2007/02/22 - 2007/02/23
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「旅の記録」(31)山陰山陽周遊の旅・萩武家屋敷散策
岡山県・鳥取県・島根県の次は山口県に入ります。
長州 山口県は明治維新以降 八人の総理大臣を輩出しています。
山口県での訪問先は次の通りです。
★明神池(海水魚が泳ぐ神秘の池)
★笠山椿群生林散策
★萩焼窯元
★萩・武家屋敷散策
萩に泊まって翌日
★錦帯橋(日本三奇橋のひとつ)も訪ねました。
注) このブログ記事中「萩・武家屋敷」と「明神池」に関する記述はフリー百科ウィキペディアなどから抜粋し一部加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
明神池(みょうじんいけ)は島根県の東部に位置し 笠山と本土の間の溶解岩と砂州により成り立つ海跡湖で、溶解岩の間から外海に通じており、外海の潮の満ち引きに応じて水位が変化します。
淡水と海水が入り交じる「汽水湖」として知られています。日本一の漁獲量を誇るヤマトシジミをはじめ、湖には淡水魚と海の魚がともに生息する不思議な湖です。
また笠山の東麓にある明神湖は笠山と本土との間に砂州ができて陸続きになった時、埋め残されて海跡湖となった海水魚が泳ぐ神秘の池です。池は溶岩塊の隙間を通して外海とつながっており、潮の干満に応じて池の水も増減。池の中には磯付魚が生息しています。 -
池でありながらボラなどの回遊魚が生息することから、1924年(大正13年)12月9日に国の天然記念物に指定されています。指定基準は「自然環境における特有の動物又は動物群聚」としての生息地に対するものです。
この日は鯛が泳いでいてまるで天然の生簀のようでした。 -
池全体が厳島神社の境内に位置し、豊漁祈願の奉納に由来するとされるボラ、イシダイ、マダイ、コノシロ、クサフグなど海水魚が生息しています。
まるで天然の生簀ですね。 -
周辺の土産物屋で観光客向けに魚のエサが売られており、餌付けにより大きく育ったこれらの魚の群れているさまを岸辺からも観察できます。
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噴出した溶岩によってできた小火山、笠山ではいたるところに火山特有の風穴が開いています。
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穴からは空気が流れ出ていて、その温度は真夏でも13度程度で天然のクーラーとも呼ばれいます。
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萩グランドホテル 天空 夕食
萩は漁港でもあり、新鮮な魚料理が主体です。 -
萩グランドホテル 天空 夕食
天麩羅の魚は さすが長州 河豚でした。 -
萩グランドホテル 天空にて
色んな提灯が風情を作っています。 -
萩温泉郷 萩グランドホテル 天空【泊】
外から入っても旬の料理の バイキングコースはお一人様3000円 -
萩グランドホテル 天空にて
お土産やさん「城下町」の 看板代わりですが・・・。
このお土産やさんで まさに長州ならではの物を見つけました。 -
山口県でランキングを語るならば、なんといっても総理大臣の輩出数。
総理大臣の輩出数までもがお土産のネタに。
初代内閣総理大臣伊藤博文をはじめ計8人が歴任し、8人合わせた在任期間はなんと36年。(2013年8月現在)
伊藤博文(1841〜1909)−光市出身ー
吉田松陰の松下村塾の門下生であり、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎らと
尊王攘夷・倒幕運動に参加。明治維新後は初代内閣総理大臣を務め、第5代・7代・10代と通算4度も総理大臣に就任し、大日本帝国憲法の草起・制定の中心的役割を果たしました。なお、初代総理大臣就任時は44歳という若さであり、2012年現在の歴代総理大臣の中で最も若くして就任した人物です。在職通算日数は2,720日でした。 -
山県有朋(1838〜1922)ー萩市出身ー
伊藤博文と同じく松下村塾門下生の一人で、日本陸軍の基礎を築いて軍国の父とも称されるようになりました。第3・9代の内閣総理大臣に就任しています。在職通算日数は1,210日でした。
桂太郎(1847〜1914)ー萩市出身ー
2012年現在の歴代総理大臣の中で、通算在職日数が最も長いのが桂太郎です。第11・13・15代を務めました。在職通算日数は2,886日でした。
寺内正毅(1852〜1919)−山口市出身ー
第3代韓国統監を務めた後に初代朝鮮総督に就任し、総督としての功績が認められ、第18代内閣総理大臣に就任。在籍通算日数は721日でした。
田中義一(1863〜1929)ー萩市出身ー
昭和2年に第26代内閣総理大臣に就任。翌年2月に普通選挙による初めての総選挙を実施しました。在職通算日数は805日でした。 -
岸信介(1896〜1987)ー田布施町出身ー
第57・58代の内閣総理大臣に就任し、日米安全保障条約の改定に取り組み、昭和35年に新条約を締結しました。在職通算日数は1,241日でした。
佐藤栄作(1901〜1975)ー田布施町出身ー
岸信介の弟で、第61・62・63代内閣総理大臣に就任することにより、
日本で唯一の兄弟首相の誕生となりました。在任中にアメリカに占領されていた沖縄返還の実現や、非核三原則の制定など多くの実績を残しました。
通算在職日数は桂太郎に譲るものの、連続在職日数は佐藤栄作が歴代1位です。通算在職日数は2,793日でした。
安倍晋三(1954〜)ー長門市ー
戦後最年少で戦後生まれとしては初めての内閣総理大臣(第90代)に就任したのが安倍晋三です。父は政治家の安倍晋太郎であり、祖父には岸信介、大叔父には佐藤栄作がいる政治家一族としても知られています。出生地は東京ですが、本籍・選挙区は長門市です。最初の在職日数は366日でした。
2012年12月、再就任し第96第内閣総理大臣となりました。今度は一年限りで投げ出さないで欲しいものです。 -
山口県萩市・萩焼の陶芸美術博物館
(公財)萩陶芸美術館「吉賀大眉記念館」は、萩焼の展示施設として萩で唯一の総合美術博物館です。 -
文化功労者/日本芸術院会員であった陶芸作家「吉賀大眉(よしかたいび)」の代表的作品や水彩画などおよそ100点を中心に、展示しています。
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大眉と親交のあった著名作家の作品や萩焼の古窯・古陶磁資料など、多岐に渡り展示しています。
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文化功労者/日本芸術院会員であった陶芸作家「吉賀大眉(よしかたいび)」の
代表的作品や水彩画などおよそ100点を中心に、大眉と親交のあった著名作家の作品や萩焼の古窯・古陶磁資料など、多岐に渡り展示しています。 -
古萩茶碗
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古陶磁展示室には 萩の古窯より出土の陶磁器片や、古萩の茶碗などを資料として展示しています。
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笠山の先端部分にあたる虎ヶ崎灯台周辺には10haの広さに約25,000本のやぶ椿が自生しています。
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笠山は、藩政時代には萩城の北東、鬼門の方角に当たるので、藩では笠山の樹木の伐採や鳥獣の捕獲を禁止していました。
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そのため全山原生林の様相を呈し、大木に覆われていましたが、明治になってその禁が解かれ、大木は切り倒されて用材となり、雑木類は薪炭用に伐採されるなど、昔日の面影はなくなりました。
写真は 「笠山椿群生林」 説明書き -
ここ虎ヶ崎の椿も周囲の雑木と共に何度も切り払われ、その都度、切られた木々の切り株から新しい芽が伸び、雑木の中に椿の赤い花が見られる状態が昭和40年代まで続きました
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昭和45(1970)年、萩の椿の調査のため来萩した著名な椿の研究家の渡邉武(わたなべたけし)薬学博士がこの地を訪れ、ここの雑木やつる草を切り除けば立派な椿林として観光地になることを当時の市長に助言されました。
それ以来、萩市は雑木の伐採、遊歩道、展望台、駐車場などを整備した結果、現在見られるような立派な椿群生林が出来上がりました。
平成14年8月1日に「笠山虎ケ崎ヤブツバキ群生林」という名称で、市の天然記念物に指定されました。 -
萩港は、山口県北東部に位置する地方港湾です。
本港の背後地である萩市は、毛利藩の城下町として明治維新発祥の地の歴史的な都市であり、年間多数の観光客が訪れる観光地として全国的に有名です。 -
萩港は古くから大陸貿易の窓口として栄え、昭和2年の開港指定以来、大型船が寄港し、大陸との物流の交流が盛んに行われてきました。戦後は、浜崎地区の港湾整備を進め、昭和51年に完成し、その度、萩港沖の離島との離島航路発着基地として使用が開始されました。
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戦後は、浜崎地区の港湾整備を進め、昭和51年に完成し、その度、萩港沖の離島との離島航路発着基地として使用が開始されました。
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また、海洋性レクリエーション活動を行うための拠点施設として、昭和62年度から潟港地区に小型船だまりや公園等の整備に着手し、平成6年から小型船たまりを供用し、平成17年度から4000t級客船が接岸可能な旅客線バースも供用しています。
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萩城は 関ヶ原の戦いで敗れて周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏が、広島城に代わる新たな居城として慶長9年(1604年)に築いた城です。
完工は慶長13年(1608年)でしたが、築城者である毛利輝元は、慶長9年12月に未完成のまま入城しました。 -
萩城 城下町
1604年に毛利輝元が萩城を築いて以来、260年間にわたって36万石の城下町として栄えた萩市は日本有数の史跡都市です。 -
重厚な武家屋敷、夏みかんがのぞく土塀やなまこ壁、鍵曲など、町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。
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田中義一(1863〜1929)生誕地
ー萩市出身ー
昭和2年に第26代内閣総理大臣に就任。翌年2月に普通選挙による初めての総選挙を実施しました。在職通算日数は805日でした。 -
武家屋敷の続く町の規模:面積 4.5ha 長さ 260m
所在地 〒758-0077 山口県萩市南古萩町付近
交通アクセス: JR東萩駅から徒歩で20分 -
高杉晋作【天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日)】らが幼年時学んだ学舎後
長門国萩城下菊屋横丁(現・山口県萩市)に長州藩士・高杉小忠太(大組・200石)・みちの長男として生まれる。
江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。 -
木戸考允生誕地
木戸 孝允 / 桂 小五郎(きど たかよし / かつら こごろう、天保4年6月26日(1833年8月11日) - 明治10年(1877年)5月26日)は、幕末から明治時代初期にかけての日本の武士、政治家。名の孝允は「こういん」と有職読みされることもある。 -
菊屋家住宅 藩の豪商であった菊屋家の屋敷。
幕府巡検使の宿として度々本陣にあてられました。 -
江戸初期の建築、日本最古の町屋に属し、主屋をはじめ5棟が国の重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されています。
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休業日 ●料金
大人500円 中・高校生300円 小人200円
(20名以上団体 大人300円 中・高校生200円 小人150円)
●時間
9:00〜17:30(入館は17:15まで)
●休館日
12/31日休館
所在地
〒758-0072 山口県萩市呉服町一丁目1
交通アクセス
(1) JR山陰本線東萩駅から徒歩で20分 -
菊屋家住宅 解説
5棟残っているところが さすが毛利氏の お膝元というか、長州の底力を感じます。 -
この日のランチタイムは岩国にて
岩国寿司でのお昼です。
見るのも 食べるのも初めてのお寿司です。 -
ここでは ランチタイムに岩国寿司は常識?
五目寿司を押し固めたものです。 -
岩国錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋です。
5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、継手や仕口といった組木の技術によって造られています。しかし、美しいアーチ形状は、木だけでなく、鉄(鋼)の有効活用がなされて初めて実現したものです。 -
日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されています。藩政史料には大橋と表記されることが多く、「錦帯」という美名は完成後に定着した説が有力とされています。
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杭州の西湖にある堤に架かる連なった橋からヒントを得て1673年に創建されました。西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっています。現在そのほとりには錦帯橋友好の石碑が建立されています。
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初代岩国領主吉川広家が岩国城を築城して以来、岩国城と城下町をつなぐ橋は、数回架けられていましたが、錦川の洪水により、たびたび流失していました。
3代領主吉川広嘉は、洪水に耐えられる橋を造ることに着手しました。橋脚を無くすことで流失を避けられるとのアイディアのもと、大工の児玉九郎右衛門を甲州に派遣し、橋脚がない跳ね橋(刎橋)である猿橋の調査を命じました。 -
しかし、川幅30メートルの所に架けられている猿橋に対し、錦川の川幅は200メートルもあるため、同様の刎橋(はねばし)とするのは困難でした。
広嘉は、明の帰化僧である独立性易(どくりゅうしょうえき)から、杭州の西湖には、島づたいに架けられた6連のアーチ橋があることを知ります。これをもとに、連続したアーチ橋という基本構想に至ったのです。アーチ間の橋台を石垣で強固にすることで、洪水に耐えられるというのです。 -
児玉九郎右衛門の設計により、1673年(延宝元年)に5連のアーチ橋の錦帯橋が完成しました。
しかし、翌年の1674年(延宝2年)、洪水によって流失してしまったのです。同年、橋台の敷石を強化して再建したところ、この改良が功を奏し、その後は昭和期まで250年以上流失することなく定期的に架け替え工事が行われ、その姿を保つようになりました。 -
なお、橋は藩が管理し、藩内では掛け替え・補修の費用のために武士・農民など身分階級を問わず「橋出米」という税が徴収されていました。ただし当時、橋を渡れるのは武士や一部の商人だけで、一般の人が渡れるようになるのは明治に入ってからでした。
明治以降も 色々あるのですが とりあえず ここまでにします。 -
萩や津和野は 観光というよりも 歴史の勉強みたいな土地柄でしたね。
関ヶ原の戦いで敗れて周防国・長門国の2ヶ国に減封された毛利氏の家臣団が 260年後 薩長同盟により倒幕、明治維新以降八人の総理大臣を輩出して日本政界をリードし続けているということでしょうか。
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