2018/09/09 - 2018/09/09
2552位(同エリア6442件中)
関連タグ
かつどんさん
日頃、「好きな作曲家は?」と尋ねられたら、生年順にバッハ、ハイドン、モーツァルト、ブルックナー、ブラームスと答えています。
今回の旅は家人と共にウィーンに6連泊し、その中でも2人の作曲家、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンとアントン・ブルック―ゆかりの地を日帰りで訪れることが主な目的。加えてウィーンの音楽家ゆかりの場所にも多数訪れました。
【旅程】
9/08(土) 浜松~成田~ウィーン
9/09(日) ウィーン滞在
9/10(月) アンゼンシュタット
9/11(火) ショプロン、フェルトゥード
9/12(水) アンスフェルデン、ザンクト・フローリアン、リンツ
9/13(木) ウィーン滞在
9/14(金) ウィーン~
9/15(土) ~成田~浜松
この旅行記は、初日 https://4travel.jp/travelogue/11407031 に続き2日目。
ウィーン市内にて美術史博物館やウィーンゆかりの作曲家の史跡を訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- オーストリア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
9月9日(日)晴れ
Tシャツ一枚で充分な気温。思っていたより暑い。
ホテル・ドゥ・フランスの朝食ビュッフェ。
決して種類が多いというわけではないが美味しい。 -
8:30 ホテル・ドゥ・フランスを出発。
ホテル外観。ドゥ フランス 劇場・ホール・ショー
-
ホテルと同じ区画の東側の通りの名前はHessgasse(ヘスガッセ)。
-
ホテルとほぼ繋がるように建てられたヘスガッセ7番地の高級アパート。
実は1877年から1895年まで、ここの最上階に作曲家アントン・ブルックナーが住んでいた。
今回、ホテル・ドゥ・フランスに宿泊を決めたもう一つの理由がこれである。
38年前にウィーンを訪れた時、この事実は知らなかった。 -
建物の壁にブルックナーがここに住んでいたことを説明するプレートがはめられている。
-
ショッテントーアの停留所からトラムDに乗って国立歌劇場方面へ。
-
ウィーン国立歌劇場。
9月から既に2018/2019のシーズンはスタートしている。
明日の夜、ここでリヒャルト・シュトラウスのオペラ「ナクソス島のアリアドネ」を観劇予定。ウィーン国立歌劇場 劇場・ホール・ショー
-
チケットはすでに日本でオンライン予約しているので、実券と交換しようとオペラ座の西向かいにある国立劇場前売りセンターへ。
犬がお行儀よく座っている。
係の女性に日本でプリントアウトした予約確認票を見せたら、これがそのままチケットになるということだった。国立劇場前売りセンター エンターテイメント
-
ブルク公園へ向かう途中に現れたゲーテ像。
当たり前と言えば当たり前だが、ドイツ/オーストリアにあるゲーテ像はどれも一目見ただけで「あっ、ゲーテだ」と分かる。 -
ブルク公園到着。
王宮庭園 広場・公園
-
有名なモーツァルト像。
-
マリア・テレジア広場。
“オーストリアの母”マリア・テレジア像。オーストリアの母 by かつどんさんマリア テレジア広場 広場・公園
-
マリア・テレジア像を挟んで北側に自然史博物館、南側に美術史博物館と外観がほとんど同じ建物が左右対称に並ぶ。
10:00 開館と同時に美術史博物館に入館。
入館料大人1名15.00ユーロ。ウィーンで、もし一つだけしか博物・美術館に入場できないのなら、迷わずここへ。 by かつどんさん美術史美術館 博物館・美術館・ギャラリー
-
玄関。
-
正面の階段を上っていく。
-
中央のドーム。
-
階段ホールの天井フレスコ画「ルネサンス賛歌」。
-
彫刻。
-
階段を上ったところで目を上に向けると、若き日のグスタフ・クリムトが描いた壁画が全部で12枚、大理石の柱の間に描かれている。
古代エジプト、ギリシャ、ローマがテーマとなっているとのこと。
そのうちの一枚、「パラスアテネ」(左)と「エジプトの裸像」(右) -
こちらも。
既に後のクリムトの画法が垣間見られるような・・・。 -
美術史博物館の目玉と言えば、何と言っても16世紀の巨匠、ピーテル・ブリューゲルの作品群。ブリューゲルの現存する作品のうち、1/4がここに所蔵されているらしい。
「謝肉祭と四旬節の間の争い」(1559年)
館内はフラッシュを使わなければ撮影可。 -
「子供の遊戯」(1560年)
-
「雪中の狩人」(1565年)
そう言えば「バベルの塔」や「農家の婚礼」の写真を撮り忘れた。
図録を買ったので帰国してから復習しよう。 -
アルブレヒト・デューラー「皇帝マクシミリアン1世の肖像」(1519年)
この作品も見てみたかった一品。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(1459年3月22日 - 1519年1月12日)は結婚政策でハプスブルク家隆盛の礎を作り、多民族国家となった。
ウィーン少年合唱団の前身である宮廷礼拝堂少年聖歌隊は彼が創設したということだ。 -
ジョゼッペ・アルチンボルド(1526年 - 1593年7月11日)の「夏」(1569年)。
野菜や果物を用いたいわゆる「寄せ絵」。
家人お気に入りの作品。
アルチンボルドが仕えたルドルフ2世帝は、政治的には無能だったが、芸術を庇護し、蒐集家、文化人と知られ、彼がウィーンから遷都したプラハは大きな繁栄を遂げた。ボヘミアン・グラスを世界に知らしめたのも彼の功績。また彼は錬金術にとても関心を持っていたという。
そう言えば今年1月から3月、東京・Bunkamura ザ・ミュージアムで「ルドルフ2世の驚異の世界展」が行われ、アルチンボルドが描いたルドルフ2世の寄せ絵の肖像画(スウェーデン・スコークロステル城所蔵)が展示されていたのだが、タイミングが合わず見に行けなかった。 -
ハプスブルク家スペイン王フェリペ4世の宮廷画家、ディエゴ・ベラスケス(1599年6月 - 1660年8月6日)の有名作と言えば、そのフェリペ4世の娘である王女マルガリータの肖像画。
「ピンクのドレスを着た3歳の王女マルガリータ=テレサ」(1653/54年頃) -
「白いドレスを着た5歳の王女マルガリータ=テレサ」(1656年頃)
-
そして、何といっても「ブルーのドレスを着た8歳の王女マルガリータ=テレサ」(1659年)。
中学生の頃、いつか実物を見てみたいと思っていた作品。 -
絵画鑑賞後、館内のカフェ・ゲルストナーでお茶。
「世界で最も美しいカフェ」と呼ばれるのも納得の豪華で重厚なつくり。
ここは美術館の入場者しか利用できないので是非とも!世界一美しい「カフェ」! by かつどんさんカフェ (美術史美術館) カフェ
-
美術史博物館を出て、徒歩でゼセッシオンへ。
19世紀末、クリムトらが参加したウィーンの新しい芸術集団「分離派」の拠点。
ユーゲントシュティール様式の建築物。クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」 by かつどんさんセセッシオン 劇場・ホール・ショー
-
月桂樹の葉をモチーフにしたという「金色のキャベツ」が目印。
その下には「時代にはその芸術を 芸術にはその自由を」という分離派のモットーが金文字で書かれている。 -
ゼセッシオンの入口。
-
6ユーロの入場料を支払って入館したゼセッシオンのお目当ては、地階の部屋の壁に描かれたクリムトの連作絵画「ベートーヴェン・フリーズ」。
1902年に制作されたこの作品はベートーヴェンの「交響曲第9番」への憧れ、賛美を表現したもの。
館内はフラッシュを使用しなければ撮影可。 -
「浮遊する精霊」
-
「完全武装の勇者」
-
「怪物デュフォーンとゴルゴンの三姉妹」
-
竪琴を持った女性に擬人化された「詩」
-
「楽園の天使たちの合唱の前で接吻する男女」
-
ゼセッション東側のカールス教会。
1996年10月14日、11日に亡くなったブルックナーの葬儀はここで執り行われた。
生前、音楽的に対立していたブラームスの住居は教会の近くにあり、葬儀の時、関係者がブラームスに中に入るよう促したが、「もうじき私の柩をを担ぐがいい」と呟いてその場を立ち去ったという。また、当時5歳で、後にザルツブルク・モーツァルテウム音楽院院長を務め(カラヤンも彼の教え子)、モーツァルトの権威であったベルンハルト・パウムガルトナーは「ブラームスが柱の陰で涙を流していたのを見た」と述べている。
ブラームスは後を追うように、その半年後の1897年4月3日に63歳でこの世去った。ブルックナーの葬儀が行われた教会 by かつどんさんカールス教会 寺院・教会
-
カールス公園にある、そのブラームスの像。
-
カールス広場の南側、カールスガッセ4番地。
-
ここにブラームスが1871年から亡くなる1897年までの25年間住んでいたアパートがあった。しかし、1907年にウィーン工科大学の拡張工事のために取り壊されたので、現在はプレートが残るのみ。
-
しかも、外壁工事中でプレートのそばまで近づけない。
-
同じウィーン工科大学の壁に「ヨハンとヨーゼフのシュトラウス兄弟がここで作曲の勉強をした」とのプレート発見。
-
ウィーン工科大学から東へ徒歩10分程度、アウエンブルガーガッセ3番地。
-
1897年にウィーン国立歌劇場総監督に就任し、ざまざまな改革を断行しこのオペラハウスを絶頂へと導いた作曲家グスタフ・マーラーが、1898年から住み始めたアパート。有名な建築家、オットー・ワーグナーの設計だという。
-
アパートの壁にはめられたプレート。
-
北へ少し戻りコンツェルトハウスへ。
ムージクフェラインと共にウィーンを代表するコンサートホール。観やすさならムジークフェラインよりはこちら by かつどんさんコンツェルトハウス 劇場・ホール・ショー
-
観光案内板
-
壁にマーラーのレリーフが・・・。
-
9月30日にウィーン・フィルハーモニーが日本でもファンが多い(私も大ファン)世界最高齢91歳の指揮者、ヘルベルト・ブロムシュテットを迎えコンサートを行う旨のポスター。
プログラムはベルワルドとドヴォルザーク。
実はブロムシュテット、ムジ―クフェラインで2018/19シーズンの幕開けを飾るウィーン・フィル第1回定期演奏会もこのプログラムで指揮することになっており、ウィーンの街中で写真入りのポスターを数多く見かけた。ブロムシュテットは以前ウィーン・フィルとブルックナーの交響曲第7番で共演していたような記憶がある。
その定期演奏会が終わった後、10月半ばに日本にやってきて、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団の定期演奏会に登場する。
私もモーツァルトとブルックナーのプログラムを聴きに行く予定。 -
コンツェルトハウスの筋向い、ベートーヴェン広場のベートーヴェン像。
-
有名!
-
14:30 シュテファン大聖堂へ向かう前にランチ。
「ジェイミーズ・イタリアン」。帰国後知ったことだがここはワールドワイドに展開するチェーン店だった。 -
家人はカプレーゼ・リゾット(16.75ユーロ)。
-
私はベジタリアン・ボロネーズ(13.75ユーロ)。
後々確信を得るのだが、ウィーンは食事の物価が高い。 -
食事を終え、ウィーンの中心の中心、シュテファン大聖堂方面に向かうため西へ進む。
大聖堂の前にすぐそばのドームガッセ5番地のモーツァルト・ハウス・ウィーンに立ち寄る。
ここは1784年から1787年、絶頂期のモーツァルトが住んでいた住居で、今は博物館になっている。入場料はオーディオガイド(日本語も)付き大人一人11.00ユーロ。館内は写真撮影禁止。
モーツァルトがウィーンで住んでいた家で現存するのはこの家のみ。
モーツァルト一家はこの建物の1階と2階(日本式で言えば2階と3階)に住んでいた。
歌劇「フィガロの結婚」はここで作曲された。
かの映画「アマデウス」では、「フィガロの結婚」がモーツァルトの生涯のピークの作品として捉えられている。
私も何回もこの映画を見ているが、最も好きなシーンは、父レオポルトと妻コンスタンツェが些細なことで揉めて口喧嘩をしているのを横目に、モーツァルトが作曲部屋に入り、ビリヤード台で球を転がしながら、「フィガロ」を作曲している場面。何でもないシーンだが、モーツァルトが自分の音楽に生きていたことを感じさせ、じわじわ感動を呼ぶ。
正にここがその場所だ。映画「アマデウス]を思い出す by かつどんさんモーツァルトハウス ウィーン 建造物
-
シュテファン大聖堂。
シュテファン大聖堂 寺院・教会
-
大聖堂内部。
ミサの最中だった。 -
12.00ユーロを支払ってエレベーターで北塔に登った。
-
北塔から。
ハプスブルク家の家紋をデザインした瓦屋根。 -
シュテファン大聖堂を訪れた最大の目的は、大聖堂北東外側にあるクルツィフィクス礼拝堂を見ること。
1791年12月5日に35年の生涯を閉じたモーツァルトの葬儀が翌6日に行われたが、その場所がここだ。
晩年ウィーンの音楽ファンから見放され、生活も困窮をきたしたモーツァルトの葬儀は、一般市民と同じ3等の葬儀だったという。
この日は荒天で、葬儀後モーツァルトの遺体は誰の付き添いもなくザンクト・マルクス共同墓地に向かい、埋められた(ザンクト・マルクス墓地はこの後13日に訪れる予定)。 -
礼拝堂の中には「1791年12月6日、モーツァルトの遺体がここで聖別された」と記されたプレートがある。
-
シュテファンプラッツから地下鉄U1に乗り、シュヴェーデンプラッツでU4に乗り換え、終点のハイリゲンシュタットへ。そこから38Aの市バスに乗って、5つ目の停留所アルムブルスターガッセで下車。
この一帯はベートーヴェン関連の史跡がたくさんある場所だ。
まずはグリツィンガーシュトラーゼ64番地のベートーヴェン・グリルパルツァー・ハウス。詩人グリルパルツァーと一緒にここに住んでいたという。 -
そして、有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたプロプスガッセ6番地の家はベートーヴェン・ミュージアムとして公開され、ベート―ヴェン関連の品が展示されている。入館料大人一人7.00ユーロ。
1802年10月6日に弟と甥宛に書かれた遺書。耳の疾患が悪化し難聴に対する絶望と、音楽への強い執念が綴られているが、結局送付されることはなかった。
交響曲第2番はこの時期の作品だが、そこには苦悩の影は微塵も感じられない。 -
1804年~05年にW.J.メーラーが描いたベートーヴェン34歳の肖像画。
-
ベートーヴェンのデスマスク。
-
散歩が日課で、作曲のアイデアの源だった。
-
ベートーヴェンが散歩し楽想を練ったという小川沿いの散歩道は、現在「ベートーヴェンの小径」と名付けられている。
-
交響曲第6番「田園」もここで楽想を得たのだとか・・・。そう言われると「田園」の第2楽章のメロディーが頭に浮かぶ。
「田園」がここでの散歩で構想されたことに納得 by かつどんさんベートーヴェンの小径 散歩・街歩き
-
アルムブルスターガッセのバス停に戻り、再び38Aの市バスで西へ向かい、グリンツィングで下車。この辺りはウィーンのホイリゲ(新酒ワインを飲ませる居酒屋)が多いところだが、我々の目的は別にある。
18:15 停留所から西へ10分弱歩いたところにあるグリンツィング墓地に到着。
1911年5月18日に50歳で亡くなったマーラーのお墓がここにある。
場所は6グループ7列1/2番。
マーラーは生前、自分の墓について「私の墓を訪ねてくる人は私が誰かを知っているし、そうでない人々にはそれを知ってもらう必要はない」と言い残し、墓石には名前のみが刻まれている。
1980年、最初にここを訪れた時、ガイドをしてくれたウィーン大学に通う日本人の男性が、カセットデッキを墓の横に置いて、フィッシャー=ディースカウが歌うマーラーの「亡き子をしのぶ歌」を流してくれたことを思い出す。グスタフ・マーラー、ここに眠る by かつどんさんグリンツィング墓地 モニュメント・記念碑
-
マーラーの妻であったアルマのお墓は、マーラーのお墓の裏手、6グループ6列7番にある。
アルマはマーラーが亡くなった4年後の1915年に、バウハウス様式で有名な建築家、ワルター・グロピウスと再婚したが、1918年には離婚し、翌年に3回目の結婚をする。
そして1964年12月11日、ニューヨークで85歳の長寿を全うした。 -
2人目の夫であったグロピウスはアルマと共に眠り、三角形の墓標がアルマのお墓の元に置かれている。
-
マーラーの妹であるユスティーネと、その夫で1881年~1938年の57年間という長きに渡り、ウィーン宮廷歌劇場(現在の国立歌劇場)とウィーン・フィルハーモニーの第一コンサートマスターに君臨した名ヴァイオリニスト、アルノルト・ロゼ、その夫妻の娘アルマもグリンツィング墓地に眠る。
-
グリンツィングから38番のトラムに乗って終点のショッテントーアへ。
ホテルで一度態勢を整え夕食に出掛ける。
40番のトラムで北へ2駅、シュピタルガッセ停留所近くの「トゥルシ・インディアン・キュイジーヌ」。バー・カウンターもあって、あまりインドっぽくない雰囲気の店内。
最近はヨーロッパに出掛けると1回はインド料理を食べている。
ウィーンにはインド料理店が多いような気がする。
ミックス・サラダ・ココナッツ・ドレッシング(4.90ユーロ)。 -
(左)ベジタブル・コルマ(11.50ユーロ)。
(右)バター・チキン(13.60ユーロ)
レベルは高い!
他にライス、ナン、ドリンク。
ホテルへ戻り就寝。
明日はハイドンゆかりの地、アイゼンシュタットへエクスカーション。
そちらの様子はこちら。 4travel.jp/travelogue/11407593/
この旅行記のタグ
関連タグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
ウィーン(オーストリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ウィーン(オーストリア) の人気ホテル
オーストリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストリア最安
478円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
76