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最近痛感する運動不足、職場で足がもつれてコケてしまう・・・。でも条件反射は大丈夫!ちゃんと頭を打たないように手を突くことは問題ない!って思った後から左肩が上がらない・・・、それは労災じゃ~って医者に行くとあっさり言われた四十肩。薬を出すこともされずひとこと“運動しなさいね~”。とは言え販売職の宿命、常にデスクワークとなんやらかんやら。バスで15分の通勤で済むサラリーマンの宿命すら関係ない生活、おまけに休みは旅の計画でパソコン&amp;スマホとのにらめっこ、改善するわけないじゃん!かと言って“歩く旅”を計画できる程タフぢゃない。おまけに今日は保険の試験、ケータイ売ってるんと違うの?ハイ確かにそうですが、一応保険もしてますので試験も受けます。結果はともかくお出かけし、昼過ぎに試験は終わるので、まずは終末の鹿児島行きの代金決済をした後、おっしゃ~歩くぞ~!ホント単純です、私の歩こう記は。スタート場所は試験会場の“ピアザ淡海”、とにかく歩けるだけ歩こうと北方向に向かいます。た・だ~し・・・脚力不足ゆえ歩けなくなったときを考え、京阪電鉄石山坂本線に沿って歩きます。あまり歩いた記憶がない場所ゆえ目的地も定かではありませんでした。最終的にピアザ淡海~大津港~三井寺~大津市役所~イオン西大津~皇子山駅まで歩き、そこから京阪に乗って帰ってきました。<br /><br />それでははじまりはじまり~♪<br /><br />2014年9月10日水曜日<br />ピアザ淡海にて、生保大学課程の最後の科目「生命保険と税・相続」の試験を受けてきました。まあいつものことですが「一夜漬け」なんで、運が良ければ~って感じです。いつもなら「試験終了=出発」ですが、ちょっと9月15日日曜日から出掛ける「鹿児島行き」の旅行代金決済のことで「さんふらわあトラベル」に電話してさっさと用事を済ませます。用事を済ませたらやっと「スタート」です。ピアザ淡海は、京阪電鉄の石場と島ノ関の各駅の中間にあるため、そのまま琵琶湖沿いに歩きます。びわ湖ホール~大津市民会館~琵琶湖ホテルの湖側をてくてく歩いて行きます。<br /><br />ピアザ近江の隣にある「びわ湖ホール」、大津と言うか滋賀で「コンサート」があるとすればほぼ間違いなくここであります。ちなみにわたしは2003年にB&#39;zのLIVE GYMに行ったのが最初で最後です。元々収容人員が少ないため、前から三列目!!♪でした。<br /><br />とは言え今回はひたすら歩きます。左手に大津中央郵便局が見えると、琵琶湖文化会館があります。その少し手前に「明智左馬之助の湖水渡り」の石碑がひっそりとあります。<br /><br />天正十年(1582)6月2日、「本能寺の変」にて明智光秀は、織田信長を攻撃し自害に追いやりましたが、6月13日に「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ、坂本へと逃げる途中京都山科の小栗栖(おぐりす)の藪で、土民に「竹槍」で刺され深手を負い自害しました。その日の深夜、光秀の訃報を受けとった光秀の娘婿の明智左馬之助秀満(あけちさまのすけひでみつ)は占拠していた安土城から、翌日早朝明智の居城「坂本城」へと引き返します。途中瀬田唐橋を守る織田方の武将山岡景隆に進路を阻まれますが、それを振り切り大津までやってきました。ここで秀吉方の猛将「堀秀政」が立ちはだかります。秀満は果敢にも真っ向から対決を挑みますが、多くの手勢を失って窮地にたたされます。その有様を見た秀満は、なんとも大胆に打出浜から馬を琵琶湖に乗り入れました。敵将堀秀政はあまりの突拍子な行動に「どうせ・・・」と思って眺めていたそうです。これが後世に名をはせる「明智左馬之助の湖水渡り」です。なんとか唐崎(柳が崎との説もあります)に上陸した秀満は坂本城に入りますが、6月15日に堀秀政の総攻撃を受け、妻共々自害して果てました。秀麗な天主を持っていた「坂本城」はその際に「爆薬庫の火薬」に火をつけたそうで木っ端微塵に吹っ飛んだそうです。この数日の歴史のことを「明智の三日天下」とよく言われますが、後々関ヶ原の合戦でも繰り返しているようにも思えてなりません。<br /><br />まあ歴史のロマンには触れた「気」になって歩いていきます。すぐそばにある「琵琶湖文化館」、てっきり「無くなった」と思っていたのですが「休館中」とのこと。後から調べてみると平成20年3月31日をもって「一般公開終了」になっていたようです。昭和23年(1948年)11月3日に「滋賀県立産業文化会館」としてスタートし、昭和36年(1961年)3月20日に「滋賀県立琵琶湖文化館」になりました。大昔に行った記憶はあるのですが、「淡水水族館」みたいなものがあったようななかったような・・・。ただ事業仕分けみたいなものがあるんでしょう・・・。その曖昧な記憶の水族館は平成8年(1996年)3月31日に閉鎖され、同年10月20日に草津市に「県立琵琶湖博物館」が開館したことにより移設されたそうです。ようは最初は「なんでも館」的に始めたものの、時代の流れの「専門化」によって分業した結果、「そしてなにもなくなった・・・」になってしまったようです。ただ県の建物であれば、景観は何とかしてもらいたいと思います。宿泊施設からも離れているため放置されているのかもしれませんし、またこの文化館の「建物」が湖をバックに映えていた「栄光の時代」の誇示なのかもしれませんが、やはり風雨にさらされることで「劣化」はします。また常時「人が出入りしない」と「補修」もされない・・・。どうにかしないとそのままなので、諸事情で閉館を余儀なくされたなら、「その後」もちゃんと面倒は見て欲しいと思います。<br /><br />そしてまた歩き始めます。琵琶湖の水がどうのこうの・・・ってことは「地元民」は言いません、言っても今に始まったことではないので。琵琶湖文化館から進んでいくと、まず左手にド派手な大きな建物が二つ見えてきます。最初のが「琵琶湖ホテル」、建物は新しくなりましたが、国賓級のゲストが宿泊するならここですね!その次が「浜大津アーカス」、「湖の駅」とかもあり滋賀の名産なども購入できます。元々は複合商業施設としてオープンしましたが、このご時世なかなか上手くはいかなかったようです。ここらあたりは駅で言うと京阪電鉄石山坂本線・京津線浜大津駅になりますが、ずっと昔国鉄が京都方面に線路を敷設した際の「馬場」駅がありました。今のように大津からトンネル2本で京都に抜けるということが不可能で、今の京阪電鉄京津線のように走っていました。言うなれば「滋賀の表玄関」でした。時代は流れ、国鉄線は山手を走るようになりましたが、それでもなお滋賀県県庁所在地駅として君臨し続けました。1977年には現「JR大津駅」が新しくなり、滋賀県1号店の「マクドナルド」ができ、駅ビル直結の地元スーパー「アルプラザ大津」がオープンしたりと「ちょっとした街」でした。しかし駅前ゆえに勝手が悪いため、どんどん客足は遠のきました。浜大津もしかり、「明日都」なんて浜大津駅と通路が繋がっているから便利だろう的な発想で作られたもの、今では入居もなく市の外郭団体が入っている程度です。大津駅にいたっては、大津市が立ち退きたい一企業の平和堂に物的補償を求めているとかで閉店すらできないとか。ちなみに他の企業やお店は全て撤退していてさながらゴーストタウンになっています。なので滋賀のお土産は、神社仏閣前かこの湖の駅で買わないとマジで買えませんので。<br /><br />だいぶ脱線しましたがもとに戻すと、そんなこんなで「浜大津アーカス」を過ぎるとmother lake BIWAKOには大きな船がゆっくり進んでいくのが目に入ります。BIANCA(ビアンカ)、言わずと知れた琵琶湖最大のクルーズ船(と言うより比較するものはミシガンしかありません、悪しからず)です。平成2年(1990年)1月16日就航。全長66.0m、全幅12.0m、深さ3.6m、喫水1.0m、総トン数1,216t、最高速度10.78kt(≒20.0km/h)、実馬力550×2(ps)、旅客定員604名、以上がプロフィールになります。エンターテイメントクルーズとしてミシガンが位置づけられているのに対し、イベントやパーティーと琵琶湖ならではのクルーズを一緒に楽しめるということがコンセプトみたいです。ちなみに地元民である私は、このBIANCAクルーズを体験したことがありません。まあいつでもできると思っていたら???、ってなるんでしょうが。石垣島離島ターミナルもしかりですが、船の乗下船口ってなぜこんなにオープンなんだろうと思ってしまいます。普通に写真が撮れますから。今までに来たかどうかも記憶にありませんが、大津港旅客ターミナルに入って、クルーズの金額を見てきました。へ~っ意外に安いみたいです。ではまた今度楽しもうかな~って歩き始めます。<br /><br />ここまではホントの琵琶湖沿いを歩いてきました。行先をはっきり決めていなかったんで、疲れたら電車に乗ればいいって感じなので、この先は国道161号線を行かずに一旦浜大津駅付近まで行って、そこから京阪電鉄石山坂本線の線路に沿って歩きます。この浜大津~三井寺の区間は「路面電車」で走ります。鉄っちゃん御用達のこの区間、軒先から「ファ~ン」って音と共に電車が走ってきます。たまたま三井寺駅の手前でケータイカメラを構えていたら、なんと運転士さんが「前照灯」を点けてくれました♪旧乗り鉄&撮り鉄なら誰しも「感激」する瞬間ですね♪♪<br /><br />もうしばらく進むと京阪の線路は右手方向の専用区間に入ります。するとすぐに三井寺駅があります。この駅に来たのは何年ぶりでしょうか?お恥ずかしいことに記憶にありません。ここまで来てはじめて目的地を三井寺にします。<br /><br />京阪電鉄石山坂本線三井寺駅の隣には往年の琵琶湖疎水があります。それに沿って西方向へと歩いて行きます。この辺りは大津市立長等小学校の学区になり、ちょうど児童の下校時とかぶり賑やかなものでした。私が小学校へ通っていた頃には考えられないことですが、地元のおじさん達が並んで下校を見守っています。た~だ~、おじさん達の「さよなら~」の声掛けを無視するのは、また異質に思えてしまいました。おじさん達の「挨拶もしない(怒)!」というボヤきについ同調してしまったのはやはり私も○○さんの域かな~って…ちょっと思ってしまいました。<br /><br />北国橋より琵琶湖疎水の写真を撮って先に進みます。疎水がトンネルに入る場所がT字路になっており、三井寺は右手方向へと進みます。三井寺山門に着く前に「三尾神社」があります。<br /><br />三尾神社(みおじんじゃ)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を御祭神とする神社で卯年生まれの守護神とされています。境内の中には「うさぎ様」がたくさん鎮座されているそうですが、今回は「三井寺」が目的地なので概略の説明だけに留めます。<br /><br />程なくして三井寺山門に着きます。入山料を払うところがあったので、おぼろげな記憶から「こんなところだったっけ」?と思いましたが。もう少し先に進むとちゃんと東大門がありました。勿論手前からも入れるのですが拝観順序が逆になります。<br /><br />それでは三井寺へと入ります。まずは三井寺とは・・・、<br />天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。<br />また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。 <br /><br />【近江大津京ゆかりの古刹】<br />667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。<br />672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。そして勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。 <br /><br />【三井寺の名の起こり】<br />三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。<br />現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。 <br /><br />【苦難を乗り越えてきた不死鳥の寺】<br />貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。 <br />円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。<br />その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。 <br /><br />【秘仏の寺】<br />三井寺の本堂、金堂には、本尊として弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祀られています。「寺門伝記補録」によると、身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られていることがわかりますが、絶対の秘仏となっているために見る事ができません。この弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられています。 さらに、推古天皇、聖武天皇、陽成天皇、藤原鎌足、藤原道長、行基菩薩が奉納した 六躯もの弥勒菩薩がお祀りされています。その他にも智証大師ゆかりの仏像や宝物が秘仏として大切に安置されています。 <br /><br />【観音巡礼の寺】<br />西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所である観音堂がよく知られています。<br />その他にも「近江西国観音霊場・第五番札所(観音堂)」、 「湖国十一面観音霊場・第一番札所(微妙寺)」、 「西国薬師霊場・第四十八番札所(水観寺)」として多くの信仰をあつめています。<br /><br />ざっと三井寺のパンフから抜粋しました。歴史解釈の問題になると意見はまとまらないように思いますが、ふと思ったことに「弁慶の鐘」のことがあります。武蔵坊弁慶伝説は、未だどこまで信じられることなのかはわかりませんが、一般的に知られていることに「比叡山延暦寺」に預けられたことがあります。比叡山延暦寺が山門派、長等山園城寺(三井寺の正式名称)は寺門派のそれぞれ総本山として仲が悪かったことを考えると、弁慶が園城寺を破壊するために訪れ、その際にあっただろう逸話ならば理解ができます。しかし現実には「弁慶の鐘」の話のように「恩恵」的な話だとつながらないようにも思えます。園城寺の広報僧、ゆるキャラ「べんべん君」は少しやり過ぎのような気もします。まあ触れなければ済む問題かもしれませんが…。まあウンチクは置いておいて、総門から逆順に参拝することにします。<br /><br />山あり谷ありとアップダウンの石段をえっこらえっこらと歩いて行きます。我が街石山の〝石山寺〟も山の上にあり、眺めは良いのですがそれは石山の話。園城寺は大津エリアなので本当に久しぶりです♪西国13番札所石山寺は真言宗、14番札所三井寺は天台宗とまあなぜここで変わる??なんて話は置いておくことにしどんどん歩いて行きます。さすがに紅葉には時期が早く、観光客もまばらです。そんなこともさておいてとりあえず歩きます。<br /><br />まずは門前のお食事処&お土産物屋「風月」、建物の前には駐車場があります。一回500円のようです。そしてで~んとはだかるは三井寺大門(仁王門)です。以降順路に沿って説明します。智証大師円珍廟所等、今までそういう風に感じて歩かなかったので新鮮味があります。でもさすがに滋賀県民なので〝三井の晩鐘〟と〝辨慶の引摺鐘〟くらいは知っています。でもこれまたいつ見たのかというと…やはり答えられません。でも〝閼伽井屋〟の〝三井の霊泉〟はなぜだか見たような気がします。大昔の小学校時代、〝壬申の乱〟について調べたことがあり、それで行きついたのかも知れません。天智天皇から見て天武天皇(弟)、持統天皇(弟の嫁)が同じ産湯を使ったのになぜ甥と叔父の戦争になったのか…そんなことを考えていました。利権がらみと今なら言ってしまいますが当時は肉親が〝殺し合う〟ことにすごい抵抗感を持った記憶が残っています。う~ん…あの頃に帰りた~い♪<br /><br />まあいろいろ考えながら一周して来ました。ただ~っ、どうも〝べんべんクン〟がしっくりいかな~い。山門派の僧兵がなんで寺門派のゆるキャラになるんだろうな~って。こういうことにはやはり〝歴史的事実〟をあまり考えてはいけないのかも知れません、うんそうに違いない!<br /><br />ということで総門から入って大門から出てきました。あ、ちなみに今知りましたがこの三井寺の門前町は〝大門町〟といいます。文字通り三井寺の門前町ってことですね~。そして門前町へとは行かず、北東方向の道を歩いて行きます。大津市伝統芸能会館とか私にはあまり縁のないところを素通りし、どんどん歩いて行くと滋賀県立大津商業高校が見えてきます。卒業生ではありませんがある意味有名どころの学校だと聞いたことがあります。そして京阪電鉄石山坂本線の線路向こうには〝皇子山総合運動公園陸上競技場〟があります。しばらく歩くと左手山手に大きな建物が見えてきます。大津市役所、別に理由はありませんがどうもこのエリアは苦手です。なので触れることもなく通過します。別所市役所前駅を一旦通過し、山上町バス停付近から少し山手に入ります。〝The Private Garden FURIAN 山ノ上迎賓館〟という建物、ブライダル&ウェディング・フレンチの隠れた名店という記載があったものの、私には縁遠いもの。サッサと進みます(笑)。<br /><br />大津市役所に沿って山手を歩くと、〝元気な声〟が聞こえてきます。少し先には警察学校があり、その訓練中の声ではあるのですが、その手前に弘文天皇長等山陵があります。ここは数十年ぶりに来たのですが、なんか違う気がします。御陵が場所を譲るなんて考えられませんが、前に来た時はまっすぐ御陵に向えたような気がします…。まあ私の記憶なんていい加減なもの、お参りを済ませそろそろ帰る道程を考えましょう。<br /><br />今来た道をまた北上すると、頭上を高架が通ります。湖西線のガードになりますが、ここで大津京駅~イオン西大津~皇子山駅~京阪というルートに決めました。軽~くなにかを食べようかな…と思って向かったイオンでしたが、なぜに?という程中高生がうじゃうじゃしています。老若男女問わず〝人ごみ嫌い〟の私はそれでパス~にしました。そしてやっと辿り着いた皇子山駅。お気に入りの〝マッチ箱電車〟に乗っかって石山を目指します。歩き始めた頃の浜大津駅を通過し、昔の湖岸を通過して行くとあっという間に着いてしまいます。試験終了13:30帰宅19:00、5時間30分の〝歩く旅〟はこのようにして終わりました。毎度のことですが明後日の筋肉痛の恐怖に怯えます(笑)♪<br /><br />これで〝あみんちゅ淡海を歩く旅その壱~三井寺(園城寺):紅葉はいかが?~〟を終わります。

《2014.September》あみんちゅぶらり淡海を歩く旅そのI大津編~三井寺(園城寺)紅葉はいかがかな?~

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2014/09/10 - 2014/09/10

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

最近痛感する運動不足、職場で足がもつれてコケてしまう・・・。でも条件反射は大丈夫!ちゃんと頭を打たないように手を突くことは問題ない!って思った後から左肩が上がらない・・・、それは労災じゃ~って医者に行くとあっさり言われた四十肩。薬を出すこともされずひとこと“運動しなさいね~”。とは言え販売職の宿命、常にデスクワークとなんやらかんやら。バスで15分の通勤で済むサラリーマンの宿命すら関係ない生活、おまけに休みは旅の計画でパソコン&スマホとのにらめっこ、改善するわけないじゃん!かと言って“歩く旅”を計画できる程タフぢゃない。おまけに今日は保険の試験、ケータイ売ってるんと違うの?ハイ確かにそうですが、一応保険もしてますので試験も受けます。結果はともかくお出かけし、昼過ぎに試験は終わるので、まずは終末の鹿児島行きの代金決済をした後、おっしゃ~歩くぞ~!ホント単純です、私の歩こう記は。スタート場所は試験会場の“ピアザ淡海”、とにかく歩けるだけ歩こうと北方向に向かいます。た・だ~し・・・脚力不足ゆえ歩けなくなったときを考え、京阪電鉄石山坂本線に沿って歩きます。あまり歩いた記憶がない場所ゆえ目的地も定かではありませんでした。最終的にピアザ淡海~大津港~三井寺~大津市役所~イオン西大津~皇子山駅まで歩き、そこから京阪に乗って帰ってきました。

それでははじまりはじまり~♪

2014年9月10日水曜日
ピアザ淡海にて、生保大学課程の最後の科目「生命保険と税・相続」の試験を受けてきました。まあいつものことですが「一夜漬け」なんで、運が良ければ~って感じです。いつもなら「試験終了=出発」ですが、ちょっと9月15日日曜日から出掛ける「鹿児島行き」の旅行代金決済のことで「さんふらわあトラベル」に電話してさっさと用事を済ませます。用事を済ませたらやっと「スタート」です。ピアザ淡海は、京阪電鉄の石場と島ノ関の各駅の中間にあるため、そのまま琵琶湖沿いに歩きます。びわ湖ホール~大津市民会館~琵琶湖ホテルの湖側をてくてく歩いて行きます。

ピアザ近江の隣にある「びわ湖ホール」、大津と言うか滋賀で「コンサート」があるとすればほぼ間違いなくここであります。ちなみにわたしは2003年にB'zのLIVE GYMに行ったのが最初で最後です。元々収容人員が少ないため、前から三列目!!♪でした。

とは言え今回はひたすら歩きます。左手に大津中央郵便局が見えると、琵琶湖文化会館があります。その少し手前に「明智左馬之助の湖水渡り」の石碑がひっそりとあります。

天正十年(1582)6月2日、「本能寺の変」にて明智光秀は、織田信長を攻撃し自害に追いやりましたが、6月13日に「山崎の戦い」で羽柴秀吉に敗れ、坂本へと逃げる途中京都山科の小栗栖(おぐりす)の藪で、土民に「竹槍」で刺され深手を負い自害しました。その日の深夜、光秀の訃報を受けとった光秀の娘婿の明智左馬之助秀満(あけちさまのすけひでみつ)は占拠していた安土城から、翌日早朝明智の居城「坂本城」へと引き返します。途中瀬田唐橋を守る織田方の武将山岡景隆に進路を阻まれますが、それを振り切り大津までやってきました。ここで秀吉方の猛将「堀秀政」が立ちはだかります。秀満は果敢にも真っ向から対決を挑みますが、多くの手勢を失って窮地にたたされます。その有様を見た秀満は、なんとも大胆に打出浜から馬を琵琶湖に乗り入れました。敵将堀秀政はあまりの突拍子な行動に「どうせ・・・」と思って眺めていたそうです。これが後世に名をはせる「明智左馬之助の湖水渡り」です。なんとか唐崎(柳が崎との説もあります)に上陸した秀満は坂本城に入りますが、6月15日に堀秀政の総攻撃を受け、妻共々自害して果てました。秀麗な天主を持っていた「坂本城」はその際に「爆薬庫の火薬」に火をつけたそうで木っ端微塵に吹っ飛んだそうです。この数日の歴史のことを「明智の三日天下」とよく言われますが、後々関ヶ原の合戦でも繰り返しているようにも思えてなりません。

まあ歴史のロマンには触れた「気」になって歩いていきます。すぐそばにある「琵琶湖文化館」、てっきり「無くなった」と思っていたのですが「休館中」とのこと。後から調べてみると平成20年3月31日をもって「一般公開終了」になっていたようです。昭和23年(1948年)11月3日に「滋賀県立産業文化会館」としてスタートし、昭和36年(1961年)3月20日に「滋賀県立琵琶湖文化館」になりました。大昔に行った記憶はあるのですが、「淡水水族館」みたいなものがあったようななかったような・・・。ただ事業仕分けみたいなものがあるんでしょう・・・。その曖昧な記憶の水族館は平成8年(1996年)3月31日に閉鎖され、同年10月20日に草津市に「県立琵琶湖博物館」が開館したことにより移設されたそうです。ようは最初は「なんでも館」的に始めたものの、時代の流れの「専門化」によって分業した結果、「そしてなにもなくなった・・・」になってしまったようです。ただ県の建物であれば、景観は何とかしてもらいたいと思います。宿泊施設からも離れているため放置されているのかもしれませんし、またこの文化館の「建物」が湖をバックに映えていた「栄光の時代」の誇示なのかもしれませんが、やはり風雨にさらされることで「劣化」はします。また常時「人が出入りしない」と「補修」もされない・・・。どうにかしないとそのままなので、諸事情で閉館を余儀なくされたなら、「その後」もちゃんと面倒は見て欲しいと思います。

そしてまた歩き始めます。琵琶湖の水がどうのこうの・・・ってことは「地元民」は言いません、言っても今に始まったことではないので。琵琶湖文化館から進んでいくと、まず左手にド派手な大きな建物が二つ見えてきます。最初のが「琵琶湖ホテル」、建物は新しくなりましたが、国賓級のゲストが宿泊するならここですね!その次が「浜大津アーカス」、「湖の駅」とかもあり滋賀の名産なども購入できます。元々は複合商業施設としてオープンしましたが、このご時世なかなか上手くはいかなかったようです。ここらあたりは駅で言うと京阪電鉄石山坂本線・京津線浜大津駅になりますが、ずっと昔国鉄が京都方面に線路を敷設した際の「馬場」駅がありました。今のように大津からトンネル2本で京都に抜けるということが不可能で、今の京阪電鉄京津線のように走っていました。言うなれば「滋賀の表玄関」でした。時代は流れ、国鉄線は山手を走るようになりましたが、それでもなお滋賀県県庁所在地駅として君臨し続けました。1977年には現「JR大津駅」が新しくなり、滋賀県1号店の「マクドナルド」ができ、駅ビル直結の地元スーパー「アルプラザ大津」がオープンしたりと「ちょっとした街」でした。しかし駅前ゆえに勝手が悪いため、どんどん客足は遠のきました。浜大津もしかり、「明日都」なんて浜大津駅と通路が繋がっているから便利だろう的な発想で作られたもの、今では入居もなく市の外郭団体が入っている程度です。大津駅にいたっては、大津市が立ち退きたい一企業の平和堂に物的補償を求めているとかで閉店すらできないとか。ちなみに他の企業やお店は全て撤退していてさながらゴーストタウンになっています。なので滋賀のお土産は、神社仏閣前かこの湖の駅で買わないとマジで買えませんので。

だいぶ脱線しましたがもとに戻すと、そんなこんなで「浜大津アーカス」を過ぎるとmother lake BIWAKOには大きな船がゆっくり進んでいくのが目に入ります。BIANCA(ビアンカ)、言わずと知れた琵琶湖最大のクルーズ船(と言うより比較するものはミシガンしかありません、悪しからず)です。平成2年(1990年)1月16日就航。全長66.0m、全幅12.0m、深さ3.6m、喫水1.0m、総トン数1,216t、最高速度10.78kt(≒20.0km/h)、実馬力550×2(ps)、旅客定員604名、以上がプロフィールになります。エンターテイメントクルーズとしてミシガンが位置づけられているのに対し、イベントやパーティーと琵琶湖ならではのクルーズを一緒に楽しめるということがコンセプトみたいです。ちなみに地元民である私は、このBIANCAクルーズを体験したことがありません。まあいつでもできると思っていたら???、ってなるんでしょうが。石垣島離島ターミナルもしかりですが、船の乗下船口ってなぜこんなにオープンなんだろうと思ってしまいます。普通に写真が撮れますから。今までに来たかどうかも記憶にありませんが、大津港旅客ターミナルに入って、クルーズの金額を見てきました。へ~っ意外に安いみたいです。ではまた今度楽しもうかな~って歩き始めます。

ここまではホントの琵琶湖沿いを歩いてきました。行先をはっきり決めていなかったんで、疲れたら電車に乗ればいいって感じなので、この先は国道161号線を行かずに一旦浜大津駅付近まで行って、そこから京阪電鉄石山坂本線の線路に沿って歩きます。この浜大津~三井寺の区間は「路面電車」で走ります。鉄っちゃん御用達のこの区間、軒先から「ファ~ン」って音と共に電車が走ってきます。たまたま三井寺駅の手前でケータイカメラを構えていたら、なんと運転士さんが「前照灯」を点けてくれました♪旧乗り鉄&撮り鉄なら誰しも「感激」する瞬間ですね♪♪

もうしばらく進むと京阪の線路は右手方向の専用区間に入ります。するとすぐに三井寺駅があります。この駅に来たのは何年ぶりでしょうか?お恥ずかしいことに記憶にありません。ここまで来てはじめて目的地を三井寺にします。

京阪電鉄石山坂本線三井寺駅の隣には往年の琵琶湖疎水があります。それに沿って西方向へと歩いて行きます。この辺りは大津市立長等小学校の学区になり、ちょうど児童の下校時とかぶり賑やかなものでした。私が小学校へ通っていた頃には考えられないことですが、地元のおじさん達が並んで下校を見守っています。た~だ~、おじさん達の「さよなら~」の声掛けを無視するのは、また異質に思えてしまいました。おじさん達の「挨拶もしない(怒)!」というボヤきについ同調してしまったのはやはり私も○○さんの域かな~って…ちょっと思ってしまいました。

北国橋より琵琶湖疎水の写真を撮って先に進みます。疎水がトンネルに入る場所がT字路になっており、三井寺は右手方向へと進みます。三井寺山門に着く前に「三尾神社」があります。

三尾神社(みおじんじゃ)は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を御祭神とする神社で卯年生まれの守護神とされています。境内の中には「うさぎ様」がたくさん鎮座されているそうですが、今回は「三井寺」が目的地なので概略の説明だけに留めます。

程なくして三井寺山門に着きます。入山料を払うところがあったので、おぼろげな記憶から「こんなところだったっけ」?と思いましたが。もう少し先に進むとちゃんと東大門がありました。勿論手前からも入れるのですが拝観順序が逆になります。

それでは三井寺へと入ります。まずは三井寺とは・・・、
天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の総本山である三井寺(みいでら)は 正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。 滋賀県大津市、琵琶湖南西の長等山中腹に広大な敷地を有しています。
また、湖国近江の名勝、近江八景の一つ「三井の晩鐘」でも知られています。

【近江大津京ゆかりの古刹】
667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が 皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発。 壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために 「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、 天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。そして勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。

【三井寺の名の起こり】
三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に 御産湯に用いられたという霊泉があり「御井の寺」と呼ばれていたものを後に 智証大師円珍が当時の厳義・三部潅頂の法儀に用いたことに由来します。
現在、金堂西側にある「閼伽井屋」から湧き出ている清水が御井そのものとされています。

【苦難を乗り越えてきた不死鳥の寺】
貞観年間(859~877)になって、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)和尚が、 園城寺を天台別院として中興されてからは、東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、 南都北嶺の一翼を担ってきました。
円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦四年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。 この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されました。
その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しましたが、 智証大師への信仰に支えられた人々によって支えられ、その教法は今日に伝えられています。

【秘仏の寺】
三井寺の本堂、金堂には、本尊として弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祀られています。「寺門伝記補録」によると、身丈三寸二分の弥勒菩薩が祀られていることがわかりますが、絶対の秘仏となっているために見る事ができません。この弥勒菩薩は天智天皇の御念持仏と伝えられています。 さらに、推古天皇、聖武天皇、陽成天皇、藤原鎌足、藤原道長、行基菩薩が奉納した 六躯もの弥勒菩薩がお祀りされています。その他にも智証大師ゆかりの仏像や宝物が秘仏として大切に安置されています。

【観音巡礼の寺】
西国三十三所観音霊場巡礼の第十四番目の礼所である観音堂がよく知られています。
その他にも「近江西国観音霊場・第五番札所(観音堂)」、 「湖国十一面観音霊場・第一番札所(微妙寺)」、 「西国薬師霊場・第四十八番札所(水観寺)」として多くの信仰をあつめています。

ざっと三井寺のパンフから抜粋しました。歴史解釈の問題になると意見はまとまらないように思いますが、ふと思ったことに「弁慶の鐘」のことがあります。武蔵坊弁慶伝説は、未だどこまで信じられることなのかはわかりませんが、一般的に知られていることに「比叡山延暦寺」に預けられたことがあります。比叡山延暦寺が山門派、長等山園城寺(三井寺の正式名称)は寺門派のそれぞれ総本山として仲が悪かったことを考えると、弁慶が園城寺を破壊するために訪れ、その際にあっただろう逸話ならば理解ができます。しかし現実には「弁慶の鐘」の話のように「恩恵」的な話だとつながらないようにも思えます。園城寺の広報僧、ゆるキャラ「べんべん君」は少しやり過ぎのような気もします。まあ触れなければ済む問題かもしれませんが…。まあウンチクは置いておいて、総門から逆順に参拝することにします。

山あり谷ありとアップダウンの石段をえっこらえっこらと歩いて行きます。我が街石山の〝石山寺〟も山の上にあり、眺めは良いのですがそれは石山の話。園城寺は大津エリアなので本当に久しぶりです♪西国13番札所石山寺は真言宗、14番札所三井寺は天台宗とまあなぜここで変わる??なんて話は置いておくことにしどんどん歩いて行きます。さすがに紅葉には時期が早く、観光客もまばらです。そんなこともさておいてとりあえず歩きます。

まずは門前のお食事処&お土産物屋「風月」、建物の前には駐車場があります。一回500円のようです。そしてで~んとはだかるは三井寺大門(仁王門)です。以降順路に沿って説明します。智証大師円珍廟所等、今までそういう風に感じて歩かなかったので新鮮味があります。でもさすがに滋賀県民なので〝三井の晩鐘〟と〝辨慶の引摺鐘〟くらいは知っています。でもこれまたいつ見たのかというと…やはり答えられません。でも〝閼伽井屋〟の〝三井の霊泉〟はなぜだか見たような気がします。大昔の小学校時代、〝壬申の乱〟について調べたことがあり、それで行きついたのかも知れません。天智天皇から見て天武天皇(弟)、持統天皇(弟の嫁)が同じ産湯を使ったのになぜ甥と叔父の戦争になったのか…そんなことを考えていました。利権がらみと今なら言ってしまいますが当時は肉親が〝殺し合う〟ことにすごい抵抗感を持った記憶が残っています。う~ん…あの頃に帰りた~い♪

まあいろいろ考えながら一周して来ました。ただ~っ、どうも〝べんべんクン〟がしっくりいかな~い。山門派の僧兵がなんで寺門派のゆるキャラになるんだろうな~って。こういうことにはやはり〝歴史的事実〟をあまり考えてはいけないのかも知れません、うんそうに違いない!

ということで総門から入って大門から出てきました。あ、ちなみに今知りましたがこの三井寺の門前町は〝大門町〟といいます。文字通り三井寺の門前町ってことですね~。そして門前町へとは行かず、北東方向の道を歩いて行きます。大津市伝統芸能会館とか私にはあまり縁のないところを素通りし、どんどん歩いて行くと滋賀県立大津商業高校が見えてきます。卒業生ではありませんがある意味有名どころの学校だと聞いたことがあります。そして京阪電鉄石山坂本線の線路向こうには〝皇子山総合運動公園陸上競技場〟があります。しばらく歩くと左手山手に大きな建物が見えてきます。大津市役所、別に理由はありませんがどうもこのエリアは苦手です。なので触れることもなく通過します。別所市役所前駅を一旦通過し、山上町バス停付近から少し山手に入ります。〝The Private Garden FURIAN 山ノ上迎賓館〟という建物、ブライダル&ウェディング・フレンチの隠れた名店という記載があったものの、私には縁遠いもの。サッサと進みます(笑)。

大津市役所に沿って山手を歩くと、〝元気な声〟が聞こえてきます。少し先には警察学校があり、その訓練中の声ではあるのですが、その手前に弘文天皇長等山陵があります。ここは数十年ぶりに来たのですが、なんか違う気がします。御陵が場所を譲るなんて考えられませんが、前に来た時はまっすぐ御陵に向えたような気がします…。まあ私の記憶なんていい加減なもの、お参りを済ませそろそろ帰る道程を考えましょう。

今来た道をまた北上すると、頭上を高架が通ります。湖西線のガードになりますが、ここで大津京駅~イオン西大津~皇子山駅~京阪というルートに決めました。軽~くなにかを食べようかな…と思って向かったイオンでしたが、なぜに?という程中高生がうじゃうじゃしています。老若男女問わず〝人ごみ嫌い〟の私はそれでパス~にしました。そしてやっと辿り着いた皇子山駅。お気に入りの〝マッチ箱電車〟に乗っかって石山を目指します。歩き始めた頃の浜大津駅を通過し、昔の湖岸を通過して行くとあっという間に着いてしまいます。試験終了13:30帰宅19:00、5時間30分の〝歩く旅〟はこのようにして終わりました。毎度のことですが明後日の筋肉痛の恐怖に怯えます(笑)♪

これで〝あみんちゅ淡海を歩く旅その壱~三井寺(園城寺):紅葉はいかが?~〟を終わります。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
高速・路線バス 私鉄
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (1)

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  • エレガンスパッカ→さん 2015/11/22 02:07:09
    たかティムちゃん・・・
    こんばんわ
    トップの紅葉もあとひとつって感じ??

    今年の紅葉は天気予報でゆってたけどイマイチって感じで残念ですよね。
    細かい日記ですんごい勉強してるよね〜
    あたしはいつも
    帰ってきてからガイドブック読んで
    こんなとこあったんや〜ってタイプやから
    たかティムちゃん…と旅したら楽そ〜みたいな(笑)

    (ダリンはもっとなんもしない 汗)

    大津
    近いちゃ近いけどなかなか観光する機会がない。
    たかティムちゃん見習っていつかは・・??

    大津のどっかのホテルでプラネタリウムが有名なとこなかったけ?
    エレガンス☆

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんのトラベラーページ

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