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≪2015.Oct≫あみんちゅ歴史に触れる満身創痍の旅八重山その弐之弐~2日目:西表そして船浮へ編~<br /><br />2015年10月14日水曜日<br />ホテル 7:45(起床)<br />食事 8:15<br />   8:40<br />チェックアウト 9:45<br />石垣島離島 9:50<br />ターミナル 10:53(乗船)<br />       11:00(第三十八あんえい号)<br />西表大原港 11:37(到着)<br />      11:39(下船)<br />      12:00(出発)<br />オリックスレンタカー西表大原店 12:03<br />                12:45(0.0km)<br />西表大原港 12:51(1.3km)<br />      13:05<br />南風見田浜 13:15(8.0km)<br />      13:33<br />忘勿石 13:35(9.4km)<br />    14:05<br />西表大原港 14:15(14.7km)<br />      14:35<br />古見のサキシマ 14:45(22.2km)<br />スオウノキ群落 14:52<br />西表野生生物 15:00(24.4km)<br />保護センター 15:30<br />由布島 15:36(28.2km)<br />    15:50<br />西表上原港 16:16(52.2km)<br />      16:57<br />屋良商店 17:16(67.3km)<br />     17:18<br />白浜港 17:19(67.4km)<br />    17:50(船浮海運:ニューふなうき)<br />船浮港 17:59<br />お宿 18:03//<br />《宿泊》<br />民宿ふなうき荘(1泊2食付BT付和室:\7,000:直手配)<br /><br />旅二日目の朝を迎えました。到着時間が遅かったのであまり食欲もなく軽く食べただけでした。それでも普段なら大丈夫な身体なのですが、旅行中は両極端です。まったく食欲のないときと、お腹が減り過ぎてめまいがする位とか・・・。どういう基準になっているのかは本人もわかりません。た~だ~、今朝は猛烈にお腹が減っています。と言う訳で二階のレストランへと朝食を食べに降りて行きます。<br /><br />頭が少しボケていたのかも知れませんが、何を聞かれたのか覚えていません。ただ全部!と言ったら、へ?っという顔をされました。出てきたものを確認したときにその意味がわかります。〝おにぎりの具〟を6種類から選んで下さいと聞かれたのを〝全部〟とのたうち回ったようです。ひとつひとつを小さめにして作ってもらった〝おにぎり〟は、お世辞抜きにして本当に美味しかった♪これがサービス?う~ん・・・、とにもかくにもホテルエメラルドアイル石垣島最高~!です。<br /><br />お腹も満腹になり、少し荷物の整理をしてからチェックアウトします。5日という行程ゆえゆっくりできないのは少し残念なところもありますが、それは仕方がありません。9:45にチェックアウトして石垣島離島ターミナルへと向かいます。ここで勘違い発生(驚)、西表大原に向かう高速艇の時刻を一時間勘違いしていました。11:00発を10:00発と…。カウンターに行って初めて発覚しました。まぁ過ぎてしまったことは仕方がない…〝て~げ~〟を言い訳にしながら来年のお年玉に使うための2,000円札を仕入れに琉球銀行八重山支店へと向かいます。珍しく空いていた窓口で10,000円を両替して目的完了、そして改めて離島ターミナルへと向かいます。<br /><br />西表大原行きの船車券ですが、往復割引の適用では事前予約の重複適用はできません。なのでどこで買っても同じなのですが、〝T-point〟が貯まるという理由で平田観光にて手配します。3番乗船口から大原まで運んでくれるのは〝第三十八あんえい号〟、出発は11:00です。石垣島では今年8月24日未明に通過した台風15号による甚大な被害がありました。最大瞬間風速71mを記録したこの台風15号の被害は、台風王国八重山でも過去に例を見ないものだったようで、4tトラックは横転し、停電でライフラインにも影響したことが新聞等でも大きく取り上げられていました。それが影響しているのかはわかりませんが、昨晩宿泊したホテルエメラルドアイル石垣島でも、エレベーター内に防護用パネルが貼ってありました。また関係があるのかはわかりませんが、離島ターミナルの名物〝行先表示板〟も消えている状態でした。一観光客でしかない私が何かをいってどうなるものではないのはわかっていても、なんともいえない気持ちになりました。勢いを早く取り戻してほしい…そう願うのみです。<br /><br />久しぶりの離島ターミナルですがある発見をしました。中央出入口に〝セブン銀行〟のATMが設置され、コンビニATMの無料利用回数がある方であれば手数料が掛からず利用することができます。地元にいる時のように利用できる便利さを感じた瞬間でした♪なんやかんやら構内の写真を撮っていると程良い時間になったので、3番乗船口へと向かいます。何度も見ている〝具志堅さん〟、今回も人だかりが途切れたところで一枚パシャり♪そして乗船します。乗船定員92名(うち乗組員2名)の標準サイズの高速艇ですが、私は一番前の座席に陣取ります。実はこの席一番〝揺れる席〟として有名であり、事実高齢者の圧迫骨折事故が発生しています。事故防止のため子供や高齢者は後部座席に座るようにとの案内がされていますが、どちらにも属さない私にとってこの〝疑似ジェットコースター体験〟ができるこの席は〝かいか~ん♪〟の特等席でもあります。<br /><br />そして出航時刻がきて静かに浮桟橋を離れていきます。竹富島アイヤル浜、黒島、小浜島を横目で見ながら第三十八あんえい号は滑走し、定刻西表大原港へと到着します。マリンアクティビティ関係の船も発着するこの西表大原港、西表島の玄関口であることには間違いありません。私はレンタカーを借りて島を周遊しますが、予約を入れているオリックスレンタカー西表大原店は、港から徒歩1分と書いてあります。迎えが来ていない・・・ということで連絡を入れるも繋がらず、一服しながらしばらく時間が過ぎるのを待ちます。しかし迎えはもともと無いようで、それを見落としていたようです。ただ港から徒歩1分とは絶対に不可能なことなので、よく聞いておくべきだったと後から後悔しました。まあ仕方がないことですが…。<br /><br />という流れで営業所まで歩き、3日間の足になってくれるダイハツmove君と出会い、取り敢えず出発します。向かった先は西表大原港、なぜなの?という声が聞こえてきそうですが、レンタカーの営業所でのんびりしているとスタッフが「どうかしました?」と聞かれることが多く、行程を確認するのに落ち着きません。そのため近くのお店などですることが多いのですが今回も同様です。取り敢えず東部から行ってみよ~か~ってことで改めて出発します。<br /><br />向かった先は南風見田の浜、県道215号線の東の終点豊原よりまだ先へと進んだ場所になりますが前回は時間切れで行けなかった…なので改めて訪問します。2km程の砂浜が続く南風見田の浜は昭和20(1945)年5月に波照間国民学校校長識名先生が、強制疎開によってこの地に来ることを余儀なくされた波照間の児童323名を集めて入学式を行ったことで知られています。その後マラリアに罹患し、323名の児童のうち66名が亡くなりました。そして帰島することが決まった頃、亡くなった児童を忘れないようにとの考えでこの地にある砂岩の巨石に刻んだ言葉が〝忘勿石 ハテルマ シキナ〟の10文字になります。この忘勿石とは場所が少し離れていますが、この南風見田の浜は陸路で行ける西表島最東端の場所ということになります。浜とは言っても特に目ぼしいものはなく、休憩用の東屋と水シャワー位でしょうか。でもそれだけでもあるだけいいのかも知れません。水に浸かってもいいような暑さではありましたが、そこまでのゆっくりとする余裕もないため次の目的地へと進みます。<br /><br />南風見田の浜から車を走らせること2分程、〝忘勿石入口〟はこちらと書かれている場所に到着します。連絡先が民宿南風荘と書いてあるこの看板、ここから歩いて行くようです。本当はもう少し浜の方までレンタカーで入ることはできるのですが、見た目木々が道に覆い被さっていたこともあり、道路脇に車を停めて歩いて行きます。先程の南風見田浜から繋がる場所ですが、道路での移動距離は1.4kmありました。そして駐車場からは200mとは書いているものの、実際にはもう少しあるように思います。<br /><br />丁度引き潮の時間と重なっていたため普通に浜辺を歩いて向かいますが、この忘勿石之碑は潮が満ちていると参拝ルートがなくなってしまう場所になります。ヌギリヌパという鋸の歯のようにギザギザした浜が続く場所に、忘勿石之碑が建立されたのは平成4(1992)年8月15日のことでした。波照間島からの強制疎開が終わった昭和20(1945)年5月、232名の児童を前にこの地で入学式を行った波照間国民学校校長の識名信升先生。しかし時を同じくして蚊の発生によるマラリアが猛威をふるうことになります。この入学式に参列した児童のうち66名が犠牲となり、そのことをひとときも忘れることができなかった識名校長は、危険を覚悟して石垣島の旅団本部へと強制疎開命令の解除を上申し、許可を取り付けます。離島残置工作員の山下軍曹の脅しにも「叩き切れるものなら叩き切れ!」と屈せず波照間への帰島を進める際、この地で入学式を行った児童の中から多くの犠牲者が出たことを波照間島民に忘れないようにとの想いで、その場所にある砂岩の巨石に10の文字を刻みます、〝忘勿石 ハテルマ シキナ〟と。しかしこの〝忘勿石之碑〟を訪れる観光客の多くが実はこの原石の存在に気付かず去ってしまう事実。碑が立派過ぎるとの話もありますが残念な話です。しかし私もそれをしてしまったひとりでした。多分忘勿石之碑には識名信升校長の胸像や忘勿石のレプリカ等が〝一体化〟しており、それにこの波照間島を望む今も昔も変わらない(だろう)海を眺め、碑と向かいあっている波照間島の学童慰霊碑のことを知っているだけで〝感無量〟になってしまう・・・そんな感じを受けました。私は機会を改めてくることができました。それはまた別の機会に書くことにし、今回は〝訪れたこと〟に満足して先に進みます。<br /><br />車へと戻って来た後、走り出します。向かった先はまた西表大原港です。船浮に泊まることを最終目的とし、途中の立ち寄りポイントを確認し走り出します。古見のサキシマスオウノキ群落、ここは訪れたことがあるもののなんとなく印象が残っていないための再訪でした。しか~し・・・、台風の影響なのか遊歩道から降りるはしごの手前には針金で扉が開かないようになっていました。元々こういう風にしておくことになっていたのかも知れませんが、無茶をせず先へと進むことにします。<br /><br />西表野生生物保護センター、ここは前回月曜日が休館日ということで訪れることができなかった場所になります。環境庁が運営するこの施設、文字通り西表島固有の生物の生態や、目撃情報、そして事故の情報がわかりやすく展示されています。夜行性のイリオモテヤマネコなんて〝見られるわけがない〟と割り切っている私ではありますが、県道215号線に立てられている〝数日前〟の目撃情報が、この島での現実を表している・・・そう思えてなりません。ヘッドライトを点けて走ることはないにしても、〝ゆっくり走ろう西表島〟を改めて心に刻みます。<br /><br />30分程で館内を見学し先を急ぎます。西表島へ来たなら必ず・・・という観光地〝由布島〟。ここも前回訪れています。お世話になった水牛さんのその後を知りたい気持ちもあるものの、まあ今回はい・い・か~って気持ちでトイレ休憩と一服タイムだけ取って先へと進みます。<br /><br />由布島から約25kmは立ち寄り点がない場所ではあります。そして西表上原港、西表島西部の玄関口でもあるこの港は、昨年4月に鳩間島から西表島入りした場所になります。1年半ぶりではあるもののなぜか見覚えのある〝デンサーターミナル〟、デジャビューを感じてしまう不思議な場所でもあります。用事は特にないのですがWi-Fiも使えるこの場所、時間だけはすぐに過ぎて行きます。そのうちに八重山観光フェリーの高速艇〝サザンキング〟が入港して来ました。鳩間発上原経由石垣行きの便ですが、結構こんでいます。乗れるのかいな・・・と思っていると、そのうち〝サザンイーグル〟が次便で入港、鳩間からはどうなっていたのかはわかりませんがどうやら2隻での運航のようです。実は今回の5日間の旅行期間で鳩間・上原線が運航していたのは今日だけだったようです。この時期にこれだけ欠航するのは珍しいと地元の方は言っておられました。ある程度の運航情報は知っておられることを踏まえて、観光客の荷物の他に生活物資の積み込みもあったようにも思えます。2隻の高速艇が立て続けに出航していく姿を見送り、そろそろ船浮への高速艇の時間を気にしながら夕暮れ近い西表上原港デンサーターミナルを後にし、白浜へと走って行きます。<br /><br />道中ふと立ち止まったのは上原小学校の前の交差点でした。なぜにこの場所かも知れませんが実はこの場所西表島にあるふたつの信号のうち、ひとつがある場所になります。この信号ができた経緯は知る人ぞ知る有名なことではありますが、島外へと児童が出て行く際に〝信号の存在を知らない〟という事がないように・・・との理由です。田舎住まいの私でも子供の頃からさすがに信号はありました。それだけスレていない子供達が、垢抜けていくことは・・・仕方がないことかも知れませんがなにか悲しいものも感じます。その信号を写真に収め先を急ぎます。<br /><br />西表トンネルを過ぎたところにある白浜港は、定期航路は船浮行きの高速艇が1日4~5便運航されているだけのローカルな港です。それを一旦通り過ぎ、日本最西端のスーパー屋良商店へと立ち寄ります。飲み物を購入するためですが、船浮には商店や自動販売機がないと書いてあったので立ち寄りました。そして折り返して白浜港到着、昨年4月に白浜に泊まったときに、日帰りで船浮には立ち寄る予定ではいましたが・・・寝坊しました。それもあり今回初めて訪れる場所としてワクワクドキドキでやってきました。10月半ばでさすがに日の長い西表島の西の端でもあたりは少しずつ暗くはなっています。船浮海運運航の高速艇〝ニューふなうき〟17:50の船浮行き最終便は、数人の地元のお客を乗せて一路白浜港を離れ、一路船浮港を目指します。<br /><br />夕暮れの船浮湾を快走する〝ニューふなうき〟は、旧日本軍の要塞があった内離島や外離島脇を通り過ぎ、出航後9分で船浮港へと到着します。港を降りた乗客は皆さん右へと曲がって集落へと向かいます。この時間なので観光客以外は地元の方でしょう。船を下りたときに「どこに泊まられます?」と聞いて貰いました。そして〝ふなうき荘〟へと行くんで~と言われるまま付いて行き、歩くこと数分(ゆっくり歩き過ぎ?)で今晩の宿〝民宿ふなうき荘〟へと到着します。本日のアクティビティは8時間で終了、車での走行67.4kmでした。<br /><br />船浮というと〝マニアックな場所〟と言われる方もいるものの、知る人ぞ知る有名どころではあります。船浮音楽祭、例年4月にここ船浮で行われるイベントに日本全国から人が集まり、西表島内ではシャトルバスの運行、そして航路は増便と離島の離島には似つかない賑わいを見せます。前回西表に来たのが4月12日のことであり、1週間後の音楽祭に行くんですか~っとよく聞かれたものでした。さすがにそこまでの期間の休みは取れないので・・・となっていましたが、そのときの想いも持ったままやってきた船浮の集落でした。<br /><br />このふなうき荘は船浮海運のオーナーがやっておられる民宿であり、あの池田卓さんの実家でもあります。バストイレ付き和室をリクエストしたのはいつも通り〝基準化〟するためではありますが、3件ある船浮の宿の中では一番設備が整っているのかも知れません。たまたま私以外の宿泊客がいなかったこともあるのか、ご家族と揃っての食事をさせて頂き、つかず離れずの距離感はあったように思います。ゆんたく的なものを望んでおられるとちょっと物足りないところはあるかも知れません。しかし島宿独特のべったり感がないことはある意味気を使わせない配慮かもしれません。〝あかしょうびん〟のお部屋を使わせて頂き、海を臨むお部屋でのんびりしていると途端に眠気が襲ってきます。八重山の良いところでもあり悪いところでもありますが、ケータイ利用が不便であるということ。現代人の悪しき週間である寝る前のスマホができないことは、即ち諦めて寝るしかありません。という訳で今日一日の行程を整理すると眠くなってきました。という感じで2日目が暮れていきますzzz。<br /><br /><br />☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br />☆	《本日の明細》                              ☆<br />☆	 石垣~西表大原(往復)・・・¥2,980        ☆<br />☆	 レンタカー・・・¥9,680              ☆<br />☆	 白浜~船浮(往復)・・・¥960              ☆<br />☆	 ふなうき荘・・・¥7,000              ☆<br />☆     合計:¥20,620                   ☆<br />☆     【累計】\45,280                           ☆<br />☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆<br />

≪2015.Oct≫あみんちゅ歴史に触れる満身創痍の旅八重山その弐之弐~2日目:西表そして船浮へ編~

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2015/10/13 - 2015/10/17

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たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。

たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん

≪2015.Oct≫あみんちゅ歴史に触れる満身創痍の旅八重山その弐之弐~2日目:西表そして船浮へ編~

2015年10月14日水曜日
ホテル 7:45(起床)
食事 8:15
   8:40
チェックアウト 9:45
石垣島離島 9:50
ターミナル 10:53(乗船)
       11:00(第三十八あんえい号)
西表大原港 11:37(到着)
      11:39(下船)
      12:00(出発)
オリックスレンタカー西表大原店 12:03
                12:45(0.0km)
西表大原港 12:51(1.3km)
      13:05
南風見田浜 13:15(8.0km)
      13:33
忘勿石 13:35(9.4km)
    14:05
西表大原港 14:15(14.7km)
      14:35
古見のサキシマ 14:45(22.2km)
スオウノキ群落 14:52
西表野生生物 15:00(24.4km)
保護センター 15:30
由布島 15:36(28.2km)
    15:50
西表上原港 16:16(52.2km)
      16:57
屋良商店 17:16(67.3km)
     17:18
白浜港 17:19(67.4km)
    17:50(船浮海運:ニューふなうき)
船浮港 17:59
お宿 18:03//
《宿泊》
民宿ふなうき荘(1泊2食付BT付和室:\7,000:直手配)

旅二日目の朝を迎えました。到着時間が遅かったのであまり食欲もなく軽く食べただけでした。それでも普段なら大丈夫な身体なのですが、旅行中は両極端です。まったく食欲のないときと、お腹が減り過ぎてめまいがする位とか・・・。どういう基準になっているのかは本人もわかりません。た~だ~、今朝は猛烈にお腹が減っています。と言う訳で二階のレストランへと朝食を食べに降りて行きます。

頭が少しボケていたのかも知れませんが、何を聞かれたのか覚えていません。ただ全部!と言ったら、へ?っという顔をされました。出てきたものを確認したときにその意味がわかります。〝おにぎりの具〟を6種類から選んで下さいと聞かれたのを〝全部〟とのたうち回ったようです。ひとつひとつを小さめにして作ってもらった〝おにぎり〟は、お世辞抜きにして本当に美味しかった♪これがサービス?う~ん・・・、とにもかくにもホテルエメラルドアイル石垣島最高~!です。

お腹も満腹になり、少し荷物の整理をしてからチェックアウトします。5日という行程ゆえゆっくりできないのは少し残念なところもありますが、それは仕方がありません。9:45にチェックアウトして石垣島離島ターミナルへと向かいます。ここで勘違い発生(驚)、西表大原に向かう高速艇の時刻を一時間勘違いしていました。11:00発を10:00発と…。カウンターに行って初めて発覚しました。まぁ過ぎてしまったことは仕方がない…〝て~げ~〟を言い訳にしながら来年のお年玉に使うための2,000円札を仕入れに琉球銀行八重山支店へと向かいます。珍しく空いていた窓口で10,000円を両替して目的完了、そして改めて離島ターミナルへと向かいます。

西表大原行きの船車券ですが、往復割引の適用では事前予約の重複適用はできません。なのでどこで買っても同じなのですが、〝T-point〟が貯まるという理由で平田観光にて手配します。3番乗船口から大原まで運んでくれるのは〝第三十八あんえい号〟、出発は11:00です。石垣島では今年8月24日未明に通過した台風15号による甚大な被害がありました。最大瞬間風速71mを記録したこの台風15号の被害は、台風王国八重山でも過去に例を見ないものだったようで、4tトラックは横転し、停電でライフラインにも影響したことが新聞等でも大きく取り上げられていました。それが影響しているのかはわかりませんが、昨晩宿泊したホテルエメラルドアイル石垣島でも、エレベーター内に防護用パネルが貼ってありました。また関係があるのかはわかりませんが、離島ターミナルの名物〝行先表示板〟も消えている状態でした。一観光客でしかない私が何かをいってどうなるものではないのはわかっていても、なんともいえない気持ちになりました。勢いを早く取り戻してほしい…そう願うのみです。

久しぶりの離島ターミナルですがある発見をしました。中央出入口に〝セブン銀行〟のATMが設置され、コンビニATMの無料利用回数がある方であれば手数料が掛からず利用することができます。地元にいる時のように利用できる便利さを感じた瞬間でした♪なんやかんやら構内の写真を撮っていると程良い時間になったので、3番乗船口へと向かいます。何度も見ている〝具志堅さん〟、今回も人だかりが途切れたところで一枚パシャり♪そして乗船します。乗船定員92名(うち乗組員2名)の標準サイズの高速艇ですが、私は一番前の座席に陣取ります。実はこの席一番〝揺れる席〟として有名であり、事実高齢者の圧迫骨折事故が発生しています。事故防止のため子供や高齢者は後部座席に座るようにとの案内がされていますが、どちらにも属さない私にとってこの〝疑似ジェットコースター体験〟ができるこの席は〝かいか~ん♪〟の特等席でもあります。

そして出航時刻がきて静かに浮桟橋を離れていきます。竹富島アイヤル浜、黒島、小浜島を横目で見ながら第三十八あんえい号は滑走し、定刻西表大原港へと到着します。マリンアクティビティ関係の船も発着するこの西表大原港、西表島の玄関口であることには間違いありません。私はレンタカーを借りて島を周遊しますが、予約を入れているオリックスレンタカー西表大原店は、港から徒歩1分と書いてあります。迎えが来ていない・・・ということで連絡を入れるも繋がらず、一服しながらしばらく時間が過ぎるのを待ちます。しかし迎えはもともと無いようで、それを見落としていたようです。ただ港から徒歩1分とは絶対に不可能なことなので、よく聞いておくべきだったと後から後悔しました。まあ仕方がないことですが…。

という流れで営業所まで歩き、3日間の足になってくれるダイハツmove君と出会い、取り敢えず出発します。向かった先は西表大原港、なぜなの?という声が聞こえてきそうですが、レンタカーの営業所でのんびりしているとスタッフが「どうかしました?」と聞かれることが多く、行程を確認するのに落ち着きません。そのため近くのお店などですることが多いのですが今回も同様です。取り敢えず東部から行ってみよ~か~ってことで改めて出発します。

向かった先は南風見田の浜、県道215号線の東の終点豊原よりまだ先へと進んだ場所になりますが前回は時間切れで行けなかった…なので改めて訪問します。2km程の砂浜が続く南風見田の浜は昭和20(1945)年5月に波照間国民学校校長識名先生が、強制疎開によってこの地に来ることを余儀なくされた波照間の児童323名を集めて入学式を行ったことで知られています。その後マラリアに罹患し、323名の児童のうち66名が亡くなりました。そして帰島することが決まった頃、亡くなった児童を忘れないようにとの考えでこの地にある砂岩の巨石に刻んだ言葉が〝忘勿石 ハテルマ シキナ〟の10文字になります。この忘勿石とは場所が少し離れていますが、この南風見田の浜は陸路で行ける西表島最東端の場所ということになります。浜とは言っても特に目ぼしいものはなく、休憩用の東屋と水シャワー位でしょうか。でもそれだけでもあるだけいいのかも知れません。水に浸かってもいいような暑さではありましたが、そこまでのゆっくりとする余裕もないため次の目的地へと進みます。

南風見田の浜から車を走らせること2分程、〝忘勿石入口〟はこちらと書かれている場所に到着します。連絡先が民宿南風荘と書いてあるこの看板、ここから歩いて行くようです。本当はもう少し浜の方までレンタカーで入ることはできるのですが、見た目木々が道に覆い被さっていたこともあり、道路脇に車を停めて歩いて行きます。先程の南風見田浜から繋がる場所ですが、道路での移動距離は1.4kmありました。そして駐車場からは200mとは書いているものの、実際にはもう少しあるように思います。

丁度引き潮の時間と重なっていたため普通に浜辺を歩いて向かいますが、この忘勿石之碑は潮が満ちていると参拝ルートがなくなってしまう場所になります。ヌギリヌパという鋸の歯のようにギザギザした浜が続く場所に、忘勿石之碑が建立されたのは平成4(1992)年8月15日のことでした。波照間島からの強制疎開が終わった昭和20(1945)年5月、232名の児童を前にこの地で入学式を行った波照間国民学校校長の識名信升先生。しかし時を同じくして蚊の発生によるマラリアが猛威をふるうことになります。この入学式に参列した児童のうち66名が犠牲となり、そのことをひとときも忘れることができなかった識名校長は、危険を覚悟して石垣島の旅団本部へと強制疎開命令の解除を上申し、許可を取り付けます。離島残置工作員の山下軍曹の脅しにも「叩き切れるものなら叩き切れ!」と屈せず波照間への帰島を進める際、この地で入学式を行った児童の中から多くの犠牲者が出たことを波照間島民に忘れないようにとの想いで、その場所にある砂岩の巨石に10の文字を刻みます、〝忘勿石 ハテルマ シキナ〟と。しかしこの〝忘勿石之碑〟を訪れる観光客の多くが実はこの原石の存在に気付かず去ってしまう事実。碑が立派過ぎるとの話もありますが残念な話です。しかし私もそれをしてしまったひとりでした。多分忘勿石之碑には識名信升校長の胸像や忘勿石のレプリカ等が〝一体化〟しており、それにこの波照間島を望む今も昔も変わらない(だろう)海を眺め、碑と向かいあっている波照間島の学童慰霊碑のことを知っているだけで〝感無量〟になってしまう・・・そんな感じを受けました。私は機会を改めてくることができました。それはまた別の機会に書くことにし、今回は〝訪れたこと〟に満足して先に進みます。

車へと戻って来た後、走り出します。向かった先はまた西表大原港です。船浮に泊まることを最終目的とし、途中の立ち寄りポイントを確認し走り出します。古見のサキシマスオウノキ群落、ここは訪れたことがあるもののなんとなく印象が残っていないための再訪でした。しか~し・・・、台風の影響なのか遊歩道から降りるはしごの手前には針金で扉が開かないようになっていました。元々こういう風にしておくことになっていたのかも知れませんが、無茶をせず先へと進むことにします。

西表野生生物保護センター、ここは前回月曜日が休館日ということで訪れることができなかった場所になります。環境庁が運営するこの施設、文字通り西表島固有の生物の生態や、目撃情報、そして事故の情報がわかりやすく展示されています。夜行性のイリオモテヤマネコなんて〝見られるわけがない〟と割り切っている私ではありますが、県道215号線に立てられている〝数日前〟の目撃情報が、この島での現実を表している・・・そう思えてなりません。ヘッドライトを点けて走ることはないにしても、〝ゆっくり走ろう西表島〟を改めて心に刻みます。

30分程で館内を見学し先を急ぎます。西表島へ来たなら必ず・・・という観光地〝由布島〟。ここも前回訪れています。お世話になった水牛さんのその後を知りたい気持ちもあるものの、まあ今回はい・い・か~って気持ちでトイレ休憩と一服タイムだけ取って先へと進みます。

由布島から約25kmは立ち寄り点がない場所ではあります。そして西表上原港、西表島西部の玄関口でもあるこの港は、昨年4月に鳩間島から西表島入りした場所になります。1年半ぶりではあるもののなぜか見覚えのある〝デンサーターミナル〟、デジャビューを感じてしまう不思議な場所でもあります。用事は特にないのですがWi-Fiも使えるこの場所、時間だけはすぐに過ぎて行きます。そのうちに八重山観光フェリーの高速艇〝サザンキング〟が入港して来ました。鳩間発上原経由石垣行きの便ですが、結構こんでいます。乗れるのかいな・・・と思っていると、そのうち〝サザンイーグル〟が次便で入港、鳩間からはどうなっていたのかはわかりませんがどうやら2隻での運航のようです。実は今回の5日間の旅行期間で鳩間・上原線が運航していたのは今日だけだったようです。この時期にこれだけ欠航するのは珍しいと地元の方は言っておられました。ある程度の運航情報は知っておられることを踏まえて、観光客の荷物の他に生活物資の積み込みもあったようにも思えます。2隻の高速艇が立て続けに出航していく姿を見送り、そろそろ船浮への高速艇の時間を気にしながら夕暮れ近い西表上原港デンサーターミナルを後にし、白浜へと走って行きます。

道中ふと立ち止まったのは上原小学校の前の交差点でした。なぜにこの場所かも知れませんが実はこの場所西表島にあるふたつの信号のうち、ひとつがある場所になります。この信号ができた経緯は知る人ぞ知る有名なことではありますが、島外へと児童が出て行く際に〝信号の存在を知らない〟という事がないように・・・との理由です。田舎住まいの私でも子供の頃からさすがに信号はありました。それだけスレていない子供達が、垢抜けていくことは・・・仕方がないことかも知れませんがなにか悲しいものも感じます。その信号を写真に収め先を急ぎます。

西表トンネルを過ぎたところにある白浜港は、定期航路は船浮行きの高速艇が1日4~5便運航されているだけのローカルな港です。それを一旦通り過ぎ、日本最西端のスーパー屋良商店へと立ち寄ります。飲み物を購入するためですが、船浮には商店や自動販売機がないと書いてあったので立ち寄りました。そして折り返して白浜港到着、昨年4月に白浜に泊まったときに、日帰りで船浮には立ち寄る予定ではいましたが・・・寝坊しました。それもあり今回初めて訪れる場所としてワクワクドキドキでやってきました。10月半ばでさすがに日の長い西表島の西の端でもあたりは少しずつ暗くはなっています。船浮海運運航の高速艇〝ニューふなうき〟17:50の船浮行き最終便は、数人の地元のお客を乗せて一路白浜港を離れ、一路船浮港を目指します。

夕暮れの船浮湾を快走する〝ニューふなうき〟は、旧日本軍の要塞があった内離島や外離島脇を通り過ぎ、出航後9分で船浮港へと到着します。港を降りた乗客は皆さん右へと曲がって集落へと向かいます。この時間なので観光客以外は地元の方でしょう。船を下りたときに「どこに泊まられます?」と聞いて貰いました。そして〝ふなうき荘〟へと行くんで~と言われるまま付いて行き、歩くこと数分(ゆっくり歩き過ぎ?)で今晩の宿〝民宿ふなうき荘〟へと到着します。本日のアクティビティは8時間で終了、車での走行67.4kmでした。

船浮というと〝マニアックな場所〟と言われる方もいるものの、知る人ぞ知る有名どころではあります。船浮音楽祭、例年4月にここ船浮で行われるイベントに日本全国から人が集まり、西表島内ではシャトルバスの運行、そして航路は増便と離島の離島には似つかない賑わいを見せます。前回西表に来たのが4月12日のことであり、1週間後の音楽祭に行くんですか~っとよく聞かれたものでした。さすがにそこまでの期間の休みは取れないので・・・となっていましたが、そのときの想いも持ったままやってきた船浮の集落でした。

このふなうき荘は船浮海運のオーナーがやっておられる民宿であり、あの池田卓さんの実家でもあります。バストイレ付き和室をリクエストしたのはいつも通り〝基準化〟するためではありますが、3件ある船浮の宿の中では一番設備が整っているのかも知れません。たまたま私以外の宿泊客がいなかったこともあるのか、ご家族と揃っての食事をさせて頂き、つかず離れずの距離感はあったように思います。ゆんたく的なものを望んでおられるとちょっと物足りないところはあるかも知れません。しかし島宿独特のべったり感がないことはある意味気を使わせない配慮かもしれません。〝あかしょうびん〟のお部屋を使わせて頂き、海を臨むお部屋でのんびりしていると途端に眠気が襲ってきます。八重山の良いところでもあり悪いところでもありますが、ケータイ利用が不便であるということ。現代人の悪しき週間である寝る前のスマホができないことは、即ち諦めて寝るしかありません。という訳で今日一日の行程を整理すると眠くなってきました。という感じで2日目が暮れていきますzzz。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
☆ 《本日の明細》 ☆
☆ 石垣~西表大原(往復)・・・¥2,980 ☆
☆ レンタカー・・・¥9,680       ☆
☆ 白浜~船浮(往復)・・・¥960 ☆
☆ ふなうき荘・・・¥7,000       ☆
☆    合計:¥20,620             ☆
☆  【累計】\45,280    ☆
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス レンタカー ANAグループ JRローカル 自家用車 徒歩 Peach
旅行の手配内容
個別手配

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この旅行記へのコメント (1)

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  • まむーとさん 2023/05/14 13:37:31
    大原
    たかティムさん、こんにちは!

    今日、家庭内感染でコロナ陽性が出ました。
    陽性になるまでに時間がかかりますね。。

    私は23年くらい前にカンピラ荘に3泊くらいして、大原の郵便局(信号)の前の宿に一泊したんです。
    カンピラ荘の奥さんはすごーく優しくて泊まってる時も子どもと遊んでくれたり5個パックの沖縄版ハイチュウをくださったり、帰宅してからはパイナップル6個とか頂いて、お礼にまた行きたいと思う宿でした。
    上原は温かかった~
    しかし、大原真逆、、、
    今でも時々思い出す。。
    宿のおじさんが「パナリに行く?」と誘ってくださったんですが、奥さんが「そんなん言わなくていい!」と私の前でおじさんを叱りつけ、、、
    私は目が点になりました。
    私は3歳の子と散歩してたら、地域のおばあ数人から怪訝そうに見られました。
    移住者と思われたのか知りませんが、上原と大原の違いに驚きました。

    その宿、名前が変わってました。

    今年1月の石垣島で西表島も視野に入ってたんですが、船代がネックで、、
    でも、この前のベトナムで「沖縄に行きたい」とまたむくむくと気持ちが湧き上がってきました。

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