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雪吊りの時期の金沢・兼六園紹介の続きです。天気が優れない日の見学でしたが、昔見学した時の頃を思い出しながら、兼六園の名園を堪能できました。(ウィキペディア)<br /><br /><br /><br /><br />

2016早春、金沢と五箇山巡り(3/8):金沢(3/5):兼六園、福寿山、巣籠り松、播州松二世

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2016/02/20 - 2016/02/20

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旅行記グループ 2016春、金沢と五箇山巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

雪吊りの時期の金沢・兼六園紹介の続きです。天気が優れない日の見学でしたが、昔見学した時の頃を思い出しながら、兼六園の名園を堪能できました。(ウィキペディア)




交通手段
観光バス
  • 残雪の先に見える松木立は、すでに紹介した、『七福山』あるいは『福寿山』と呼ばれる一角です。雪吊りがある赤松の『巣籠り松』もこの一角です。

    イチオシ

    残雪の先に見える松木立は、すでに紹介した、『七福山』あるいは『福寿山』と呼ばれる一角です。雪吊りがある赤松の『巣籠り松』もこの一角です。

  • 兼六園には79本の名木指定があり、その内の19本は、特別名木に指定されています。先ほどの、『巣籠り松』も特別名木です。この松は、特別名木の『播州松二世』のようですが、別の松だったかもしれません。

    兼六園には79本の名木指定があり、その内の19本は、特別名木に指定されています。先ほどの、『巣籠り松』も特別名木です。この松は、特別名木の『播州松二世』のようですが、別の松だったかもしれません。

  • 桜の巨木の根元光景です。横に伸びた幹は、しっかりと支柱で支えられていました。

    桜の巨木の根元光景です。横に伸びた幹は、しっかりと支柱で支えられていました。

  • 桜の巨木には、『兼六園熊谷桜』の立札がありました。『兼六園熊谷桜(けんろくえんくまがいざくら)』は、山桜の園芸品種で、学名の桜とされます。中輪一重で、紅鮮やかな緋桜とされます。

    桜の巨木には、『兼六園熊谷桜』の立札がありました。『兼六園熊谷桜(けんろくえんくまがいざくら)』は、山桜の園芸品種で、学名の桜とされます。中輪一重で、紅鮮やかな緋桜とされます。

  • 水路の両脇が杜若園となっていた曲水の光景です。ネットで写真を確認しましたが、毎年5、6月頃に紫の花を咲かせるようです。

    水路の両脇が杜若園となっていた曲水の光景です。ネットで写真を確認しましたが、毎年5、6月頃に紫の花を咲かせるようです。

  • 飛び石でしょうか、立入り禁止の区域に足跡のような文様になっていました。

    飛び石でしょうか、立入り禁止の区域に足跡のような文様になっていました。

  • 兼六園の案内地図には、『明治紀念之標』と記されていた、日本武尊の像です。数奇の運命を持つ、屋外に設置された日本最古の銅像とされます。身長は5メートル50センチと巨大です。銅像の着物が左前になっているのは、日本武尊が女性の姿をして熊襲を倒したという伝説によります。

    兼六園の案内地図には、『明治紀念之標』と記されていた、日本武尊の像です。数奇の運命を持つ、屋外に設置された日本最古の銅像とされます。身長は5メートル50センチと巨大です。銅像の着物が左前になっているのは、日本武尊が女性の姿をして熊襲を倒したという伝説によります。

  • 同じく、『明治紀念之標』の光景です。西南戦争で命を落とした石川県兵士400名の慰霊のため、明治13年(1880年)に建立された銅像です。

    同じく、『明治紀念之標』の光景です。西南戦争で命を落とした石川県兵士400名の慰霊のため、明治13年(1880年)に建立された銅像です。

  • 幹の色から判断して、赤松の古木のようです。縦横に伸びた幹に、夥しい支柱が施されていました。ネット情報では、『手向けの松』と呼ばれる特別名木でした。『御花松』とも呼ばれているようです。

    幹の色から判断して、赤松の古木のようです。縦横に伸びた幹に、夥しい支柱が施されていました。ネット情報では、『手向けの松』と呼ばれる特別名木でした。『御花松』とも呼ばれているようです。

  • 同じく、夥しい支柱が並んだ『手向けの松』の光景です。兼六園の中で一番の枝振りとの情報もありました。幹周3メートル余、樹高5メートル、枝張り20メートル余と紹介されていました。1880年頃に、本願寺から手向けられたようです。

    イチオシ

    同じく、夥しい支柱が並んだ『手向けの松』の光景です。兼六園の中で一番の枝振りとの情報もありました。幹周3メートル余、樹高5メートル、枝張り20メートル余と紹介されていました。1880年頃に、本願寺から手向けられたようです。

  • 苔らしい下草の上に、僅かに残った残雪の光景です。石塔や古木があった、年代を感じさせる庭園の一角でした。

    苔らしい下草の上に、僅かに残った残雪の光景です。石塔や古木があった、年代を感じさせる庭園の一角でした。

  • 苔生した古木の幹の光景です。樹種は分かりませんが、寿命を迎え始めていたように見えました。

    苔生した古木の幹の光景です。樹種は分かりませんが、寿命を迎え始めていたように見えました。

  • 前方に木橋が懸った曲水の光景です。案内図を参照しても、名前が記されていない橋のようでした。

    前方に木橋が懸った曲水の光景です。案内図を参照しても、名前が記されていない橋のようでした。

  • 『山崎山』の登り口の光景です。その袂に芭蕉の句碑がありました。芭蕉は、今でも一番好きな俳人です。若い頃は奥の細道などの句集を片手に旅行したこともありました。

    『山崎山』の登り口の光景です。その袂に芭蕉の句碑がありました。芭蕉は、今でも一番好きな俳人です。若い頃は奥の細道などの句集を片手に旅行したこともありました。

  • 雨に濡れた芭蕉句碑です。俯き加減の句碑の文字部分は乾いたままでした。芭蕉は、奥の細道の道中、7月15〜23日に金沢を訪れています。芭蕉は金沢で愛弟子の一笑に逢うのを楽しみにしていましたが、15日に悲報を聞き、芭蕉としては唯一ともされる感情を表に出した『塚も動けわが泣く声は秋の風』の句を残しました。

    イチオシ

    雨に濡れた芭蕉句碑です。俯き加減の句碑の文字部分は乾いたままでした。芭蕉は、奥の細道の道中、7月15〜23日に金沢を訪れています。芭蕉は金沢で愛弟子の一笑に逢うのを楽しみにしていましたが、15日に悲報を聞き、芭蕉としては唯一ともされる感情を表に出した『塚も動けわが泣く声は秋の風』の句を残しました。

  • 芭蕉句碑に説明立看板です。芭蕉が金沢で詠んだ『あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風』の句の紹介です。句碑の書は、江戸後期の俳人、梅室の筆と紹介されていました。桜井梅室(1769〜1852年)は、天保三大家の一人とされます。この句は、『季節外れのような、真赤な夕日が照りつけている、だが秋風はさすがに秋の風だ』などと解釈されています。

    芭蕉句碑に説明立看板です。芭蕉が金沢で詠んだ『あかあかと日は難面(つれなく)も秋の風』の句の紹介です。句碑の書は、江戸後期の俳人、梅室の筆と紹介されていました。桜井梅室(1769〜1852年)は、天保三大家の一人とされます。この句は、『季節外れのような、真赤な夕日が照りつけている、だが秋風はさすがに秋の風だ』などと解釈されています。

  • 上までは登りませんでしたが、麓から眺めた、山崎山の築山の光景です。昔、この地を山崎の庄と呼んでいたことから名が付いた。高さ9メートルの築山です。

    上までは登りませんでしたが、麓から眺めた、山崎山の築山の光景です。昔、この地を山崎の庄と呼んでいたことから名が付いた。高さ9メートルの築山です。

  • 兼六園の敷地の、東南端付近までやって来たようです。区域境の塀と、その周りの建物光景が見えてきました。

    兼六園の敷地の、東南端付近までやって来たようです。区域境の塀と、その周りの建物光景が見えてきました。

  • 兼六園の外れですから、この辺りでは人の姿がありませんでした。金沢城址からは一番遠い兼六園の敷地になります。この近くには、小立野口があります。

    兼六園の外れですから、この辺りでは人の姿がありませんでした。金沢城址からは一番遠い兼六園の敷地になります。この近くには、小立野口があります。

  • 赤い椿の花の落花です。花鐚単位で散る山茶花とは違って、花が纏まって落花します。山崎山の麓になるようです。

    赤い椿の花の落花です。花鐚単位で散る山茶花とは違って、花が纏まって落花します。山崎山の麓になるようです。

  • 『氷室跡』の立札があった場所です。冬の間に雪を貯め、木陰で夏までもたせたようです。冷蔵庫のなかった江戸時代では、夏での一番の贅沢、将軍家にも献上されたようです。

    『氷室跡』の立札があった場所です。冬の間に雪を貯め、木陰で夏までもたせたようです。冷蔵庫のなかった江戸時代では、夏での一番の贅沢、将軍家にも献上されたようです。

  • 雨の中で餌探しをしていたカラスさんです。日本ではカラスさんは嫌われ者とされることが多いようですが、記憶力や判断力など、その知能の高さは、鳥類では一番との評価もあるようです。

    雨の中で餌探しをしていたカラスさんです。日本ではカラスさんは嫌われ者とされることが多いようですが、記憶力や判断力など、その知能の高さは、鳥類では一番との評価もあるようです。

  • 観光客慣れしているのか、多少近寄っても飛び去りませんでした。横顔から見ると、ハシボソガラス(嘴細烏)さんのようです。ネット情報では、雪が積もった屋根の上でソリ遊びをするハシボソガラスさんの動画を見たこともあります。

    観光客慣れしているのか、多少近寄っても飛び去りませんでした。横顔から見ると、ハシボソガラス(嘴細烏)さんのようです。ネット情報では、雪が積もった屋根の上でソリ遊びをするハシボソガラスさんの動画を見たこともあります。

  • 左手に建物光景があった、兼六園の一角の光景です。あとで地図を参照しましたら、石川県立産業工芸館のようでした。

    左手に建物光景があった、兼六園の一角の光景です。あとで地図を参照しましたら、石川県立産業工芸館のようでした。

  • 『御堂の塔(おむろのとう)』のタイトルがあった立札と石塔の光景です。京都の仁和寺(御堂御所)に因むことが紹介されていました。

    『御堂の塔(おむろのとう)』のタイトルがあった立札と石塔の光景です。京都の仁和寺(御堂御所)に因むことが紹介されていました。

  • 同じく、『御堂の塔(おむろのとう)』の光景です。雨が強くなってきた時間ですので、上方を向いた撮影では、カメラに雨滴が付きやすくなりました。白川御影石を使った、高さ4メートル70センチの石塔です。

    同じく、『御堂の塔(おむろのとう)』の光景です。雨が強くなってきた時間ですので、上方を向いた撮影では、カメラに雨滴が付きやすくなりました。白川御影石を使った、高さ4メートル70センチの石塔です。

  • 『御堂の塔(おむろのとう)』の傍から見下ろした、園内光景です。傘を差しながら通り過ぎる人の姿が見えました。

    『御堂の塔(おむろのとう)』の傍から見下ろした、園内光景です。傘を差しながら通り過ぎる人の姿が見えました。

  • 場所を移動して、木陰から眺めた『御堂の塔(おむろのとう)』です。名の由来は、京都仁和寺(御室御所)の古い塔を模倣した説と、13代藩主斉泰の嫡母の真龍院(関白の鷹司家の出自)の仁和寺への郷愁からという説があるようです。

    場所を移動して、木陰から眺めた『御堂の塔(おむろのとう)』です。名の由来は、京都仁和寺(御室御所)の古い塔を模倣した説と、13代藩主斉泰の嫡母の真龍院(関白の鷹司家の出自)の仁和寺への郷愁からという説があるようです。

  • 岸辺に石が配された曲水の光景です。曲水の宴が開かれていた場所でしょうか。

    岸辺に石が配された曲水の光景です。曲水の宴が開かれていた場所でしょうか。

  • 全体が真新しい菰で巻かれていた石塔のような光景です。庭師さんが余興で拵えたような光景に思えました。

    全体が真新しい菰で巻かれていた石塔のような光景です。庭師さんが余興で拵えたような光景に思えました。

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2016春、金沢と五箇山巡り

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