2017/10/08 - 2017/10/08
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ドクターキムルさん
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鎌倉の山ノ内と扇ガ谷を結ぶのが亀ヶ谷坂(かめがやつさか)切通である。しかし、昨年5月に「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板が近代(、おそらくは明治から戦後あたり)に造られた坂道の道路脇に移設されているのを目の当たりにして愕然とした(https://4travel.jp/travelogue/11242721)。
亀ケ谷坂は山ノ内にある長寿寺の横から峠を通り、峠からは左にカーブしながら、高い崖の下を通る切通として掘削された。水戸黄門の時代(「新編鎌倉志」貞享2年(1685年)刊行)には峠から左にカーブして、現在石垣が積まれてある上にあった道を通り、谷戸に下り、平場を霊梅社を通って岩船地蔵に出た。それを裏付けるように、現在では峠から扇ガ谷に下りる切通部分はフェンスで囲まれて入ることができなくなっている。また、切通と現在の坂道の道路との崖には石垣を積んで崩れないようにしている。「亀ヶ谷坂」の史跡保護が行われているのである。また、至極当然ではあるが、数年前までは「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板はこのフェンス内に立てられていた。ただ、フェンスが邪魔で見辛かったのだが…。
現在は、亀ヶ谷坂切通は付け替えられて、延命地蔵尊まで真っ直ぐな坂道の道路になっている。この坂道の道路に「13世紀の中ごろには切通として整備されていたようです。」と記載された「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板が移設されているのである。
いくら日本では唯一世界遺産に登録できなかった当事者であり、その力量のなさは既に天下に知らしめてはいる鎌倉市教育委員会ではあるが、その教育委員会名で立てられているこの「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板は問題がある。この看板を見た人は誰でもこの近代に造られた坂道の道路が中世からの切通であると錯覚するからである。これでは「鶴岡八幡宮のニセ重要文化財看板」(https://4travel.jp/travelogue/10494410)と何が違うというのか。
(表紙写真は中世からの亀ヶ谷坂切通)
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「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板。近代に造られた坂道の道路に立てられている。
「国指定史跡 亀ケ谷坂
この道は、扇ガ谷と山ノ内とを結ぶ、亀ケ谷坂と呼ばれる切通で、切通とは、山を削って造られた道のことで、交通を容易にするとともに、防御の拠点ともなっていました。
亀ケ谷坂が造られた正確な時期はわかりませんが、鎌倉時代の13世紀の中頃には切通として整備されていたようです。『吾妻鏡』によれば、鎌倉幕府が鎌倉市中の7箇所の商業区域の一つとして「亀谷辻」を指定しており、建長寺や円覚寺などの大寺院が建立された山ノ内と、鎌倉市中を結ぶ亀ケ谷坂は、経済的にも、軍事的にも、重要な場所だったことがわかります。
江戸時代には「鎌倉七口」の1つに数えられるようになり、現在も生活道路として利用されています。
注意
この史跡に対して、みだりに現状変更(掘削、工作物の設置等)や保存に影響を及ぼす行為を行うことは、文化財保護法により禁止されています。
平成24年3月
鎌倉市教育委員会」。 -
中世からの亀ヶ谷坂切通の片側を掘削して石垣を積んでいる。石垣の上に中世からの亀ヶ谷坂切通が通る。
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石垣下の車止。その下に「国指定史跡 亀ヶ谷坂」看板。
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中世からの亀ヶ谷坂切通は深く掘り込んでいる。
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中世からの亀ヶ谷坂切通。
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フェンスの中が中世からの亀ヶ谷坂切通。
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中世からの亀ヶ谷坂切通。道路を挟んで崖の崩れ防止の塀。
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峠。
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亀ヶ谷坂切通は人がいるあたりまでだ。
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峠から山ノ内方面。
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峠下の六地蔵。
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山ノ内の下り坂。
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山ノ内側の車止。
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長寿寺への道。
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