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7). 次姉「慶齢」邸へ<br /><br />   次姉「慶齢」(1893年-1981年)は、「 国を愛した女」と言われている。彼女の住いは、小売店舗が櫛比する商店街近くの「渝中区両路口新村5号」にあった。<br />  前庭に、「慶齢」の白亜の像があり、鉄筋三階建て、床面積は665㎡の建物であり、裏手に、山をくり貫き、2箇所の出入り口をもつ15 畳程の「防空壕」があり、空襲警報が鳴る度、「慶齢」は、この防空壕へ避難していた。<br /><br />  「慶齢」と、二周り以上歳上の「孫文」との結婚は、「孫文」の有力な支援者であった「慶齢」の父が、猛反対し、「孫文」と絶交した。1915年、日本人支援者により、二人は、東京で結婚式を挙げ、京都嵯峨野で新婚生活を送っている。二人の結婚生活は、「孫文」の死で、僅か10年余で終わっている。しかし、「慶齢」の本格的な政治的活動は、「孫文」未亡人となってからと、言われている。建物1階の壁に、結婚に際し、「孫文」が「慶齢」に贈った、『 精誠無間同憂楽  篤愛有縁共死生  慶齢賢妻鑑』という詞が、掛かっていた。<br /><br />  国共合作時代には、この家の北近くに、共産党の「重慶事務所」があり、当時、「周恩来」が住んでいた。1949年北京の「天安門」で、「中華人民共和国」の成立宣言を「毛沢東」がした時、その隣に「宋慶齢」が並んで、立っていた。、共産党政権は、後に、「慶齢」に、「名誉国家主席」の称号を、与えている。<br /><br />8).三女「美齢」邸へ<br /><br />   三女「美齢」(1897年-2003年)は、“権力を愛した女”と言われている。1927年上海で「蒋介石」と結婚した時、「最もアメリカ的な女性が、もっとも中国的な男と結婚した」と、雑誌に書かれた。「蒋介石」は、糟糠の妻(蒋経国の母)とは離婚し、「美齢」と結婚したため、後に、長男「蒋経国」との確執を生みだすことになった。<br />   「美齢」は、アメリカ各地で、日本軍の「重慶無差別空爆」による一般市民の被災を映した写真等を展示し、巧みな英語による演説で、アメリカ市民の対日戦争への参戦意識を高めたと言われている。 <br />  <br />  重慶での「美齢」邸は、中心地から東方の「南岸区」にあり、周り一帯は、山が連なる「黄山風景区」である。入り口には『重慶抗戦遺跡博物館』と書いてあった。1938年、空襲を避けるため、「蒋介石」は、この地に、諸施設を建て、対日対共のための戦略本部を指揮をした。「蒋介石」の「官邸」は、中西折衷の3階建ての建物で、1階には執務室と応接室があり、2階の右角の部屋が、「蒋介石」の居室である。玄関を入るとホールがあり、その奥の隅には、意外と質素な「美齢」の居室があった。<br />  <br />  <br />9).旅の終わりに<br /><br />   重慶滞在中に、「重慶大学」を、孫君の案内で見学した。休日であったが、彼が舞台稽古している校内の劇場をも見せてもらった。次の日、世界遺産の『大足石窟』へ、一日観光のバスで出かけた。石窟の細い通路は、人で身動きも出来ず、石窟を写した写真には見知らぬ人の顔がやたら写っており、13億の民が動き始めた恐ろしさを感じながらの、一日観光であった。(完)<br />          <br />表紙の写真:宋家三姉妹の次女慶齢の故居<br /><br />     * Coordinator:  H. Gu                                       <br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

【重慶市】 重慶 * 『 宋家三姉妹』 戦いの日々を 旅する(3)

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2008/10/01 - 2008/10/06

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

7). 次姉「慶齢」邸へ

   次姉「慶齢」(1893年-1981年)は、「 国を愛した女」と言われている。彼女の住いは、小売店舗が櫛比する商店街近くの「渝中区両路口新村5号」にあった。
  前庭に、「慶齢」の白亜の像があり、鉄筋三階建て、床面積は665㎡の建物であり、裏手に、山をくり貫き、2箇所の出入り口をもつ15 畳程の「防空壕」があり、空襲警報が鳴る度、「慶齢」は、この防空壕へ避難していた。

  「慶齢」と、二周り以上歳上の「孫文」との結婚は、「孫文」の有力な支援者であった「慶齢」の父が、猛反対し、「孫文」と絶交した。1915年、日本人支援者により、二人は、東京で結婚式を挙げ、京都嵯峨野で新婚生活を送っている。二人の結婚生活は、「孫文」の死で、僅か10年余で終わっている。しかし、「慶齢」の本格的な政治的活動は、「孫文」未亡人となってからと、言われている。建物1階の壁に、結婚に際し、「孫文」が「慶齢」に贈った、『 精誠無間同憂楽 篤愛有縁共死生  慶齢賢妻鑑』という詞が、掛かっていた。

  国共合作時代には、この家の北近くに、共産党の「重慶事務所」があり、当時、「周恩来」が住んでいた。1949年北京の「天安門」で、「中華人民共和国」の成立宣言を「毛沢東」がした時、その隣に「宋慶齢」が並んで、立っていた。、共産党政権は、後に、「慶齢」に、「名誉国家主席」の称号を、与えている。

8).三女「美齢」邸へ

   三女「美齢」(1897年-2003年)は、“権力を愛した女”と言われている。1927年上海で「蒋介石」と結婚した時、「最もアメリカ的な女性が、もっとも中国的な男と結婚した」と、雑誌に書かれた。「蒋介石」は、糟糠の妻(蒋経国の母)とは離婚し、「美齢」と結婚したため、後に、長男「蒋経国」との確執を生みだすことになった。
   「美齢」は、アメリカ各地で、日本軍の「重慶無差別空爆」による一般市民の被災を映した写真等を展示し、巧みな英語による演説で、アメリカ市民の対日戦争への参戦意識を高めたと言われている。 
  
  重慶での「美齢」邸は、中心地から東方の「南岸区」にあり、周り一帯は、山が連なる「黄山風景区」である。入り口には『重慶抗戦遺跡博物館』と書いてあった。1938年、空襲を避けるため、「蒋介石」は、この地に、諸施設を建て、対日対共のための戦略本部を指揮をした。「蒋介石」の「官邸」は、中西折衷の3階建ての建物で、1階には執務室と応接室があり、2階の右角の部屋が、「蒋介石」の居室である。玄関を入るとホールがあり、その奥の隅には、意外と質素な「美齢」の居室があった。
  
  
9).旅の終わりに

   重慶滞在中に、「重慶大学」を、孫君の案内で見学した。休日であったが、彼が舞台稽古している校内の劇場をも見せてもらった。次の日、世界遺産の『大足石窟』へ、一日観光のバスで出かけた。石窟の細い通路は、人で身動きも出来ず、石窟を写した写真には見知らぬ人の顔がやたら写っており、13億の民が動き始めた恐ろしさを感じながらの、一日観光であった。(完)
          
表紙の写真:宋家三姉妹の次女慶齢の故居

* Coordinator:  H. Gu







同行者
一人旅
交通手段
観光バス タクシー

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  • 宋三姉妹の次女「慶齢」の旧居正門。

    宋三姉妹の次女「慶齢」の旧居正門。

  • 「慶齢」の母屋の裏手の山を繰り抜いた防空壕

    「慶齢」の母屋の裏手の山を繰り抜いた防空壕

  • 母屋2階の「慶齢」の寝室。やや小さ目の質素なベットである。

    母屋2階の「慶齢」の寝室。やや小さ目の質素なベットである。

  • 壁に掛かっている書は、「孫文」が結婚する時に、「慶齢」に贈ったものである。<br />  <br />  『真の誠実を持って、苦楽を同じくし、厚き情愛の縁もって、生きるも死ぬも共にしよう』

    壁に掛かっている書は、「孫文」が結婚する時に、「慶齢」に贈ったものである。
      
      『真の誠実を持って、苦楽を同じくし、厚き情愛の縁もって、生きるも死ぬも共にしよう』

  • 重慶の中心から長江を挟んで東方にある南岸区の南山風景区にある三女「美齢」の旧居がある『重慶抗戦遺跡博物館』の入り口である。

    重慶の中心から長江を挟んで東方にある南岸区の南山風景区にある三女「美齢」の旧居がある『重慶抗戦遺跡博物館』の入り口である。

  • 三女「美齢」の旧居『松庁』への緩やかな石段。名前どおり周りには松ノ木が多い。

    三女「美齢」の旧居『松庁』への緩やかな石段。名前どおり周りには松ノ木が多い。

  • 「美齢邸」(松庁)の玄関である。

    「美齢邸」(松庁)の玄関である。

  • 美齢の寝室。比較的シンプルなベットではあるが、姉慶齢のベットに比べると、大型なものである。

    美齢の寝室。比較的シンプルなベットではあるが、姉慶齢のベットに比べると、大型なものである。

  • 黄山から市街地を眺める。今日も靄が掛かり、見通しはよくない。

    黄山から市街地を眺める。今日も靄が掛かり、見通しはよくない。

  • 嘗ての正門の支柱。この奥は、1940年ごろの蒋介石政府の中枢部である。13の建物と、膨大な防空壕があった。

    嘗ての正門の支柱。この奥は、1940年ごろの蒋介石政府の中枢部である。13の建物と、膨大な防空壕があった。

  • 『重慶大学』南門。実は孫君とはここで落ち合うことになっていたが、タクシーの運転手には、重慶大学正門と言ったので、本来の正門で2,30分待つことになった。重慶大学には7箇所の門があるそうだ。

    『重慶大学』南門。実は孫君とはここで落ち合うことになっていたが、タクシーの運転手には、重慶大学正門と言ったので、本来の正門で2,30分待つことになった。重慶大学には7箇所の門があるそうだ。

  • 重慶大学構内。外国語の練習のため、このコーナーに有志が集まり、練習をしているようである。反日のメッカーとまで言われている重慶でも、日本語を練習している学生が多くいるようだ。日本語の看板もある。

    重慶大学構内。外国語の練習のため、このコーナーに有志が集まり、練習をしているようである。反日のメッカーとまで言われている重慶でも、日本語を練習している学生が多くいるようだ。日本語の看板もある。

  • 重慶大学本部棟。

    重慶大学本部棟。

  • 孫君が在学する『重慶大学美視電影学院』

    孫君が在学する『重慶大学美視電影学院』

  • 乗り合いの一日大足観光の、バス仲間の昼食風景。

    乗り合いの一日大足観光の、バス仲間の昼食風景。

  • 『大足石刻』芸術群の中の『宝頂山石窟』の代表的な石窟。

    『大足石刻』芸術群の中の『宝頂山石窟』の代表的な石窟。

  • 全長31メートルの『釈迦涅槃像』の頭部。

    全長31メートルの『釈迦涅槃像』の頭部。

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