2016/05/18 - 2016/05/18
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天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた柴田勝家が、妻のお市の方と共に自害し、火が放たれとされる北ノ庄城の紹介です。福井城の呼び名もあります。
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柴田勝家は、『張州府誌』によれば大永2年(1522年)尾張国愛知郡上社村(現:名古屋市名東区)で生まれました。若い頃から織田信長の父の信秀に家臣として仕え、尾張国愛知郡下社村を領したとされます。信秀の死後、子の織田信行(信勝)に家老として仕へ、その後に信長の重鎮となりました。宣教師のフロイスによれば、『信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人』の評価でした。
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柴田公園として整備されている、『柴田・北ノ庄城址』の平面図のズームアップ光景です。この時代の城郭に対し、江戸時代の結城秀康による改築された城は、『結城・北ノ庄城址』とも呼ばれています。結城秀康は、徳川家康の次男です。
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『北ノ庄城(想像図)』のタイトルがあったイラストと説明文です。『柴田・北ノ庄城』時代の城郭は、朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績により、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始しました。その天守は、7層とも9層とも伝わります。織田信長の安土城に匹敵する規模だったようです。
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『柴田・北ノ庄城』時代の城主は柴田勝家ですが、歴史に大きく残ったのが、その妻になった織田信長の妹のお市の方と、三人の娘です。お市の方は、はじめ浅井長政に嫁ぎましたが、信長と長政の確執により、浅井家は滅び、娘を連れて、柴田勝家に嫁ぎました。その柴田勝家と運命を共にしたのが、『柴田・北ノ庄城』です。自ら火を放って歴史の表舞台から消え去りました。
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『歴史のみちマップ』です。主な目井植油石が、21箇所プロットしてありました。著名な人物の紹介は6名、由利公正、松平春嶽、柴田勝家、結城秀康、橋本佐内と橘曙覧でした。松平春嶽は16代福井藩主で、幕末四賢侯の一人です。由利公正は春嶽に抜擢された藩士で、明治時代の政治家、実業家です。子爵に遇されました。
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イチオシ
実際に使われたらしい、鍛造で造られたような武骨なチェーンの展示品です。この後紹介する説明パネルには、『刀さらえ』で集められた武器が材料になったと説明されていました。
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『船橋の鎖』のタイトルがあった説明パネルです。北陸道が九頭竜川と交わる箇所に、柴田勝家公が天正8年(1578年)に渡した船橋に使われた鎖と紹介されていました。江戸時代後期の資料によれば、川幅は105間(約190メートル)、橋長は120間(約216メートル)と記述されているようです。
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『九十九橋(つくもばし)の橋脚』として使われていた、笏谷石の破片の展示のようです。笏谷石は、福井市の足羽山で採掘される凝灰岩の石材です。約1700万年前の火山活動によって噴出した、火砕流に含まれていた火山岩や灰などが堆積し、凝縮した石とされます。屋根瓦の代わりとしても使われました。
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『九十九橋(つくもばし)の橋脚』のタイトルがあった説明パネルです。北陸道都足羽川と交差する場所に架かっていた半石半木の橋の解説です。勝家公時代に、初めて半石半木の橋が架けられたようです。石橋の部分は笏谷石で造られ、その長さは、2.5~2.8メートルと推定されています。福井城下側の北側は、壊しやすい木製で造られていました。
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江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎筆の『諸国名橋奇覧・越前福井の橋』の絵と、その解説文です。橋の手前側が石製、先が木製に描かれていました。
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構造模型として再建された、半石半木の橋の光景です。手前側が石橋、床板が白っぽく見える奥の方が木橋です。
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横から眺めた、再建された半石半木の橋の中間部分の光景です。右半分が石橋、左半分が木橋でした。石の支柱の上に、石製と木製の手摺り材が突き合わせになっていました。
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『船橋図』の絵とその解説文の紹介です。原図は、江戸時代(1803~1809年)に10冊が刊行された、『二十四輩順拝図絵(了貞著、竹原春泉斎画)』と紹介されていました。親鸞聖人が布教した跡を辿った、24人の弟子による案内書のようです。
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『船橋図』の絵のズームアップ光景です。右側が川上、繋がれて大きく弧を描いた船は50艘を超える数のようです。
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『船橋図』の説明文のズームアップ光景です。元図を基にした彩色された模写絵であることが説明されていました。
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『柴田氏北ノ庄城址』の発掘調査箇所の光景です。かつての地盤は、堆積物の影響でしょうか、現在の地盤より1メートル程低いレベルでした。越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家公が、天正3年(1575年)、自らの縄張りによって築城を開始したお城です。
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同じく、『柴田氏北ノ庄城址』の発掘調査箇所の光景です。柴田氏北ノ庄城は、宣教師のルイス・フロイスが天正9年(1581年)に北ノ庄を訪問したときの記録があります。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻のお市の方と共に自害し、城にも火が放たれました。
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銅葺屋根を持った風流な灯篭の光景です。灯篭の下部は下見板張りでした。火袋の部分に記された紋は、柴田勝家の家紋、『丸に二つ雁金(かりがね)』です。始祖の柴田修理大夫義勝は越後国柴田(現在の新潟県新発田市)の人で、同地の地名をもって家号としたと伝わります。
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ポルトガルの宣教師、ルイス・フロイスが『フロイス日本史』や『書簡』などに残した、織田信長時代の柴田勝家の人物評の紹介です。
①信長の重立ちたる将軍二人中の一人。
②はなはだ勇猛な武将であり、一生を軍事に費やした人。
③信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将であり果敢な人。 -
ルイス・フロイスが書き残した、勝家の宗教とキリスト教への対応です。
①彼は禅宗であるが、他の宗旨を憎まず。
②フロイスたちの越前でのキリスト教の布教については、いっさい妨害はしないが手助けもしない。教えが広まるかどうかは宣教師たちの『テガラシダイ(手柄次第)』だと述べたとされます。 -
イチオシ
ルイス・フロイスが、『信長の時代の日本でもっとも勇猛な武将』と評した柴田勝家公の像のズームアップ光景です。
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柴田勝家時代の北ノ庄城の遺構の光景のようです。現在の地盤よりは、1メートル以上低い地盤が部分的に展示されていました。石積の跡のようです。
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『土居』のタイトルがあった説明御パネルの光景です。『土居』は『?』の漢字も使われる、『水害対策の堤や土手のことで、防衛目的で造られた土塁も含まれます。『日向門』の枡形を形成する、高さ3メートルほどの土塁址と紹介されていました。
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説明パネルに解説されていた『土居』の遺跡光景になるようです。百間堀に面した箇所には、笏谷石で石垣が積まれていたとも紹介されていました。
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柴田勝家公の子孫とされる、著名な日本画家で東京芸大の学長を二度にわたって務められた平山郁夫氏(1930~2009年)の揮毫による、『越前北ノ庄城址』の石碑光景です。
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『越前北ノ庄城址』の石碑が竣工した時のセレモニー光景です。平山郁夫氏は、勝家公最後の地に愛着を持たれ、度々この地を訪ねられていたと紹介されていました。
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イチオシ
左下に『柴田神社』の題名と、平山郁夫さんのサインが入った風景画です。この地に足を運んでスケッチされたようです。
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展示室内に掲示してあった、『柴田家略系図』です。柴田勝家の子の一人が、平山家の家祖の『平山孫左衛門』に繋がることが記されていました。
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柴田神社の石の鳥居の光景です。注連縄が張られ、『柴田神社』の文字が刻まれた石製の扁額が懸かっていました。
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石の鳥居の先に見えていた、朱塗りの木造の鳥居の光景です。拝殿の正面に立っていました。その鳥居の右側の石標の文字は、『北ノ庄鎮守・稲荷大明神』でした。
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