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日本百名城の一つ、丸岡城の紹介です。丸岡城を全国に知らしめたのは、『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』の手紙です。徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた、無駄のない手紙です。その伝統が現代まで引き継がれていました。『お仙』は、後に丸岡城主になりました。

2016春、福井県の名城(5/15):丸岡城(5):一筆啓上賞作品、二の丸跡、歴史民族資料館

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2016/05/18 - 2016/05/18

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旅行記グループ 2016春、福井の名城巡り

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旅人のくまさん

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日本百名城の一つ、丸岡城の紹介です。丸岡城を全国に知らしめたのは、『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』の手紙です。徳川家康の家臣・本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた、無駄のない手紙です。その伝統が現代まで引き継がれていました。『お仙』は、後に丸岡城主になりました。

交通手段
観光バス
  • 紹介が遅れましたが、現在の『丸岡城周辺図』です。左斜め上が北方向になります。天保7年(1836年)の絵図面によれば、かつての丸岡城は、天守閣の東に『東の丸』、西北に『西の丸』、北に『二の丸』を設け、周囲に五角形の内濠を巡らし、河川を利用して外濠とした広大な縄張りだったようです。

    紹介が遅れましたが、現在の『丸岡城周辺図』です。左斜め上が北方向になります。天保7年(1836年)の絵図面によれば、かつての丸岡城は、天守閣の東に『東の丸』、西北に『西の丸』、北に『二の丸』を設け、周囲に五角形の内濠を巡らし、河川を利用して外濠とした広大な縄張りだったようです。

  • 昭和29年(1954年)11月に建立された、『友影賢世翁』のブロンズ像です。昭和23年の福井地震により倒壊した丸岡城の再建に尽力した当時町長だった友影賢世を称えて建てられた碑です。79歳と高齢でありながらも丸岡城再建のために全国を回った人です。

    昭和29年(1954年)11月に建立された、『友影賢世翁』のブロンズ像です。昭和23年の福井地震により倒壊した丸岡城の再建に尽力した当時町長だった友影賢世を称えて建てられた碑です。79歳と高齢でありながらも丸岡城再建のために全国を回った人です。

  • 『友影賢世翁』のブロンズ像のズームアップ光景です。翁は『お静』になぞらえて、『自らが人柱となりて永年に丸岡城を見守らん』という言葉を残しました。当時の吉田内閣の文部大臣だった高橋誠一郎が翁を称え、『郷を篤く吟じ、厲俗するに足る』との詩を贈りました。

    『友影賢世翁』のブロンズ像のズームアップ光景です。翁は『お静』になぞらえて、『自らが人柱となりて永年に丸岡城を見守らん』という言葉を残しました。当時の吉田内閣の文部大臣だった高橋誠一郎が翁を称え、『郷を篤く吟じ、厲俗するに足る』との詩を贈りました。

  • 昭和30年(1955年)3月に建立された、『友影賢世翁碑文』のズームアップ光景です。福井地震で倒壊してしまった丸岡城再建のために北海道や関東まで足を運んだことや、重要文化財に指定されたことなどが記されています。友影賢世の功績を後世に伝えるために『銅像設立委員会』が建設しました。

    昭和30年(1955年)3月に建立された、『友影賢世翁碑文』のズームアップ光景です。福井地震で倒壊してしまった丸岡城再建のために北海道や関東まで足を運んだことや、重要文化財に指定されたことなどが記されています。友影賢世の功績を後世に伝えるために『銅像設立委員会』が建設しました。

  • 『消防組頭功勞碑註釈碑』の光景です。『丸岡町舊播之地』の書出しで始まり、初代伊東弥太郎、2代杉本喜七、3代西村琳平な、ど明治9年までの歴代消防団組頭の名前が刻まれています。大正4年(1915年)11月に建立されたものです。

    『消防組頭功勞碑註釈碑』の光景です。『丸岡町舊播之地』の書出しで始まり、初代伊東弥太郎、2代杉本喜七、3代西村琳平な、ど明治9年までの歴代消防団組頭の名前が刻まれています。大正4年(1915年)11月に建立されたものです。

  • 『消防組織・功労碑』の文字が刻まれた石碑の光景です。大正4年(1915年)11月に建立されたもので、消防団の功績や努力を称えた石碑です。全国各地で目にします。

    『消防組織・功労碑』の文字が刻まれた石碑の光景です。大正4年(1915年)11月に建立されたもので、消防団の功績や努力を称えた石碑です。全国各地で目にします。

  • 『消防組織・功労石碑』などがあった付近の光景です。周回道路を含めて、かつての本丸のエリアになります。

    『消防組織・功労石碑』などがあった付近の光景です。周回道路を含めて、かつての本丸のエリアになります。

  • 白いキク科の植物です。栽培されていた草花が野生化したように見えました。ノース・ポールか、マーガレット当たりのようです。背丈が大きい方がマーガレットで、それよりやや低く、密集して花を咲かせるのがノースポールですが、中々見分けが付きにくいこともあります。

    白いキク科の植物です。栽培されていた草花が野生化したように見えました。ノース・ポールか、マーガレット当たりのようです。背丈が大きい方がマーガレットで、それよりやや低く、密集して花を咲かせるのがノースポールですが、中々見分けが付きにくいこともあります。

  • 『第22回一筆啓上賞』の受賞作品の紹介です。徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙の『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』に因むイベントです。2014年(平成26年)の第22回は『花』がテーマでした。5点の住友賞の作品が掲示してありました。丸岡は、住友財閥の発祥の地のようです。

    『第22回一筆啓上賞』の受賞作品の紹介です。徳川家康の家臣本多作左衛門重次が陣中から妻に宛てた手紙の『一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ』に因むイベントです。2014年(平成26年)の第22回は『花』がテーマでした。5点の住友賞の作品が掲示してありました。丸岡は、住友財閥の発祥の地のようです。

  • こちらも5点並んだ、『住友賞』の作品です。1点だけ紹介します。『心優しい長男』への手紙です。<br /><br />『雑草図鑑、ありがとう。それでも、お願い、庭の草とり』<br /><br />まだお母さんの方が、2枚も3枚も上手(うわて)のようです。

    こちらも5点並んだ、『住友賞』の作品です。1点だけ紹介します。『心優しい長男』への手紙です。

    『雑草図鑑、ありがとう。それでも、お願い、庭の草とり』

    まだお母さんの方が、2枚も3枚も上手(うわて)のようです。

  • 二の丸址へ下りる石段の光景です。下りる途中で、振り返って撮影した光景です。本丸址と、二の丸址には、相当の段差がありました。高低差から言って、自然の山を利用した築城に見えました。

    二の丸址へ下りる石段の光景です。下りる途中で、振り返って撮影した光景です。本丸址と、二の丸址には、相当の段差がありました。高低差から言って、自然の山を利用した築城に見えました。

  • 同じ場所から眺めた、二の丸跡の光景です。かつての縄張り図を見ますと、本丸と二の丸が、一括して内堀に囲まれていたようです。

    同じ場所から眺めた、二の丸跡の光景です。かつての縄張り図を見ますと、本丸と二の丸が、一括して内堀に囲まれていたようです。

  • 5点の作品を掲示したプレートの光景が続きます。ここもまだ住友賞の続きです。小学校5年の男子生徒の作品の紹介です。宛先は『先生』です。<br /><br />『いつも花まるをありがとうございます。でも100点の方がうれしい年ごろになりました。』<br /><br />小学生らしい、素直な手紙です。

    5点の作品を掲示したプレートの光景が続きます。ここもまだ住友賞の続きです。小学校5年の男子生徒の作品の紹介です。宛先は『先生』です。

    『いつも花まるをありがとうございます。でも100点の方がうれしい年ごろになりました。』

    小学生らしい、素直な手紙です。

  • 日本郵便・北陸支社長賞の『秀作』5点が掲示されたプレートです。44歳の主婦の方の作品を紹介します。『お母さんへ』の手紙です。<br /><br />『棺に菊は死んだ人みたいだから コスモスにしてって 最後まで明るい人だったね。』<br /><br />思わずほろりとする、ユーモアを持ったお母さんです。

    日本郵便・北陸支社長賞の『秀作』5点が掲示されたプレートです。44歳の主婦の方の作品を紹介します。『お母さんへ』の手紙です。

    『棺に菊は死んだ人みたいだから コスモスにしてって 最後まで明るい人だったね。』

    思わずほろりとする、ユーモアを持ったお母さんです。

  • 続いて『秀作』5点が掲示されたプレートです。カナダ在住の8歳の男子生徒さんの作品です。宛先は『おじいちゃん』です。<br /><br />『ばあちゃんのお墓のために 自分で花を育てているところ かっこいいね』<br /><br />おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられたお子さんのようです。

    続いて『秀作』5点が掲示されたプレートです。カナダ在住の8歳の男子生徒さんの作品です。宛先は『おじいちゃん』です。

    『ばあちゃんのお墓のために 自分で花を育てているところ かっこいいね』

    おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がられたお子さんのようです。

  • 日本郵政社長賞の5点が掲示されたプレートです。1点だけ祖愉快して、後の4点は、ズームアップして紹介します。62歳の主婦の方の『卒寿間近の母へ』の手紙です。卒寿は、『卆』が九十と読めることに由来する90歳を指します。<br /><br />『戦地に赴く父へと送った手紙に 金木犀の花粒を忍ばせたとか。お見それしました。』 <br /><br />無事に戦地から戻られたことで誕生された娘さんのようです。

    日本郵政社長賞の5点が掲示されたプレートです。1点だけ祖愉快して、後の4点は、ズームアップして紹介します。62歳の主婦の方の『卒寿間近の母へ』の手紙です。卒寿は、『卆』が九十と読めることに由来する90歳を指します。

    『戦地に赴く父へと送った手紙に 金木犀の花粒を忍ばせたとか。お見それしました。』 

    無事に戦地から戻られたことで誕生された娘さんのようです。

  • 秀作の紹介です。『「母さん」へ』の題の手紙です。<br /><br />『たまにはさ、花に水やりしている顔で、父さんにお茶だしてあげなよね。』<br /><br />大分県の39歳の女性の方の作品ですから、「母さん」は60代半ばから後半くらいでしょうか、よほど花が好きな方のようです。<br />

    秀作の紹介です。『「母さん」へ』の題の手紙です。

    『たまにはさ、花に水やりしている顔で、父さんにお茶だしてあげなよね。』

    大分県の39歳の女性の方の作品ですから、「母さん」は60代半ばから後半くらいでしょうか、よほど花が好きな方のようです。

  • 『大賞』の紹介です。『「二歳になる娘」へ』の題の手紙です。<br /><br />『来年は、タンポポの綿毛を一人で飛ばせるといいね。ママは酸欠で、もう倒れそうです。』<br /><br />娘のために、一生懸命タンポポの綿毛を飛ばし、喜ばれて、またせがまれて綿毛を吹くお母さんの顔が思い浮かぶ手紙です。ユーモアが効いています。

    『大賞』の紹介です。『「二歳になる娘」へ』の題の手紙です。

    『来年は、タンポポの綿毛を一人で飛ばせるといいね。ママは酸欠で、もう倒れそうです。』

    娘のために、一生懸命タンポポの綿毛を飛ばし、喜ばれて、またせがまれて綿毛を吹くお母さんの顔が思い浮かぶ手紙です。ユーモアが効いています。

  • 『大賞』の紹介です。『「妻」へ』の題の手紙です。<br /><br />『黙って咲いてくれ この花のように!』<br /><br />日常やり込められているお父さんの顔が浮かびます。

    『大賞』の紹介です。『「妻」へ』の題の手紙です。

    『黙って咲いてくれ この花のように!』

    日常やり込められているお父さんの顔が浮かびます。

  • 『大賞』の紹介です。『「天国の妻」へ』の題の手紙です。<br /><br />『おーい、お花を新しくしたぞ、活け方に文句あるなら出てこいや』<br /><br />『活け方』の指導に、本当にやっ来てくれそうな天国への手紙です。

    『大賞』の紹介です。『「天国の妻」へ』の題の手紙です。

    『おーい、お花を新しくしたぞ、活け方に文句あるなら出てこいや』

    『活け方』の指導に、本当にやっ来てくれそうな天国への手紙です。

  • 『大賞』の紹介です。『「お母さん」へ』の題の手紙です。<br /><br />『病院で一人ねるのはさみしいですね、部屋に花があったね。だれか、きてくれたんだね。』<br /><br />10歳の男のお子さんか、お母さんのどちらが入院しているのか、少しわからない感じもしましたが、入院はお母さんのようです。お母さん似の優しい心を持ったお子さんの手紙です。

    『大賞』の紹介です。『「お母さん」へ』の題の手紙です。

    『病院で一人ねるのはさみしいですね、部屋に花があったね。だれか、きてくれたんだね。』

    10歳の男のお子さんか、お母さんのどちらが入院しているのか、少しわからない感じもしましたが、入院はお母さんのようです。お母さん似の優しい心を持ったお子さんの手紙です。

  • 『日本一短い手紙・第22回一筆啓上賞』の説明パネルです。『花』をテーマに、3万3千余通の応募の中から選ばれた作品であることが紹介されていました。

    『日本一短い手紙・第22回一筆啓上賞』の説明パネルです。『花』をテーマに、3万3千余通の応募の中から選ばれた作品であることが紹介されていました。

  • ここからは、二の丸址に建てられた、『歴史民族資料館』の展示品の祖愉快です。天守見学と共通入場券になっていました。撮影も制限されていませんでした。『本多家立葵紋所付駕篭』のオリジナル品の展示品です。

    イチオシ

    ここからは、二の丸址に建てられた、『歴史民族資料館』の展示品の祖愉快です。天守見学と共通入場券になっていました。撮影も制限されていませんでした。『本多家立葵紋所付駕篭』のオリジナル品の展示品です。

  • 『本多家立葵紋所付駕篭』の説明パネルです。丸岡町山久保にある、本多家の祈願所である『受法寺』に伝わる駕篭と説明されていました。立葵の紋所の使用が許されたお寺ですから、お寺所有の駕篭かもしれません。

    『本多家立葵紋所付駕篭』の説明パネルです。丸岡町山久保にある、本多家の祈願所である『受法寺』に伝わる駕篭と説明されていました。立葵の紋所の使用が許されたお寺ですから、お寺所有の駕篭かもしれません。

  • 入口近くに展示してあった屏風の光景です。複数のタンチョウ鶴が描かれていました。その前には、碁盤と将棋盤の展示がありました。

    入口近くに展示してあった屏風の光景です。複数のタンチョウ鶴が描かれていました。その前には、碁盤と将棋盤の展示がありました。

  • 『火縄銃』の展示です。筒(銃身)の部分に有馬家の家紋が付いていると解説してありました。(銃身)は、円筒ではなく、六角形の外観をしているようでした。

    イチオシ

    『火縄銃』の展示です。筒(銃身)の部分に有馬家の家紋が付いていると解説してありました。(銃身)は、円筒ではなく、六角形の外観をしているようでした。

  • 『馬の鎧』の展示です。装着状態の絵が横に置かれていました。金具は鐙(あぶみ)のようです。中央部分は、鞍のようにも見えましたが、異なるイメージもありました。

    イチオシ

    『馬の鎧』の展示です。装着状態の絵が横に置かれていました。金具は鐙(あぶみ)のようです。中央部分は、鞍のようにも見えましたが、異なるイメージもありました。

  • 『正善寺』から寄託された脇差の展示です。銘は、『丹後守藤原重常』です。江戸中期の寛文頃に加賀国で活躍した刀工が鍛えた脇差です。

    『正善寺』から寄託された脇差の展示です。銘は、『丹後守藤原重常』です。江戸中期の寛文頃に加賀国で活躍した刀工が鍛えた脇差です。

  • 『有馬家家紋付・槍印』です。有馬家の歴代丸岡藩主は、初代の『有馬清純(在位:1695~1702年)に始まり、八代の有馬道純公の時に明治維新を迎えました。個人からの寄託の展示品です。

    『有馬家家紋付・槍印』です。有馬家の歴代丸岡藩主は、初代の『有馬清純(在位:1695~1702年)に始まり、八代の有馬道純公の時に明治維新を迎えました。個人からの寄託の展示品です。

  • 兜類の展示品です。兜が五つと、その付属品三つが展示してありました。すべて実線で使われたような迫力がありましたから、レプリカではなく、本物ばかりのようでした。

    兜類の展示品です。兜が五つと、その付属品三つが展示してありました。すべて実線で使われたような迫力がありましたから、レプリカではなく、本物ばかりのようでした。

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2016春、福井の名城巡り

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