2017/02/16 - 2017/02/20
12位(同エリア232件中)
PHOPHOCHANGさん
- PHOPHOCHANGさんTOP
- 旅行記781冊
- クチコミ1928件
- Q&A回答22件
- 815,962アクセス
- フォロワー151人
例によって会社は3日しか休めず、予算も当然安けりゃ安い程良く、食べ物の好き嫌いの激しいPHOの旅先は毎度の中国です。
往復の航空券、4泊分の宿、現地での交通費、ぼったくりの世界遺産入場料、全ての飲み食い合わせて5万円台で済みました(片道3700円とかのキャンペーンは利用してません)。あっ、ケチケチしては居ませんよ(笑)。財布の紐はいつもと同じです。
中国語喋れないくせに、徐々にハードルを上げちゃって、情報の少なさにオタオタしつつも、いつも通りに走り廻って来ました。
アッと言う間に5日目、もう帰国する日です。
フライトは15:25発なので、2時間前到着から逆算すると、12時にチェックアウトすれば余裕です。
それなら午前中は遊べるね、とは言えギリギリで焦りたくはないので、街の真ん中辺りで無理せずに(^_^;
此処までの旅行記は、
初Spring Japanは直行便☆の巻 http://4travel.jp/travelogue/11217241
謝々、重慶郵電大学生☆街歩きで遭難しかけるの巻 http://4travel.jp/travelogue/11217236
大足石刻宝頂山で出口ばっかり3回通過の巻part1 http://4travel.jp/travelogue/11217520
大足石刻宝頂山で出口ばっかり3回通過の巻part2 http://4travel.jp/travelogue/11219254
北山はジモティも知らずの巻 http://4travel.jp/travelogue/11218157
芙蓉洞は突然閉鎖の巻 http://4travel.jp/travelogue/11218158
『中国南方カルスト』天坑三橋in武隆の巻 http://4travel.jp/travelogue/11221047
『中国南方カルスト』龍水峡地縫in武隆の巻part1 http://4travel.jp/travelogue/ 11221060
『中国南方カルスト』龍水峡地縫in武隆の巻part2 http://4travel.jp/travelogue/11223198
街中は大混雑の巻 http://4travel.jp/travelogue/11221461
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
7時過ぎたら何処かしらで朝ご飯を食べられるに違いないと、地下鉄の別の出口の在る大きなターミナルまで来てみると、1件だけ開いてました。良かった☆
壁のメニューの酸辣粉を指差し、パクチーの載ってるワゴンに×印を出し、更にそのワゴンの玉子焼にOKサインを出して待ちました -
パクチー無いと彩りが冴えないね。酸辣粉は今回2度目だけど、最初の感激は無かったなぁ。でも玉子焼プラスは正解(^_^)v10元なり
-
緑は2号線のカラー
-
嘉陵江沿いの曽家岩駅で降ります
-
今更ですが、地下鉄じゃなくなってます。って実際、軽軌って名前なのです
-
この長い通路をひたすら進むと
-
人民広場に出ます。久々に、つか最もチャイニーズ
-
駅から広場に向かって、右手が重慶三峽博物館、メチャ立派。
2.3万㎡の広大な敷地に立地する博物館には、三峡ダムのプロジェクトで文化財を保護した成果やその出土品などを展示している他、三峡の豊かな自然、歴史や文化なども紹介しています。 2300年余り前の巴人の生活をしのばせる工芸品や船棺などを展示していた重慶博物館もこちらに移転されました。
この三峡博物館には、中国語で「闕」という亡くなった後に身分の高い人に送られる記念石碑も展示されています。2001年6月と12月の間に忠県で発掘された重さ30トン余りの一組の漢代のものです。これは漢代を記念した築造物であり、石造りの「漢書」とも言われており、中国古代築造物の「生きた化石」とも言われています。長年地下に深く埋もれていた為、それほど風化していません。これは現在中国で最も完璧な形で保存されているものです -
左に人民大礼堂。
人民路学田湾に位置する重慶最大の劇場です。1950年に着工し、1953年に落成しました。初め”中蘇大楼”と呼ばれていましたが、その後改名し”西南行政委員会大礼堂”となり、1955年に現在の名になりました。
重慶を象徴する建物であり、1954年に北京の天壇を模倣して建築された中央の丸屋根の建物をはさんで、右と左に二重屋根の建物が向き合っています。
中央の建物は重要な市会議や行事、又その他一般のイベント行われます。
階段下には人民広場があり、市民の憩いの場所となっています。広場では朝7時~9時頃は太極拳、剣舞、扇子踊りなどを練習する市民、夜の7時~9時には噴水のライトアップがあり、社交ダンス、小グループでの個人ダンスを楽しむ人が沢山見られます。現地市民生活体験をするのに最適な場所と言えます -
北京の世界遺産天壇にそっくりな造り、にしてもデカい
-
広場には太極拳やらダンスやら、思い思いに過ごすグループが集まってましたが、こちらは静か
-
10元に入場券を買い、荷物検査もして、中へ
-
ステージのレトロ感は半端無いですが、足を踏み入れた瞬間は、おおっ!って感じ
-
ドーム型の天井
-
観客席も弧を描いてます
-
上階に上がってみました
-
-
通路も弧を描いてます。出口に番号有るので迷わずに済みますね?
-
板張りのステージが何とも垢抜けなくて、半世紀前のPHOの学芸会を思い出します
-
ごめん、これって中国的だよなと思っちゃった。ついでに言えば、掃除用具も放り出されたままでした
-
出口方向を見ると
-
韓国を独り旅した時は、道路標識が全く読めなくて泣きました(英語表記も無し)が、中国は何の問題も有りません☆
中山四路を進みます -
この通り沿いにこれから向かう桂園と周公館が在ります
-
桂園も周公館も9時からなので、後20分近く有りました。場所を確認した後、このベーカリー兼カフェで待つ事にしました
-
美味しそうなパンやパイ類が並んでます
-
中庭側の入口
-
店内にも何席か座れるスペースは在りましたが、寒くないので中庭へ。
麦芽入り(穀物入りが大流行)ミルクティーで、またもお腹いっぱいに(^_^; -
上書房って文字が無ければ、中国とは思えません
-
ホントお洒落な空間です
-
桂園。
何と無料です、荷物検査は必要ですが -
毛沢東が此処に滞在している間に何をしたか、誰に会ったかって。
まず蒋介石だったんだね -
園と言う名前ですが、見られるのはこの建物だけで、庭などは在りません。
何故此処が重要なのかと言うと、重慶談判の期間、共産党側と国民党側が会談した場所です。毛沢東は此処で2度蒋介石と会談しています。
1945年10月10日、共産党と国民党が「政府と中共代表会談紀要」を交わしたのも此処でした。
元は国民党張治中の公館だったところです -
餐庁(ダイニングルーム)
-
毛沢東が滞在していた部屋
-
周恩来が滞在していた部屋。こっちのが良さげ
-
会客室(応接間、会議室って言いたくなるけど違うよね)
-
中山四路は並木の緑がなかなかの雰囲気を醸してます
-
中国共産党重慶市委員会/中国共産党重慶市規律検査委員会
-
物騒な建物も向かいでも、お洒落っぽい
-
-
名流公館って名前のスペース、特に何が在るって感じじゃないの。でもこの広場的スペースの向かって左は何やら人が出入りしている事務所みたいなの(公館?)が在りました
-
下に嘉陵江。手前の建物は曾家岩駅
-
周恩来の像。
後ろの工事中みたいな建物が周公館。
上海の方が有名かもしれませんが、あちらも中国共産党代表団上海事務所です。
周恩来が個人名義でこの建物を借り、自身と中央中共南方局の事務所としたため「周公館」と呼ばれました。きっと上海のもそうですね -
案内文そのまま載せます。
『1937~1946年に、国民政府行政院などの機関が此処に設立して、屈服しない勢いで、中国対日戦争奥地の人民を指揮して、頑強に抗日戦争を行い、しかも太平洋戦場に協力して重要な勝利を得た。中国の全国が解放された後、ここは既に中国共産党重慶市委員会、市政府の所在地となった。』 -
工事中と言うか、外壁修復中みたいです。
で、入り口どこ? -
共産党重慶駐在代表の周恩来が使用していた建物。別名、曾家岩50号。
国民党は、その活動を監視するため右隣に藍衣社のボス・戴笠の公館を置き、左隣には国民党系の警察局派出所を配置しました。現在、紅岩革命紀念館分館となっているところです -
重苦しい雰囲気は無いのです
-
南方局文化工作委員会のオフィスとされていますが、元々は董氏の執務室でした。
パネルは文化工作委員会について(って文化祭実行委員会と似てると思っちゃってw) -
一応憩いの部屋的存在。
此処にしか階段が無いの。変な造り -
董必武の執務室兼寝室。
さっきも出て来たよね、この名前。って誰?
中国共産党の創立メンバーの一人。中華人民共和国副主席(1959~1972年)として在職中、文化大革命によって劉少奇が中華人民共和国主席を解任されたため、1968年以降、国家主席制が廃止される1975年まで、国家副主席・国家主席代理(1972~1975年)として、国家主席の職務を代行しました。
道理で聞いた事有ると思ったのですが、ってそういうレベルじゃないでしょ。
第1回党大会の出席メンバーで、戦後中華人民共和国の幹部として生涯を全うしたのは毛沢東と董の2名のみなんだそうですよ、怖いね -
四合院的造りになってますね
-
Women's Group office of the South Bureauだそうですが、屋根裏部屋にしか見えません。一応、婦女組のオフィスって事で
-
2階からの眺め
-
南方局軍事組。
これが何だか良く判んないのです。だって調べようとしても出て来るの中国語の文献ばっかりで -
周恩来の執務室兼寝室
-
防空洞(防空壕)。
日中戦争の間、国民政府は重慶市に在ったのですよね。だから日本軍による重慶爆撃が有った訳。で、その為の防空壕ですね。って日本軍はこんな奥地まで攻めて来られたの?
って調べてみたら、日中戦争中の1938年2月18日から1943年8月23日にかけて、日本軍により断続的に218回行われたんだって -
飯堂(って食堂?台所だよね)。
-
セミナールームって感じ
-
出て来ました。外に面したところには窓らしい窓の無い建物ですね。
これで曾家岩で見るべきもの(地球の〇き方に掲載されていた分)は見ましたから、さっき名公館の広場から見下ろした駅へはどう行けば良いのかな?って考えてたら -
周公館から道を隔ててすぐのところに地下鉄、否軽軌の入口が在りました。
さっき(周公館に611999前)、ずーっと下に見えてた曽家岩駅へは見事にエレベーターで一気に下ります -
駅へ戻って来た時点で10時ちょっと過ぎ。自由に使えるのは残り2時間を切りました。さて、どうしよう?
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産で
-
前の旅行記
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈街中は大混雑の巻〉
2017/02/16~
重慶
-
次の旅行記
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈世界遺産『中国南方カルスト』龍水峽地縫 in 武隆の巻p...
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウロウロ〈謝々、重慶郵電大学生☆街歩きで遭難しかけるの巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラ世界遺産でウロウロ〈初Spring Japanは直行便☆の巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウロウロ〈大足石刻 宝頂山で出口ばっかり3回通過の巻part1〉
2017/02/16~
大足
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウロウロ〈大足石刻北山はジモティも知らずの巻〉
2017/02/16~
大足
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウロウロ〈世界三大鍾乳洞の芙蓉洞は突然閉鎖 in 武隆の巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウロウロ <大足石刻宝頂山で出口ばっかり3回通過の巻part2>
2017/02/16~
大足
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈世界遺産『中国南方カルスト』天坑三橋 in 武隆の巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈世界遺産『中国南方カルスト』龍水峽地縫 in 武隆の巻p...
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈街中は大混雑の巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈最終日は曽家岩駅辺りの街歩きの巻〉
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈世界遺産『中国南方カルスト』龍水峽地縫 in 武隆の巻p...
2017/02/16~
重慶
-
霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産でウキウキ〈最終日は軌場口駅辺りの街歩きの巻〉
2017/02/16~
重慶
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 霧の重慶は再開発の嵐★ガラガラの世界遺産で
0
61