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金沢城の歴史は、天文15年(1546年)、本願寺による金沢御堂の創建に始まります。天正11 年(1583年)に前田利家が入城し、本格的な城造りが始まり、加賀藩百万石の居城となりました。

2016早春、金沢と五箇山巡り(5/8):金沢(5/5):金沢城、お堀と石垣、石川門、河北門

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2016/02/20 - 2016/02/20

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旅行記グループ 2016春、金沢と五箇山巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

金沢城の歴史は、天文15年(1546年)、本願寺による金沢御堂の創建に始まります。天正11 年(1583年)に前田利家が入城し、本格的な城造りが始まり、加賀藩百万石の居城となりました。

交通手段
観光バス

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  • 兼六園を咲き見学し、その後での金沢城の見学です。この梅は兼六園での撮影です。金沢城は、明治以後は陸軍の拠点として、終戦から平成7年(1995年)までは金沢大学のキャンパスとして利用されてきました。

    兼六園を咲き見学し、その後での金沢城の見学です。この梅は兼六園での撮影です。金沢城は、明治以後は陸軍の拠点として、終戦から平成7年(1995年)までは金沢大学のキャンパスとして利用されてきました。

  • お堀に架かる橋を渡って、金沢城に向かいました。橋の先に見える門は、国の重要文化財の『石川橋』です。城跡は、平成13年(2001年)9月に、『金沢城公園』として整備されました。

    お堀に架かる橋を渡って、金沢城に向かいました。橋の先に見える門は、国の重要文化財の『石川橋』です。城跡は、平成13年(2001年)9月に、『金沢城公園』として整備されました。

  • お堀に架かる石川橋の上から眺めた石垣と長塀の光景です。平成18年(2006年)度から平成26年(2014年)度までの第二期整備事業では、河北門の復元、いもり堀の水堀化、橋爪門二の門の復元、玉泉院丸庭園の再現が行われました。

    お堀に架かる石川橋の上から眺めた石垣と長塀の光景です。平成18年(2006年)度から平成26年(2014年)度までの第二期整備事業では、河北門の復元、いもり堀の水堀化、橋爪門二の門の復元、玉泉院丸庭園の再現が行われました。

  • 石川橋の上から眺めた、石川門の光景です。度重なる火災により、石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫以外の建物は全て消失しています。桝形構造の石川門は、かつては搦め手門と呼ばれる裏門でした。

    イチオシ

    石川橋の上から眺めた、石川門の光景です。度重なる火災により、石川門と三十間長屋、鶴丸倉庫以外の建物は全て消失しています。桝形構造の石川門は、かつては搦め手門と呼ばれる裏門でした。

  • 『金沢城・兼六園』のタイトルがあった観光案内地図です。現在位置は石川橋の袂、お堀通りを挟んで、左が兼六園、右が金沢城址の金沢城公園です。

    『金沢城・兼六園』のタイトルがあった観光案内地図です。現在位置は石川橋の袂、お堀通りを挟んで、左が兼六園、右が金沢城址の金沢城公園です。

  • 石川門を潜った城内の光景です。右奥に見える建物は、再建された河北門です。河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する『三の丸』の正面に位置します。金沢城の実質的な正門でした。

    石川門を潜った城内の光景です。右奥に見える建物は、再建された河北門です。河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する『三の丸』の正面に位置します。金沢城の実質的な正門でした。

  • 右端の石川門と、その周りの光景です。再建された石垣の上の長塀には、凝った造りの狭間がありました。鉄砲狭間のようです。

    右端の石川門と、その周りの光景です。再建された石垣の上の長塀には、凝った造りの狭間がありました。鉄砲狭間のようです。

  • 振り返って眺めた、石川門の光景です。最後にもう一度写真紹介しますが、 二層の菱櫓と複数の門が組み合わされた、枡形と呼ばれる防御機能を高めた構造の門です。

    振り返って眺めた、石川門の光景です。最後にもう一度写真紹介しますが、 二層の菱櫓と複数の門が組み合わされた、枡形と呼ばれる防御機能を高めた構造の門です。

  • 復元された菱櫓の光景です。平成13年(2001年)に復元された菱櫓は、当時は大手と搦手を見張る物見櫓として重要な役割を担っていました。

    復元された菱櫓の光景です。平成13年(2001年)に復元された菱櫓は、当時は大手と搦手を見張る物見櫓として重要な役割を担っていました。

  • 櫓と菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓です。 武器等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えています。

    櫓と菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓です。 武器等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えています。

  • 二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓の『橋爪門続櫓』の光景です。

    二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓の『橋爪門続櫓』の光景です。

  • 天守閣を持たない金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていました。 その二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓が『橋爪門続櫓』です。

    イチオシ

    天守閣を持たない金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていました。 その二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓が『橋爪門続櫓』です。

  • 横から眺めた、河北門の光景です。高麗門の『一の門』、櫓門造りの『ニの門』、『枡形土堀』及び続櫓の機能を持つ『ニラミ櫓台』により防御機能を持った構成となっています。この建物は、櫓門造りの『ニの門』です。

    横から眺めた、河北門の光景です。高麗門の『一の門』、櫓門造りの『ニの門』、『枡形土堀』及び続櫓の機能を持つ『ニラミ櫓台』により防御機能を持った構成となっています。この建物は、櫓門造りの『ニの門』です。

  • 『鶴丸倉庫』の遠望です。国の重要文化財に指定されている、武具蔵です。現存する江戸期城郭土蔵としては、建築面積最大とされます。

    『鶴丸倉庫』の遠望です。国の重要文化財に指定されている、武具蔵です。現存する江戸期城郭土蔵としては、建築面積最大とされます。

  • 気温上昇と雨の影響で、溶けかかった雪だるまの光景です。厳しい寒さもありましたが、日本全土でみれば暖冬だったようです。

    気温上昇と雨の影響で、溶けかかった雪だるまの光景です。厳しい寒さもありましたが、日本全土でみれば暖冬だったようです。

  • 右が菱櫓、左が橋詰門続櫓、その間を繋ぐ五十間長屋の光景です。多門櫓とも呼ばれるようです。武器等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えています。

    右が菱櫓、左が橋詰門続櫓、その間を繋ぐ五十間長屋の光景です。多門櫓とも呼ばれるようです。武器等を保管する倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えています。

  • 既に紹介した、河北門の『二の門』の内側からの光景です。『石川門』、『河北門』と『橋爪門』を合わせて、『金沢城三御門』と呼ばれています。

    既に紹介した、河北門の『二の門』の内側からの光景です。『石川門』、『河北門』と『橋爪門』を合わせて、『金沢城三御門』と呼ばれています。

  • 由緒ありそうな松の巨木ですが、兼六園の『根上松』のような、名前までは付いていないようです。

    由緒ありそうな松の巨木ですが、兼六園の『根上松』のような、名前までは付いていないようです。

  • 再集合場所が兼六園でしたから、入場した石川門の場所まで戻ってきました。城内側から眺めた、楼門の『二の門』の光景です。

    再集合場所が兼六園でしたから、入場した石川門の場所まで戻ってきました。城内側から眺めた、楼門の『二の門』の光景です。

  • 石川門の近くにあった観光案内所です。案内地図には、『入口休憩所』と記されていました。

    石川門の近くにあった観光案内所です。案内地図には、『入口休憩所』と記されていました。

  • 内側から眺めた、石垣の上に巡らされた土塀の光景です。防具尾のための狭間が無数に施された築地塀です。

    内側から眺めた、石垣の上に巡らされた土塀の光景です。防具尾のための狭間が無数に施された築地塀です。

  • 石川門の『二の門』の光景です。石川門は、宝暦の大火(1759年)の後、天明8年(1788年)に再建され、現在に残されました。

    石川門の『二の門』の光景です。石川門は、宝暦の大火(1759年)の後、天明8年(1788年)に再建され、現在に残されました。

  • 石川門は、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と二層二階建ての石川櫓で構成された枡形門です。左が高麗門の一の門です。

    イチオシ

    石川門は、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と二層二階建ての石川櫓で構成された枡形門です。左が高麗門の一の門です。

  • 一部には補修された跡があるものの、石垣は現存したもののようです。その石垣の上に建つ物見櫓です。この櫓が、石川櫓です。

    一部には補修された跡があるものの、石垣は現存したもののようです。その石垣の上に建つ物見櫓です。この櫓が、石川櫓です。

  • 石川門の桝形構造の内部の光景です。石垣などは修復されたものらしく、真新しいキリコミハギ、建物壁面の漆喰も真っ白でした。元々はウチコミハギだったものが、その後の改修でキリコミハギに変わったようです。

    石川門の桝形構造の内部の光景です。石垣などは修復されたものらしく、真新しいキリコミハギ、建物壁面の漆喰も真っ白でした。元々はウチコミハギだったものが、その後の改修でキリコミハギに変わったようです。

  • 鎧戸の光景です。再建されたものではなく、オリジナルのものが保存されてきたもののように見受けました。

    鎧戸の光景です。再建されたものではなく、オリジナルのものが保存されてきたもののように見受けました。

  • 一の門の外から眺めた、石川櫓の建物光景です。左手に、お堀に面した唐風の造りの窓が見えます。一の門に対して、睨みを利かせているようです。

    一の門の外から眺めた、石川櫓の建物光景です。左手に、お堀に面した唐風の造りの窓が見えます。一の門に対して、睨みを利かせているようです。

  • 高麗門の造りの『一の門』の光景です。高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門です。屋根を小振りにして、守備側の死角を減らす工夫が施された門です。

    高麗門の造りの『一の門』の光景です。高麗門は、文禄・慶長の役が行われた1592年から1598年の間に造られ始めた城門です。屋根を小振りにして、守備側の死角を減らす工夫が施された門です。

  • 石川門を潜った後で眺めた、兼六園方角の光景です。前方に架かる橋が、近代的な造りになった石川橋です。

    石川門を潜った後で眺めた、兼六園方角の光景です。前方に架かる橋が、近代的な造りになった石川橋です。

  • 金沢城は、平成20年9月26日に開催された国の文化審議会文化財分科会で『城下町金沢の文化遺産群と文化的景観』として、暫定リスト入りを審議されましたが、その結果は、暫定一覧候補に終わりました。『主題に関する調査研究を行い、一定の方向性が見えた段階で準備を進めるべきもの』として、再チャレンジです。

    金沢城は、平成20年9月26日に開催された国の文化審議会文化財分科会で『城下町金沢の文化遺産群と文化的景観』として、暫定リスト入りを審議されましたが、その結果は、暫定一覧候補に終わりました。『主題に関する調査研究を行い、一定の方向性が見えた段階で準備を進めるべきもの』として、再チャレンジです。

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2016春、金沢と五箇山巡り

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