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諏訪での定例懇親会の紹介です。宴会の翌日は、友達の車に分乗して、諏訪大社四社を巡りました。これまでに何度かお参りした諏訪大社でしたが、今回は四社のうちの三社をお参りしました。

2018秋、諏訪での定例懇親会(3/8):諏訪湖の宿、諏訪大社本宮、鳥居、拝殿

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2018/11/21 - 2018/11/22

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旅行記グループ 2018秋、諏訪での定例懇親会

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

諏訪での定例懇親会の紹介です。宴会の翌日は、友達の車に分乗して、諏訪大社四社を巡りました。これまでに何度かお参りした諏訪大社でしたが、今回は四社のうちの三社をお参りしました。

交通手段
JR特急 自家用車

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  • 今回の定例懇親会で利用させて戴いた、『KKR諏訪湖荘』の室内光景です。昨晩は、しっかりと美味しい酒と料理の数々を楽しみましたが、今日の朝食も美味しく戴きました。室内に自販機も置いてありました。

    今回の定例懇親会で利用させて戴いた、『KKR諏訪湖荘』の室内光景です。昨晩は、しっかりと美味しい酒と料理の数々を楽しみましたが、今日の朝食も美味しく戴きました。室内に自販機も置いてありました。

  • 同じく、『KKR諏訪湖荘』の室内光景です。2階から1階への階段です。国家公務員用の保養所が前身のようですが、一般でも利用できる公共の施設となっています。宿探しも上手な幹事さんが探して、予約を入れてくれました。

    同じく、『KKR諏訪湖荘』の室内光景です。2階から1階への階段です。国家公務員用の保養所が前身のようですが、一般でも利用できる公共の施設となっています。宿探しも上手な幹事さんが探して、予約を入れてくれました。

  • 1階ロビーの光景です。今朝の朝食会場も1階でした。昨晩の宴会も1階の広間でしたが、料理の質・量とも申し分がありませんでした。

    1階ロビーの光景です。今朝の朝食会場も1階でした。昨晩の宴会も1階の広間でしたが、料理の質・量とも申し分がありませんでした。

  • 同じく、1階ロビーの光景です。フロントも1階にありました。HPには、全国34カ所のKKRの施設が紹介されていました。KKR諏訪湖荘の特徴を5つのポイントで紹介してありましたが、その紹介です。最初のポイントは、?リーズナブルな公共の施設、2番目が、?源泉かけ流し温泉&貸切温泉です。この二つ、大いに納得でした。

    同じく、1階ロビーの光景です。フロントも1階にありました。HPには、全国34カ所のKKRの施設が紹介されていました。KKR諏訪湖荘の特徴を5つのポイントで紹介してありましたが、その紹介です。最初のポイントは、?リーズナブルな公共の施設、2番目が、?源泉かけ流し温泉&貸切温泉です。この二つ、大いに納得でした。

  • KKR諏訪湖荘の特徴の3番目は、?素足で過ごす畳の館内、4番目が、④自慢の鍋とソバ・食べ放題のスイーツ、最後が、?諏訪湖まで徒歩1分でした。食べ物、飲み物に関しては、大いに満足しました。今回は、諏訪大社の参詣を予定していましたので、残念ながら諏訪湖遊覧は出来ませんでした。

    KKR諏訪湖荘の特徴の3番目は、?素足で過ごす畳の館内、4番目が、④自慢の鍋とソバ・食べ放題のスイーツ、最後が、?諏訪湖まで徒歩1分でした。食べ物、飲み物に関しては、大いに満足しました。今回は、諏訪大社の参詣を予定していましたので、残念ながら諏訪湖遊覧は出来ませんでした。

  • お土産品も館内で買い求めることができました。諏訪湖では、花火大会の人気が高いようですが、まず、予約は困難でしょう。

    お土産品も館内で買い求めることができました。諏訪湖では、花火大会の人気が高いようですが、まず、予約は困難でしょう。

  • 友達の車に分乗させてもらって、諏訪大社に向かった途中の光景です。小雨が降っていました。諏訪大社に到着するまでの時間を利用しての諏訪大社についての概要の紹介です。『信濃国一之宮・諏訪大社』のタイトルの公式HPからの紹介です。諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社です。

    友達の車に分乗させてもらって、諏訪大社に向かった途中の光景です。小雨が降っていました。諏訪大社に到着するまでの時間を利用しての諏訪大社についての概要の紹介です。『信濃国一之宮・諏訪大社』のタイトルの公式HPからの紹介です。諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所の境内地をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社総本社です。

  • 諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。 諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。

    諏訪大社の歴史は大変古く、古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。 諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しています。

  • 古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しています。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。

    古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しています。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。

  • 御鎮座の年代、起源等の詳細については不明ですが、我国最古の神社の一つに数えられます。延喜式神名帳には『南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)』と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていました。明治4年に国幣中社に列格、同29年に官幣中社、大正5年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和23年に諏訪大社と改称しました。

    御鎮座の年代、起源等の詳細については不明ですが、我国最古の神社の一つに数えられます。延喜式神名帳には『南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)』と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていました。明治4年に国幣中社に列格、同29年に官幣中社、大正5年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和23年に諏訪大社と改称しました。

  • 全国に分布する分社は一万有余社を数へ、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬われ、巾広い信仰を集めています。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには、必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされています。

    全国に分布する分社は一万有余社を数へ、お諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬われ、巾広い信仰を集めています。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには、必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされています。

  • 前方奥に見えるのは、八ヶ岳の裾の部分の光景になるようです。左端の頂上付近は、雲に隠れているようでした。古くは、神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。

    前方奥に見えるのは、八ヶ岳の裾の部分の光景になるようです。左端の頂上付近は、雲に隠れているようでした。古くは、神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。

  • 『諏訪大社・本宮』に到着しました。その入口の鳥居光景です。『一の鳥居』とも呼ばれているようです。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託も信じられているようです。

    『諏訪大社・本宮』に到着しました。その入口の鳥居光景です。『一の鳥居』とも呼ばれているようです。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託も信じられているようです。

  • 『諏訪大社・本宮』の文字が刻まれた巨大な石標の光景です。信濃国一宮で、旧社格は官幣大社でした。神位は正一位、全国各地にある諏訪神社総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされています。

    イチオシ

    『諏訪大社・本宮』の文字が刻まれた巨大な石標の光景です。信濃国一宮で、旧社格は官幣大社でした。神位は正一位、全国各地にある諏訪神社総本社であり、国内にある最も古い神社の一つとされています。

  • こちらの石標は、『敬神崇祖・報恩感謝』の8文字が記され、『平成15年10月・小林平三』の落款がありました。あまり年数が経っていない石標でした。地元で成功を収めた実業者の方でしょうか、詳しくは分かりませんでした。

    こちらの石標は、『敬神崇祖・報恩感謝』の8文字が記され、『平成15年10月・小林平三』の落款がありました。あまり年数が経っていない石標でした。地元で成功を収めた実業者の方でしょうか、詳しくは分かりませんでした。

  • 雨上がりの狛犬光景です。筋肉マンタイプの造りでした。この写真では口元がはっきりしませんでしたが、阿形の雄獅子のようです。

    雨上がりの狛犬光景です。筋肉マンタイプの造りでした。この写真では口元がはっきりしませんでしたが、阿形の雄獅子のようです。

  • 同じく、雨上がりの狛犬光景です。こちらも、筋肉マンタイプの獅子像でした。口元がはっきりしませんが、吽形の雌獅子のようです。

    同じく、雨上がりの狛犬光景です。こちらも、筋肉マンタイプの獅子像でした。口元がはっきりしませんが、吽形の雌獅子のようです。

  • お湯が出ていた、手水舎の光景です。『明神湯』の立札表示がありました。『往古より諏訪明神所縁の温泉』と解説されていました。

    お湯が出ていた、手水舎の光景です。『明神湯』の立札表示がありました。『往古より諏訪明神所縁の温泉』と解説されていました。

  • 参道を少し進んだ場所から、振り返って眺めた石の鳥居の光景です。『一の鳥居』とも呼ばれているようです。本降りにはならないようでしたが、小雨が降りそうなやや厚い雲でした。

    参道を少し進んだ場所から、振り返って眺めた石の鳥居の光景です。『一の鳥居』とも呼ばれているようです。本降りにはならないようでしたが、小雨が降りそうなやや厚い雲でした。

  • 幅広い石段の上に見えるのが、『堀重門』です。門の役割や、読み方など、まだネット情報では、有力な情報が見付かっていません。

    幅広い石段の上に見えるのが、『堀重門』です。門の役割や、読み方など、まだネット情報では、有力な情報が見付かっていません。

  • 『本宮一之御柱』の表示があった御柱の根元付近の光景です。諏訪大社のHPから、『御柱祭』の行事を紹介します。御柱(おんばしら)祭は7年目毎、寅と申の年に行われます。正式名称は『式年造営御柱大祭』といい、四本の宝殿の造り替え、また社殿の四隅に『御柱』と呼ばれる樹齢200年程の樅(もみ)の巨木を曳建てる、諏訪大社では最大の神事です。勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られている御柱祭は、古く、804年桓武天皇の御代から始まったと伝わります。信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われるようになり、現在では諏訪地方の氏子20万人以上と、訪れる親戚、観光客がこぞって参加し、熱中するお祭になっています。

    『本宮一之御柱』の表示があった御柱の根元付近の光景です。諏訪大社のHPから、『御柱祭』の行事を紹介します。御柱(おんばしら)祭は7年目毎、寅と申の年に行われます。正式名称は『式年造営御柱大祭』といい、四本の宝殿の造り替え、また社殿の四隅に『御柱』と呼ばれる樹齢200年程の樅(もみ)の巨木を曳建てる、諏訪大社では最大の神事です。勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られている御柱祭は、古く、804年桓武天皇の御代から始まったと伝わります。信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われるようになり、現在では諏訪地方の氏子20万人以上と、訪れる親戚、観光客がこぞって参加し、熱中するお祭になっています。

  • 『御柱(おんばしら)』の題字があった説明立札の光景です。目通り太さ1.2メートル、長さ14メートル、樹齢200年ほどの樅木が使われることなどが紹介されていました。

    『御柱(おんばしら)』の題字があった説明立札の光景です。目通り太さ1.2メートル、長さ14メートル、樹齢200年ほどの樅木が使われることなどが紹介されていました。

  • 直下付近から見上げた、『本宮一之御柱』の光景です。下社までは20キロほどを曳かれてきますので、こちらの面がすり減っているようでした。御柱祭は上社、下社それぞれに山から直径約1メートル、長さ約17メートル、重さ10トンにもなる巨木を8本切り出し、上社は約20キロ、下社は約12キロの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるものです。<br />4月の『山出し』と5月の『里曳き』とがあり、山出しでは、たくさんの観衆が見守るなか巨木の御柱が次々と坂を下る『木落し』、上社では冷たい水が流れる川を曳き渡る『川越し』があり、男の度胸試しにふさわしい壮観な見せ場があります。『里曳き』では、長持ち、騎馬行列など時代絵巻が見ものです。

    イチオシ

    直下付近から見上げた、『本宮一之御柱』の光景です。下社までは20キロほどを曳かれてきますので、こちらの面がすり減っているようでした。御柱祭は上社、下社それぞれに山から直径約1メートル、長さ約17メートル、重さ10トンにもなる巨木を8本切り出し、上社は約20キロ、下社は約12キロの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるものです。
    4月の『山出し』と5月の『里曳き』とがあり、山出しでは、たくさんの観衆が見守るなか巨木の御柱が次々と坂を下る『木落し』、上社では冷たい水が流れる川を曳き渡る『川越し』があり、男の度胸試しにふさわしい壮観な見せ場があります。『里曳き』では、長持ち、騎馬行列など時代絵巻が見ものです。

  • 『諏訪大社・上社本宮』の鎮守の杜の光景です。HPからの『御柱祭』の紹介の締め括りです。大社の御柱祭が済むと、諏訪地方の神社では御柱祭が行われます。これは『小宮祭』と呼ばれています。諏訪大社の御柱祭から始まり、小宮の御柱祭で一年が終わります。

    『諏訪大社・上社本宮』の鎮守の杜の光景です。HPからの『御柱祭』の紹介の締め括りです。大社の御柱祭が済むと、諏訪地方の神社では御柱祭が行われます。これは『小宮祭』と呼ばれています。諏訪大社の御柱祭から始まり、小宮の御柱祭で一年が終わります。

  • 『諏訪大社・上社本宮』の社殿正面光景です。千鳥破風が二段に設けられた建物です。社務所当たりでしょうか、玄関横に『奉賛金受付所』の立看板がありました。

    イチオシ

    『諏訪大社・上社本宮』の社殿正面光景です。千鳥破風が二段に設けられた建物です。社務所当たりでしょうか、玄関横に『奉賛金受付所』の立看板がありました。

  • 左斜め前から眺めた、『宝物殿』の建物光景です。入場見学はしませんでしたが、江戸時代の『御柱(おんばしら)』の模様を描いた、全長32メートルもある絵巻の展示もあるようです。諏訪大社に代々伝わってきた宝物を保管し、展示している建物です。

    左斜め前から眺めた、『宝物殿』の建物光景です。入場見学はしませんでしたが、江戸時代の『御柱(おんばしら)』の模様を描いた、全長32メートルもある絵巻の展示もあるようです。諏訪大社に代々伝わってきた宝物を保管し、展示している建物です。

  • 『宝物殿』の正面からのズームアップ光景です。奈良の正倉院を思わせるような、建物壁面の光景でした。

    『宝物殿』の正面からのズームアップ光景です。奈良の正倉院を思わせるような、建物壁面の光景でした。

  • 『堀重門』の前から、振り返って眺めた『一の鳥居』と『北参道』の光景です。鳥居の先でも、見えなくなる先まで、真直ぐな参道が続いていました。

    『堀重門』の前から、振り返って眺めた『一の鳥居』と『北参道』の光景です。鳥居の先でも、見えなくなる先まで、真直ぐな参道が続いていました。

  • 『授与所』の建物光景になるようです。建物名称は記されていませんでしたが、『御祈祷(おはらい)受付所』の大きな表示がありました。

    『授与所』の建物光景になるようです。建物名称は記されていませんでしたが、『御祈祷(おはらい)受付所』の大きな表示がありました。

  • 内側から眺めた、『堀重門』の光景です。普段は締め切られている門のようです。例大祭などの行事の時だけに開かれるのかも知れません。御神紋の『梶の葉』を染め抜いた幕が掛かっていました。

    内側から眺めた、『堀重門』の光景です。普段は締め切られている門のようです。例大祭などの行事の時だけに開かれるのかも知れません。御神紋の『梶の葉』を染め抜いた幕が掛かっていました。

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