2015/06/17 - 2015/06/17
2474位(同エリア7326件中)
滝山氏照さん
鎌倉の西南に在し鎌倉の西出口を抑える要所の地に霊鷲山感應院極楽寺(ごくらくじ、神奈川県鎌倉市極楽寺)は京都六波羅探題責任者を経て連署(執権補佐)等の要職を歴任した北条重時(ほうじょう・しげとき、1198~1261)の持仏堂から発展した寺院です。
重時は鎌倉幕府2代執権である北条義時(ほうじょう・よしとき)の三男にあたり、歓喜2年(1230)長兄泰時の嫡子時氏(ときうじ)の後任を受け京都六波羅探題北方に就任、以降17年間に亘り六波羅探題の最高責任者を経て鎌倉に戻っては連署など幕府の要職を歴任、異母兄である3代執権北条泰時(ほうじょう・やすとき)から娘婿にあたる5代執権北条時頼(ほうじょう・ときより)を補佐して幕政を主導して幕府の安定に大きく寄与した実力者です。
建長8年(1256)に重時は出家して引退後は極楽寺に隠居し弘長元年(1261)11月64歳で極楽寺にて没します。
本堂脇に立てられた説明板には次の通り(一部抜粋)描かれています。
「霊鷲山感應院極楽寺
開基 北條重時公 開山 良観房忍性菩薩
当山は北條重時公の発願にして、正元元年(1259)の創建と伝えられる。
重時は業半ばにして没し、その男執権長時及び業時兄弟によって、文永年間(1264?1266)東西八丁、南北七丁に及ぶ寺域に、七堂伽藍、四十九院を完備せる壮大な寺院が完成された。
その後相次ぐ天災兵火の為、当初の建物は失われ、現在、文久3年(1863)の再建になる山門及び本堂、大師堂、客殿が残るのみである。
開山忍性菩薩は勧学院を興して得の教学を広める一方、施設院、悲田院、施益院、らい宿、馬病舎等を設け、らい者、貧者の救済に努めた。
現在の境内に残る千服茶臼、石造製薬鉢にその名残を止めている。又土木事業も盛んにし、極楽寺切通しを開いたことも有名である。その技術は世に称えられ嘉元元年(1303)87才で没した後、後醍醐天皇により菩薩号を贈られている。」
- 旅行の満足度
- 3.5
- 交通手段
- 私鉄
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