制度です。
まず、VOAの発給を受けて、その後、入国審査の審査を受けます。
カンボジアの場合、労働力を供給する国としての特性もあり、かつ観光収入は、大きな比重を占めますので、入国に関する制限は、あまり厳しくありません。 -
経済発展の著しいメコン経済圏の大動脈は、南部経済回廊ですが、その他、南北経済回廊及び東西経済回廊もあります。
2016年6月には、南北経済回廊の状況を確認するため、メーサイ←→タチレク及びチェンコン←→ファイサイの間を、陸路で往復しました。
このため、パスポートには、ミャンマーからタイへ1回、ラオスから1回、それぞれ陸路による再入国の記録が残っています。 -
2016年に、ミャンマーからタイへ1回、ラオスから1回、陸路による再入国の後、ミャンマーのダーウェーに行こうとして、カンチャナブリの入出国審査所を訪れました。
カンチャナブリの出国審査官は、パスポート上の、ミャンマーからタイへ1回、ラオスから1回、それぞれ2016年の陸路による再入国の記録を見て、タイへの陸路による再入国はできない旨を教えてくれました。
多分、親切心からの忠告(助言)と受け止めています。
当時は、実態的に、ビザランが大きな問題にはなっていなかった時代でしたので、タイの出国審査官の言には、やや疑問の余地がありましたが、入出国の審査官の判断は、最終的なものですので、従うしか仕方がありません。
いずれにしましても、タイへの陸路による再入国が認められなければ、出国しても、バンコクに戻れなければ、大変なことになりますので、ダーウェー行は、次の機会に廻すこととしました。 -
ダーウェーに行こうとして、カンチャナブリの入出国審査所を訪れたのは、2016年6月21日でした。
在京タイ王国大使館の通達に記載されている、陸路による再入国は、年間2回以内との制限の運用開始は、2016年12月31日とあります。
カンチャナブリの入出国審査所を訪れたのは、半年前の2016年6月21日でしたので、根拠通達と相反します。
しかし大使館の通達や見解よりも、現場の入出国審査官の判断が優先されるのです。
文句は言えません。
入国審査官の判断は、最終的なものですので。 -
2016年当時は、ビザランが実態上、認められていました。
写真は、タイ国境のプーナムロンにおけるビザラン業者の宣伝ポスターです。
多くの人達が、利用していました。 -
多くの人達が、団体で、カンチャナブリに、ビザランのために、やって来ます。
-
次から次へと、ビザランナーが入出国審査官の押す再入国許可スタンプを求めてやって来ます。
明らかに、現地在住の人達とは、違う人たちです。 -
パスポートコントロールの標識の前には、多くの人達がいます。
ビザランの実態です。 -
カンチャナブリのプーナムロン国境に、増設されたイミグレーション本部建物です。
最近、できたような新しい建物です。 -
植え込みの向こうが、タイから出国の際の出国審査所です。
-
タイの出国審査所のミャンマー側にある旅行代理店です。
ビザランの業者です。ミャンマーの入出国審査所までは、約6km離れています。
ミャンマー側のティーキーにおける入出国審査のための車両や入出国手続きの手配を扱っています。
ダーウェーへの移動車両も斡旋しています。 -
手前側がタイで、奥がミャンマーへの道路です。
道路の右側に、タイへの入国審査所があります。 -
ミャンマーの場合、平成30年9月30日以前は、観光目的でも、VISAが必要でした。
右側のページが、バンコクのミャンマー大使館で発給を受けた観光VISAです。
このVISAとは別に、入国審査を経て、入国審査官が、入国を判断することとなります。
この結果、左ページのミャンマーの入国審査官の入国許可のスタンプが押されました。
帰路も、同じ経路を逆順で、ミャンマーからタイに、再入国する予定です。
後で、問題になる陸路によるタイへの再入国です。
タイへの査証免除による再入国です。 -
在京ミャンマー大使館のHPの情報です。
平成30年10月1日以降は、観光目的に限り、査証免除となりました。
(1年間の試行ですが。) -
ミャンマーの場合、平成30年9月30日以前は、観光目的でも、VISAが必要でしたが、平成30年10月1日以降は、観光目的に限り、査証免除となりました。
従って、観光の場合、ミャンマーのVISAが不要となりました。
このため、VISA無しで、ミャンマーへの入国ができます。
左上側の入国許可スタンプの上部に、Exempt(T)と手書きで記載があります。
査証免除処置になってから、まだ2ケ月しかたっていませんので、マニュアルを確認しつつの入国審査でした。 -
在京タイ王国大使館のHPです。
陸路での再入国の回数制限について、記載があります。 -
在京タイ王国大使館のホームページに、新VISAルールとして記載されているタイの入管当局の通達です。
陸路によるタイへの再入国は、同一暦年間に2回までとあります。
ビザランを繰り返す外国人への警告目的と思える部分が見えます。
空路入国については、制限はないとのことです。 -
2018年6月のパスポートの再入国の記録です。
同一2018年の間に、陸路で、カンボジア及びミャンマーからタイ(Aranya Prathet及びkanchanaburi)に、合計2回再入国した記録となっています。
タイの規定によれば、2018年内の3回目以降のタイへの陸路による再入国は、出来ないことになります。 -
2018年の6月に、タイ(Aranya Prathet及びkanchanaburi)への再入国をしていますので、12月の陸路によるタイ再入国は、出来ないことになります。
1ケ月旅行を遅らせて、2019年にタイに行くことにすれば、問題無いのですが。 -
タイに、12月1日に入国し、ミャンマーのダーウェーに向かうため、12月3日、タイを出国しました。
ミャンマーからタイへの再入国が、空路になるか、陸路でも再入国が認められるか、大きな問題です。
規定では、同一暦年内の陸路再入国は、2回までとなっていて、3回目のタイへの陸路再入国は、難しいかもしれないのですが。 -
先に述べましたが、ミャンマーには、ダーウェーの他、クラ地峡横断鉄道の先のミャンマー領コータウンにも、行きたい思いがありましたが、何回も、陸路越境を考えていることが、知れると、当然、陸路再入国を認めてもらえませんので、ダーウェーのみの訪問を、第一段として挑戦します。
いずれにしましても、12月16日の日本への帰国便は確定しています。 -
いろいろの問題があることは、承知していますが、何とか挑戦したいと思っています。
できれば、ミャンマーのダーウェーへの訪問の後、ラノーンからミャンマーのコータウンに渡ってみたいと思います。
可能性を追及したいのです。 -
49年前、バンコク空港入国時、質問攻めにあった経緯を踏まえ、まずは、入国審査官の第一印象を良くすることに、意を払いました。
1 短髪にする。
2 襟のついたYシャツを着て、きちんとネクタイをする。
3 黒のビジネスシューズを履く。
4 審査官に笑顔で接し、はっきりとした口調で応対する。
5 十分かつ判り易い説明資料
入国審査官に、安心してもらえる資料等を準備し、すぐ提示できるようにしました。 -
とりあえず、ミャンマーのダーウェーのみに行くための、説明資料を創りました。
2018年6月のカンボジアとミャンマーからタイへの陸路による再入国の2回の記録を明確に記載し、その上で、今回のダーウェーへの陸路による往復について、可否を問う資料です。
入国審査の場ではなく、出国審査カウンターの外側の道路上で、通りかかった審査官らしき制服着用の男性に、主旨を説明させてもらいました。
意外にも、同一暦年間に2回の陸路による再入国の記録があっても、今回の再入国は、可能だとの回答を得ました。
念のため、再度、確認しましたが、やはり可能だとの回答でした。
すかさず、失礼だとは思いましたが、提示した説明資料に、日付と姓名を記入して貰いました。後日、タイへの再入国に際して、了承の証明にしたかったからです。
制服姿の審査官は、何のためらいもなく、署名等をしてくれました。
説明資料の下側に書かれてあるのが、署名です。
迷惑をかけていはいけないと思い、本稿では、黒塗りにさせて頂いております。
この署名が、再入国審査の際、大きな役割を果たしたのです。
これで、何とかなりそうだとの感触を得て、タイを出国し、ミャンマーに入りました。 -
もちろん、タイへの陸路による再入国が拒否されることも考えられるので、再入国を拒否された場合に備え、ヤンゴン経由で、空路タイに再入国する手段を考えておりました。
その際は、ダーウェーからヤンゴンに、バスか航空機で移動し、その後、バンコクに空路、再入国することを準備して置きました。
問題は、ヤンゴン→ドンムアンの間の安価なLCC航空券をいつ購入するのかが、ポイントになります。
最終的には、陸路再入国が不可能になった時点から、3日後に、ヤンゴンを出発することで準備を進めました。 -
ダーウェーでの予定を終了し、いよいよ、車両で国境に向かいました。
先に、タイ出国時に相談した審査官の署名入りの説明資料を、心の拠り所として、準備しました。
同じ審査官に当たれば、何とかなるのでしょうが、そうでない場合の方が多いかもしれません。
こればかりは、運の問題です。
服装は、出国時と、全く同じ服装としました。
入国審査所に到着し、入国審査官を見ましたが、やはり別の入国審査官でした。 -
入国審査が始まると、直ぐ、パスポートをめくる手が止まりました。
隣の入国審査官と、協議を始めました。
そして、すぐ席を立ち、歩き始めようとしましたので、出国時、署名を貰った説明資料を提示し、12月16日に、タイを必ず出国すると申し出ました。
担当の入国審査官は、署名入りの説明資料を見て、署名した審査官を、電話で招致し、3者で協議を始めました。
協議の時間が長かったのが、問題が浅くなかったことを物語っていると感じました。
協議の結果、出国時、署名を貰った審査官が、審査官席に着席し、審査が開始されました。
その間、12月16日に、タイを出国し、日本に帰国することを、2回にわたり質問してきました。
必ず出国すると答えると、再入国許可のスタンプを押してくれました。
その後、出国時の審査官は、再度、当初の審査官と交代し、退出していきました。
なんとかタイへの再入国が、かなったのです。ありがとうございました。 -
出国期限は、来年1月3日ですので、30日間の滞在期間です。
でも、約束通り、12月16日、帰国便への搭乗手続き及び出国手続きを完了、帰国しました。
再入国に関する今回の入国許可と根拠たる通達との関係で、審査官相互間に、必ずしも考え方が一致しているとは思えません。12月16日に必ず出国するという前提を踏まえた例外的な処置だったかもしれません。
入国許可を与えてくれた審査官に感謝するとともに、類が及ばないようにしたいと思います。
このため入国許可スタンプの縁の固有番号を、紫色の線で覆うことにしてあります。 -
なんとかタイのカンチャナブリのプーナムロンにおいて、再入国が可能となりました。
ホッとした心持です。
何回も、間違いは無いか、入国許可スタンプを繰り返し、確認しました。 -
いつの頃からかは、わかりませんが、入国スタンプの縁には、入国審査官の固有番号が刻されていて、入国審査の責任と権限の所在を明確にされています。
国の組織としての責任ではなく、入国審査官個人の責任と権限とされています。
当初接した入国審査官が、交代し、出国時に署名した審査官が、審査を担当したことは、署名したことに責任を取ったのか取らされたのか判然としませんが、当方にとっては、大変ありがたいことでした。 -
結果として、ヤンゴンからドンムアンへの空路再入国は、無くなりました。
ありがとうございました。 -
12月5日に再入国が、かなったことにより、ミャンマーのコータウン行の可能性が出てきました。
ミャンマーのコータウンに渡るため、タイ領ラノーンに向かいます。 -
ラノーンの出国審査所には、4人の審査官がいました。
2ケ所の窓口に1人づつ、上司が1人、そしてたまたま交代要員らしき審査官の4名がいました。
窓口の審査官が見て、同一暦年間に陸路再入国が多いことに気が付いたのでしょう、上司に告げるとともに、ミャンマーに向け出国した場合は、船では、タイに再入国できない旨を伝えてきました。
まさにその通りだと思っていましたので、念のための再確認の上、笑顔をもって、解りましたと回答しました。
カンチャナブリの審査官に類が及ぶのだけは、避けねばと考えて、素直に、かつ笑顔をもって引き下がりました。 -
窓口の審査官は、窓口から出て来て、掲示板の規定を指さし、再入国できない旨の理由を示してくれました。
何回も何回も見た、通達の文章でした。
笑顔で、ありがとうございますと答えるだけしか、できませんでした。 -
閑話休題
49年前の1970年のパスポートの最期のページです。
49年前は、外貨の流出を防ぐため、外貨の持ち出しを規制していました。
このため外為銀行に、旅行費用の交換の記録を記入するように義務付けていました。
1970年当時は、1US$は、360円の固定相場でした。
800US$を交換しました。 -
出国8月8日、帰国8月30日の23日間の旅行期間に対する携行現金は、800US$となります。
当時は、インタネット予約などはありませんでしたので、ホテル代を含めて、ほとんどが現金支払いでした。
1日あたりのホテル代を含めた滞在費は、約35$となります。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- はたぼーさん 2019/03/01 20:16:43
- 参考になりました。
- なかなか面白い旅行記でした。
陸路国境越えが、好きな人達には、参考になる資料だと思いました。
はたぼー
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