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柴田氏北ノ庄城は、足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されて居ます。天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられています。

2016春、福井県の名城(9/15):福井城(3):資料館、お市の方肖像、柴田勝家公肖像

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2016/05/18 - 2016/05/18

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旅行記グループ 2016春、福井の名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

柴田氏北ノ庄城は、足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されて居ます。天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられています。

交通手段
観光バス
  • 北の庄城址資料館の内部光景です。写真撮影が許可されていました。北の庄城址・柴田公園の施設の一部になっているようでした。その公園は、平成19年に『日本の歴史公園100選』に選ばれています。

    北の庄城址資料館の内部光景です。写真撮影が許可されていました。北の庄城址・柴田公園の施設の一部になっているようでした。その公園は、平成19年に『日本の歴史公園100選』に選ばれています。

  • お市の方の肖像画です。尾張で生まれ、兄の織田信長とは13歳の年下です。お市の方が嫁いだ浅井長政は、16歳で父・浅井久政から家督を継ぎ、23歳での結婚でした。兄の信長により浅井家は滅ぼされましたが、同盟の条件である『朝倉への不戦の誓い』を信長が破ったことが、争いの主因だったようです。

    お市の方の肖像画です。尾張で生まれ、兄の織田信長とは13歳の年下です。お市の方が嫁いだ浅井長政は、16歳で父・浅井久政から家督を継ぎ、23歳での結婚でした。兄の信長により浅井家は滅ぼされましたが、同盟の条件である『朝倉への不戦の誓い』を信長が破ったことが、争いの主因だったようです。

  • お市の方の肖像画のズームアップ光景です。お市の方は、小谷城と北庄城の2回の落城を経験しましたが、三姉妹の中では、次女の初は、なんと小谷城、北ノ庄城、大津城と大坂城の4回を経験しています。

    イチオシ

    お市の方の肖像画のズームアップ光景です。お市の方は、小谷城と北庄城の2回の落城を経験しましたが、三姉妹の中では、次女の初は、なんと小谷城、北ノ庄城、大津城と大坂城の4回を経験しています。

  • 柴田勝家公の肖像画です。平成5年に公表されたらしい、柴田勝家の最期の姿を描いたと伝えられる肖像画です。その後、画像の胸部分など剥離の部分を補う粉本の存在がわかり、これをもとに滋賀県立安土城考古博物館で、画像を忠実に復元した模写図が作成されました。

    イチオシ

    柴田勝家公の肖像画です。平成5年に公表されたらしい、柴田勝家の最期の姿を描いたと伝えられる肖像画です。その後、画像の胸部分など剥離の部分を補う粉本の存在がわかり、これをもとに滋賀県立安土城考古博物館で、画像を忠実に復元した模写図が作成されました。

  • 『勝家とお市・三姉妹』のタイトルの説明パネルです。五人のそれぞれの略歴と、姻戚関係図が右下に記されていました。例えば、加賀前田家三代・利常は徳川秀忠の娘珠姫を正室に迎え、以後の当主も御三家・御家門との姻戚関係を繰り返し、加賀藩主は徳川将軍家から特に『松平』の苗字と葵紋を許され、御家門に準じる家格で、『松平加賀宰相』と呼ばれました。

    『勝家とお市・三姉妹』のタイトルの説明パネルです。五人のそれぞれの略歴と、姻戚関係図が右下に記されていました。例えば、加賀前田家三代・利常は徳川秀忠の娘珠姫を正室に迎え、以後の当主も御三家・御家門との姻戚関係を繰り返し、加賀藩主は徳川将軍家から特に『松平』の苗字と葵紋を許され、御家門に準じる家格で、『松平加賀宰相』と呼ばれました。

  • 『福井城址』のタイトルがあった、発掘された『門』の周辺の説明パネルの光景です。福井城絵図を参照すると、この場所には、船蔵門、日向門、埋門などが記されていたようですが、どの門かは特定されていないようでした。

    『福井城址』のタイトルがあった、発掘された『門』の周辺の説明パネルの光景です。福井城絵図を参照すると、この場所には、船蔵門、日向門、埋門などが記されていたようですが、どの門かは特定されていないようでした。

  • 時代の特定ができなかった北庄城の縄張り図です。図の中央付近に本丸がありました。推測ですが、結城氏北ノ庄城時代の縄張り図でしょうか。

    時代の特定ができなかった北庄城の縄張り図です。図の中央付近に本丸がありました。推測ですが、結城氏北ノ庄城時代の縄張り図でしょうか。

  • この後は、福井城址からの出土品の紹介です。平成5年度(1993年)から、6回にわたり実施された発掘調査で得られた出土品などの展示です。

    この後は、福井城址からの出土品の紹介です。平成5年度(1993年)から、6回にわたり実施された発掘調査で得られた出土品などの展示です。

  • 先程のガラスケースの背後にあったパネルのズームアップ光景です。『ルイス・フロイスと北ノ庄』のタイトルがありました。安土桃山時代に、30年に亘り日本に滞在した司祭です。北ノ庄へは、天正8年(1580年)と、翌年の2回訪れています。図面は、北ノ庄城の推定復元図です。その図の中央付近、川が分岐する北側に『本丸』が記してありました。

    先程のガラスケースの背後にあったパネルのズームアップ光景です。『ルイス・フロイスと北ノ庄』のタイトルがありました。安土桃山時代に、30年に亘り日本に滞在した司祭です。北ノ庄へは、天正8年(1580年)と、翌年の2回訪れています。図面は、北ノ庄城の推定復元図です。その図の中央付近、川が分岐する北側に『本丸』が記してありました。

  • 同じく、ガラスケースの背後にあったパネルのズームアップ光景です。こちらには、『柴田神社・北の庄城址公園における発掘調査委の成果』のタイトルがありました。鳩之御門の南、百間堀の枡形に突き出た場所に天守閣があり、その場所が、柴田神社の位置に該当すると説明されていました。

    同じく、ガラスケースの背後にあったパネルのズームアップ光景です。こちらには、『柴田神社・北の庄城址公園における発掘調査委の成果』のタイトルがありました。鳩之御門の南、百間堀の枡形に突き出た場所に天守閣があり、その場所が、柴田神社の位置に該当すると説明されていました。

  • 福井城址・武家屋敷出土遺物の展示品の紹介です。釉薬がかかり、青絵などが描かれた碗類です。『寿福』などの文字も見えました。江戸時代の品でしょうか。

    福井城址・武家屋敷出土遺物の展示品の紹介です。釉薬がかかり、青絵などが描かれた碗類です。『寿福』などの文字も見えました。江戸時代の品でしょうか。

  • 下の二つは、漆塗りらしい木製の椀です。その上に置かれた薄茶色の容器は、素焼きの土器のカワラケのように見えました。

    下の二つは、漆塗りらしい木製の椀です。その上に置かれた薄茶色の容器は、素焼きの土器のカワラケのように見えました。

  • 右側の容器の内側には、すり鉢のような縦筋が入っていました。みだり側の黒色の遺物は、材質感が判断できませんでした。金属のようでもあり、硬質の焼き物のようにも見えました。

    右側の容器の内側には、すり鉢のような縦筋が入っていました。みだり側の黒色の遺物は、材質感が判断できませんでした。金属のようでもあり、硬質の焼き物のようにも見えました。

  • 左上に表示された文字は、福井城址・堀内出土遺物です。黒釉、褐釉や灰釉等の陶器破片のようです。

    左上に表示された文字は、福井城址・堀内出土遺物です。黒釉、褐釉や灰釉等の陶器破片のようです。

  • 左下の展示品は、硯石の破片と瓦の破片のようです。右上の古銭には次の表示がありました。<br />○天祐通宝・北宋銭(1078~)<br />○政和通宝・北宋銭(1111~)<br />○永楽通宝・明銭(1408~)<br />

    左下の展示品は、硯石の破片と瓦の破片のようです。右上の古銭には次の表示がありました。
    ○天祐通宝・北宋銭(1078~)
    ○政和通宝・北宋銭(1111~)
    ○永楽通宝・明銭(1408~)

  • 『鬼瓦』の表示があった、迫力のある姿をした造作の品です。『瓦』は焼物ですが、質感としては、石を加工した鬼面に見えました。

    『鬼瓦』の表示があった、迫力のある姿をした造作の品です。『瓦』は焼物ですが、質感としては、石を加工した鬼面に見えました。

  • 1584年1月20日付の『ルイス・フロイス書簡』です。イエズス会日本年報(邦題)の添書きがあった書籍です。日本では、天正 12 年(1584年)には、羽柴秀吉軍と・徳川家康・織田信雄連合軍の間で、小牧・長久手の戦いが起きた年です。秀吉と家康が直接衝突した唯一の戦いでした。

    1584年1月20日付の『ルイス・フロイス書簡』です。イエズス会日本年報(邦題)の添書きがあった書籍です。日本では、天正 12 年(1584年)には、羽柴秀吉軍と・徳川家康・織田信雄連合軍の間で、小牧・長久手の戦いが起きた年です。秀吉と家康が直接衝突した唯一の戦いでした。

  • 北の庄城址資料館の正面出入口光景です。近代的な造りの建物に、本瓦で葺かれ、漆喰で塗り固めた意匠の玄関が付いていました。

    北の庄城址資料館の正面出入口光景です。近代的な造りの建物に、本瓦で葺かれ、漆喰で塗り固めた意匠の玄関が付いていました。

  • 公道に建てられていた観光案内図と道路標識です。現在位置が、左の庵合図の中央付近に記されています。その下に見える足羽川(あすわがわ)は、福井市の桜名所とされます。この後向かう予定の場所は、現在地より北側の福井城、別名・結城氏北ノ庄城です。

    公道に建てられていた観光案内図と道路標識です。現在位置が、左の庵合図の中央付近に記されています。その下に見える足羽川(あすわがわ)は、福井市の桜名所とされます。この後向かう予定の場所は、現在地より北側の福井城、別名・結城氏北ノ庄城です。

  • 『甕割り柴田』のタイトルがあった説明コーナーです。信長の朝倉氏攻めの際、長光寺城に籠城した柴田軍は、朝倉氏と同盟を結んだ六角承禎(義賢)によって水を絶たれました。城内に潜入している六角氏の間者の目を欺くためにふんだんに水を使い、まだ水が入っている瓶を打ち砕いて諸将の奮起を促し、六角氏を破ったとされます。後世の作り話かもしれません。

    『甕割り柴田』のタイトルがあった説明コーナーです。信長の朝倉氏攻めの際、長光寺城に籠城した柴田軍は、朝倉氏と同盟を結んだ六角承禎(義賢)によって水を絶たれました。城内に潜入している六角氏の間者の目を欺くためにふんだんに水を使い、まだ水が入っている瓶を打ち砕いて諸将の奮起を促し、六角氏を破ったとされます。後世の作り話かもしれません。

  • 『甕割り柴田』の異名が納得できる勝家公の銅像です。その他にも、秀でた武勇から『鬼柴田』、戦場における突進力では随一という意味で『かかれ柴田』の異名を持ちました。

    『甕割り柴田』の異名が納得できる勝家公の銅像です。その他にも、秀でた武勇から『鬼柴田』、戦場における突進力では随一という意味で『かかれ柴田』の異名を持ちました。

  • 『福井城堀と石垣』のタイトルがあった説明パネルの光景です。拝殿下の石垣は、発掘調査で出土したままの姿で展示され、石垣は西へ150メートル続き、堀の幅は約18メートルと紹介されていました。

    『福井城堀と石垣』のタイトルがあった説明パネルの光景です。拝殿下の石垣は、発掘調査で出土したままの姿で展示され、石垣は西へ150メートル続き、堀の幅は約18メートルと紹介されていました。

  • 横から眺めた、半石半木の九十九橋の光景です。その下には、発掘調査で顔を出した石垣が連なっていました。

    横から眺めた、半石半木の九十九橋の光景です。その下には、発掘調査で顔を出した石垣が連なっていました。

  • 柴田神社、稲荷神社と三姉妹神社のお守り札と神札、祈願絵馬と御朱印などの一覧です。すべて値段表示されていました。

    柴田神社、稲荷神社と三姉妹神社のお守り札と神札、祈願絵馬と御朱印などの一覧です。すべて値段表示されていました。

  • 石造の狛犬のズームアップ光景です。阿形の雄獅子です。拝殿に向かって、右側に置かれた像の方です。

    石造の狛犬のズームアップ光景です。阿形の雄獅子です。拝殿に向かって、右側に置かれた像の方です。

  • 同じく、石造の狛犬のズームアップ光景です。こちらは吽形の雌獅子です。拝殿に向かって、左側に置かれた像の方です。ハート形をした尻尾の意匠でした。

    同じく、石造の狛犬のズームアップ光景です。こちらは吽形の雌獅子です。拝殿に向かって、左側に置かれた像の方です。ハート形をした尻尾の意匠でした。

  • 阿吽の獅子像が護る柴田神社の本殿正面光景です。このエリアには立入ることが出来ませんでした。

    阿吽の獅子像が護る柴田神社の本殿正面光景です。このエリアには立入ることが出来ませんでした。

  • 柴田神社の境内社、三姉妹神社の社殿光景です。平成10年(1998年)に、老朽化した社殿および境内社・稲荷神社の建替えが行われ、新たに境内社・三姉妹神社が作られました。

    イチオシ

    柴田神社の境内社、三姉妹神社の社殿光景です。平成10年(1998年)に、老朽化した社殿および境内社・稲荷神社の建替えが行われ、新たに境内社・三姉妹神社が作られました。

  • 柴田神社境内に置かれていたブロンズ製の灯籠の光景です。柴田神社の前だったでしょうか、一対で置かれていました。

    柴田神社境内に置かれていたブロンズ製の灯籠の光景です。柴田神社の前だったでしょうか、一対で置かれていました。

  • 『柴田氏北ノ庄城』の見学を終わり、次は『結城氏北ノ庄城』の見学に向かいました。その途中の光景です。

    『柴田氏北ノ庄城』の見学を終わり、次は『結城氏北ノ庄城』の見学に向かいました。その途中の光景です。

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2016春、福井の名城巡り

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