2018/10/26 - 2018/10/26
4392位(同エリア6951件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,499,413アクセス
- フォロワー63人
銀閣寺の東求堂が特別公開されると知り、朝早く出かけました。銀閣寺は小中学校の遠足や修学旅行の生徒たちで朝早くから大賑わいでした。銀閣寺はずっと行っていなかったので、久しぶりに銀閣、錦鏡池、銀沙灘、向月台、を見て回り、特別公開の10時まで時間を潰しながら、見て回りました。待望の東求堂・最古の書院をゆっくり見ることができて、嬉しかったです。
表紙の写真は、屋根に溜まった夜露が朝日で蒸発している様子です。特別公開が8時半から始まるとあったので、急いで8時半過ぎに来ましたが、1回目のコースは10人程でした。でも、午後には混んできて、2時間待ちになるとか。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
バスで、銀閣寺道で降りてから、疎水沿いを10分ほど歩きます。
-
朝早くは遠足の生徒たちで「総門」が見えなかったので、帰りに撮ったものです。
-
総門から50mくらい歩くと、この「中門」があります。これも帰りに撮ったので、比較的空いていますね。
この門を入ると、銀閣寺垣という竹垣で組まれた細長い空間が続来ます。 -
庫裏
銀閣寺は通称で、正式には東山慈照寺です。室町幕府足利8代将軍義政公が造営した山荘「東山殿」が元となっています。 -
庫裏横の石庭も綺麗に掃かれていました。
義政公没後、臨済禅宗の寺院となり、義政公の法号・慈照院に因んで、慈照寺と名付けられたそうです。 -
義政公は9歳で家督を継ぎ、14歳で征夷大将軍となりました。周囲に蠢く権謀術数の政治世界から引退して、隠栖生活を過ごす山荘を計画しました。そして、生涯を東山殿の造営に取り組みました。しかし、後継問題から応仁の乱で中断し、実弟義尋が門主をしていた浄土寺の跡地に山荘を建てることにしたのですが、完成直前に56歳の生涯を閉じることになってしまいました。
-
小中学生たちは先生やガイドさんに先導されて、歩いていきますが、少しでも心に残るのでしょうか。中には心静かに見つめている生徒もいるのでしょうね。
-
本堂前にある待合の花頭窓から見た銀沙灘。人が多いので、難しいシャッターチャンス。
-
国宝銀閣、観音殿です。義政公は、自らの浄禅二宗の宗教観を託して、一層を心空殿、二層を潮音閣と命名しました。鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西方寺の瑠璃殿を踏襲し、唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の代表的な建造物となっています。
着工は文明14年(1482)で、完成は延徳2年(1490)の大工事で、義政公の美意識を全て写し、東山文化の真髄である「簡素枯淡の美」の山荘が完成するのですが、この銀閣の完成を見ずに没してしまいます。しかし、細かいところまで、設計の指図を残して、その完成した姿を心に描いていたと伝えらえています。
『我が庵は 月待山の麓にて かたふく空の影を しそ思ふ』 -
銀閣前の錦鏡池 北斗石があります。
-
向月台は3ヶ月に一度作り直すそうですが、今年の台風は風が強すぎたため、崩れたそうです。砂と水だけの作業です。
-
傍にある祠へ
-
少し高いところから銀閣の屋根上にある鳳凰飾を見ます。
-
第二層は禅宗の寺院風の造り担っています。木部には白くなった部分がありますが、漆が剥がれて、少し残っている部分だそうです。
-
第一層は、腰高障子や引き違い戸を用いた書院造り様式担っていて、金閣に見られるような寝殿造りの蔀戸や妻戸はありません。
-
銀沙灘へ行って見ます。
-
本堂
-
本堂の引き戸を開けると西の間に、与謝蕪村の襖絵「棕櫚に叭叭鳥図」(ははちょう図)の複製があります。特別公開の本堂、東宮堂は撮影禁止です。
御本尊は、釈迦牟尼佛を安置しています。 -
本堂上官の間には与謝蕪村の「山水人物図」、「飲中八仙図」の襖絵の複製があります。いずれも明和年間(1764~72)頃の作品と推定されています。
一番奥の東の間には、池大雅の「琴棋書画図」の複製があります。
少し見にくいですが、正面の額には「東山水上行」とあります。 -
本堂の屋根から夜露が蒸発していて、湯気が立っているようです。
-
本堂前の銀沙灘
-
東求堂は、正方形の空間に板間の仏間、4畳の畳の奥に、4畳半の同仁斎があり、その左手に6畳の部屋があります。仏間がある南面が正面とされていて、阿弥陀如来像が、脇仏壇に足利義政公が安置されていました。同仁斎の障子を開けると、庭園が見え、障子を掛け軸の幅に閉めると、まるで一幅の絵を見ているようでした。回縁に張り出した書院と違い棚が書院造の初期の型とされています。草庵茶室の源流となっているそうです。軒の垂木が2段になっていて、縁に陰影を作り出していました。ここはやはり内部を見るべきところでした。
-
ここから奥にある大書院へ行き、東の間にある富岡鉄斎の襖絵「大江捕魚図」の複製を見ました。ゆったりと流れる大河で網を降ろす人、釣り糸を垂れる人など様々に魚を捕る人たちがいます。また、芦辺の舟、大樹の下で酒を酌み交わす人、入江で漁業をする光景などが描かれています。鉄斎が64歳の時の作品だそうです。その奥にある泉殿(弄清亭・ろうせいてい)は、義政公好みの香座敷だそうで、ここで香を聞いたり、歌を詠んだりして楽しんだといことです。志野宗信を祖とする志野流香道の香座敷となっています。平成8年に弄清亭改築を記念して、奥田元宋の「薫園清韻」、「流水無限」、「湖畔秋耀」の色鮮やかな日本画が部屋全面に描かれています。庭に面した障子を開けると、光が差し込んで、絵の色が変化します。流水無限は床の間、違い棚、襖へと川の急な流れが続いていて、美術館の部屋で見ているようでした。
-
この手水鉢は僧の袈裟を表していて、全面が前、今見えていない後ろは袈裟が斜めになっている通り、三角形になっていました。
-
東求堂の屋根周り
内部では一切撮影禁止のため、細かいところをじっくり拝見してきました。 -
本堂前でも庭師の方がお仕事されていましたし、苔庭のいたるところで手入れされていました。話を聞くと、中には苔を取っていく人がいるとか、どういう神経をしているのでしょうか。
-
東求堂前の池
義政公は幾度となく西芳寺を訪れ、禅僧夢窓国師の庭園を徹底的に研究し、西芳寺を模して設計ました。当時十二の亭舎が山上や庭園に配置されていました。今は、東求堂と観音殿の二つがその名残になっています。特に素晴らしいのは書院造りの室飾りに、東山御物と呼ばれる美術工芸品が並べられていたと伝えられています。後に東山文化として花開き、華道、茶道、香道などの諸芸能の源流として現代まで伝えられています。 -
錦鏡池には7つの石橋と4つの浮石、日本各地の名石があります。中央に大内石が見えます。
-
洗月泉
-
何事も夢まぼろしと思ひ知る 身にはうれひも悦びもなし
飢饉、社会不安、戦乱と義政公が行きた15世紀後半は、日本史の暗黒時代という時期でした。そんな時代に反比例するような美しいこの慈照寺です。 -
東求堂を横から見たいので、少し廻って見ます。
-
東求堂東面
-
七福神の一つ弁財天が祀ってあります。
-
お茶の井
-
月待山下にある展望台へ上り、慈照寺を眺めます。
-
本堂から庫裏、書院、茶室、弄清亭などの建物が見えます。
-
草の敷石は遊び心いっぱいです。
-
下りは、ちょっと滑り易いので要注意です。
-
庭園には苔生した大木が多くあります。
-
あと1ヶ月で紅葉色で賑わうことでしょう。
-
苔好きには堪りませんね。
-
この写真を撮っている時は、特別公開前の時間待ちで散歩してじっくり鑑賞していました。
-
流石、義政公自らの美意識を以って、設計した銀閣はどこから見ても素晴らしい!
-
池に映った景色も良いです。
-
角度を変えてゆっくり楽しんでいます。
-
ツアーだと時間が決まっているので、こんな風にじっくり鑑賞できないでしょう。
-
松の皮肌にも苔が。千代の槙は樹齢五百年です。
-
池には多くの鯉がいます。まだ小さいので子供でしょうか。
-
池に映った紅葉
-
躑躅越しに見る観音殿
-
松の向こうに向月台が見えます。
-
銀沙灘も見る角度によって色んな姿を見せてくれます。
-
東求堂前の庭園
-
清々しい箒の跡
-
池から展望台方向を見上げています。
-
池に映った観音殿
-
庭園には疎水の流れが幾筋かあります。
-
観音殿を色んな角度から見ます。
-
入り口から見た反対側の側面です。近づけないので、詳細は分かりませんが。
-
裏手
-
少し色付いた紅葉がほんのりと紅くなって綺麗ですね。真っ赤な時期より紅くなり始めた頃も好きです。
-
苔庭も色んな想像を楽しめます。
特別公開で東求堂を堪能したので、また雪景色の頃に来たいものです。 -
庭園の木立の影
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
belleduneさんの関連旅行記
東山・祇園・北白川(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
63