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明日香の遺跡巡りです。キトラ古墳の天井には、三重の円同心(内規・赤道・外規)と黄道、その内側には北斗七星などの星座が描かれ、傾斜部には西に月像、東に日像を配した本格的な天文図がありました。(ウィキペディア)

2018早春、明日香の遺跡巡り(6/8):飛鳥歴史保存地区、キトラ古墳、四神の館、壁画

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2018/02/28 - 2018/02/28

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旅行記グループ 2018早春、明日香の遺跡巡り

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旅人のくまさん

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明日香の遺跡巡りです。キトラ古墳の天井には、三重の円同心(内規・赤道・外規)と黄道、その内側には北斗七星などの星座が描かれ、傾斜部には西に月像、東に日像を配した本格的な天文図がありました。(ウィキペディア)

交通手段
観光バス
  • 生き生きとした表情で、愛嬌もある白虎の頭部光景です。中国の伝説上の神獣とされる四神の一つで、西方を守護します。五行説では、白は西方の色とされます。キトラ古墳の西壁に描かれていた像です。現在は、壁画はカビから守るために剥ぎ取られ、環境を整えた部屋で保管されています。(同上)

    イチオシ

    生き生きとした表情で、愛嬌もある白虎の頭部光景です。中国の伝説上の神獣とされる四神の一つで、西方を守護します。五行説では、白は西方の色とされます。キトラ古墳の西壁に描かれていた像です。現在は、壁画はカビから守るために剥ぎ取られ、環境を整えた部屋で保管されています。(同上)

  • 壁画が剥ぎ取られる前の石室内の光景です。石室の表面は漆喰で仕上げられ、天上に正座が、壁には四神や獣頭人身十二支図などが壁に描かれていました。正面の北壁上部に見えるのが玄武像です。白虎像は西面になる左側の壁面に描かれていました。(同上)

    壁画が剥ぎ取られる前の石室内の光景です。石室の表面は漆喰で仕上げられ、天上に正座が、壁には四神や獣頭人身十二支図などが壁に描かれていました。正面の北壁上部に見えるのが玄武像です。白虎像は西面になる左側の壁面に描かれていました。(同上)

  • キトラ古墳の壁画の発見から、その調査、保存までを展示室のパネルで紹介します。最初の紹介は、『それは地域住民の報せから始まった』と題する説明パネルです。昭和25年(1950年)当時、墳丘南側の道路工事の際、底が古墳であることが認識されていました。昭和47年(1972年)3月、高松塚古墳での彩色壁画発見が大ニュースになり、地元から、似たような古墳があることが知らされ、古墳発掘への端緒となりました。その古墳を地元の人はキトラ古墳と呼んでいました。(同上)

    キトラ古墳の壁画の発見から、その調査、保存までを展示室のパネルで紹介します。最初の紹介は、『それは地域住民の報せから始まった』と題する説明パネルです。昭和25年(1950年)当時、墳丘南側の道路工事の際、底が古墳であることが認識されていました。昭和47年(1972年)3月、高松塚古墳での彩色壁画発見が大ニュースになり、地元から、似たような古墳があることが知らされ、古墳発掘への端緒となりました。その古墳を地元の人はキトラ古墳と呼んでいました。(同上)

  • 次の説明パネルは、『発掘せずに内部を調べる』のタイトルです。昭和58年(1983年)11月、初めての光ファイバースコープによる撮影で壁画の存在が確認されました。続く2回の調査も、石室内の環境を乱さないように光ファイバースコープにより実施されました。この第1次調査で見つかったのは、北面壁の『玄武』でした。このパネルの左上に薄緑色に見える像です。次の平成10年(1998年)3月からの第二次調査では、上下左右に向きを変えることができるCCDカメラが導入され、青龍、白虎と天文図が発見されました。更に平成13年(2001年)3月からの第三次調査では、デジタルカメラが使われ、南面の朱雀と獣頭人身十二支像が見付かり、保存状態も確認されました。(同上)

    次の説明パネルは、『発掘せずに内部を調べる』のタイトルです。昭和58年(1983年)11月、初めての光ファイバースコープによる撮影で壁画の存在が確認されました。続く2回の調査も、石室内の環境を乱さないように光ファイバースコープにより実施されました。この第1次調査で見つかったのは、北面壁の『玄武』でした。このパネルの左上に薄緑色に見える像です。次の平成10年(1998年)3月からの第二次調査では、上下左右に向きを変えることができるCCDカメラが導入され、青龍、白虎と天文図が発見されました。更に平成13年(2001年)3月からの第三次調査では、デジタルカメラが使われ、南面の朱雀と獣頭人身十二支像が見付かり、保存状態も確認されました。(同上)

  • 次のパネルは、『はじめて壁画を目で観察』のタイトルです。平成15年(2003年)7月、石室内の環境を保護しながら観察ができる、仮設保護覆屋が完成しました。上幅45センチ、下幅20センチ、高さ60センチの大きさの盗掘孔から、初めて人の目で壁画を見ることができました。この調査では、木棺破片、刀の金具、人骨、ガラス玉などの貴重な遺物が発見されました。このパネルの左上の写真が、人がやっと通ることができた盗掘孔です。その下の小さな写真は、仮設保護覆屋と、石室内に設けられた、人による損傷防止用の保護施設です。(同上)

    次のパネルは、『はじめて壁画を目で観察』のタイトルです。平成15年(2003年)7月、石室内の環境を保護しながら観察ができる、仮設保護覆屋が完成しました。上幅45センチ、下幅20センチ、高さ60センチの大きさの盗掘孔から、初めて人の目で壁画を見ることができました。この調査では、木棺破片、刀の金具、人骨、ガラス玉などの貴重な遺物が発見されました。このパネルの左上の写真が、人がやっと通ることができた盗掘孔です。その下の小さな写真は、仮設保護覆屋と、石室内に設けられた、人による損傷防止用の保護施設です。(同上)

  • 次のパネルは、『そのままでは崩れてしまう、壁画を守る』のタイトルです。サブタイトルも紹介しますと、『生クリームのようにもろくなっていた漆喰、酒粕のようにボロボロになっていた壁画』のタイトルです。このタイトルを目にしただけで、恐ろしく困難な作業であったことが直感できました。この状態を前にして、平成16年(2004年)に『保存方法』が検討されました。剥がれかけた壁画を張り付けることは困難と判断され、現地保存が原則の遺跡保存の方法として考えられたのが、壁画の剥ぎ取りです。(同上)

    次のパネルは、『そのままでは崩れてしまう、壁画を守る』のタイトルです。サブタイトルも紹介しますと、『生クリームのようにもろくなっていた漆喰、酒粕のようにボロボロになっていた壁画』のタイトルです。このタイトルを目にしただけで、恐ろしく困難な作業であったことが直感できました。この状態を前にして、平成16年(2004年)に『保存方法』が検討されました。剥がれかけた壁画を張り付けることは困難と判断され、現地保存が原則の遺跡保存の方法として考えられたのが、壁画の剥ぎ取りです。(同上)

  • 平成16年(2004年)に行われた高精度撮影の紹介です。説明パネルのタイトルは、『1200枚の画像によるフォトマップ作成』です。高松塚古墳では、壁画の模写が行われたとされますが、キトラ古墳では、一刻を争う壁画の現状でした。そこで選択されたのが、高精度のデジタル撮影と、コンピューターを使った合成技術です。撮影されたデジタル写真は、1メートルで誤差が±0.3ミリといった高精度でした。その当時の最先端技術とされます。(同上)

    平成16年(2004年)に行われた高精度撮影の紹介です。説明パネルのタイトルは、『1200枚の画像によるフォトマップ作成』です。高松塚古墳では、壁画の模写が行われたとされますが、キトラ古墳では、一刻を争う壁画の現状でした。そこで選択されたのが、高精度のデジタル撮影と、コンピューターを使った合成技術です。撮影されたデジタル写真は、1メートルで誤差が±0.3ミリといった高精度でした。その当時の最先端技術とされます。(同上)

  • 平成16年(2004年)から平成25年(2013年)にかけて、10年の歳月を要した保存処理の紹介です。『美しい姿を現代技術で蘇らせる』のタイトルがありました。金属製品、木製品、漆製品、凝灰岩など多様な材質に合わせた保存処理が、専門家の手によって行われました。(同上)

    平成16年(2004年)から平成25年(2013年)にかけて、10年の歳月を要した保存処理の紹介です。『美しい姿を現代技術で蘇らせる』のタイトルがありました。金属製品、木製品、漆製品、凝灰岩など多様な材質に合わせた保存処理が、専門家の手によって行われました。(同上)

  • 平成16年(2004年)に行われた『壁画の取り外し』の作業の紹介です。『どこにもない道具造りから』のタイトルがありました。柔らかで脆く、そっとすくい上げないと取り出せないような状態の壁画を損なうことなく取り外す、前代未聞の作業の紹介です。現地では、動画も見ることもできましたが、この作業を含め、思わず息を止めてしまうような緊張を強いられる作業の連続像でした。実際の作業に入る前に、模擬実験を繰り返し、万全を期せられました。模擬実験には、現地の漆喰に似た材料が数百種作成されたことも紹介されていました。(同上)

    平成16年(2004年)に行われた『壁画の取り外し』の作業の紹介です。『どこにもない道具造りから』のタイトルがありました。柔らかで脆く、そっとすくい上げないと取り出せないような状態の壁画を損なうことなく取り外す、前代未聞の作業の紹介です。現地では、動画も見ることもできましたが、この作業を含め、思わず息を止めてしまうような緊張を強いられる作業の連続像でした。実際の作業に入る前に、模擬実験を繰り返し、万全を期せられました。模擬実験には、現地の漆喰に似た材料が数百種作成されたことも紹介されていました。(同上)

  • 平成i16年(2004年)から行われた『壁画修理』の説明コーナーです。『薄い漆喰との闘いの日々』のタイトルがあった説明パネルです。取り外した漆喰片は1143点とされます。それを様々な専門家が知恵を絞り、技を駆使して壁画を組み上げた様子が紹介されていました。(同上)

    平成i16年(2004年)から行われた『壁画修理』の説明コーナーです。『薄い漆喰との闘いの日々』のタイトルがあった説明パネルです。取り外した漆喰片は1143点とされます。それを様々な専門家が知恵を絞り、技を駆使して壁画を組み上げた様子が紹介されていました。(同上)

  • 平成i16年(2004年)から平成25年(2013年)の期間で行わた、『調査・分析』の説明コーナーです。パネルには、『残されたモノで読み解くキトラ古墳』のタイトルがありました。これまで調査が難しかった漆喰が、テラヘルツ波パルスを使った反射イメージング法が有効であたことなどが紹介されていました。これにより、漆喰の部分的な剥がれや、多孔質化した部分が検出できたようです。(同上)

    平成i16年(2004年)から平成25年(2013年)の期間で行わた、『調査・分析』の説明コーナーです。パネルには、『残されたモノで読み解くキトラ古墳』のタイトルがありました。これまで調査が難しかった漆喰が、テラヘルツ波パルスを使った反射イメージング法が有効であたことなどが紹介されていました。これにより、漆喰の部分的な剥がれや、多孔質化した部分が検出できたようです。(同上)

  • 『ふたたび、静かな眠りへ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。平成25年(2013年)12月、築造当時と出来る近い状態の材料や方法で、石室を完全に埋め戻したことが紹介されていました。写真は、盗掘孔付近の封鎖光景です。墓道部は、『版築』の工法で埋め戻されました。(同上)

    『ふたたび、静かな眠りへ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。平成25年(2013年)12月、築造当時と出来る近い状態の材料や方法で、石室を完全に埋め戻したことが紹介されていました。写真は、盗掘孔付近の封鎖光景です。墓道部は、『版築』の工法で埋め戻されました。(同上)

  • 発掘当時の石室内の交易です。保存のために壁画が剥ぎ取られましたから、現在は異なった光景になっているようですが、永い眠りに入った石室が開けられることは遠い将来にもないことでしょう。(同上)

    発掘当時の石室内の交易です。保存のために壁画が剥ぎ取られましたから、現在は異なった光景になっているようですが、永い眠りに入った石室が開けられることは遠い将来にもないことでしょう。(同上)

  • それぞれに、既に紹介済みのパネルの光景です。右が『保存の見当』、左が『高精度撮影』のタイトルがありました。(同上)

    それぞれに、既に紹介済みのパネルの光景です。右が『保存の見当』、左が『高精度撮影』のタイトルがありました。(同上)

  • 『壁画の取り外し・修理に使われた道具』のタイトルがあった展示コーナーの光景です。作業状況のビデオが放映されていました。左から修理道具、取り外し道具のダイヤモンド・チェンソーと、同じく取り外し道具のへら類です。(同上)

    『壁画の取り外し・修理に使われた道具』のタイトルがあった展示コーナーの光景です。作業状況のビデオが放映されていました。左から修理道具、取り外し道具のダイヤモンド・チェンソーと、同じく取り外し道具のへら類です。(同上)

  • キトラ古墳の壁画の取り出しに作成された道具の数々のようです。前例のない困難な作業ですから、毎日が工夫と試行錯誤の連続だったかもしれません。この作業の経験が生かせるような、次の壁画の発見を期待したいところです。(同上)

    イチオシ

    キトラ古墳の壁画の取り出しに作成された道具の数々のようです。前例のない困難な作業ですから、毎日が工夫と試行錯誤の連続だったかもしれません。この作業の経験が生かせるような、次の壁画の発見を期待したいところです。(同上)

  • 『生クリームのようにもろくなっていた漆喰、酒粕のようにボロボロになっていた壁画』から取り出されてた壁画の修復、あるいはクリーニング作業のようです。細かな気配りが必要なようでした。(同上)

    『生クリームのようにもろくなっていた漆喰、酒粕のようにボロボロになっていた壁画』から取り出されてた壁画の修復、あるいはクリーニング作業のようです。細かな気配りが必要なようでした。(同上)

  • 予め精密なデジタル写真撮影がされたうえで剥ぎ取られた壁画の、復元作業の光景だったようです。気が遠くなるような根気が要求されるジグソーパズルです。そんな困難な中で組み上がっていく壁画の光景です。少しでも作業がスムーズに進められるよう、切り取る時の断面にも工夫がされているようでした。(同上)

    イチオシ

    予め精密なデジタル写真撮影がされたうえで剥ぎ取られた壁画の、復元作業の光景だったようです。気が遠くなるような根気が要求されるジグソーパズルです。そんな困難な中で組み上がっていく壁画の光景です。少しでも作業がスムーズに進められるよう、切り取る時の断面にも工夫がされているようでした。(同上)

  • 右側の説明文と写真には『洗練された技の壁画古墳』のタイトル、左側の説明文と写真には『原始の力みなぎる装飾古墳』のタイトルがありました。飛鳥地方の壁画古墳が、キトラ古墳と高松塚古墳の壁画の特徴の紹介、九州と東日本の装飾古墳はうきは市の珍敷塚古墳と、ひたちなか市の虎塚が紹介されていました。(同上)

    右側の説明文と写真には『洗練された技の壁画古墳』のタイトル、左側の説明文と写真には『原始の力みなぎる装飾古墳』のタイトルがありました。飛鳥地方の壁画古墳が、キトラ古墳と高松塚古墳の壁画の特徴の紹介、九州と東日本の装飾古墳はうきは市の珍敷塚古墳と、ひたちなか市の虎塚が紹介されていました。(同上)

  • 『渡来人とは』のタイトルがあった説明パネルの光景です。渡来人とは、『海を渡って日本にやって来た東アジアの人々のこと』と定義され、『ここキトラ古墳辺りにも住んでいたと推測される』と推定されていました。渡来人に関連しそうな遺跡などが地図上に記されていました。(同上)

    『渡来人とは』のタイトルがあった説明パネルの光景です。渡来人とは、『海を渡って日本にやって来た東アジアの人々のこと』と定義され、『ここキトラ古墳辺りにも住んでいたと推測される』と推定されていました。渡来人に関連しそうな遺跡などが地図上に記されていました。(同上)

  • ジオラマ展示のコーナーの紹介です。『渡来人の暮らし』のテーマのジオラマ展示でした。飛鳥の地をモデルにしているようでした。雲が浮かんだ空と背景のなだらかな山並みが見える、長閑な光景です。(同上)

    ジオラマ展示のコーナーの紹介です。『渡来人の暮らし』のテーマのジオラマ展示でした。飛鳥の地をモデルにしているようでした。雲が浮かんだ空と背景のなだらかな山並みが見える、長閑な光景です。(同上)

  • 少しズームアップした、ジオラマ展示のコーナーの光景です。中央に板葺の二軒の少し大きな建物、その左右に茅葺きか藁葺きの建物が並んだ光景でした。(同上)

    少しズームアップした、ジオラマ展示のコーナーの光景です。中央に板葺の二軒の少し大きな建物、その左右に茅葺きか藁葺きの建物が並んだ光景でした。(同上)

  • 向かって右手方面の建物光景です。右端の建物は、藁葺きか茅葺のようでした。ジオラマ展示の手前に、『渡来人の暮らし』の説明プレートが並んでいましたが、後ほど纏めて紹介します。(同上)

    向かって右手方面の建物光景です。右端の建物は、藁葺きか茅葺のようでした。ジオラマ展示の手前に、『渡来人の暮らし』の説明プレートが並んでいましたが、後ほど纏めて紹介します。(同上)

  • 中央部分に二軒並んだ建物光景です。どちらの建物も吹き抜け構造で、板葺のようでした。高台に建てられた家のジオラマ展示のようでした。(同上)

    中央部分に二軒並んだ建物光景です。どちらの建物も吹き抜け構造で、板葺のようでした。高台に建てられた家のジオラマ展示のようでした。(同上)

  • 向かって左手方面の建物光景です。左端の建物は、藁葺きか茅葺のようでした。竪穴式住居のようです。百名城巡りの青森県の根城では、本丸跡に竪穴式の倉庫や作業小屋が復元されていました。(同上)

    向かって左手方面の建物光景です。左端の建物は、藁葺きか茅葺のようでした。竪穴式住居のようです。百名城巡りの青森県の根城では、本丸跡に竪穴式の倉庫や作業小屋が復元されていました。(同上)

  • 全体のテーマが、『渡来人の暮らし』のジオラマ展示です。最初の展示には、『台所』のタイトルがありました。コシキにスノコをはめて上記で生す調理法が紹介されていました。穀物は、米をはじめ、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀も調理されたようです。その他の食材も紹介されていました。(同上)

    全体のテーマが、『渡来人の暮らし』のジオラマ展示です。最初の展示には、『台所』のタイトルがありました。コシキにスノコをはめて上記で生す調理法が紹介されていました。穀物は、米をはじめ、アワ、ヒエ、キビなどの雑穀も調理されたようです。その他の食材も紹介されていました。(同上)

  • 右が『鉄器作り』、左が『稲作り』のタイトルがあった説明文です。弥生時代の稲作では、稲を直播にして、穂先だけを収穫していましたが、飛鳥時代には、苗を植え、根元から刈り取って収穫し、稲藁も利用されたと説明されていました。それを可能にしたのは鉄器の出現です。鉄器は、鋳型に入れて作る鋳鉄のほか、鍛造も行われていたようです。その主な用途は土木工事や農作業用です。(同上)

    右が『鉄器作り』、左が『稲作り』のタイトルがあった説明文です。弥生時代の稲作では、稲を直播にして、穂先だけを収穫していましたが、飛鳥時代には、苗を植え、根元から刈り取って収穫し、稲藁も利用されたと説明されていました。それを可能にしたのは鉄器の出現です。鉄器は、鋳型に入れて作る鋳鉄のほか、鍛造も行われていたようです。その主な用途は土木工事や農作業用です。(同上)

  • 『器(うつわ)作り』のタイトルがあった説明文です。飛鳥時代には、弥生時代の流れを汲む土師器(はじき)と、古墳時代に伝わった須恵器(すえき)が焼かれていたと説明されていました。野焼きで造られた土師器は、赤く柔らかい土器であったことも紹介されていました。(同上)

    『器(うつわ)作り』のタイトルがあった説明文です。飛鳥時代には、弥生時代の流れを汲む土師器(はじき)と、古墳時代に伝わった須恵器(すえき)が焼かれていたと説明されていました。野焼きで造られた土師器は、赤く柔らかい土器であったことも紹介されていました。(同上)

  • 『木の実採り』のタイトルがあった説明文です。野生のナシ、桃、スモモ、柿、タチバナ、ビワや山桃などの果物類や、クリ、シイ、カヤ、イチイやクルミなどの木の実を女性が取り集め、生食や干して保存食にもしていたと説明されていました。多分、これらのものが遺跡から出土していたのでしょう。(同上)

    『木の実採り』のタイトルがあった説明文です。野生のナシ、桃、スモモ、柿、タチバナ、ビワや山桃などの果物類や、クリ、シイ、カヤ、イチイやクルミなどの木の実を女性が取り集め、生食や干して保存食にもしていたと説明されていました。多分、これらのものが遺跡から出土していたのでしょう。(同上)

  • 『住まい』のタイトルがあった説明文です。上の写真が一番左側にあった、『竪穴式の家』、下の写真が左端にあった、『掘立柱の家(大壁構造の家)』の紹介がありました。縄文時代から続く、2種類の家屋形式とも紹介されていました。(同上)

    『住まい』のタイトルがあった説明文です。上の写真が一番左側にあった、『竪穴式の家』、下の写真が左端にあった、『掘立柱の家(大壁構造の家)』の紹介がありました。縄文時代から続く、2種類の家屋形式とも紹介されていました。(同上)

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