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≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之壱~1日目:旧海軍司令部壕・島田叡氏顕彰碑編~<br /><br />毎年4月は恒例の1week&mulch island travelパターン。しか~しいきなりやっちゃった・・・。In のPeachは便を間違えて取り直し、帰りの石垣outに至っては入金し忘れて記録が消されてしまった・・・。自分の楽しみに対する不始末を人のせいにはしたくはないが、ややこしい輩が今職場におり、旅行前日に必ず厄介なことを起こす。結果期間短縮行き先変更を余儀なくされた・・・。こんなのがいることだけで不愉快な日々を送っているため、その息抜きの沖縄旅行であるもののそこでダメ出し食らうとは・・・。という経緯からNo Plan沖縄本島の旅が始まります。さあどんな弥次喜多道中が待っていたのでしょうか?<br /><br />【平成28年4月14日木曜日】<br /><br />自宅 07:08<br />田舎駅 07:18<br />07:31<br />京都 07:47<br />ホテル京阪 07:52<br />08:00<br />高速京田辺 08:18<br />08:20<br />関西空港第一 09:15<br />ターミナル  09:17<br />関西空港第二ターミナル 09:24<br />【チェックイン】 09:35<br />【保安検査】10:10<br />【ゲート】10:14<br />【搭乗】10:19<br />【クローズ】10:34<br />【タキシング】10:38<br />【離陸】10:53<br />那覇空港LCC ターミナル<br />【たまころ】12:53<br />【着陸】12:57<br />【駐機】13:01<br />【バス】13:07<br />【バス発車】13:08<br />【バス到着】13:09<br />【ターミナル】13:15<br />【ターミナルアウト】13:23<br />【送迎バス出発】13:25<br />トラベルレンタカー 13:38<br />14:35 (0.0km:0.0km:0.0km/h)<br />ファミリーマート 14:45 (3.7km:3.7km:11.2km/h)<br />豊見城名嘉地北店 14:59<br />小禄宇栄原郵便局 15:03 (1.0km:4.7km:16.7km/h)<br />15:10<br />旧海軍司令部壕 15::12 (0.8km:5.5km:26.7km/h)<br />17:35<br />奥武山公園 17:56 (5.4km:10.9km:15.5km/h)<br />19:30<br />イオン那覇 19:37 (2.0km:12.9km:16.7km/h)<br />21:07<br />サンエー豊見城 21:20 (5.3km:18.2km:24.1km/h)<br />ウィングシティ 21:54<br />南海ホテル糸満 22:45 (21.4km:39.6km:25.2km/h)//<br /><br />今年2回目の沖縄の旅の朝を迎えます。はっきりしない天気ですが、〝傘持ち〟のジンクスを信じて出発します。駅まではいつもの通り送って貰います。多分2月の旅行時と同じ時間の電車に乗り京都駅に到着します。喫煙所が移設され、向かうまでのロスを考えて一服を我慢しホテル京阪前に着き、往復チケットを発券してリムジンバスに乗り込みます。京阪バスの運行便は途中高速京田辺を経由し、第一ターミナルに停車した後僅かに早着するかたちで第ニターミナルへと到着しました。<br /><br />第ニターミナルからの出発も前回同様です。MM215を使うのも・・・。ただ出発時刻が20分早まって10:30予定となっています。しかし行程を煮詰めるのが遅かったため、ファストシートが取れず、5Aのスマートシートになっています。久しぶりといえばそうなのですがやはり狭い・・・。とはいえ2時間の辛抱ということで早々に着席してシートベルト着用。なにげに外を眺めていたら面白い光景を見てしまいました。関西空港第ニターミナルを利用しているピーチ便は沖止めタラップ搭乗ですがこのタラップ、実は人力で動かしています。南国へと向かう大勢の客が利用した後は、地上係員のお姉さんがタラップを引いて行きました、ご苦労様です。<br /><br />という過程を経てMM215便A320-200は、プッシュバックすらなく自力で前進して行きました。ターミナルは違えど滑走路は同じなので、トコトコと滑走路を走って行きます。ちなみに次もピーチ便が後に続き、前にはVNやJLが離陸をして行きます。そしていよいよ離陸というときにAYのA330のお姿が・・・。いつか乗りたいものです(笑)。そしてMM215は一路那覇へと向けて大空へ旅立ちます。<br /><br />離陸後約2時間で眼下には沖縄の島々が見えてきます。というより移動中は寝てました(笑)。ほぼ定刻に那覇空港に到着。あいも変わらずLCCターミナルですが、今回は少し〝後〟が違います。格安レンタカーを利用するとほとんどが国内線ターミナルからの送迎になりますが、今回利用したルフト・トラベルレンタカーはLCCターミナルからの送迎があります。以前石垣で利用したことがありますが、当時はツアー提供のレンタカーをはじめとした格安部門でしたが、今ではしっかりとLCCターミナル内にも事務所を構えていました。運転の上手い下手ではなく、気がつかないうちに付いていたキズなども補償対象とするワイド保証サービスは私にとって不可欠なため、そこに満タン返し不要が1,500円ならばまあ元は取れるかと判断しています。<br /><br />数組の利用客を待った後バスにて営業所へ。内地で使われていたミッションのノンステップバスがあちらこちらで大活躍をしています♪<br /><br />15分程で到着し車を借り受けるわけですが、なにか様子がおかしいような気がします。もしかすると予約が反映していなかったのかも知れませんが、webチェックインと代金先払いのデータを引っ張り出してもらい事なきことを得ます。貸出車両が決まっていなかったこともあり、車を選ばせてもらいました。せっかくなので今話題の〝ハスラーくん〟に決めました。4日間の旅の友が決まります。<br /><br />13:00頃には手続きは終わっていたのですが、今日の行程と宿泊先をナビに入れてからやっと出発します。それでも那覇空港到着後1時間でスタートできるのは魅力です!<br /><br />営業所を後にし道中のファミリーマート豊見城名嘉地北店に立ち寄り、恒例のドリンクタイム♪そして小禄宇栄原郵便局に立ち寄り旅行貯金をした後最初の目的地〝旧海軍司令部壕〟へとやってきました。<br /><br />2014年12月に一度訪れている場所ではあれど、自分なりに色々なことを考えていたこの1年半。それなりに多方向から見ることができるようになりました。前回は是非とも訪れるべき戦跡と表現しましたが、今回はあの有名な〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟の電文が〝なぜこの沖縄方面根拠地隊司令部より打たれたのか?〟そこに重点をおいて見学しました。資料館の中にその答えが書いてありました。〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟という住民達の戦闘協力の情報を報告するのは本来なら行政である〝県〟が行うこと。すなわち最後の沖縄県官選知事島田叡氏の仕事となる訳ですが、それをなぜ海軍沖縄方面根拠地隊大田實司令官が行ったのか?<br /><br />立場も違い年齢もひと回り違う(島田知事が若い)にも拘らず、この2人は立場を越えた師弟関係にありました。この時期行政には既に状況を知らせる手段は無くなっていました。そのため島田知事の意向を汲んだ(だろう)大田實司令官が代わりに打電した。すなわち〝場当たり的〟に行われたものではなく、〝なるべくしてなったもの〟であること。これが〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟の電文ができた背景となります。<br /><br />時の海軍次官多田武雄中将に〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟と打電した約1週間後、大田實司令官は幕僚とともに自決をされます。戦後すぐに米軍は捕虜となった元海軍兵士を伴い、軍首脳部の戦死の確認をするために入壕し、目的を済ませるとさっさと出て行きました。その後7年前壕は放置され朽ちるままになっていました。部下の元兵士の方々の手により遺骨収集がなされ、家族のもとへと帰られたようです。<br /><br />戦争を軍が悪いと十把一絡げに言われることが多いですが、軍という組織はともかく軍を構成する軍人までもが悪とされているように思えてなりません。軍人でも人の心を持つ方は多くいた、その代表格の話ではあるのでゆっくりと見学をしながら物思いに耽ることも必要なことかも知れません。<br /><br />また昨年一年間で〝旧海軍司令部壕〟を訪れる観光客が大変増加したようで、少しでも快適に見学できるように出口付近に屋根を作るべく工事がされています。<br /><br />旧海軍司令部壕を見学した後、付近の海軍壕公園を散策します。小高い丘の上にあるため360°のパノラマビューが広がっています。そういうところを改めて見学し、次の目的地へと向かいます。あまり来ることがない那覇市内、その奥武山公園へと到着します。<br /><br />この奥武山公園ですが、沖縄セルラースタジアムがある場所として知る人ぞ知る有名処です。また沖縄県護国神社や沖宮も建立されている場所ですが、ではなんの目的があったのか…。実はこの奥武山公園、沖縄県の〝野球の聖地〟と言われています。セルラースタジアムは勿論のこと、兵庫・沖縄友愛グラウンドもあり、文字通り野球を愛する老若男女がプレイや観戦を楽しんでいます。名称が先に出てしまいましたがなぜ〝兵庫・沖縄友愛スタジアム〟と名付けられているのか…。これは第二次世界大戦末期にまで遡ります。沖縄県第二十七代知事島田叡氏、戦争の話題に疎い方でも知っておられる有名人の方になります。兵庫県出身の島田知事は東京帝国大学を卒業後内務省に入り、主として警察畑を歩んでこられたのですが、本格的な沖縄戦が始まる少し前に官選知事の打診を受けて沖縄に来られました。沖縄県知事時代は住民のことを真っ先に考える『熱血知事』として度肝を抜かれることを多々やり遂げられてこられました。台湾から米を緊急輸入したことなどはその行動力の賜物として現在にまで語り継がれています。<br /><br />この島田知事ですがスポーツマンでもあり、旧制神戸二中や東大時代には野球選手として輝かしい成績を残されています。それに付け加え史上稀にみる地上戦が行われた沖縄の地で善政を敷いた島田県政は、沖縄県民の心を掴んで今なお慕われ続けています。<br /><br />島田知事の故郷兵庫県と沖縄県は、そういった背景もあり何かと密接な関係が保たれています。摩文仁にある沖縄県職員の戦没者を祀る〝島守の塔〟、ここには沖縄県と兵庫県が建立したものが仲良く並んでいることなどはその象徴です。また〝野球〟繋がりというものもあり、沖縄セルラースタジアム(那覇市営奥武山野球場)や兵庫・沖縄友愛グラウンドが位置する〝奥武山公園〟を〝沖縄県の野球の聖地〟として地元でも慣れ親しまれていることは、いかに島田知事を慕う方が多いことを示していると思います。<br /><br />そして兵庫県と沖縄県との懸け橋で生まれた兵庫・沖縄友愛グラウンド、その隣の〝奥武山公園兵庫・沖縄友愛ゾーン〟に島田知事が亡くなられたとされる昭和20(1945)年6月26日から70年目の節目の年である平成27(2015)年6月26日にその功績を後世に伝えるべく〝第二十七代沖縄縣知事 島田叡氏顕彰碑〟が建立されました。今回の奥武山公園の来訪目的は、この顕彰碑にお目にかかりたくて来たことに過ぎません。<br /><br />その他沖縄県護国神社、明治以降に殉職した人々が祀られていることは他府県にあるものと同じではあるものの、やはり軍関係の慰霊碑が建立されていたり、傷痍軍人の夫婦像などといった〝戦争を髣髴させるもの〟が多々ありました。そして沖宮(おきのぐう)、琉球八社のひとつとされている神社ですが、明治時代の神仏分離までは〝沖山三所権現(沖の寺)〟と呼ばれていました。創建時期は不明ではあるものの平安時代ではないかと言われています。戦前には社殿が琉球における神社建築の典型例として昭和13(1938)年に国宝に指定されたものの沖縄戦で焼失。幾度か遷座を繰り返し昭和50(1975)年に現在の地に遷座されました。<br /><br />長い沖縄の昼間もさすがに19:00となると暗くなってきました。今晩は素泊まりで手配しているため夕食を摂ろうとお店を探します。とはいえグルメでない片割れはガイドブックに載っているようなところへは向かいません(笑)。結局イオンモール那覇へと向かい、すき家へ。とろ~りチーズカレー大盛りとコーラのLを頂きます。いつもはそれ程食べないのですが、なぜか今日はお腹が減りまくり♪なので完食しました(笑)!<br /><br />お腹がいっぱいになったので車へと戻り、飲み物を買いに行くため寄り道をします。サンエー豊見城WING CITY店、沖縄県のニチリウグループのスーパーですが、私はこの店がお気に入りです。なので大した金額ではないものの食品コーナーで買い物をし、医療コーナーで〝かりゆしウェア〟を購入します。そして再び車を走らせ、県道7号線回りで走ったため、途中の〝忠霊之碑〟に立ち寄り、手を合わせた後写真を撮ってみますがやはり暗すぎて見えませんでした。そしてナビ通りに本日の宿〝南海ホテル糸満〟へとナビ通りに走って行くものの、建物が見当たりません。電話をかけて確認しますがどうもわかりません。結局周辺を2周し迎えに出てきてくれたオジイを発見。時間は既に23:00前…。さすがに疲れました(泣)。<br /><br />この南海ホテル糸満ですが、沖縄島南部で宿泊先を探された経験がある方なら、名前は必ずと言っていい程知られている有名なホテルです。なにが~っとなるとズバリ値段です。1泊RCで2,800円!しかもバストイレ付き♪まぁこの値段なので多くを求めてはいけません。一日中走り回って疲れた体を休める場所・・・それだけならば贅沢すぎる施設です!禁煙ルームの設定がないためタバコが苦手な方には向かないように思えるものの、昭和を彷彿させる古いながらも快適に利用できる調度品の数々は、まるでマイナスイオンを放出しているかの如く落ち着きました。<br /><br />到着時間が遅かっただけにシャワーを浴びると途端に眠気が襲ってきます。どうせNo Planの旅ゆえ、行き当たりばったりで進めるのが一番良いかな~なんて思って寝てしまったようです。という訳でzzz…。そんな感じで2日目の朝を迎えます。<br /><br /><br />【本日の明細】<br />JR…240円<br />関西空港リムジンバス…4,180円<br />MM215…8,120円<br />レンタカー…14,300円<br />夕食…850円(とろ~りチーズカレー…700円:コーラ…150円)<br />宿泊…2,800円(ポイント利用後0円)<br />小計:22,370円(割引後:19,570円)<br />

≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之壱~1日目:旧海軍司令部壕・島田叡氏顕彰碑編~

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2016/04/14 - 2016/04/18

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2016.April≫あみんちゅ歴史に触れる旅 with no plan,沖縄本島その参之壱~1日目:旧海軍司令部壕・島田叡氏顕彰碑編~

毎年4月は恒例の1week&mulch island travelパターン。しか~しいきなりやっちゃった・・・。In のPeachは便を間違えて取り直し、帰りの石垣outに至っては入金し忘れて記録が消されてしまった・・・。自分の楽しみに対する不始末を人のせいにはしたくはないが、ややこしい輩が今職場におり、旅行前日に必ず厄介なことを起こす。結果期間短縮行き先変更を余儀なくされた・・・。こんなのがいることだけで不愉快な日々を送っているため、その息抜きの沖縄旅行であるもののそこでダメ出し食らうとは・・・。という経緯からNo Plan沖縄本島の旅が始まります。さあどんな弥次喜多道中が待っていたのでしょうか?

【平成28年4月14日木曜日】

自宅 07:08
田舎駅 07:18
07:31
京都 07:47
ホテル京阪 07:52
08:00
高速京田辺 08:18
08:20
関西空港第一 09:15
ターミナル  09:17
関西空港第二ターミナル 09:24
【チェックイン】 09:35
【保安検査】10:10
【ゲート】10:14
【搭乗】10:19
【クローズ】10:34
【タキシング】10:38
【離陸】10:53
那覇空港LCC ターミナル
【たまころ】12:53
【着陸】12:57
【駐機】13:01
【バス】13:07
【バス発車】13:08
【バス到着】13:09
【ターミナル】13:15
【ターミナルアウト】13:23
【送迎バス出発】13:25
トラベルレンタカー 13:38
14:35 (0.0km:0.0km:0.0km/h)
ファミリーマート 14:45 (3.7km:3.7km:11.2km/h)
豊見城名嘉地北店 14:59
小禄宇栄原郵便局 15:03 (1.0km:4.7km:16.7km/h)
15:10
旧海軍司令部壕 15::12 (0.8km:5.5km:26.7km/h)
17:35
奥武山公園 17:56 (5.4km:10.9km:15.5km/h)
19:30
イオン那覇 19:37 (2.0km:12.9km:16.7km/h)
21:07
サンエー豊見城 21:20 (5.3km:18.2km:24.1km/h)
ウィングシティ 21:54
南海ホテル糸満 22:45 (21.4km:39.6km:25.2km/h)//

今年2回目の沖縄の旅の朝を迎えます。はっきりしない天気ですが、〝傘持ち〟のジンクスを信じて出発します。駅まではいつもの通り送って貰います。多分2月の旅行時と同じ時間の電車に乗り京都駅に到着します。喫煙所が移設され、向かうまでのロスを考えて一服を我慢しホテル京阪前に着き、往復チケットを発券してリムジンバスに乗り込みます。京阪バスの運行便は途中高速京田辺を経由し、第一ターミナルに停車した後僅かに早着するかたちで第ニターミナルへと到着しました。

第ニターミナルからの出発も前回同様です。MM215を使うのも・・・。ただ出発時刻が20分早まって10:30予定となっています。しかし行程を煮詰めるのが遅かったため、ファストシートが取れず、5Aのスマートシートになっています。久しぶりといえばそうなのですがやはり狭い・・・。とはいえ2時間の辛抱ということで早々に着席してシートベルト着用。なにげに外を眺めていたら面白い光景を見てしまいました。関西空港第ニターミナルを利用しているピーチ便は沖止めタラップ搭乗ですがこのタラップ、実は人力で動かしています。南国へと向かう大勢の客が利用した後は、地上係員のお姉さんがタラップを引いて行きました、ご苦労様です。

という過程を経てMM215便A320-200は、プッシュバックすらなく自力で前進して行きました。ターミナルは違えど滑走路は同じなので、トコトコと滑走路を走って行きます。ちなみに次もピーチ便が後に続き、前にはVNやJLが離陸をして行きます。そしていよいよ離陸というときにAYのA330のお姿が・・・。いつか乗りたいものです(笑)。そしてMM215は一路那覇へと向けて大空へ旅立ちます。

離陸後約2時間で眼下には沖縄の島々が見えてきます。というより移動中は寝てました(笑)。ほぼ定刻に那覇空港に到着。あいも変わらずLCCターミナルですが、今回は少し〝後〟が違います。格安レンタカーを利用するとほとんどが国内線ターミナルからの送迎になりますが、今回利用したルフト・トラベルレンタカーはLCCターミナルからの送迎があります。以前石垣で利用したことがありますが、当時はツアー提供のレンタカーをはじめとした格安部門でしたが、今ではしっかりとLCCターミナル内にも事務所を構えていました。運転の上手い下手ではなく、気がつかないうちに付いていたキズなども補償対象とするワイド保証サービスは私にとって不可欠なため、そこに満タン返し不要が1,500円ならばまあ元は取れるかと判断しています。

数組の利用客を待った後バスにて営業所へ。内地で使われていたミッションのノンステップバスがあちらこちらで大活躍をしています♪

15分程で到着し車を借り受けるわけですが、なにか様子がおかしいような気がします。もしかすると予約が反映していなかったのかも知れませんが、webチェックインと代金先払いのデータを引っ張り出してもらい事なきことを得ます。貸出車両が決まっていなかったこともあり、車を選ばせてもらいました。せっかくなので今話題の〝ハスラーくん〟に決めました。4日間の旅の友が決まります。

13:00頃には手続きは終わっていたのですが、今日の行程と宿泊先をナビに入れてからやっと出発します。それでも那覇空港到着後1時間でスタートできるのは魅力です!

営業所を後にし道中のファミリーマート豊見城名嘉地北店に立ち寄り、恒例のドリンクタイム♪そして小禄宇栄原郵便局に立ち寄り旅行貯金をした後最初の目的地〝旧海軍司令部壕〟へとやってきました。

2014年12月に一度訪れている場所ではあれど、自分なりに色々なことを考えていたこの1年半。それなりに多方向から見ることができるようになりました。前回は是非とも訪れるべき戦跡と表現しましたが、今回はあの有名な〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟の電文が〝なぜこの沖縄方面根拠地隊司令部より打たれたのか?〟そこに重点をおいて見学しました。資料館の中にその答えが書いてありました。〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟という住民達の戦闘協力の情報を報告するのは本来なら行政である〝県〟が行うこと。すなわち最後の沖縄県官選知事島田叡氏の仕事となる訳ですが、それをなぜ海軍沖縄方面根拠地隊大田實司令官が行ったのか?

立場も違い年齢もひと回り違う(島田知事が若い)にも拘らず、この2人は立場を越えた師弟関係にありました。この時期行政には既に状況を知らせる手段は無くなっていました。そのため島田知事の意向を汲んだ(だろう)大田實司令官が代わりに打電した。すなわち〝場当たり的〟に行われたものではなく、〝なるべくしてなったもの〟であること。これが〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟の電文ができた背景となります。

時の海軍次官多田武雄中将に〝沖縄県民斯ク戦ヘリ〟と打電した約1週間後、大田實司令官は幕僚とともに自決をされます。戦後すぐに米軍は捕虜となった元海軍兵士を伴い、軍首脳部の戦死の確認をするために入壕し、目的を済ませるとさっさと出て行きました。その後7年前壕は放置され朽ちるままになっていました。部下の元兵士の方々の手により遺骨収集がなされ、家族のもとへと帰られたようです。

戦争を軍が悪いと十把一絡げに言われることが多いですが、軍という組織はともかく軍を構成する軍人までもが悪とされているように思えてなりません。軍人でも人の心を持つ方は多くいた、その代表格の話ではあるのでゆっくりと見学をしながら物思いに耽ることも必要なことかも知れません。

また昨年一年間で〝旧海軍司令部壕〟を訪れる観光客が大変増加したようで、少しでも快適に見学できるように出口付近に屋根を作るべく工事がされています。

旧海軍司令部壕を見学した後、付近の海軍壕公園を散策します。小高い丘の上にあるため360°のパノラマビューが広がっています。そういうところを改めて見学し、次の目的地へと向かいます。あまり来ることがない那覇市内、その奥武山公園へと到着します。

この奥武山公園ですが、沖縄セルラースタジアムがある場所として知る人ぞ知る有名処です。また沖縄県護国神社や沖宮も建立されている場所ですが、ではなんの目的があったのか…。実はこの奥武山公園、沖縄県の〝野球の聖地〟と言われています。セルラースタジアムは勿論のこと、兵庫・沖縄友愛グラウンドもあり、文字通り野球を愛する老若男女がプレイや観戦を楽しんでいます。名称が先に出てしまいましたがなぜ〝兵庫・沖縄友愛スタジアム〟と名付けられているのか…。これは第二次世界大戦末期にまで遡ります。沖縄県第二十七代知事島田叡氏、戦争の話題に疎い方でも知っておられる有名人の方になります。兵庫県出身の島田知事は東京帝国大学を卒業後内務省に入り、主として警察畑を歩んでこられたのですが、本格的な沖縄戦が始まる少し前に官選知事の打診を受けて沖縄に来られました。沖縄県知事時代は住民のことを真っ先に考える『熱血知事』として度肝を抜かれることを多々やり遂げられてこられました。台湾から米を緊急輸入したことなどはその行動力の賜物として現在にまで語り継がれています。

この島田知事ですがスポーツマンでもあり、旧制神戸二中や東大時代には野球選手として輝かしい成績を残されています。それに付け加え史上稀にみる地上戦が行われた沖縄の地で善政を敷いた島田県政は、沖縄県民の心を掴んで今なお慕われ続けています。

島田知事の故郷兵庫県と沖縄県は、そういった背景もあり何かと密接な関係が保たれています。摩文仁にある沖縄県職員の戦没者を祀る〝島守の塔〟、ここには沖縄県と兵庫県が建立したものが仲良く並んでいることなどはその象徴です。また〝野球〟繋がりというものもあり、沖縄セルラースタジアム(那覇市営奥武山野球場)や兵庫・沖縄友愛グラウンドが位置する〝奥武山公園〟を〝沖縄県の野球の聖地〟として地元でも慣れ親しまれていることは、いかに島田知事を慕う方が多いことを示していると思います。

そして兵庫県と沖縄県との懸け橋で生まれた兵庫・沖縄友愛グラウンド、その隣の〝奥武山公園兵庫・沖縄友愛ゾーン〟に島田知事が亡くなられたとされる昭和20(1945)年6月26日から70年目の節目の年である平成27(2015)年6月26日にその功績を後世に伝えるべく〝第二十七代沖縄縣知事 島田叡氏顕彰碑〟が建立されました。今回の奥武山公園の来訪目的は、この顕彰碑にお目にかかりたくて来たことに過ぎません。

その他沖縄県護国神社、明治以降に殉職した人々が祀られていることは他府県にあるものと同じではあるものの、やはり軍関係の慰霊碑が建立されていたり、傷痍軍人の夫婦像などといった〝戦争を髣髴させるもの〟が多々ありました。そして沖宮(おきのぐう)、琉球八社のひとつとされている神社ですが、明治時代の神仏分離までは〝沖山三所権現(沖の寺)〟と呼ばれていました。創建時期は不明ではあるものの平安時代ではないかと言われています。戦前には社殿が琉球における神社建築の典型例として昭和13(1938)年に国宝に指定されたものの沖縄戦で焼失。幾度か遷座を繰り返し昭和50(1975)年に現在の地に遷座されました。

長い沖縄の昼間もさすがに19:00となると暗くなってきました。今晩は素泊まりで手配しているため夕食を摂ろうとお店を探します。とはいえグルメでない片割れはガイドブックに載っているようなところへは向かいません(笑)。結局イオンモール那覇へと向かい、すき家へ。とろ~りチーズカレー大盛りとコーラのLを頂きます。いつもはそれ程食べないのですが、なぜか今日はお腹が減りまくり♪なので完食しました(笑)!

お腹がいっぱいになったので車へと戻り、飲み物を買いに行くため寄り道をします。サンエー豊見城WING CITY店、沖縄県のニチリウグループのスーパーですが、私はこの店がお気に入りです。なので大した金額ではないものの食品コーナーで買い物をし、医療コーナーで〝かりゆしウェア〟を購入します。そして再び車を走らせ、県道7号線回りで走ったため、途中の〝忠霊之碑〟に立ち寄り、手を合わせた後写真を撮ってみますがやはり暗すぎて見えませんでした。そしてナビ通りに本日の宿〝南海ホテル糸満〟へとナビ通りに走って行くものの、建物が見当たりません。電話をかけて確認しますがどうもわかりません。結局周辺を2周し迎えに出てきてくれたオジイを発見。時間は既に23:00前…。さすがに疲れました(泣)。

この南海ホテル糸満ですが、沖縄島南部で宿泊先を探された経験がある方なら、名前は必ずと言っていい程知られている有名なホテルです。なにが~っとなるとズバリ値段です。1泊RCで2,800円!しかもバストイレ付き♪まぁこの値段なので多くを求めてはいけません。一日中走り回って疲れた体を休める場所・・・それだけならば贅沢すぎる施設です!禁煙ルームの設定がないためタバコが苦手な方には向かないように思えるものの、昭和を彷彿させる古いながらも快適に利用できる調度品の数々は、まるでマイナスイオンを放出しているかの如く落ち着きました。

到着時間が遅かっただけにシャワーを浴びると途端に眠気が襲ってきます。どうせNo Planの旅ゆえ、行き当たりばったりで進めるのが一番良いかな~なんて思って寝てしまったようです。という訳でzzz…。そんな感じで2日目の朝を迎えます。


【本日の明細】
JR…240円
関西空港リムジンバス…4,180円
MM215…8,120円
レンタカー…14,300円
夕食…850円(とろ~りチーズカレー…700円:コーラ…150円)
宿泊…2,800円(ポイント利用後0円)
小計:22,370円(割引後:19,570円)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー JRローカル 自家用車 徒歩 Peach ジェットスター
旅行の手配内容
個別手配

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