日立風流物の日立から常陸太田、水戸の街歩き(二日目・完)~徳川光圀が隠居した常陸太田は、戦国大名佐竹氏が450年以上も根拠としていた地。対して、水戸市内では回天神社。天狗党ら幕末志士の墓が並び、これも極めてディープです~
2017/04/09 - 2017/04/09
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たびたびさん
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今回の旅は、日立の風流物がメイン。それは、昨日見ているので、今日はまあ付け足しでしょうか。そういう意味では、あとは水戸見物だけでもよかったのですが、やっぱりそれではちょっとさみしい。少し気になっていた常陸太田は水戸光圀の隠居所があったところだし、これを加えての一日なら少しは新鮮さがあるでしょう。
ただ、さらに調べてみると、ここは戦国大名の佐竹氏の根拠地でもあったよう。関ヶ原の戦いの際の佐竹義宣の動きはどういうことだったのか。いろいろ言われますが、はっきりしないところもあって、これも興味を惹かれますよね。水戸藩の歴史はそれなりに長いですが、佐竹寺とか佐竹氏の匂いがそれなりに残っていたのはちょっとうれしいことでした。
一方で、水戸に戻ってからの散策ですが、意外な収穫は回転神社あたり。天狗党の墓が立ち並び、これは鹿児島市の南州墓地や下関市の桜山神社に相当する場所だと思います。新たな時代を求める高揚感の中で、時代を進めるためには自らの死は無駄ではないと考えた多くの志士たち。明治維新が切り開かれたのは事実としても、あまりにも大きな犠牲だったかも。感謝の気持ちとともに、人間とか日本人のサガについてもよく考える必要があるのではないかと思います。
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水戸駅を出発して、
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常陸太田駅に到着しました。
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ここで、今日予定しているスポットと市街の位置関係を確認。実は意外に歩く範囲が広いんですよね。天気も悪くて心配なんですが、まあ、ここまで来たら行くしかないでしょう。
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さて、最初の難関、佐竹寺になんとか到着。ちなみに、常陸太田駅からここまでは、約2.5キロの距離です。
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イチオシ
ところで、常陸太田市は、常陸の戦国大名、佐竹氏が450年の長きにわたって根拠地を置いた土地。佐竹寺は、その佐竹氏が祈願寺としていた寺です。
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山門の先に重厚なむくりの藁屋根が見えた時は、ちょっと目を見張る思い。
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やっぱり来てよかったという気持ちがじわっと湧いてきます。
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屋根だけではなくて、周囲を雪国の雁木のような廻廊が巡って、これも見応えあり。
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軒下のたる木の組み方などもすごい迫力です。
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なお、本堂の中には、暗い中に本尊の十一面観音も見えましたが、この大きさからすると、もしかしたら、お前立かもしれません。
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ついでに、佐竹一族の墓もあるのではないかとあちこち探したのですが、菩提寺ではなく祈願寺なので、この境内にはないということでした。まあ、それでもこの本堂を見れたことで十分よしとすべきでしょう。
佐竹氏がこの地を去ってからでも大事にされてきたことがよくわかりました。
ところで、佐竹義宣のこと。50万石を越える大身ですから、関ヶ原の戦いでは、家康に不気味な圧力を加えた言われるのですが、ちょっと無理があるような。
というのも、佐竹義宣は、秀吉の登場で伊達との決戦を回避できただけの50万石。新たなリスクを取るより、安定を望む気持ちが強かったはず。ただし、そのためには周囲の競合相手に弱味は見せられない。それは、対家康でも同じことだったのではないか。これを両天秤と言えばそうともなるのでしょうが、秋田への20万石の減封も想定の範囲だったかもしれません。
つまり、佐竹氏は、常陸から静かに退場したのであって、水戸徳川氏は、長年この地を支配してきた佐竹氏の亡霊をまったく気にする必要がなかった。そこに、光圀や斉昭らのカリスマを生む余地が出来たようにも思うのですが、いかがでしょうか。 -
ここから、光圀の隠居所、西山荘に向かいます。
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ナビで示された道を行くのですが、これがなんだかとんでもない山道。心細くなりながら、とにかく必死で歩きました。
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何とか西山荘の前に出てきたようです。
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徳川光圀は隠居してから、最後の10年をここで暮らしたというところ。
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イチオシ
入場料1000円というのはいかにも強気ですが、施設の維持等を考えれば協力しないわけにもいかないですよね。
入り口を入って、ほどなく見えてくるのは日本庭園と光圀が住んだ藁ぶきの御殿。 -
順路があって、
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それを前へ前へと進みます。
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これも何かいわれのある池のようですが、それを過ぎて登っていくと、
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元藩主にしては極めて質素な屋敷ですが、その全景が見える場所。ここが一番奥ですね。
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再び、屋敷の方に降りてきて、
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家屋の中にも入ってみましょう。
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イチオシ
ただ、光圀の書いた書画の展示はありますが、これは限られた数点のみ。
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やはり展示云々よりも、
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ここで隠居をしてからも光圀が勉学にいそしんだという生活ぶりを偲ぶことに意味があるのでしょう。
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そういう意味では、博物館や資料館とは違います。
ところで、徳川光圀は、常陸水戸藩の第2代藩主。水戸藩初代藩主、徳川頼房の三男であり、徳川家康の孫になります。若いころは素行がよくなかったようですが、18歳の時、司馬遷の「史記」伯夷伝を読んで感銘を受け、「大日本史」の編纂に繋がることになります。着手したのは、まだ、藩主となっていない28才の時。そして、隠居をして以降もこれを続け、「大日本史」の編纂は光圀のライフワークとなるわけです。そして、水戸藩では光圀亡き後も、これを受け継ぎ、水戸藩の、水戸学なるものが生まれていくのはご案内の通りです。
水戸藩は徳川ご三家とはいえ、その末席。思想的な面で幕府を支えるのははまり役だったかもしれません。 -
西山荘を出て。
西山の里桃源は、西山荘のすぐそば。逆に、西山荘に車で来た人はここから歩いて行くことになるでしょう。かなり広い駐車場があって、お土産物屋さんに食堂も備えた道の駅みたいな施設です。広場には花屋さんとかも。施設の裏側は日本庭園のように整備されていて、これもいい眺めです。 -
常陸そばとかもうまそうで気になりましたが、この日は、食堂ではコーラスグループの無料コンサートで、たくさんの人が集まっていました。
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ゆったりした店内なので、コンサートにもこれなら十分。私もしばし楽しませてもらいました。
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続いての西山公園はそこから山側にどんどん登っていく先なので、ちょこっとついでに寄って行くという感じではありません。
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周囲を見渡せる小山一帯には桜の林。雨は降っていましたが、それでも花見客はけっこうやってくる。私も小山の上から周囲を見渡して、いい天気ならなあという花見の気分を味わいました。
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イチオシ
今度は、市街に入って。
旧太田中学校講堂は、県立太田第一高等学校の敷地の中。ただ、校舎の裏側のような場所なので、どんどん奥にはいらないといけません。
これは明治37年に建てられたもの。正面に車寄せを設けたモダンなデザインでゴシック、ロココ様式に、スティックスタイルを取りいれたというのですが、小さなエンタシス柱やコリント風の柱頭飾もあって、なんかおもちゃの家っていう感じもしなくはない。意外にインパクトのある建物だと思います。 -
昼飯は、市街の中心部、塩町館へ。
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イチオシ
こちらは、常陸太田市の名物そば屋さんです。
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木造のレトロな建物は元は銀行の支店だったようですが、内部は木材の黒光りのするような磨きこまれた感があって、とっても落ち着きます。
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さて、そばの方ですが、常陸そばのきれい系の味わい。たっぷりの出汁にそばを泳がせてゾゾゾッとすすります。これはいい。さわやかなそばの香りと喉越し。最高です。
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常陸太田市郷土資料館も、ほど近く。
函館で財を成した梅津福次郎の寄付で昭和11年に建てられた元は市庁舎だったという建物。勿体のある建物で、国の登録文化財ともなっています。 -
展示は、戦国大名佐竹氏関係の資料もなくはないのですが、年表などはあっても、限られたもの。
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イチオシ
むしろ、旧石器時代の矢じりや石斧のコレクションが素晴らしい。
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このキラキラ光った鋭い形は一見の価値があるかもしれません。
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豪華な二階の大広間もチェックして、
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なるほどねという感じです。
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ここで、例によってスイーツチェック。
山林堂本店では、名物の「たまごさん」を買いました。 -
ケーキのようなパンのような。
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イチオシ
たまごの味わいと小麦粉のいい香りの両方がふんわりほどよく溶け合って、あるようでない味わい。今回はプレーンをいただきましたが、種類もかなり豊富。かなりおもしろい食べ物です。
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こちらの元祖なべやの名物は、粽。
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これって新潟の笹だんごみたいですね。そういうと女将さんが「これは新潟から伝わったもの。助さん格さんが新潟から伝えたんです」という答え。今では常陸太田の名物にもなっているんですが、そんな歴史があったんですね。
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イチオシ
ちょっと固めのお餅でしたが、噛みしめるとまたそれが素朴な味わい。
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優しい甘さの餡子もあってるかなと思います。
以上で、常陸太田は終了です。 -
再び、水戸市に帰ってきまして。
さっきの塩町館があまりにもよかったので、もう一軒と思って、訪ねたのは黄門そば。水戸市内のそば屋さんとしてはネットの評判も上々だったんですよね。 -
ほー、コンクリート打ちっぱなしの広いスペースはなんでしょう。立ち食いそばの店にちょっと毛の生えた感じでしょうか。
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そして注文したざるそばの方は、あーれー。ぶっとくて何度も噛まないと呑み込めないタイプ。時々こうしたタイプのそばがあるんですが、私は大の苦手。量も多いし、ちょっと泣きそうでした。なかなか期待通りにはいきません。
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さて、気を取り直して、散策開始です。
水戸市内でもこれまで足を向けなかったエリア。どんなものがあるでしょうか。 -
黄門さんおしゃべりパークは、真ん中に黄門さんの像が建つ小さな公園。像の隣りにスピーカーがあって、ボタンを押すと、黄門さんから「まあ、ゆっくしりして行きなさい」みたいなお言葉が流れます。まあ、それだけなんですが、器具は雨ざらしでも丈夫そう。けっこう頑張って作ったものだと思います。
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鉢の木は大通りに面して開けっぴろげた店構え。
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それでも、老舗風の雰囲気が漂います。
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イチオシ
最中から始まったお店と言うことで、その最中をいただきました。
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水分が多くて柔らかな餡子はキレの良い甘さがとってもいい。このタイプは私が一番好きな最中ですね。これなら立派な水戸の名物と言ってもいいと思います。少しリカバリーできた感じですよ~
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地方都市の大型商業施設は駅のそばにあるのが多いんですが、この京成百貨店は水戸駅からはずいぶん離れています。しかし、大きくてまだ新しい感じの百貨店。表にルイビトンの大きな看板が目立っていて高級感も漂います。大催し場では焼き物作家の個展もあったり、入口付近にはソファがいくつか並ぶ休憩所。これもけっこう助かります。
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はす向かいの但馬屋は、落花生とか豆菓子のお店。それって千葉県のような気もしなくはないんですが、茨城県でもちゃんと生産量があって、地元の食材なんだそうです。
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種類が本当にめちゃめちゃ多いんですが、いただいたのはことぶき豆。ポリポリ、サクサク。やっぱりこれが定番でなじみのある味わいです。
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そのまま進んで。これは泉町会館。昭和30年の建物です。
レトロ建物なんですが、石造りではないので、青い窓枠と合わせて軽い印象。外観を見るだけですが、夜はライトアップされているので、その方が雰囲気はあるかもしれません。 -
三菱東京UFJ銀行水戸支店は、これも泉町会館の並び。明治42年に川崎銀行として建てられた建物で、水戸市内は空襲にあっているので戦前の建物は限られるそう。古い建物ですが、外観は被災した跡はなくむしろきれいな感じ。歩道が狭いので、全景がよく見えないのが玉にきずです。
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金刀比羅神社もその並びに参道入り口があって、小さな祠がありました。水戸が空襲にあうまでは広い境内を有する神社だったようですが、今ではこの通り。それでもせめてかつての名残りが残っていることに感謝すべきかなと思います。
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続いての水戸芸術館の機能の中心は劇場なんですが、中央にあるモダンアート風の塔がシンボル。
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これは展望台があって、水戸市内を見渡せるのだそうですが、高いところが苦手な私はパスするしかない。しかし、水戸市内を歩いているとこの塔がけっこうどこからでも見えて、位置を確認するのに役に立ちました。
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一方で、敷地内は気持ちの良い広場があって、ダンスの練習をしている子供たちも。公園のような感覚で楽しむのもいいと思います。
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実は、最終的には回天神社に向かっているところなんですが、なんか意外に遠いですねえ。
ちょっと疲れてきたところで、目が止まったシュール洋菓子店です。 -
シュークリームをもらおうと思ったら、今日は作っていませんとのこと。代わりにマドレーヌをいただきました。ちょっと大きめで、割とあっさりめ。飾らない味わいが特徴です。作業をしている人がたくさんいて工場みたいな感じでした。
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さてさて、やっとたどり着いたのは、ロマンチックゾーン。回天神社や常盤共同墓地、保和苑から祇園寺、水戸八幡神宮の一帯です。
しかし、水戸駅からは歩くと確かに遠い。それに水戸観光なら偕楽園周辺や徳川ミュージアムなどが先になるので、ここまで足を延ばす人は少ないのも当然です。 -
ロマンチックゾーンの中心に建つのは、二十三夜尊桂岸寺。
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山門をくぐると、正面すぐに赤地に金色の龍の彫刻という派手派手なデザインの本堂が見えてきます。
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二十三夜尊は月光に現れる阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩のことで、ここの本尊は勢至菩薩です。密教のような雰囲気もあるように感じましたが、いかがでしょうか。
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二十三夜尊桂岸寺の裏手に整備された日本庭園が保和苑。名前は徳川光圀がこの庭を愛し名付けたとされていて、水戸黄門ゆかりの地。池を中心にして深い緑が落ち着いた雰囲気。ただ、規模は限られるので、偕楽園と比べたらそれは話になりません。
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そして、結果として、ロマンチックゾーンのハイライトは回天神社でしょう。
この神社は、幕末、国事に殉じた水戸藩の志士を祀る神社。水戸斉昭が蟄居させられた安政の大獄から、桜田門外の変、天狗党の乱から戊辰戦争など。幕末の水戸藩では多くの有為の人材が失われることになりました。 -
神社の前には無数の墓石が立ち並ぶ墓地に常盤共同墓地などもあって、この生々しさは長州藩の桜山神社や薩摩藩の南洲墓地と並ぶものだと思います。
ただ、蛇足かもしれませんが、水戸藩の特徴は天狗党と諸政党の対立がそのまま残ってしまったこと。長州藩でも佐幕派の俗論党と討幕派の正義党の対立はあったし、薩摩藩でも公武合体派から討幕派への転換は血を見ることになりました。それでも、藩として最後はまとまっていったのですが、水戸藩はそれがありませんでした。私は、その辺りは水戸学の難しい面が出たものと理解しているのですが、興味のある方は、これをご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11168526 -
回天館は、回天神社の一角。
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これは天狗党が投降し、最後に押し込められたという敦賀の鰊倉を移築したもの。
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イチオシ
桜田門外の変の錦絵ですが、これも水戸藩にとっては微妙な問題。水戸藩は討幕などは思いもよらないことだったはずですが、この事件により、幕府の権威は失墜。これを潮目にして討幕は一気に現実のものと考えられるようになっていきます。
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ほか、天狗党のリーダー、武田耕雲斎や
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水戸から慶喜を頼って京都に向かう行軍のルートなどを紹介。
京都にいる慶喜を頼って長い行軍を耐えた天狗党でしたが、尊王の制約に縛られて動くに動けない慶喜はあっさりとこれを見殺しにする。慶喜という人物は頭がよすぎるのか、優柔不断なだけなのか。観念にとらわれて人情を解さない人だったのか。本当に謎の多い人物だと思います。
しかし、一方で、尾張徳川も井伊直弼を生んだ彦根藩も同じようなもの。戊辰戦争が始まるとあっさり新政府軍に付いています。第二次長州征討に失敗し、鳥羽伏見ね戦いに敗北し、もう大きな流れに逆らえないと日より見してしまったから?
ただ、私は実は家康の考え方にも一因があるような。信長、秀吉から奪ったような天下。しかし、その正義は、秀吉亡き後、争いのない世の中を作れるのは自分しかいないという自負心。徳川幕府がその責務を果たせないなら、天下が徳川幕府を離れて行くのは当然のことになるでしょう。
不可解な行動、日より見の行動。それらも積極的に養護するなら、天下のため。家康の薫陶というのはちょっと言い過ぎでしょうか。 -
扉には天狗党志士の絶筆も残っていたりして、生々しい。水戸では今も重いくびきになっている事件だと思います。
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水戸黄門でおなじみの格さん助さんの格さんの墓は、回天神社の奥、常盤共同墓地の中。
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入口を入って少し進んだ場所なので、すぐに分かります。大日本史の編纂に力を尽くしたと紹介されていて、武術ではなく、学問で貢献した人物だというのはドラマのイメージとは異なります。
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藤田東湖の墓は、格さんの墓を過ぎてもう少し進んだところ。青い幟りが建っていてそれが目印です。周囲を石囲いで囲んだ一段高い場所に細君の墓と並んで建っていました。誰が置いたのか花も活けてあって、地元では東湖の人気はまだまだあるのかなあという感じです。
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桜田門外の変を主導した関鉄之助の墓も。明治になって名誉を回復したのですが、もしあの世で、変こそが倒幕派を勢い付けたと知ったなら、その心境は複雑かもしれません。
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回転神社を後にして。
祇園寺も、ロマンチックゾーンの一角。他のスポットとは離れていて、住宅地の中といったところ。 -
山門の立派さとか境内の広さとかかなりの格式をうかがわせる構えです。
それもそのはず、こちらは、明の心越禅師の開山、徳川光圀の開基による曹洞宗の寺。光圀ゆかりの寺であればこの構えは当然かもしれません。 -
水戸八幡宮は、ロマンチックゾーンの一番西。
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八幡宮は武家の神様だし、源氏にゆかりが深いので水戸にあるのは当然という感じもしますが、
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現在の本殿は江戸氏を滅ぼして新たな水戸城主となった佐竹氏の時代に作られたもの。傷んだ感じはまったくなくて、美しい姿が印象的です。
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神應寺は、大工町の交差点から偕楽園の方に少し行ったところ。関所風の門から奥の境内に入ります。時宗遊行派の総本山が後北条氏に睨まれて再建できなかった時代に、佐竹氏を頼ってここに遊行派本山をここに一時的に置いたよう。
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ただ、本堂の前には一遍像が建っていますが、むしろそれだけ。境内はコンクリート敷きだし、殺風景です。
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雷神社は、大工町交差点から偕楽園方面に少し行ったところ。神應寺と同じ並びです。
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石段を上って、鳥居をくぐると意外に広い境内。
名前が変わっていますが、京都の上賀茂神社の末社。上賀茂神社の正式な名前は賀茂別雷神社というので、なるほどという感じ。佐竹氏や徳川氏の産土神だったということです。 -
神崎寺は、大工町交差点からバス道路を偕楽園の方に降りて行ったところ。
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境内の多宝塔が遠くからも見えて大寺の風格を持つ寺です。現在の本堂は鉄筋コンクリートですが、それより奥の観音堂と多宝堂の組み合わせは風情があると思います。
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常磐神社は、偕楽園の隣り。水戸藩二代主徳川光圀と九代藩主徳川斉昭を祀る神社で明治になってから創建されました。
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大日本史の編纂を始め、水戸学の歴史を作った光圀と幕末に尊王攘夷の思想を掲げ、維新の流れを加速させた斉昭。ともに、水戸の誇りのはずなのですが、正直言えば、二人のイメージは陽と陰くらいかなり違うと思います。この時期、周囲は桜の花が満開でした。桜の名所と言ってもいいくらいかと思います。
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東湖神社は、常磐神社の末社。徳川斉昭の側用人で、弘道館の趣意書を執筆したり、斉昭に重用された藤田東湖を祀ります。最後は安政の大地震で命を落としますが、水戸学が幕末の尊王の志士たちに影響を与えた最も華やかな時代の中心人物。ここにこうした神社があること自体、地元の高い評価が想像できることだと思います。
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水戸の桜まつりの期間中でしたが、もう夕方で人影はまばら。
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偕楽園は閑散としていましたが、向かったのは左近の桜。偕楽園で一番大きくて目立つ桜は、やはり千波湖を見おろし、好文亭を背景にしたこの左近の桜でしょう。徳川斉昭夫人が降嫁した際、仁考天皇から御所の左近の桜の鉢植えを賜ったということです。
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大日本史完成の地は、偕楽園の東門から仙波湖の方に降りていく九十九折の遊歩道途中。碑には説明文があって、大日本史は完成までに250年。完成したのは明治39年のことだとか。想像以上に大事業であったことを知って、ちょっと気が遠くなるような気持ちになりました。
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水戸駅の方に戻って、もう少し。
徳川斉昭の像を過ぎて。 -
旧水戸彰考館跡は、弘道館から橋を渡った少し先のところ。
もともと水戸光圀が大日本史の編纂は江戸の藩邸にあった彰考館で始めたのですが、後に水戸に移されまして、それがこの水戸彰考館。碑にはそうした経過が細かく説明されているのですが、その隣には「大日本史編纂之地」とシンプルに書かれたもう一つの碑。二つが並んで建っています。
なお、周囲は長い白壁の塀が巡っていて、これもかなかな雰囲気がある。それも含めて弘道館から足を延ばす価値は十分あると思います。 -
弘道館は分かるけど、弘道館公園ってなんだっけと思ったら、弘道館の裏側にありました。梅の並木道とその先には孔子廟に八卦堂。確かに、水戸市内の代表的な景色が紹介される中の一つで見たことがありますね。弘道館とセットで見るべきエリアかなと思います。
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旧茨城県庁三の丸庁舎は弘道館公園の続き。これは、昭和5年に建てられた旧茨城県庁本館。今も現役ですが、三の丸庁舎となって利用されています。周囲は梅園や夜桜のライトアップもあって、レトロな建物との調和がとれていると思います。
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日が暮れて、やっと水戸駅に戻ってきました。
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天狗納豆は、エクセル南店の3階にも販売所があって、そちらで少しお土産に買ってみました。納豆って例の強烈なにおいがあるものですが、この納豆ってそれがほとんどない。大豆の素直な味わいだけが口に広がって、ちょっと意表を突かれたような。。これが本物の味なんでしょうか。今でも不思議な感じです。
とにかく、これで二日間の旅は無事終了。お疲れ様でした。
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