2016/06/18 - 2016/06/19
62位(同エリア940件中)
tadさん
前日に続いて萩見物に来た。宿は長門湯本温泉だったのだが、前日の萩の旅が8年ぶりで大変刺激的であったために、続けて舞い戻ることに決めたのだ。
で、昨日、その便利さに味をしめた100円バスを活用することとなった。最初の訪問地は野山獄と岩倉獄の跡地だ。小学生のころ、一度来た記憶があるが、それ以来だ。獄舎が残っているわけではなく、存在を示す碑が残るのみ。ただ、松陰先生や晋作に深い関心をもつ人なら、ここは特別な場所だ。その意味でのみ、訪問の価値あり。
松陰先生の獄中での活動や影響力は、松下村塾とは別の意味で、すごいと思う。藩主毛利敬親の前で11歳の時、13歳の時に、講義をし藩校明倫館の教授も務めた。佐久間象山の教えを受け、共鳴した。松下村塾では1年少しの間に90名ほどの身分を問わない若者が集まって共に勉学をした。(松陰先生は「教えた」とは言いたがらない。。実際、授業料は取っていない!)そのうち、士族はその半分ほどだった。一緒にペリーの船に乗り込もうとした金子重之輔は商人の子供だ。ここ岩倉獄で病死した。松陰先生は士族用の野山獄に入っていた。そこには12名が収監されていたが、勉強会が発足した。ここでも興味深い逸話が残る。
江戸伝馬町の獄で書かれた松陰先生の遺著ともいうべき「留魂録」は2部作製されたが、獄舎内で影響を受けた罪人に預けた一部が持ち出されて、松陰神社宝物殿に現存しているのみである。もう一部は遺体を密かに引き受けた桂小五郎や伊藤博文らの手に渡ったはずのものだが、弟子が回し読みしているうちに紛失した。影響を受けた弟子たちが書き写したものは残っている。この「留魂録」は久坂玄瑞らの活動で、松陰先生の影響を改めて拡散するもとになったと言える。松陰先生に関する著作は数多い。私が読んだものはほんの一部だが、一部次に紹介する:松下村塾については、古川薫「松下村塾」(新潮選書)が参考になる。松陰先生の直接の文を読むなら奈良本達也、真田幸隆訳編「吉田松陰ーこの劇的なる生涯ー」(角川文庫)が現代語訳で読みやすい。松陰先生の遺著「留魂録」も読みやすくなっている。
最初の一枚は松陰先生の墓地にある吉田松陰と金子重之輔の像。
- 旅行の満足度
- 5.0
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野山獄跡(松陰先生や晋作のいた獄舎の一角)
松陰先生のファンには特別のスポット by tadさん野山獄 岩倉獄跡 名所・史跡
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岩倉獄跡(金子重之輔のいた獄舎の一角)
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100円バスの停留所案内板。今日は青い路線のバスにのる。「松陰先生」とう東回りのバスだ。昨日乗ったオレンジ色の西回りバスは「晋作くん」というバス名だ。
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バス「松陰先生」は女台場のある菊ガ浜沿いを走る。東に向かっている。
菊ケ浜 自然・景勝地
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阿武川沿いに100円バスは進む
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松陰神社に到着
松陰神社 寺・神社・教会
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天皇皇后、皇太子皇太子妃訪問の記念碑
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松下村塾
野山獄跡の次に100円バスでくる場所。 by tadさん松下村塾 名所・史跡
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ここで学んだ顔ぶれ
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吉田松陰幽囚の旧宅
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吉田松陰幽囚ノ旧宅 名所・史跡
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松陰神社
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吉田松陰歴史館なるものの情報がないままに入場してしまった。こういう類のもの。。。そういえば、ロンドンのマダムタッソーもこの類だろうが一度も入ったことはない。
昨日の菊屋家住宅とならんで私には無駄遣いだった。年金生活者だからもっと中身のある場所を厳選すべきだった!今日のコースは実は予習をしていないのだ。。。もっともここ以外の場所は既に訪問したことのある素晴らしい場所であることは熟知していたのだが、ここは、残念な場所となった。 -
次の訪問地東光寺に100円バスで移動。バスは30毎に来るので、タイミングを見て、次々と移動できる。
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毛利家の菩提寺のひとつである東光寺は、流石だ。江戸時代の建築である総門、鐘楼、大雄宝殿、三門は重要文化財の建物だ。一番奥に進むと、家臣が寄贈した500基の灯篭が、圧倒的な雰囲気を生み出している!恐らく、今の萩に残る観光地のなかでは、城跡、城下町、松下村塾と並ぶ見どころといえるように思う。フォトジェニックな場所が多く、カメラ好きにはたまらない景色満載の場所だと思う。
ただ、手入れが今一つだったのは残念だ。ちょうど手入れ前だったのかもしれないが、草がはえすぎたり、整美が今一つであった。松下村塾の次に100円バスで訪問 by tadさん東光寺(山口県萩市) 寺・神社・教会
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三門
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鐘楼
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大雄宝殿
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東光寺は黄檗宗なので、京都は宇治市の萬福寺の流れである。隠元和尚が祖であり、中国の流れを受け継いでいる。この木魚もその流れのものだろう。ただ、萬福寺のものには足があるそうだが。。。隠元は煎茶道の元祖でもある。
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毛利敬親が揺れた時代だ。椋梨などの保守派が台頭したため維新を目指す人達が犠牲になった。後にその犠牲者たちはここに葬られた。
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驚くべき光景がこの先に展開する!
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次の門の向こうの斜面に500基の灯篭が整然と並ぶ!!
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藩主の墓地なのに家臣の灯篭が500基並ぶ!
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これが一番奥の列で藩主とその妻の墓。奇数代の藩主の墓のみがここには並ぶ。
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斜面に並ぶ500基の灯篭群を見下ろす。家臣が忠実に見守るがごとくである。
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ここに眠る藩主の名前リスト
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大雄宝殿内の仏像
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次の目的地には歩いて移動。東光寺から5分の場所だ。松陰先生の墓等がある場所。吉田松陰と金子重之輔の像もここにある。
東光寺の次は5分歩いて松陰等の墓と誕生地を訪問 by tadさん吉田松陰誕生地 名所・史跡
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一緒にペリーの船に乗り込もうとした金子 重之輔。
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松陰先生の墓
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高杉晋作の墓。下関の東行庵の墓が第一だろうと思う。京都霊山護国神社の墓も参拝したことがある。
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吉田稔麿の墓
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久坂玄瑞の墓
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この眺めのよい場所が松陰先生誕生の地。
東光寺の次は5分歩いて松陰等の墓と誕生地を訪問 by tadさん吉田松陰誕生地 名所・史跡
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松陰先生誕生の地は敷地跡が残るのみである。
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萩駅に到着。この駅舎内には歴史資料の展示がある。井上勝の展示が中心となっている。日本の鉄道の父であるが、もともと長州ファイブの一人としても知られている。ロンドン大学UCLに伊藤博文や井上馨らと一緒に1864年に密航した。
帰国後、新橋横浜間の鉄道建設など、以後長年日本の鉄道の中心にいたが、ロンドンで客死した。 -
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長州ファイブの真ん中にいるのが井上勝。
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小岩井農場の設立にも関わっている。
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