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2015年シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安~河西回廊を行く)で訪れた西安の陝西歴史博物館です。陝西省は中華民族の生活と発展、華夏文明の誕生と発展において重要な地区の一つです。中国の歴史上最も隆盛を極めた周、秦、漢、唐など十三の王朝がここを都と定めており、中国文明のもっと重要な発祥地の1つとされています。<br />陝西歴史博物館は、西安大雁塔の西北にあり、1991年に開館した中国全土の中でも最大規模を誇る博物館のひとつです。<br />陝西歴史博物館③は何家村出土遺物をはじめとする大唐遺宝のコレクション他です。旅行記に纏めるのに7年も経ってしまいました。

2015.8 蘭州・敦煌・西安~河西回廊を行く【16】~陝西歴史博物館③

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2015/08/15 - 2015/08/15

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2015年シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安~河西回廊を行く)で訪れた西安の陝西歴史博物館です。陝西省は中華民族の生活と発展、華夏文明の誕生と発展において重要な地区の一つです。中国の歴史上最も隆盛を極めた周、秦、漢、唐など十三の王朝がここを都と定めており、中国文明のもっと重要な発祥地の1つとされています。
陝西歴史博物館は、西安大雁塔の西北にあり、1991年に開館した中国全土の中でも最大規模を誇る博物館のひとつです。
陝西歴史博物館③は何家村出土遺物をはじめとする大唐遺宝のコレクション他です。旅行記に纏めるのに7年も経ってしまいました。

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  • 何家村出土遺物をはじめとする大唐遺宝のコーナーです。<br />何家村は、陝西省西安市の南部にある町の名前で、1970年、この地域の一画から唐時代の窖蔵(穴倉)が発見されました。そこには陶製の大きな甕2口と銀製の壺1口が置かれ、これらの容器の中に、金銀器をはじめ、青銅器、宝玉、貨幣、薬材など、およそ1000点にものぼる器物がぎっしりと詰め込まれていました。とくに金銀器は、約270点という多数をしめ、碗、盤、杯、壼、箱、合子、錠、装身具といった多彩な種類に及び贅が尽くされた巧緻な作風を示し、唐代金銀器の質の高さをあますところなく伝えています。これらの埋納品はおよそ唐時代の半ば(8世紀中期)頃までに制作あるいは使用されたもののようで、安史の乱(755~763年)などの戦乱に際して、その難を逃れるために地下に埋納されたのではないかと考えられています。

    何家村出土遺物をはじめとする大唐遺宝のコーナーです。
    何家村は、陝西省西安市の南部にある町の名前で、1970年、この地域の一画から唐時代の窖蔵(穴倉)が発見されました。そこには陶製の大きな甕2口と銀製の壺1口が置かれ、これらの容器の中に、金銀器をはじめ、青銅器、宝玉、貨幣、薬材など、およそ1000点にものぼる器物がぎっしりと詰め込まれていました。とくに金銀器は、約270点という多数をしめ、碗、盤、杯、壼、箱、合子、錠、装身具といった多彩な種類に及び贅が尽くされた巧緻な作風を示し、唐代金銀器の質の高さをあますところなく伝えています。これらの埋納品はおよそ唐時代の半ば(8世紀中期)頃までに制作あるいは使用されたもののようで、安史の乱(755~763年)などの戦乱に際して、その難を逃れるために地下に埋納されたのではないかと考えられています。

    陜西歴史博物館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 「赤金盆」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土

    「赤金盆」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土

  • 「金宝相華文杯」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土

    「金宝相華文杯」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土

  • 「宝相華文六花形合子」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />六花形に形作った蓋と身からなる合子。表面には空想的な花文様をいっぱいに刻出し、地を魚々子で埋めている。唐時代盛期の銀器の上質な作風を色濃く残しています。

    「宝相華文六花形合子」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    六花形に形作った蓋と身からなる合子。表面には空想的な花文様をいっぱいに刻出し、地を魚々子で埋めている。唐時代盛期の銀器の上質な作風を色濃く残しています。

  • 「翼鹿鳳凰文合子」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />蓋上面の中央に茸状の角と翼を持ち長い綬を銜える鹿が描かれています。

    「翼鹿鳳凰文合子」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    蓋上面の中央に茸状の角と翼を持ち長い綬を銜える鹿が描かれています。

  • 「合子」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />何家村からは、丹薬ないし医薬に関する器物や、丹砂、鍾乳石といった薬剤類が大量に発見されています。

    「合子」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    何家村からは、丹薬ないし医薬に関する器物や、丹砂、鍾乳石といった薬剤類が大量に発見されています。

  • 「鍍金亀文桃形銀盤」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />縁が浅く湾曲して立ち上がった桃形の盤の中央に亀の文様を立体的に表現し、そこに鍍金をのせています。

    「鍍金亀文桃形銀盤」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    縁が浅く湾曲して立ち上がった桃形の盤の中央に亀の文様を立体的に表現し、そこに鍍金をのせています。

  • 「鍍金狐文桃形銀盤」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />桃が繋がった形の銀盤に、めでたい獣とされた狐が顔を見合わせた構図で2匹打ち出されています。

    「鍍金狐文桃形銀盤」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    桃が繋がった形の銀盤に、めでたい獣とされた狐が顔を見合わせた構図で2匹打ち出されています。

  • 「鍍金鳳凰文銀盤」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土

    「鍍金鳳凰文銀盤」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土

  • 「鴛鴦蓮弁文金碗」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />黄金をたたいて成形した碗。外側には2層の蓮の花弁文、内側中心に薔薇の花弁が刻まれています。

    「鴛鴦蓮弁文金碗」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    黄金をたたいて成形した碗。外側には2層の蓮の花弁文、内側中心に薔薇の花弁が刻まれています。

  • 「鴛鴦蓮瓣紋金碗」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />デザインは、上下二段に打ち出しの技法でレリーフ状の蓮の花びらが10枚ずつ。<br />それぞれの花びらの中には、上段はおしどり、鴨、オウム、狐といった動物紋、下段はスイカズラの花の図案が彫られています。

    「鴛鴦蓮瓣紋金碗」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    デザインは、上下二段に打ち出しの技法でレリーフ状の蓮の花びらが10枚ずつ。
    それぞれの花びらの中には、上段はおしどり、鴨、オウム、狐といった動物紋、下段はスイカズラの花の図案が彫られています。

  • 「雙獅紋金鐺」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土

    「雙獅紋金鐺」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土

  • 「金獣首瑪瑙杯」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />縞瑪瑙を彫ったリュトン(獣角形酒器)、牛頭に羚羊の角が孤をえがいて胴につながる。国宝級文化財の最重要品として国外への出展が禁止されています。

    「金獣首瑪瑙杯」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    縞瑪瑙を彫ったリュトン(獣角形酒器)、牛頭に羚羊の角が孤をえがいて胴につながる。国宝級文化財の最重要品として国外への出展が禁止されています。

  • 「鍍金舞馬銜杯文銀壺」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />杯を銜えた馬は唐の玄宗皇帝の誕生日を祝ったという幻の「舞馬」<br />舞馬とは音楽に合わせ頭や尻尾を持ち上げ舞いを披露するよう調教された馬たちで100頭存在していたそうです。

    「鍍金舞馬銜杯文銀壺」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    杯を銜えた馬は唐の玄宗皇帝の誕生日を祝ったという幻の「舞馬」
    舞馬とは音楽に合わせ頭や尻尾を持ち上げ舞いを披露するよう調教された馬たちで100頭存在していたそうです。

  • 「銀鋌」唐代(618~907年)<br />西安市何家村出土<br />銀鋌は、秤量貨幣の銀貨

    「銀鋌」唐代(618~907年)
    西安市何家村出土
    銀鋌は、秤量貨幣の銀貨

  • 何家村出土品の中には多くの銅銭がありましたが、日本の和同開珎もあったようです。

    何家村出土品の中には多くの銅銭がありましたが、日本の和同開珎もあったようです。

  • 「金銀平脱四鸞銜綬文鏡」<br />金銀の薄板を切り抜き、漆地に塗り込んで研ぎだす平脱の技法で作られた道鏡。<br />飛翔する金の鳳凰が美しい。

    「金銀平脱四鸞銜綬文鏡」
    金銀の薄板を切り抜き、漆地に塗り込んで研ぎだす平脱の技法で作られた道鏡。
    飛翔する金の鳳凰が美しい。

  • 「三彩梳粧女座俑」(唐代)<br />王家墳90号出土<br />円い腰掛けに座り、化粧のようなしぐさをする若い女性俑。<br />鮮やかな色彩の衣に花紋があしらわれています。

    「三彩梳粧女座俑」(唐代)
    王家墳90号出土
    円い腰掛けに座り、化粧のようなしぐさをする若い女性俑。
    鮮やかな色彩の衣に花紋があしらわれています。

  • 「三彩捧方男装女俑」<br />乾県唐永泰公主墓出土<br />盛唐初期では、女性による男装が流行していたそうです

    「三彩捧方男装女俑」
    乾県唐永泰公主墓出土
    盛唐初期では、女性による男装が流行していたそうです

  • 「三彩女立俑」唐時代(618~907年)<br />西安市中堡村出土

    「三彩女立俑」唐時代(618~907年)
    西安市中堡村出土

  • 「三彩女立俑」唐時代(618~907年)<br />西安市中堡村出土

    「三彩女立俑」唐時代(618~907年)
    西安市中堡村出土

  • 「三彩天王俑」(唐代)<br />邪鬼を踏みしめ憤怒の形相で立つ天王の威風堂々とした姿。

    「三彩天王俑」(唐代)
    邪鬼を踏みしめ憤怒の形相で立つ天王の威風堂々とした姿。

  • 「彩絵文官俑」<br />唐時代(618~907年)

    「彩絵文官俑」
    唐時代(618~907年)

  • 「彩色笠帽女子騎馬俑」(唐代)<br />開放的な唐代は、女性の乗馬が流行したようです。

    「彩色笠帽女子騎馬俑」(唐代)
    開放的な唐代は、女性の乗馬が流行したようです。

  • 「彩絵帷帽女騎像」<br />唐時代(657年)<br />礼泉県唐張士貴墓出土

    「彩絵帷帽女騎像」
    唐時代(657年)
    礼泉県唐張士貴墓出土

  • 「彩絵双環髷女舞俑」(唐代)<br />美しいです

    「彩絵双環髷女舞俑」(唐代)
    美しいです

  • 「三彩吹笙女坐俑」唐時代(618~907年)

    「三彩吹笙女坐俑」唐時代(618~907年)

  • 「彩絵胡人騎馬帯犬狩俑」<br />唐・大足元年(701年)<br />乾県唐永泰公主墓出土

    「彩絵胡人騎馬帯犬狩俑」
    唐・大足元年(701年)
    乾県唐永泰公主墓出土

  • 「緑釉架鷹騎馬俑」<br />唐・神龍二年(706年)<br />陝西省乾県にある乾陵陪葬墓の一つ懿徳太子墓から出土したもの。唐三彩の人馬の明器が多く発見されたほか,特に40幅をかぞえる壁画は重要です。<br />

    「緑釉架鷹騎馬俑」
    唐・神龍二年(706年)
    陝西省乾県にある乾陵陪葬墓の一つ懿徳太子墓から出土したもの。唐三彩の人馬の明器が多く発見されたほか,特に40幅をかぞえる壁画は重要です。

  • 「彩絵貼金鎧冑男騎俑」<br />唐・神龍二年(706年)<br />陝西省乾県懿徳太子墓出土<br />懿徳太子は唐の4代皇帝中宗李顕の長子李重潤で、3代高宗李治と則天武后は祖父母にあたります。

    「彩絵貼金鎧冑男騎俑」
    唐・神龍二年(706年)
    陝西省乾県懿徳太子墓出土
    懿徳太子は唐の4代皇帝中宗李顕の長子李重潤で、3代高宗李治と則天武后は祖父母にあたります。

  • こちらはポロに興じているようです

    こちらはポロに興じているようです

  • 「加彩馬」唐時代(618~907年)

    「加彩馬」唐時代(618~907年)

  • 「加彩馬」唐時代(618~907年)<br />堂々とした体格の馬です

    「加彩馬」唐時代(618~907年)
    堂々とした体格の馬です

  • 「黄釉牛」

    「黄釉牛」

  • 「加彩臥駝」<br />唐時代(618~907年)

    「加彩臥駝」
    唐時代(618~907年)

  • 「彩色騎駱駝俑」唐時代(618~907年)<br />ラクダが続きます・・・<br />

    「彩色騎駱駝俑」唐時代(618~907年)
    ラクダが続きます・・・

  • 「三彩臥駝」<br />唐時代(618~907年)<br />西安市東郊韓森寨出土

    「三彩臥駝」
    唐時代(618~907年)
    西安市東郊韓森寨出土

  • 「三彩臥駝」<br />唐時代(618~907年)

    「三彩臥駝」
    唐時代(618~907年)

  • 「彩絵牽駱駝」唐時代(618~907年)<br />胡人がラクダを牽いています<br />唐代の「胡人」とは西方の異民族、主にシルクロード一帯での交易で活躍したイラン系のソグド人です

    「彩絵牽駱駝」唐時代(618~907年)
    胡人がラクダを牽いています
    唐代の「胡人」とは西方の異民族、主にシルクロード一帯での交易で活躍したイラン系のソグド人です

  • 「三彩三花馬」<br />唐時代(618~907年)

    「三彩三花馬」
    唐時代(618~907年)

  • こちらは胡人と三彩馬

    こちらは胡人と三彩馬

  • 兵士と役人の俑でしょうか

    兵士と役人の俑でしょうか

  • 「青釉倒注壺」<br />子に乳を飲ませる獅子の注ぎ口に鳳凰の持ち手の造形が見事。

    「青釉倒注壺」
    子に乳を飲ませる獅子の注ぎ口に鳳凰の持ち手の造形が見事。

  • 「三彩椀」唐・大足元年(701年)<br />乾県唐永泰公主墓出土<br />唐三彩の中でも至極の一品。

    「三彩椀」唐・大足元年(701年)
    乾県唐永泰公主墓出土
    唐三彩の中でも至極の一品。

  • 「三彩獅子」唐時代(618~907年)<br />西安市東郊王家墳出土

    「三彩獅子」唐時代(618~907年)
    西安市東郊王家墳出土

  • 見事な造形の皿です

    見事な造形の皿です

  • 「三彩西瓜」唐時代(618~907年)<br />西瓜ですね・・・

    「三彩西瓜」唐時代(618~907年)
    西瓜ですね・・・

  • 「三彩罐」唐時代(618~907年)<br />西安市西郊三橋鎮出土

    「三彩罐」唐時代(618~907年)
    西安市西郊三橋鎮出土

  • 「三彩四系罐」唐時代(618~907年)

    「三彩四系罐」唐時代(618~907年)

  • 「三彩注盆」唐・大足元年(701年)<br />乾県唐永泰公主墓出土<br />「永泰公主墓」は中国陝西省乾県にあり,西安より76.5kmに位置します。永泰公主は唐の中宗の七女,高宗と則天武后の孫にあたります。

    「三彩注盆」唐・大足元年(701年)
    乾県唐永泰公主墓出土
    「永泰公主墓」は中国陝西省乾県にあり,西安より76.5kmに位置します。永泰公主は唐の中宗の七女,高宗と則天武后の孫にあたります。

  • 「三彩盆」唐・大足元年(701年)<br />乾県唐永泰公主墓出土<br />1960~1962年にかけて行われた発掘で、玄室の青龍、白虎の壁画や、陶俑(とうよう)、石刻、陶磁器など1000点あまりの副葬品が発見されました

    「三彩盆」唐・大足元年(701年)
    乾県唐永泰公主墓出土
    1960~1962年にかけて行われた発掘で、玄室の青龍、白虎の壁画や、陶俑(とうよう)、石刻、陶磁器など1000点あまりの副葬品が発見されました

  • 「彩絵天王桶」唐時代(618~907年)

    「彩絵天王桶」唐時代(618~907年)

  • 「十二生肖陶俑」(唐代)<br />人身獣首の十二支俑。

    「十二生肖陶俑」(唐代)
    人身獣首の十二支俑。

  • 「彩絵鎮墓獣」唐時代(618~907年)<br />鎮墓獣とは墓門を守る辟邪の獣です。肩に翼をもち、足先は偶蹄で、岩状の台座に座した姿にあらわされます。猛々しい形相ばかりでなく、たてがみを奮い立たせ、全身から怒気を発散しており、鎮墓の獣にふさわしい嚇怒の相をみせています。

    「彩絵鎮墓獣」唐時代(618~907年)
    鎮墓獣とは墓門を守る辟邪の獣です。肩に翼をもち、足先は偶蹄で、岩状の台座に座した姿にあらわされます。猛々しい形相ばかりでなく、たてがみを奮い立たせ、全身から怒気を発散しており、鎮墓の獣にふさわしい嚇怒の相をみせています。

  • こちらも鎮墓獣の仲間でしょうか

    こちらも鎮墓獣の仲間でしょうか

  • 「白石阿弥陀仏像」唐時代(618~907年)<br />陝西省 礼泉県出土

    「白石阿弥陀仏像」唐時代(618~907年)
    陝西省 礼泉県出土

  • たくさんの俑が並んでいます

    たくさんの俑が並んでいます

  • 「鐘山石窟」北宋治平四年(1067)<br />子長県安定鎮鐘山。

    「鐘山石窟」北宋治平四年(1067)
    子長県安定鎮鐘山。

  • 「第二の敦煌」とも呼ばれる鐘山石窟<br />東晋の太和元年(366年)に建造が開始され、完成までに千年以上を要しています。

    「第二の敦煌」とも呼ばれる鐘山石窟
    東晋の太和元年(366年)に建造が開始され、完成までに千年以上を要しています。

  • 計18の石窟があり、中でも「中窟」は、最大規模の石窟で、大小合わせて1万体以上の仏像があり、「万仏岩」とも呼ばれています。

    計18の石窟があり、中でも「中窟」は、最大規模の石窟で、大小合わせて1万体以上の仏像があり、「万仏岩」とも呼ばれています。

  • 北宋時代の鐘山石窟の仏像です

    北宋時代の鐘山石窟の仏像です

  • 「銅仏像」明(1368-1644年)

    「銅仏像」明(1368-1644年)

  • こちらも明時代の観音像<br />

    こちらも明時代の観音像

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