1977/07/28 - 1977/07/28
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ねんきん老人さん
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遺跡・史跡・旧跡と呼ばれる場所に立って思いを過去に遡らせる、というのは歴史学習の基本の一つだと思います。
では、「遡る」ではなくて、ワープしたらどうでしょうか。 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ではマイケル・J・フォックス演ずるところのマーティ・マクフライがエメット・ブラウン博士の発明したタイムマシン「デロリアン」に乗って過去と現在を往復します。これは瞬間移動なので、過去から現在への変化の過程は見られません。
通常私たちが見る遺跡というのは、過去の姿そのままではありません。何百年、何千年の間に朽ちたり追加されたりして変貌していますし、周囲の景観も様変わりしているのが普通です。
ですから、私たちはその変化した部分を想像の中で修復したり削ったりして、過去の姿を思い浮かべます。つまり「遡る」のです。 いわばアナログ的に時を超えてゆくわけで、バック・トゥ・ザ・フューチャーのように歳月を省略していきなり過去の舞台に立つというデジタル的な移動ではありません。
ところが、ポンペイ遺跡に立ってみると、どうしても自分がデジタル手法で時間をワープしたような感覚に襲われます。
今日は、その辺について書いてみたいと思います。
ポンペイ遺跡にははるか昔、二度行きました。一度目はローマ市内にある旅行会社の日本語ツアーで、二度目は「欧州教育事情視察団」などというもっともらしい団体での旅行です。視察と言ったって、実際は観光旅行だということは誰でも察しがつきます。
つまり、二度とも限られた時間で限られた範囲を歩くだけの、きわめて薄っぺらな見学です。写真もほとんど撮らず、ただ見て歩いただけなので、旅行記にはなっていませんが、自分が時間の瞬間移動をしたという体験として、いまだに鮮烈な印象が残っていますので、その気持ちだけお伝えできればと思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
【 ポンペイ遺跡入場券 1977年 】
一度目の時に買った入場券です。105リラと書かれています。 -
【 ポンペイ遺跡入場券 1980年 】
二度目で買ったものです。750リラと書かれています。
もう一度、よーく見てください。その下に150リラと書かれていますね。
当時イタリアのインフレは日本でも報道されていましたが、3年の間に105リラが150リラになり、さらに750リラになったということです。
あまりの早さに入場券を一々刷り直すのは勿体ないとばかり、750リラのゴム印で間に合わせてしまったわけです。
時間の止まったようなポンペイ遺跡で、逆にめまぐるしく変わる社会情勢を見せつけられたようで、なんだか皮肉っぽい感じがしました。 -
【 石膏による遺体の型抜き 】
ポンペイは、紀元79年8月に起きたベスビオ火山の噴火による火砕流で地中に埋もれました。
突然のことで逃げ遅れた人々は、灰の下で息絶え、そのまま千六百年以上も地下に埋もれていました。その間に遺体は腐食し、人を呑み込んだまま固まった灰の中には、遺体の形をした空洞が残されました。その空洞に石膏を流し込んで型を取ったのが写真の人型です。
古い墓地などで埋葬された人骨を見るのとは違い、二千年前のある日の姿をそのまま見ているわけです。 -
【 町並み 】
通常、遺跡なり史跡というものは、歴史の主流から取り残された町や村が、次第にさびれ、荒廃し、そのまま捨て置かれ、のちの歴史家によって思い出されたときにはもう、昔を偲ぶよすがもまばらになってしまっています。
だから私たちがそこを訪れたときには、まず時代の隔たりというものを感じるのが普通で、目の前に見える廃墟を、かなりの想像によって修復しなければ、昔の姿が見えてきません。つまり見ているのは、昔の姿そのままではなく、生活の匂いがしないのです。
ところが、このポンペイは、ある日まで街角に人々の笑い声が響いており、その翌日からは過去の町、すなわち遺跡になっていたという、特異な場所です。
そしてその町は、焼きかけのパンを放り出して逃げ惑う人々を、家畜、家財道具、その他すべての生活と共にすっぽりと包んだまま灰に埋まり、1748年に発掘が開始されるまで、そのままじっと時を待っていました。
その間千六百年以上というもの、この町には、何の変化もありませんでした。人も生まれず、工事も破壊も風化もありませんでした。 つまり、時間が経過しなかったに等しいのです。
ポンペイは、ある日突然眠り、そのままの姿である日忽然と蘇りました。 -
【 神殿の列柱に飾られたアポロ神の彫像 】
すごいと思って撮った写真ですが、レプリカかも知れません。あるいは倒れて破損したものを修復したのかも・・・。
どちらにせよ、二千年近くも昔にこんなにも精緻な彫刻をしていたことに驚きます。日本で埴輪が作られたのよりずっと前ですものね。
今東京のどこかの駅前広場に立っていても違和感はないと思います。昔の彫刻を見ているという感じはありません。 -
【 中央広場 フォロ 】
中央広場のことをフォロというのだと説明がありました。そういえばローマにフォロ・ロマーノという所があるので、ふーんと聞いていましたが、最近もの知りの友人からフォロというのはラテン語のフォルムをイタリアっぽく発音したものだと教わりました。
フォルムと聞いて、それじゃあフォーラムというのも同じかと思い、今度はWikipediaで調べてみたら、古代ローマの集会場、公共広場が転じて討論の場や討論会をさすようになった言葉だと分かりました。
漠然と聞いていたフォーラムという言葉がそんな意味だったとは・・・。やはり長生きはするものですね。 -
【 メインストリート 】
最近行かれた方の写真を拝見すると、崩れた建物はかなり修復され、あちこちに手すりなども設置されて整然としていますが、私が行ったときは崩れた石材が無数に転がり、雑草も伸びていました。
それでも町並みのイメージはしっかりと残り、数か月前に地震で崩れたと言われても信じてしまいそうなたたずまいでした。 -
【 歩車道と横断歩道 】
一段低くなったところは馬車用のいわば車道で、両側の高くなったところは歩道だそうです。 幅こそ違いますが、今と同じ作りですね。
車道に大きくて平たい石があるのは、横断歩道だそうです。 なるほど、これなら馬車の車輪はそのまま通れます。(でも馬はこの石を乗り越えなければなりませんね)
腹這って道路の起伏を確認しているのは、若き日の私です。髪の毛が黒いころは写真に撮られても平気でしたが・・・。 -
【 精巧な石積みの家並み 】
町をすっぽり火砕流で覆ってしまったほどの噴火ですから、地震の規模も相当なものだったと思います。それでもこれだけの建物が残っていたのですから、石組みの技術はかなり高度なものだったことが窺えます。
屋根とドアをつければそのまま住めそうです。
前方に例の横断歩道が見えます。 -
【 水飲み場 】
板のような形状の石で四角く囲った水飲み場(水汲み場?)です。
板石の上に動物の顔を彫った石が載せてありますが、この動物の口から水が出るようになっていたとか。
どうやって水が出たのか、中にパイプのようなものが埋め込んであったのか、質問しましたが、ガイドさんは「水が出たんです」というばかりで、そのしくみについては説明してくれませんでした。
この高さに水が揚がったとなれば、それなりの水圧をかけた筈ですが、周りを見てもこの動物より高い所に貯水槽らしきものは見えませんでした。
同じようなものは何か所かありましたが、やはり水圧を生むようなしくみは見つかりません。
最近の写真を見たら、動物の口のところに金属の蛇口がついていました。水道を引いたのでしょうが、遺跡にそういう手を加えることは賛成できません。
動物は場所によって違い、それを見れば今いる場所が判るということでした。 -
【 壁画 】
ポンペイの町には売春宿もあったそうで、ガイドさんはここぞとばかりに説明していました。ツアー客も盛り上がっていましたが、そんなものはなにもポンペイでなくたってあったと思います。
その部屋の壁には春画が描かれていて、みんな競って写真を撮っていましたが、日本の浮世絵とは違って「どうということもない」絵ばかりです。
この写真はその中でもとくに「どうということもない」部屋を写したものですが、そのほかの部屋も「たいしたことはありません」ので、念のため。 -
【 邸宅の中庭 】
邸宅の中庭、だと思います。
実はあと数日で2歳になるというせがれが勝手に歩き回り、ツアーだというのにガイドさんを見失ってしまったのです。まあ集合時間は決まっていたので適当に歩いていて、ここに迷い込みました。
回廊のようになっていて、それぞれの柱に飾り彫刻がありますから、個人の家だとしたら相当な財力のある人だったのでしょう。 -
【 円形劇場 】
最近の写真を見ると円形劇場はきれいに修復されていて、そのまま今晩にでも上演ができそうですが、私たちが行ったときにはまだこんな状態でした。
それでも、すり鉢の底にあたる舞台に立った私の声が、上の方にいた妻子によく聞こえたそうです。
その他いろいろ見たのですが、写真が古く、しかも下手なのでこれから行かれる方の参考にはならないと思い、それらをこれ以上載せるのはやめておきます。
私はそれよりも、ポンペイという町が、1600年の間に新築改築の手が加わっていないこと、衰退や変貌の過程がなかったことを強調しておきたいと思います。
それはちょうど、バック・トゥ・ザ・フューチャーでマーティが変化の過程を飛び越えて過去と現在を往復したことに似ています。
繰り返しますが、ポンペイは歳月による変化というものがないまま現代人の前に現れた、過去そのままの町です。
これについて、私は別の稿でも述べていますので、もしよろしかったらご一読いただけると幸いです。
http://zatsunen4989.web.fc2.com/hitorigoto/021_pompei.html
表題は「生きているポンペイ」です。 -
【 偽オメガ売りの男 】
さて、ポンペイの遺跡とはまったく関係ありませんが、座興で2枚の写真を追加します。
先述のとおり、ポンペイには2度行きましたが、2度とも団体旅行です。団体旅行となると、頼みもしないのに土産物屋に連れていかれるのはまあ、仕方がありません。
1度目のとき、カメオ工場というのに行きました。工場といったって、フロアのほとんどは土産物売り場です。
私は土産物に興味がないのでバスの前で待っていると、写真右に写っている白シャツの男が近づいてきて、ハンカチから時計を取り出し、
「オメガ、ヤスイヨ」
と日本語で言いました。あとは値段を変えながら売ろうとします。
私は自分の時計を指さし、「これがオメガだよ。それはニセモノだろ」と日本語で言ってやりました。無論イタリア語は解りませんし、たとえ解っても買う気のないときは日本語の方がいいですから。 -
【 偽ダイヤ売りの男 】
その3年後、2度目のポンペイ見学のあと、また同じ店に連れて行かれました。
そこに現れたのが写真の男です。上の写真と比べてください。同じ男です。
男は、今度はハンカチから指輪を取り出すと、それでいきなりバスの窓ガラスをこすりました。ガラスに傷がついたのを指して、「ダイヤ、ホンモノ」と言います。
「ダイヤでなくたって傷ぐらいつくよ」
私はまた日本語で言いました。
「あんた、前にオメガ売ってたろ」
やはり通じませんでしたが、オメガという言葉だけは聞き取れたとみえて、
「オメガ、ホンモノ。ダイヤ、ホンモノ」と繰り返し、悪びれる様子はまるでありません。
私は、保証書はあるかとか、どこで作られたのかとか、いいかげんなことを訊き、まるで問答が噛み合わぬまま時間が過ぎて、ガイドさんの呼び声をいいことにバスに逃げ込みました。
着ている服の違いからすると、偽物売りは結構儲かるようですね。カモは大体日本人でしょうが。
ポンペイというと思い出す、おかしくも懐かしい男です。 -
【 ガイド? 添乗員? 】
最後にもう一人、ポンペイというと思い出す人がいます。
この日はローマ市内の旅行会社に飛び込んでの一日ツアーだったのですが、バスに乗り込んできたのはこの男性、カルメーロさん(だったと思います)だけ。
英語もほとんど話せず、日本語は「ハヤクイキマショー」という一言だけでしたが、ときどき説明らしいこともしていましたから、ガイドなのでしょう。 それに遺跡の入場券を配ったりもしていましたから、添乗員といえなくもありません。
まあ、頼りにならない御仁でしたが、なぜかせがれを可愛がってくれて、せがれも妙になついていました。
ダメ男であろうがならず者であろうが、我が子を可愛がってくれれば善人に見えてしまうというのは、親馬鹿ちゃんりんの弱いところでしょうか。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- まむーとさん 2016/05/01 15:33:40
- ポンペイの旅行記
- ねんきん老人さん、こんにちは!
やはりねんきん老人さんの旅行記はどれもこれも面白く、深く、なるほどです。
1970から1980年のインフレの様子がありありと分かるチケットは、貴重な資料ですね。
そのインフレのスピードを物語ます。
【写真が古く、しかも下手なのでこれから行かれる方の参考にはならないと思い、それらをこれ以上載せるのはやめておきます】
と書いてありましたが、その時の時代は、もう見られない貴重な歴史です。
ポンペイの草わら状態と奥様お子様のチューリップ帽は、その時代の日本とポンペイをありありと表現し、今は絶対に見られない写真です。
貴重な写真とコメントは、すばらしく、暇なGW に有意義な時間が持て、賢くなったと嬉しくなった旅行記でした。
追伸
私は1997年にポンペイに行きました。
私の写真もいつか時代背景の分かる資料になって欲しいです。
→女性の髪型ぐらいかな。
- ねんきん老人さん からの返信 2016/05/11 12:46:35
- 返信が遅くなって申し訳ありません。
- まむーとさん、こんにちは。
古い、自分にとっての思い出というだけの拙稿に書き込みをしてくださり、ありがとうございました。
4トラベルからの「旅行記に書き込みがありました」というメールがなかったため、折角の書き込みに気づくのが遅くなり、大変失礼いたしました。
熊本地震に関連して「一部のメールを一時停止する」という案内がありましたが、書き込みの通知もその「一部」に入るのですね。
(なーんて、くどくどと言い訳をしている自分が情けないです)
ポンペイの記事を投稿するときは、こんなもの誰が読んでくれるものかと思っていましたし、自己満足だけで4トラベルのスペースを借りることにためらいもあったのですが、まむーとさんがその古さを楽しんでくださったことを知り、おおいに慰められました。
チケットに資料的価値を認めてくださったり、チューリップ帽に時代を感じてくださったり、私が思いもしなかった読み方をしてくださったことで、恥じつつも嬉しい気持ちがいっぱいになりました。
まむーとさんも1997年にポンペイに行かれたとか。是非そのときのことを投稿してくださるよう、楽しみにお待ちしております。
本当にありがとうございました。
ねんきん老人
-
- はにぃp8さん 2014/10/15 16:05:00
- 楽しいです!
- ねんきん老人様
こんにちは
掲示板の書き込み ありがとうございました。
そしてさきほどHP拝見いたしました。
まずはエジプト旅行を。
とっても楽しかったです。
エジプトを個人で旅行する方もいられますが
なかなかどうしてもツアーになってしまいますよねえ。
ねんきん老人さんもツアーで
ちょっと不完全燃焼の旅行だったようですね。
見どころが多すぎて
そして 観光時間が限られていて
ほんとエジプトツアーは観たいと事みれないじゃないか!!ですよね。
そして今回はポンペイを読ませていただきました。
わたしも28年前
ツアーでポンペイからのカメオ工場行きました!!笑
ポンペイの遺跡が遺跡と言いながら物凄い文化だった町ということに
感動した記憶があります。
石膏の人型も衝撃的でしたが、もうひとつ記憶にある場所があります。
貴族の部屋の床が坂になっていて
美味しい物を食べてお腹いっぱいになったら 吐く
それを水で流すために床が坂になってるって聞いて
「世紀末だな」って思った事を強く覚えています。
エジプトには偉く興味があるのに
ローマ帝国にはとんと興味が無い
まったくお勉強ができなかった私にとって
(ローマ)ポンペイに行ったときはもっと世界史勉強しておけばよかったなって思ったものです。
ちょっと辛口なコメントを交えた
ねんきん老人さんの旅行記 & HP
またお邪魔させていただきます。
これからもよろしくお願いします。
はにぃp8
- ねんきん老人さん からの返信 2014/10/15 18:02:07
- 旅の思い出を共有できました。
- はにぃp8様
小生の独りよがりなHPをご覧くださって、ありがとうございました。
タイトルに「雑念怨念羞恥の念」とありますとおり、何ひとつ人様の上に出るものがない劣等生がひがみ根性で書いている雑文集で、お恥ずかしい限りですが、そんなものでも読んでくださる方がいらっしゃるということは大きな励みになります。
はにぃp8様のエジプト旅行でおおいに共感を覚えたところですが、ポンペイやカメオ工場にも行かれたとか! またまた旅の思い出を共有することができて嬉しい限りです。
食べては吐くということを良しとしていた古代ローマ時代の人々の神経には、私も呆れたことがありますが、それをさげすんでいいのかどうかは分かりません。
韓国の人がご飯を茶碗に山盛りにするのを見て日本人は馬鹿にしますが、韓国人はお客様に「ご飯はいくらでもありますから、どうぞ遠慮なく召し上がってください」という意味で山盛りにするのだと聞いたことがあります。
また、お客はその山盛りのご飯を少しだけ残すことによって「食べきれないほどご馳走になりました。あなた様のおもてなしにおおいに満足しています」という意味を表すのだとも聞きました。
吐くほど食べたということが、古代ローマにおいてなんらかの意思表示だったとしたら、いちがいに下等な文化だと決めつけることはできないかも知れません。
旅に出て、現地で見聞することで、異なった価値観や世界観を学ぶことは勉強にもなりますし、とても楽しいことですね。
ねんきん生活で旅も思うに任せませんが、せめてはにぃp8様を始めとして質の高い旅行記を書いていらっしゃる方々の記事を読ませていただいて、好奇心の低下を防ぐようにしていきたいものだと思います。
どうか、よろしくお願いします。
ねんきん老人
- はにぃp8さん からの返信 2014/10/15 21:36:36
- RE: 旅の思い出を共有できました。
- ねんきん老人様
早速のお返事ありがとうございます。
> 食べては吐くということを良しとしていた古代ローマ時代の人々の神経には、私も呆れたことがありますが、それをさげすんでいいのかどうかは分かりません。
ごもっともですね。
もっと深い理由があったかもしれないと言う事ですね。
たしかそこを訪れた時にガイドさんが
その当時の貴族はすることがなく
踊りや現代の漫才名様な物を見たりして過ごしていた。
その漫才の様なものの中に不遇な物を笑ったり、弱い物をいじめたりしていたと。
それを美味しい物を食べ、吐きそして食べを繰り返しながら
観てわらって過ごしてていたんだと。
そんな生活が
旅行した時のバブル真っ最中の日本で、
お笑いブームがあった頃と重なり
「現代も同じような世紀末が訪れようとしている」なんて
〆の言葉があったのを記憶していたので。。
ついつい偉そうなコメントになってしまいました。えへへ。
> 韓国の人がご飯を茶碗に山盛りにするのを見て日本人は馬鹿にしますが、韓国人はお客様に「ご飯はいくらでもありますから、どうぞ遠慮なく召し上がってください」という意味で山盛りにするのだと聞いたことがあります。
> また、お客はその山盛りのご飯を少しだけ残すことによって「食べきれないほどご馳走になりました。あなた様のおもてなしにおおいに満足しています」という意味を表すのだとも聞きました。
> 吐くほど食べたということが、古代ローマにおいてなんらかの意思表示だったとしたら、いちがいに下等な文化だと決めつけることはできないかも知れません。
なるほど
あの仏様用みたいなごはんは日本人は引きますが
意味がしっかりある訳ですね。
> 旅に出て、現地で見聞することで、異なった価値観や世界観を学ぶことは勉強にもなりますし、とても楽しいことですね。
そうですね。
一面だけを見て判断してはいけないですね。
景色や食べ物だけに感動するのではなく
多方面に興味を持つともっと楽しみが増えますね。
何故そうなのか?
不思議に思ったら 「なぜ?」を持つ事を
この年になっても忘れないようにしなくては。
為になるお話ありがとうございました。
はにぃp8
- ねんきん老人さん からの返信 2014/10/16 18:35:03
- なぜ? を大切にしたいですね。
- はにぃp8様
説教がましいコメントにお返事をいただき、恐縮しています。
> 不思議に思ったら 「なぜ?」を持つ事を
> この年になっても忘れないようにしなくては。
おっしゃるとおりです。
どこかで聞いたことを、未消化のまま自分の知識として吹聴することは厳に慎みたいものだと思います。
たとえば信長が今川義元を討った桶狭間の合戦について、私は子供のころ、信長軍が2千の兵力で4万5千の今川軍を破ったと教わり、その後もそう思ってきました。
でも考えてみると、合計4万7千の兵が戦うにはどれだけの広さが必要でしょうか。
仮に1人1坪(畳2枚)の広さだとすると、4万7千坪(約15万5千平方メートル)、つまり東京ドームのグラウンド面の12倍の面積になります。
しかも、実際の戦いでは馬に乗った兵も沢山いますし、刀や槍を振り回すわけですから、畳2枚では済みません。
その合戦が行われたという場所は何か所かあり、はっきりしていませんが、どこも山あいで、とてもそんな広場ではありません。
山道を4万5千の兵が京都めざして進軍するとなると、その行列は4列縦隊としても15kmぐらいの長さになるでしょう。
先頭集団が襲われたとして、最後尾の兵が合流するまでにマラソン選手なみのスピードで駆けても50分近くかかります。もちろんどんどん前に詰まるわけですから、実際には後続部隊が合流することなどできません。
というわけで、4万5千の兵が同時に戦うことは不可能でしょう。
当たり前のように語られていることが、実は後世の脚色によるものだということは沢山あると思います。
話を聞いただけで、受け売りをするのではなく、自分なりにその場面を思い描いて、「なぜ?」とか「え?」とかいう疑問が湧いたら、人に語る前に確かめる習慣を持ちたいものだと思います。
私など、「なぜ?」「え?」よりも「ほー!」ということが多く、いつも間違った思い込みをしてしまって、あとで恥をかくことの連続です。
はにぃp8様のおっしゃるように、「なぜ?」という気持ちを大切にしていきたいと思います。
ねんきん老人
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