2016/05/18 - 2016/05/18
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旅人のくまさんさん
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越前大野城の紹介の締め括りです。祖母方の先祖は肥後国菊池郡の城氏、その中興の祖とされる城越前守親冬(ちかふゆ)のことは、よく話を聞かされました。
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イチオシ
帰り道に、振り返って眺めた天守光景です。手前が小天守、その奥にあるのが大天守です。往きとは別の道を下りました。
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同じく、振り返って眺めた天守光景です。木製の手摺りは、堀跡に架かる橋のようでした。大野盆地にある標高約249メートルの亀山に築かれた平山城ですが、亀山の比高は90メートルほどのようです。
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黒塗りの城門の光景です。柳廼社の近くにあった城門と同じように、城門の名前は特定されていないようでした。案内標識や、表札もありませんでした。ネット情報を参考にして、『本丸城門』と呼ぶことにしておきます。
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本丸城門のズームアップ光景です。黒塗の城門を強調するように、垂木の端面が真っ白に着色されていました。寺院建築などでもよく目にする光景です。その黒門に新緑がよく似合っていました。
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黒塗りの城門の回りの石垣光景です。城門は再建されたことが一目瞭然ですが、周りの石垣は、十分な年代を感じさせました。コーナーは算木積でしたが、全体は野面積に見えました。
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イチオシ
外側から眺めた、黒塗りの城門の光景です。石垣の規模からいえば、2階建てほどの二層の楼門が築かれていたかもしれません。
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この後は、新緑の中の帰り道の紹介です。途中までは、往きとは少し違う道を下りました。
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長い石段の光景です。観光のために、後年整備された石段のようでした。しっかりとした、ステンレス製の手摺りが石段の中央に設けられていました。
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タイトルは付いていませんでしたが、亀山公園と、その周りの観光案内図です。亀山公園の東に隣接する『学びの里(めいりん)』や、百間堀、武家屋敷(旧内山家)も表示されていました。
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先程下った長い石の戒壇の光景です。新緑の木の中に、赤い葉をしたノムラモミジ(野村紅葉)の光景がありました。
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この辺りから、往きに登った『南登り口』に合流したようです。振り返って眺めた、山側が石垣、谷側が崖になった登り道の光景です。
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下り道の右側にあった石段です。この石段は、往きにも帰りにも登りませんでした。登れば、見晴らしが利いたかもしれません。
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綺麗に整備された石段の光景です。程よい勾配と段差で、帰り道は随分と楽でした。石段の右横には、遺構らしい石垣がありました。
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広い台地の部分の光景です。標識はありませんが、かつての大野城の縄張りには、曲輪と記されていた場所かもしれません。『越前大野城の縄張り図』などで検索してみましたが、本丸以外の縄張りの詳細については分かりませんでした。
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長い階段としては、最後だったようです。この階段を降り、少し歩けば柳廼社がある場所に出るようでした。
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側面から眺めた、柳廼社の拝殿光景です。越前大野城内の展示室で紹介した展示品は、この柳廼社で収蔵されている土井家由来の品々でした。
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イチオシ
飛びかかる時の姿勢を模したものでしょうか、頭を低くした姿勢の狛犬の光景です。阿形の雄獅子です。
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柳廼社を守るもう一方の獅子の紹介です。こちらも頭を低くした、独特のポーズです。吽形の雌獅子です。
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正面から眺めた、柳廼社の拝殿光景です。お参りする人の姿はありませんでした。
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『寛斎先生(内山隆佐)之碑』の光景です。『内山隆佐(りゅうすけ):1813~1864年』は、内山七郎右衛門の弟で、越前大野藩士です。朝川善庵、佐久間象山に学び、兄とともに藩政改革に務めました。安政3年藩の蝦夷地総督となりました。藩船大野丸を建造、箱館の藩営の商社大野屋を拠点に活動しました。
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『中村矩倫翁之碑』の光景です。幕末の大野藩の家老で、藩政改革の中心となって活躍し、財政再建や士風刷新に尽力したという中村矩倫翁の碑です。
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新緑の時期ですが、真っ赤な新芽の樹木の光景です。ノムラモミジ(野村紅葉)のようです。カエデ科カエデ属の落葉高木です。
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同じく、緑の新緑と若葉を競っていた、ノムラモミジの光景です。ノムラカエデ(野村楓)の呼び名もあります。イロハモミジの園芸品種とされます。
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キク科の野草の光景です。ハルジオン(春紫菀)と、ヒメジョオン(姫女菀)とは、見分けが付き難いキク科の野草ですが、蕾が下や横を向いていませんから、ヒメジョオン(姫女菀)のようです。ただし、蕾が下や横を向いているだけでの判別では不十分との指摘もあります。
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往きにも紹介した、濃いピンク色の花を咲かせたシャクヤク(芍薬)です。ボタン科ボタン属の多年草です。よく似たボタンが樹木であるのに対して、シャクヤクは草本です。
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『大野藩洋学館』の所縁の場所にあった、松の古木の光景です。新しい石碑などがありましたが、その中では群を抜いた歴史の証人のようです。百間堀と、平成大野屋の中間の場所です。
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『大野藩洋学館跡の碑』の文字が刻まれた大きな石碑の光景です。大野藩主の土井利忠公が、安政3年(1865年)、この地に洋学所を開設し、教授に緒方洪庵の高弟子の伊藤慎蔵氏を、礼を尽くして招いたことから説明が始まっていました。
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『伊藤愼蔵先生顕彰碑』のタイトルがあった、写真が元らしい、肖像画が添えられた石碑の光景です。伊藤愼蔵先生とは先ほど紹介した、大野藩主の土井利忠公が礼を尽くして招いた、緒方洪庵の高弟子です。碑文の略歴を拾い読みしますと、文政8年(1825年)萩の井氏の子として生まれ、洪庵の適塾の塾頭を務めた後、大野に招かれていました。明治13年(1880年)、東京で亡くなられました。この碑の建立には、緒方洪庵と伊藤愼蔵に所縁の方が建立されたようです。
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『幕末の大野藩に遊学した人々』のタイトルの一覧表です。安政2年(1855年)12月以後、大野藩の洋学館や明論館等に滞在して、蘭学や砲術を研究した諸藩の人々との補足がありました。
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これで、福井県の名城巡りの紹介はおしまいです。日本百名城の高岡城をはじめ、合計三箇所の名城を日帰りで巡りました。
(追記)今回見学した福井城(北庄城)と越前大野城は、2017年4月に続日本百名城に選ばれました。
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