2018/02/28 - 2018/02/28
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旅人のくまさんさん
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明日香の遺跡巡りです。2000年(平成12年)、国の特別史跡に指定されたキトラ古墳は、二段築成の円墳です。上段が直径9.4メートル、高さ2.4メートル、テラス状の下段が直径13.8メートル、高さ90センチの規模です。(ウィキペディア)
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『四神(しじん)の館』の展示室の紹介です。キトラ古墳をビジュアル情報やレプリカで紹介する展示室の平面図です。中央部分に、キトラ古墳の四方の壁で見付かった『四神』のビジュアル展示があり、入口近くには、原寸大のキトラ古墳石室のレプリカがありました。2016年(平成28年)にオープンしたばかりの展示施設です。(同上)
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『キトラ古墳とは』のタイトルがあった説明文です。7世紀から8世紀にかけて作られたキトラ古墳のみどころは、次の三つであることが紹介されていました。
〇中国式の本格的な天井の天文図。
〇国内に唯一現存する四神図(青龍、朱雀、白虎、玄武)。
〇動物の頭部と人の体を持つ十二支像。(同上) -
『キトラ古墳の断面』と題されたミニチュア模型です。縮尺は20分の1、南北に切断した模型です。白く輝いている部分が石室になります。右側が北側、左側が羨道がある南側です。(同上)
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石室の壁の断面模型です。盗掘口の付近が再現されれいるようでした。凝灰岩の切石とされます。その内側に漆喰が塗られ、その上に壁画が描かれていました。漆喰がまだフレスコ(新鮮)な状態、生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描いたのがフレスコ画ですが、高松塚古墳、キトラ古墳共に、乾いた漆喰に描かれた像とされます。(同上)
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実物大のキトラ古墳の玄室模型です。壁画や天井画も再現されていました。内部構造は横口式石槨で天井は家形になっています。石槨は凝灰岩の切石を組み合わせて作られていて、内部は幅約1メートル、長さ約2.6メートル、高さ約1.3メートルです。 奥壁・側壁・天井の全面に漆喰が塗られ、壁画が施されています。(同上)
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イチオシ
ズームアップした、実物大のキトラ古墳の玄室模型の内部光景です。現在はカビから壁画を守るために剥ぎ取られ、盗掘口は塞がれて墳丘内に埋め戻されました。再び永い眠りに入りました。(同上)
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『石室を塞ぐ閉塞石』と『左上には鎌倉時代の盗掘孔』のタイトルがあった2枚の写真の紹介です。上の写真には、『奇跡的に朱雀を残した閉塞石の盗掘孔』、下の写真には、『永遠の眠りのための密閉は、漆喰で入念に』のタイトルがありました。(同上)
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『特別史跡キトラ古墳とは』と題されたタイトルがあった説明パネルの光景です。に日隠で二番目に発見された大陸風の壁画を持った古墳で、国の特別史跡に指定された古墳であることが紹介されていました。築造されたのは、7世紀末から8世紀始めであることも紹介されていました。(同上)
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『キトラ古墳に葬られた人物を探る』と題されたタイトルがあった説明パネルの光景です。特定には至っていないものの、天武天皇の王子の高市皇子(タカチノミコ)、高官だった百済王の昌成(ショウセイ)、あるいは右大臣を務めた安倍御主人(アベノミウシ)が有力候補です。出土品からは、大柄な熟年男性で、身分が高い人であったことが分かっています。(同上)
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キトラ古墳の土層を剥ぎ取った『版築』の実物展示と、その説明文です。キトラ古墳の墳丘は、南宋にも土を突き固めた『版築』と呼ばれる工法で使われていたことの解説でした。右端に、墳丘を薄く剥ぎ取る時の実作業の写真が紹介されていました。カビの発生を防ぐための完全防護の服を着用しているようでした。(同上)
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ビジュアル画面で紹介されていた展示館内の光景です。画面の左側が、東西南北の壁画を紹介する中央の展示エリア、右側から奥にかけてが、キトラ古墳の発見から、調査、壁画の剥ぎ取りから保存に至る経緯とその内容を紹介したコーナーです。(同上)
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イチオシ
北壁に描かれた、北を守る『玄武(げんぶ)』の図のレプリカです。『玄』は『黒』を意味し、黒は五行説では『北方』の色とされ、『水』を表し、『水の神』です。高さが14.9センチ、左右が24.7センチの大きさの図です。玄武から順に時計回りに壁画のレプリカを紹介します。(同上)
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東壁に描かれた、東を守る『青龍(せいりゅう)』の図のレプリカです。姿は鹿の角、馬の首、蛇の尾、魚の鱗をもつ龍で、青い色をしています。春の季節を司るとされます。天井から流れ込んだ泥水で汚されていました。画像処理などで全体像が再現されました。高さが20.0センチ、左右は計測不可の大きさの図です。(同上)
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南壁に描かれた、南を守る『朱雀(すじゃく)』の図のレプリカです。翼を広げた鳳凰様の鳥形で表されています。朱は赤であり、五行説では南方の色とされます。鳳凰、不死鳥、フェニックス、インド神話に登場するガルーダ等と同一起源とする説や、同一視されることもあります。高さが15.0センチ、左右が39.2センチの大きさの図です。盗掘により、左翼の先端が一部欠けています。(同上)
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西壁に描かれた、西を守る『白虎(びゃっこ)』の図のレプリカです。細長い体をした、白い虎の形をしています。白は、五行説では西方の色とされます。通常の白虎像とは異なり、頭は玄武がある北側を向いています。高さが24.3センチ、左右が41.7センチの大きさの図です。(同上)
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『壁画ナビゲーター」と題されたビジュアル画面の光景です。現在の画面は、石室内に納められた、北枕の人の姿もビジュアル標示されていました。説明文は、この碑総社の鎮魂のための壁画の役割の解説でした。(同上)
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北壁面の中央上部に描かれた玄武像と、その下に描かれた十二支像のビジュアル画面です。十二支像は、日本ではキトラ古墳だけで見付かっている『獣頭人身十二支像』です。右下に、現在の画像の倍率は、2.9倍であることが表示されていました。(同上)
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ビジュアル画面は、像のズームアップを繰り返していました。拡大された時の『玄武像』の光景です。右下に、5.0倍の倍率であることが紹介されていました。この辺りが最大倍率のようでした。壁画を剥ぎ取る前に撮影されたもののようでした。(同上)
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東壁面のズームアップされたビジュアル画面の光景です。画面の倍率は4.2倍です。描かれているのは青龍像です。(同上)
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南壁面の中央上部に描かれた朱雀像のビジュアル画面です。その右にあるのが盗掘口です。辛うじて、朱雀像が損壊されてしまうのを免れましたが、左翼の先端が一部失われました。現在の画像の倍率は、1.3倍です。(同上)
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ズームアップされた時の南壁面の中央上部に描かれた朱雀像のビジュアル画面です。画像の倍率は、4.0倍です。盗掘口がもう少し大きければ、朱雀の顔の部分も失われるところでした。(同上)
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西壁面の実物大のビジュアル画面の光景です。中央やや上部に、頭を右に向けた白虎像が見えていました。(同上)
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西壁面のズームアップされたビジュアル画面の光景です。躍動的な白虎像が浮かび上がっていました。画面の倍率は4.2倍です。流れ込んだ泥水で汚されたものの、損傷のない全身像でした。汚されていない部分の色彩は鮮明でした。(同上)
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『キトラ古墳石室の天井は星空を精密に描いている』と題された説明パネルの光景です。キトラ古墳の天文図は、現存する世界最古と紹介されていました。この表現が少し気になりましたので、『現存する世界最古の天文図』でネット検索しましたら、『2009年3月8日、英国の探検家オーレル・スタインが母国に持ち帰った敦煌・莫高窟の天文図が、世界最古のものであることがブリティッシュ・ライブラリーの専門家によって確認された』ことが紹介されていました。こちらは『649年から684年の間』であることが突き止められています。下の図面は、右が『高松塚古墳宿星図』、左が『キトラ古墳天文図』です。『世界最古』早く『日本最古』に改めておいたがよさそうです。(同上)
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『日本の古墳壁画では、キトラ古墳だけの獣頭人身十二支像』のタイトルがあった説明パネルの光景です。キトラ古墳の壁画から確認された6体が、カラー写真の像、その下のモノクロの12体の像は、韓国金庚信墓の十二支像の拓本です。韓国では、慶福宮の敷地内だった記憶ですが、レプリカの獣頭人身十二支像が屋外に展示してありました。この図も、中国や韓国の影響を受けた文化遺産のようです。(同上)
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『「キトラ」という名前の由来』のタイトルがあった説明パネルの光景です。地元の人達は『キトラ』と呼んでいましたが、その名芽の由来について、三つの説が紹介されていました。箇条書きで紹介します。
①『亀と虎の壁画から』説
盗掘孔から覗いて、亀(玄武)と虎(白虎)が見えたとする説です。
②『住所の「小字北浦」から』説
地元の住所の『北浦』がなまって、キトラに転化したとする説です。
③『方角から』説
キトラ古墳が明日香村阿部集落の北西にあり、北の玄武(亀)、西の白虎(虎)から『亀虎(キトラ)』と呼んだとする説です。
かつては、『亀虎古墳』とも表記されたようですが、現在はあえて『キトラ古墳』の表記に統一されています。(同上) -
『高さ1.2m、幅1.0m、意外に小さい石室内部』のタイトルがあった説明パネルの光景です。その下に木造の石室の縮小モデルが置かれていました。使われた石材は二上山の産出、『相欠き』と呼ばれる工法で、石材をしっかりと組み合わせています。『相欠き』と呼ばれる工法は現代でも使われているようです。石の隙間は、漆喰で埋められました。(同上)
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イチオシ
『古墳の時代の終わりを示す、キトラ古墳のサイズ』のタイトルがあった説明パネルの光景です。巨大な前方後円墳から始まった古墳時代は、キトラ古墳が造られた頃に終わりを告げたことの説明でした。その大きさ比較のための木製レプリカが置かれていました。レプリカの左端が前方後円墳、その右が方墳、円墳、上円下方墳と八角墳です。キトラ古墳は『円墳』です。(同上)
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『古代日本文化は、東アジアの文化が源流』のタイトルがあった説明パネルの光景です。中身出しは、上が『中国、朝鮮に共通する四神』、下が『「動物の頭+人間の体」の十二支像は、葬られた人の守護神』のタイトルでした。(同上)
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『キトラ古墳と高松塚古墳を比べてみれば』のタイトルがあった説明パネルの光景です。中央部分の右が高松塚古墳、左がキトラ古墳の展開図です。小見出しにも記されていますが、鎮魂のための空間造りには、相似といってよいほどの類似性があります。大きく異なる点は、内部の装飾です。高松塚古墳の築造は、2005年の発掘調査により、藤原京期(694年~710年)の間と確定されましたが、キトラ古墳は7世紀末~8世紀初めと推定されています。ほぼ同時期に造られた古墳です。(同上)
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