2015/06/17 - 2015/06/17
2339位(同エリア7310件中)
滝山氏照さん
江ノ島電鉄極楽寺駅下車し成就院に向かう途中の道路に歳月を経た石標見つかりこの石標には「上杉憲方墓」と刻されています。
上杉憲方(うえすぎ・のりかた、1335~1394)は関東管領(鎌倉公方の補佐役)の職にあって鎌倉公方と並ぶ一大勢力発展の基礎を固めた上杉憲顕(うえすぎ・のりあき、1306~1368)の三男で兄能憲、憲春が死去した為天授5年(1379)家督を継承して2代鎌倉公方足利氏満(あしかが・うじみつ、1359~1398)の指名により関東管領に任じられ以降十余年の長期に亘って同職にあり山内家上杉氏の関東管領職の世襲化の礎を築きます。
この一帯は極楽寺の子院である西方寺跡といわれている場所でアパートの脇の細い通路石段を進むと約3mの七層塔や五輪塔を含む多数の石塔が配されており、墓塔に銘文は無記載のため伝承の域を出ませんが七層塔は憲方、五輪塔は室のものと言われています。
住宅開発から取り残された場所に配された墓地の奥には朽ち果てた上杉憲方墓の説明板が立ち、乱れた文字を読むと次のようになります。
「史跡 伝上杉憲方墓 昭和2年4月8日文部省指定
上杉憲方は憲顕の子である。天授5年(1379年)美濃の土岐頼康の叛乱を討つため出陣したが、三島で在陣中、鎌倉御所・足利氏満を補佐する関東管領に任ぜられ、鎌倉に帰り山内に住んで山内氏を称した。
応永元年(1394年)十月、60才で亡くなり法名は明月院殿天樹道合という。
墓地には上杉憲方墓と伝えられる安産岩製の七層搭のほか、凝灰岩製の五輪塔三基、安山岩製の五輪塔多数がある。
七層搭は鎌倉末期の作と推定される。塔身には仏像を刻み、基台には枠をめぐらし格狭間を刻んでおり、すぐれたものである。
神奈川県教育委員会 」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 私鉄
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