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諏訪での定例懇親会の翌日に見学した諏訪大社の紹介です。諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社秋宮と下社春宮の四つから構成されますが、その最後の見学となった下社春宮の紹介です。

2018秋、諏訪での定例懇親会(7/8):諏訪大社、下社・春宮、神楽殿、御柱、結びの杉

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2018/11/21 - 2018/11/22

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旅行記グループ 2018秋、諏訪での定例懇親会

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

諏訪での定例懇親会の翌日に見学した諏訪大社の紹介です。諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社秋宮と下社春宮の四つから構成されますが、その最後の見学となった下社春宮の紹介です。

交通手段
JR特急 自家用車
  • 諏訪大社・下社の社殿光景です。神楽殿になるようです。大きな注連縄が張られていました。諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社秋宮と下社春宮の四つから構成されていますが、その下社春宮の社殿になります。春宮は大隅(おおすみ)流、秋宮は立川(たてかわ)流という二つの流派の大工集団がほぼ同時期に、技を競うように建てられました。

    諏訪大社・下社の社殿光景です。神楽殿になるようです。大きな注連縄が張られていました。諏訪大社は、上社本宮、上社前宮、下社秋宮と下社春宮の四つから構成されていますが、その下社春宮の社殿になります。春宮は大隅(おおすみ)流、秋宮は立川(たてかわ)流という二つの流派の大工集団がほぼ同時期に、技を競うように建てられました。

  • 下社春宮を守るブロンズ製の狛犬光景です。口を開けた姿ですから、阿形の雄獅子になるようです。参道脇に、社殿に向かって横向きに置かれていました。

    イチオシ

    下社春宮を守るブロンズ製の狛犬光景です。口を開けた姿ですから、阿形の雄獅子になるようです。参道脇に、社殿に向かって横向きに置かれていました。

  • 同じく、下社春宮を守るブロンズ製の狛犬光景です。口を閉じた姿ですから、吽形の雌獅子になるようです。

    同じく、下社春宮を守るブロンズ製の狛犬光景です。口を閉じた姿ですから、吽形の雌獅子になるようです。

  • 下部に注連縄が張られた大きな樹木の光景です。御神木とされているらしい、杉の木のようです。『結びの杉』と呼ばれています。

    下部に注連縄が張られた大きな樹木の光景です。御神木とされているらしい、杉の木のようです。『結びの杉』と呼ばれています。

  • 『結びの杉』の題字があった、まだ新しい説明立札の光景です。別名が『縁結びの杉』と紹介されていました。

    『結びの杉』の題字があった、まだ新しい説明立札の光景です。別名が『縁結びの杉』と紹介されていました。

  • 根元は一緒で、途中から幹が二つに分かれた、『結びの杉』の光景です。二つに分かれた幹は、ほぼ同じ大きさでした。かなりの大きさの根元を持った古木です。

    根元は一緒で、途中から幹が二つに分かれた、『結びの杉』の光景です。二つに分かれた幹は、ほぼ同じ大きさでした。かなりの大きさの根元を持った古木です。

  • 左側の小さな社には、『若宮社(摂社)』のタイトルの説明立札がありました。立札が撮影できなかった、右側の社も境内摂社のようです。『諏訪神系図』では、十三神を上社の若御子、または下社の若宮社に祀られているようです。

    左側の小さな社には、『若宮社(摂社)』のタイトルの説明立札がありました。立札が撮影できなかった、右側の社も境内摂社のようです。『諏訪神系図』では、十三神を上社の若御子、または下社の若宮社に祀られているようです。

  • 下社の『御柱(おんばしら)』の光景です。神社の中心部を囲うように、四方に立てられている『樅木(もみのき)』の柱です。この御柱が、下社の東南に位置するようです。正式には、『春宮一之御柱』と呼ばれています。

    下社の『御柱(おんばしら)』の光景です。神社の中心部を囲うように、四方に立てられている『樅木(もみのき)』の柱です。この御柱が、下社の東南に位置するようです。正式には、『春宮一之御柱』と呼ばれています。

  • 『春宮一之御柱』の北側に位置する『春宮三之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに三本目の御柱になります。

    『春宮一之御柱』の北側に位置する『春宮三之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに三本目の御柱になります。

  • 『御柱(おんばしら)』の題字があった説明立札の光景です。7年に1回、立替えられるもので、現在の御柱は霧ケ峰高原で育った樅木で、幹の直径1メートル、高さ17メートルと紹介されていました。

    『御柱(おんばしら)』の題字があった説明立札の光景です。7年に1回、立替えられるもので、現在の御柱は霧ケ峰高原で育った樅木で、幹の直径1メートル、高さ17メートルと紹介されていました。

  • 『春宮一之御柱』の株付近のズームアップ光景です。御柱曳などの際、怪我をしないよう、大きな枝が丁寧に切り落とされていました。

    イチオシ

    『春宮一之御柱』の株付近のズームアップ光景です。御柱曳などの際、怪我をしないよう、大きな枝が丁寧に切り落とされていました。

  • 『左右片拝殿(さゆうかたはいでん)』の題字があった、新しい立札が左手前にあった建物光景です。国の重要文化財の建物です。幣拝殿と同じく、安永8年(1779年)に落成した建物でとされます。

    『左右片拝殿(さゆうかたはいでん)』の題字があった、新しい立札が左手前にあった建物光景です。国の重要文化財の建物です。幣拝殿と同じく、安永8年(1779年)に落成した建物でとされます。

  • 『幣拝殿(へいはいでん)』の建物正面光景です。 春宮の幣拝殿は、『御門屋(みかどや)』とも言われ、天正6年(1578年)に下馬橋と共に造営された記録があります。現在の建物は、安永8年(1779年)6 月に工事を終えたとされます。

    『幣拝殿(へいはいでん)』の建物正面光景です。 春宮の幣拝殿は、『御門屋(みかどや)』とも言われ、天正6年(1578年)に下馬橋と共に造営された記録があります。現在の建物は、安永8年(1779年)6 月に工事を終えたとされます。

  • 『幣拝殿(へいはいでん)』の題字があった説明立札の光景です。国の重要文化財の建物であることが併記されていました。安永8年(1779年)に落成したことが記されていました。二重の楼門造りです。『幣拝殿』は、拝殿と幣殿が一体となった建物の呼び名になるようです。

    『幣拝殿(へいはいでん)』の題字があった説明立札の光景です。国の重要文化財の建物であることが併記されていました。安永8年(1779年)に落成したことが記されていました。二重の楼門造りです。『幣拝殿』は、拝殿と幣殿が一体となった建物の呼び名になるようです。

  • 『春宮二之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに最初の御柱です。社殿の西手前側に位置します。周りに注連縄が張られていました。

    『春宮二之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに最初の御柱です。社殿の西手前側に位置します。周りに注連縄が張られていました。

  • 『春宮三之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに二本目の御柱となり、社殿の西北側に位置します。最後に紹介する春宮の4本目の御柱になりました。

    『春宮三之御柱』の光景です。『春宮一之御柱』から時計回りに二本目の御柱となり、社殿の西北側に位置します。最後に紹介する春宮の4本目の御柱になりました。

  • 『子安社(末社)』の題字があった説明立札の光景です。『お諏訪さま』の母神である、『奴奈川姫(ぬながわひめ)』を祀る境内末社です。『お諏訪さま』は、『建御名方命(たけみなかたのみこと)』になります。

    『子安社(末社)』の題字があった説明立札の光景です。『お諏訪さま』の母神である、『奴奈川姫(ぬながわひめ)』を祀る境内末社です。『お諏訪さま』は、『建御名方命(たけみなかたのみこと)』になります。

  • 西南側から眺めた、春宮の拝殿光景です。春宮は、『杉(スギ)の木』を御神木として本殿がなく、原始信仰の姿を今に伝える神社です。こうした神社建築様式は、『諏訪神社造り』とも呼ばれています。

    西南側から眺めた、春宮の拝殿光景です。春宮は、『杉(スギ)の木』を御神木として本殿がなく、原始信仰の姿を今に伝える神社です。こうした神社建築様式は、『諏訪神社造り』とも呼ばれています。

  • 国の重要文化財に指定されている『左右片拝殿』の建物光景です。中央の『幣拝殿』に向かって左手方面の建物光景になります。こちらが『右片拝殿』になるのでしょうか。

    国の重要文化財に指定されている『左右片拝殿』の建物光景です。中央の『幣拝殿』に向かって左手方面の建物光景になります。こちらが『右片拝殿』になるのでしょうか。

  • 『諏訪大社・下社春宮・幣拝殿・左右片拝殿」のタイトルがあった国の重要文化財の説明看板です。諏訪大社と下諏訪町教育委員会連名の看板でした。国の重要文化財に指定されたのは昭和58年(1983年)です。創建時期や、彫刻の素晴らしさなどが紹介されていました。

    『諏訪大社・下社春宮・幣拝殿・左右片拝殿」のタイトルがあった国の重要文化財の説明看板です。諏訪大社と下諏訪町教育委員会連名の看板でした。国の重要文化財に指定されたのは昭和58年(1983年)です。創建時期や、彫刻の素晴らしさなどが紹介されていました。

  • 先に紹介した、『結びの杉』とその周りの光景です。幹が途中から二つに分かれていますので、木の最上部も二つに分かれていました。根元は石の柵で囲われ、左手には二基の細長い石灯篭が置かれていました。

    先に紹介した、『結びの杉』とその周りの光景です。幹が途中から二つに分かれていますので、木の最上部も二つに分かれていました。根元は石の柵で囲われ、左手には二基の細長い石灯篭が置かれていました。

  • 左手の建物は、横から眺めた『神楽殿』の光景になります。右奥には、『結びの杉』が見えていました。

    左手の建物は、横から眺めた『神楽殿』の光景になります。右奥には、『結びの杉』が見えていました。

  • これで下社春宮の紹介はおしまいです。振り返って眺めた右手の神楽殿と、その奥の拝殿光景です。

    これで下社春宮の紹介はおしまいです。振り返って眺めた右手の神楽殿と、その奥の拝殿光景です。

  • 春宮の参拝を終えた後、次に向かったのは、『万次の石仏』の見学です。その途中で見かけた、春宮境内の古木光景です。迫力のある幹の姿でした。

    春宮の参拝を終えた後、次に向かったのは、『万次の石仏』の見学です。その途中で見かけた、春宮境内の古木光景です。迫力のある幹の姿でした。

  • 『万次の石仏』は、春宮から歩いても、ほど近い距離にありました。その途中で見かけた立派な石灯篭の光景です。この辺りはまだ、春宮の境内になるようでした。柱の部分井は、献灯の文字と御神紋が記されていました。諏訪大社の御神紋は『梶(かじ)』の木の葉です。

    『万次の石仏』は、春宮から歩いても、ほど近い距離にありました。その途中で見かけた立派な石灯篭の光景です。この辺りはまだ、春宮の境内になるようでした。柱の部分井は、献灯の文字と御神紋が記されていました。諏訪大社の御神紋は『梶(かじ)』の木の葉です。

  • 一対で置かれていた、立派な造りの石灯篭のもう一方の光景です。かなり凝った造りでしたが、春日灯篭の様式に含まれるようでした。こちらは日当たりの正でしょうか、かなり苔生していました。

    一対で置かれていた、立派な造りの石灯篭のもう一方の光景です。かなり凝った造りでしたが、春日灯篭の様式に含まれるようでした。こちらは日当たりの正でしょうか、かなり苔生していました。

  • 『万次の石仏』の見学に向かう途中の光景が続きます。世界的な芸術家だった、岡本太郎さんが絶賛したことで有名になった石仏です。岡本太郎さんは、縄文文化を評価した人としても知られますが、『万治の石仏』は、その縄文文化に通じる芸術性があるようにも感じます。日本文化の最深部が縄文文化ともされますので、『万治の石仏』に限らず共通性があるのかも知れません。

    イチオシ

    『万次の石仏』の見学に向かう途中の光景が続きます。世界的な芸術家だった、岡本太郎さんが絶賛したことで有名になった石仏です。岡本太郎さんは、縄文文化を評価した人としても知られますが、『万治の石仏』は、その縄文文化に通じる芸術性があるようにも感じます。日本文化の最深部が縄文文化ともされますので、『万治の石仏』に限らず共通性があるのかも知れません。

  • 岡本太郎(1911~1998年)は、1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動ともかかわった芸術家です。日本では『芸術は爆発だ!』の言葉とともに、1970年(昭和45年)開催の大阪万博での『太陽の塔』の制作でも知られます。永久保存が決定されているモニュメントの塔です。

    岡本太郎(1911~1998年)は、1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごし、抽象美術運動やシュルレアリスム運動ともかかわった芸術家です。日本では『芸術は爆発だ!』の言葉とともに、1970年(昭和45年)開催の大阪万博での『太陽の塔』の制作でも知られます。永久保存が決定されているモニュメントの塔です。

  • 岡本太郎さんの年表には、『1986年(昭和61年)、福井県三方町で復元された縄文前期の丸木舟の進水式で舟長として舟を漕ぐ』との項目もありましたから、縄文にかける情熱は中途半端ではなかったようです。手元の『いま蘇る縄文』の冊子にも、岡本さんのことは、当然ながら採り上げられていました。

    岡本太郎さんの年表には、『1986年(昭和61年)、福井県三方町で復元された縄文前期の丸木舟の進水式で舟長として舟を漕ぐ』との項目もありましたから、縄文にかける情熱は中途半端ではなかったようです。手元の『いま蘇る縄文』の冊子にも、岡本さんのことは、当然ながら採り上げられていました。

  • 小さな鳥居を潜った先に赤い橋が見えて来ました。赤い橋を渡った右手方面に『万治の石仏』がありました。『いま蘇る縄文』の冊子の中で、岡本さんに触れた部分は、例えば、1952年に。美術雑誌『みずゑ』で取り上げた論文が、美術界では縄文美術の緒元とされます。それまでは、石器時代の工芸品として扱われてきたようです。

    小さな鳥居を潜った先に赤い橋が見えて来ました。赤い橋を渡った右手方面に『万治の石仏』がありました。『いま蘇る縄文』の冊子の中で、岡本さんに触れた部分は、例えば、1952年に。美術雑誌『みずゑ』で取り上げた論文が、美術界では縄文美術の緒元とされます。それまでは、石器時代の工芸品として扱われてきたようです。

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