明智光秀三日天下の末に~明智左馬之助湖水渡り~
- 5.0
- 旅行時期:2015/09(約10年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
大津 クチコミ:111件
本能寺の変で一躍時の人になった明智光秀でしたが、山崎の戦いでは秀吉に敗れ、居城坂本へと敗走する途中、山科小栗栖(おぐりす)にて土民の槍に刺され深手を負い自害します。その訃報を知った光秀の娘婿である?明智左馬之助秀満?は、攻撃中の安土城を放棄し、居城坂本へと戻ることを決めます。途中瀬田の唐橋を守る織田方武将の?山岡景隆?に進路を阻まれますが、それを振り切り大津までやってきました。しかしここで秀吉方の猛将?堀秀政?が立ちはだかります。落ち延びた光秀の手勢を加え秀満は果敢にも真っ向から対決を挑みますが、多くの手勢を失って窮地にたたされます。その有様を見た秀満は、なんとも大胆に打出浜から馬を琵琶湖に乗り入れました。敵将堀秀政はあまりの突拍子な行動に?まさか??という思いで眺めていたそうです。しかしあまりにも果敢な立ち振る舞いに秀政も感服し、湖水を進む騎上の秀満を射ることを禁じたともされています。これが後世に名をはせる?明智左馬之助の湖水渡り?です。なんとか湖を渡り切り坂本城に入った秀満でしたが、翌日堀秀政の総攻撃を受け、光秀の妻女共々自害して果てました。秀麗な天主を持っていた?坂本城?はその際に?爆薬庫の火薬?に火をつけたそうで木っ端微塵に吹っ飛び、明智の13日間の天下は終わりを告げました。
今ではクルーズ船の着岸等で深く掘り進められているだろうエリアのことになるため、当時の様子は伝わってこないところはあります。しかし嫌がる馬をなだめて水中に乗り入て行った秀満の姿、そしてその姿に感服し攻撃をやめさせた秀政の采配。どちらも戦国武将として名を馳せた武将だからこそ出来たことではないかと勝手に想像してしまいます。このバランスが崩れていたなら、多分?湖水渡り?はできなかった…そう思えてなりません。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 京阪電鉄石場駅徒歩5分。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- この碑をじっと見つめておられる方はおられません。
- バリアフリー:
- 5.0
- 碑を見るには特に段差はありません。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 二人の戦国武将の阿吽の呼吸の結果には単純な理由ではできないことがわかります。
クチコミ投稿日:2015/11/21
いいね!:7票
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