2014/11/01 - 2014/11/01
87位(同エリア400件中)
Rinさん
ちょっと今回はまじめなお話です。
この日はアウシュヴィッツ・ミュージアムの見学。
ここに行くかどうかはかなり迷いました。
誰もが知る「負」の世界遺産。
いつもみたいに観光気分で行く場所ではない。
行って「あ〜楽しかった」とは絶対にならない場所。
ここに行くならそれなりの覚悟が必要だろうと。
考えた末に私が出した結論は「行く」でした。
そして行くからには博物館の唯一の日本人の公式ガイドである中谷さんの説明を聞きながら見学をしたいと思いメールでガイドのお願いをしました。
中谷さんから聞いた話は想像以上のものでした。
今は平和な住宅街にしか見えないこの場所で人間のすることとは思えないようなことが行われていたとは…。
ここを訪れた人間はこのようなことを二度と繰り返さない為にも今回学んだことを伝えていかなければならないと思いました。
この旅行記は他の旅行記とはちょっと違った雰囲気になっていると思います。
アウシュヴィッツ・ミュージアムの部分は出来るだけ自分の感情は記さず、聞いた事実のみを書こうと思います。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
この日は万聖節という祝日で朝食レストランも7時からしか開いていない。
7時過ぎに行ってみたら…ご覧の通りガラガラ。 -
今日も朝食はたっぷり。
予定ではアウシュヴィッツの見学は14時頃までかかるのでそれまでご飯を食べることは出来ないだろうということで多めに取ってみた。 -
デザートはパンケーキ。
これはイマイチだった。 -
たっぷりの朝食後はバスターミナルへ。
-
既にバスは来ていたので昨日買った切符を見せて乗り込む。
-
バスには結構人が乗ってた。
-
バスはアウシュヴィッツ・ミュージアムのあるOSWIECIMへ向かって走る。
-
途中見えた風景。
万聖節なのでお墓参りをしている人がたくさん。 -
1時間半ほどでバスはアウシュヴィッツ・ミュージアム到着。
-
帰りのバスもチェックしなきゃね。
-
バスはミュージアムの駐車場に到着するので入口までは歩いて行く。
-
ミュージアムの入口に到着。
ここでガイドの中谷さんと待ち合わせ。
他にもそれらしき日本人がちらほら。
昨日ヴィエリチカ岩塩坑でのツアーが一緒だった女性2人組ともここで再会。
中谷さんのガイドをお願いするには直接希望日を記載してメールすればOK。
毎日ガイドをされている訳ではない様ですので事前申し込みは必須です。
中谷さんのメールアドレスは地球の歩き方にも載っています。 -
10:30にツアースタート。
ツアー人数は20人弱。
イヤホンガイドを使っての見学。
ちなみにアウシュヴィッツ・ミュージアムの入場料は無料です。
中谷さんへのガイド料は参加人数で頭割りする方式の様でした。 -
見ているとここでそんな恐ろしいことが行われていたとは思えない。
-
のどかに見えるこの風景。
-
しかし…この収容所の入口に立つ建物は監視塔。
この塔の上からナチの軍人が監視をしていたという。 -
あまりにも有名な「労働すれば自由になれる」という言葉が掲げられたゲートを通って見学は始まります。
-
400Vの電流が流れたという有刺鉄線が敷地内を囲んでいます。
-
余りにも整然とした建物。
元はポーランド兵士の兵舎でその後ポーランド政治犯の収容所になったそうです。
ここがどういう所か知らなければ閑静な住宅街と思ってしまいます。
中谷さんがこの通りにあった1枚の絵の前で説明をしてくれました。
ここに収容されていた人が奇跡的に生き延びた後、収容所の様子を描いた絵です。
そこには他の被収容者たちを監視する「カポ(労働監視員、収容所監視員などと訳される)」と呼ばれる人がいました。
カポは元々は収容者です。
同じ立場の収容者を密告等で「売る」行為をしてその地位を得たといいます。
人間の弱い部分をナチスは巧妙に利用して収容者同士を監視させたのです。 -
建物には番号が。
-
中の見学が始まります。
-
まずは4号館の見学から。
ヨーロッパの地図。
ヨーロッパ各地からアウシュヴィッツに連行されたことが分かります。
連行された人のうち90%はユダヤ人。
ハンガリーから連れてこられたユダヤ人が多かったそうです。
その次に多いのはポーランド人だったそうです。 -
アウシュヴィッツ駅で降りる人々の写真。
この写真はナチス側によって撮られたもの。 -
ヨーロッパの地図。
ここで犠牲になった人は110〜160万人といわれているそうです。
資料が残っていないので正確な数が分からないので犠牲者の数にこれほど差が出るそうです。 -
アウシュヴィッツ・ミュージアムはOSWIECIMという街にある。
-
大量虐殺に使われたチクロンB。
元は殺虫剤として使われていた。
この1缶で150人の人間を殺す殺傷能力があった。 -
続いて5号館の見学です。
収容者のメガネ。 -
義足。
この他に髪の毛等もあった。
収容者の髪の毛で絨毯や背広を作って売っていた。 -
食器。
-
かばん。
名前や誕生日、住所などが書かれている。
これは収容者自らが書いたもの。
ナチスは収容する際、「後で返すから」といい、持ち物に名前を書かせて希望を持たせた。 -
無数の靴。
-
この両脇のガラスケースに靴が。
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収容者の服。
-
よく見ると胸にマークが縫い込まれている。
-
マークの意味。
-
廊下にはここに収容され犠牲になった人の写真がずらりと並んでいた。
男性、女性(ほとんどいなかった)に関係なく、全員髪をそられた姿。 -
収容者の食事の模型。
-
裁判所。
といってももちろんここで公正な裁判が行われていたわけではない。 -
収容者の布団。
-
3段ベッド。
1段のベッドに2人づつ寝かせていた。 -
所長室。
壁にはヒトラーの写真。 -
5番館のすぐ横には「死の壁」
この前で何人もの人が銃殺され命を落とした。
万聖節のこの日はたくさんの花やランタンが供えられていた。 -
全体的な内容の展示のものもあれば、フランス、オランダ等欧州各国別の展示もあった。
-
ここで何人もの人が吊るされたという。
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監視塔と電流の通っていた有刺鉄線。
髑髏のマークが目を引く。 -
ここに突進をし、自殺を図る人も多かったという。
-
有刺鉄線は二重になっている。
-
アウシュヴィッツ収容所の所長ヘスの家は敷地内から見えるところにある。
-
ヘスの家が見える場所にある絞首台。
自分の家族が住んでいる家のすぐ近くに絞首台があることを何とも思っていなかったということ。 -
大量殺人を可能にしたガス室。
収容所に連れてこられて実に75%の人が収容されることなくガス室に直行させられ殺されたという。 -
入口からこの道を通ってガス室に向かった何十万人もの人々がいた。
-
2時間程でアウシュビッツ第一収容所の見学が終了。
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バスで第二収容所のビルケナウへ。
-
続いて第二収容所ビルケナウの見学。
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入ってすぐに途切れた線路。
-
ヨーロッパ各地からこの線路を使って多くの人々が連れてこられたという。
-
ここにも電流の通っていた有刺鉄線が張り巡らされていた。
-
この列車に人々は押し込められて多くの人々がここアウシュヴィッツに連れてこられた。
アンネの日記で有名なアンネ・フランクの父、オットーフランクもその1人。
彼はこの収容所での数少ない生き残りであった。 -
途切れた線路。
列車から降ろされた人々はすぐに医師に「選別」された。
働けるものと働けないものに。 -
働けないと選別された人は約75%。
働けないと選別された人々はガス室送りになり殺された。 -
敷地内の奥には各国の慰霊碑。
-
慰霊碑の前には花が供えられている。
-
ナチスが敗戦濃厚になった時に証拠隠滅の為破壊したガス室。
-
破壊されたガス室をあえてそのまま残している。
-
この1日に何千人もの人を殺害すること可能にしたガス室があったため多くのユダヤ人がアウシュヴィッツに送られたという。
-
あえてそのままにされて、苔が生えている。
たった時間の長さを感じる。 -
板張りのベット。
ここは1段に4〜5人が寝ていたという。
ほぼ身動きが出来ない状態であったであろう。 -
いくつか残る建物は全て煉瓦製。
-
柱の様に残っているのは煙突部分。
木製部分の建物は残っていない。 -
調理棟などは室内労働になった人は運がいい人々。
過酷な労働ではないので生き延びる確率も高かった。 -
ビルケナウの見学は1時間程で終了。
中谷さんのガイド料はこの日は一人40ズロチ。
淡々と語る口調ながら、この事実を伝えるという使命感を感じた。
ガイドを頼んでよかったと思った。
ガイド中に紹介された書籍「夜と霧」を帰国後に読んだ。
アウシュヴィッツ見学で中谷さんの様々な説明を聞いた後だったのもあり、より強く恐ろしさを感じた。 -
バスで第一収容所に戻ってきた。
-
バスでクラクフへ戻る。
-
行きは1時間半で来れたけど帰りは2時間半近くかかった。
特に渋滞もなかったのになんでかな?
クラクフに着くと真っ暗。
昨日のヴィエリチカ岩塩坑ツアーも一緒だった女性2人組と夕食をご一緒させていただくことに。 -
まだ夕食にはちょっと時間が早いのでちょっと散策。
私が気に入ったチョコレート屋さんカルメロは彼女たちも知っていた。
ということで再び行ってみてまたもやチョコ購入。
どんだけチョコ買うんだ?? -
その後彼女たちが行きたかった高級スーパーへ行ってみるが…閉まってた。
万聖節のこの日はほとんどお店が閉まっていた。
歩いているとこんなお店発見。
ハチミツ酒が売っているみたい。
女性2人組のAさんは試飲して気に入ったようでお買い上げ。
結構素焼きの入れ物で結構重そうだった。 -
中央広場近くを歩いていた時にラッパの音色が聞こえてきた。
彼女たちによると聖マリア教会の塔の上で定時にラッパを吹く人がいるという。
目をこらしてよ〜く見てみると…いた!!
でもこの写真ではちょっと分からないかな…。
しかしラッパのメロディーはなんとも中途半端な感じで笑っちゃった。 -
行きたいな…とチェックしていたお店はほぼ全滅。
中央広場に建つこのお店は開いていたので入ってみる。
このお店が当たりだった!
後で見ると地球の歩き方にも載っていたWeseleというポーランド料理のレストラン。 -
店名のWeseleはポーランド語でウェディングという意味。
名前の通りハッピーな雰囲気。 -
まずはスープ。
ジューレックを注文したつもりがボルシチを注文しちゃってた。
間違えちゃった。
まぁこれはこれで飲んでみた。
ロシアのボルシチと違ってとってもシンプルなスープ。
中にピエロギ(ポーランドの餃子?)が入ってた。
甘酸っぱいスープ。 -
こちらは慌てて注文しなおしたジューレック。
パンに入っていた。
このパンがめちゃくちゃ固かったけどジューレックをつけて食べるとおいしい! -
こちらはポーランド名物のピエロギ。
茹で餃子的な感じ。
味があんまりなかったかなぁ。
しょうゆ欲しいよ。 -
で、今回の旅で一番気に入ったのがこちら。
ビゴス。
繊切りしたキャベツとザワークラウトを肉類(豚肉、ソーセージやベーコン)や炒めたタマネギ、キノコ類といっしょに火にかけたり、おろしたりを繰り返しながら、2-3日間かけて煮こんだもの。
ポーランド家庭料理らしいけど、これがめちゃうま。
ご飯欲しい! -
メインは豚肉。
こちらもおいしい。
料理もおいしいけどお互い旅人同士。
旅行話に花が咲く。
彼女たちが前に行ったサントリーニ島の写真を見せてもらった。
すっごく綺麗で行きたくなっちゃった。
私も行きたいな。
彼女たちは次はクロアチア辺りを狙ってるみたいなのでお勧めしといた(笑) -
お腹はいっぱいになったけどデザートは別腹でしょ?ってことでポーランド風チーズケーキをオーダー。
あったかいチーズケーキ。
日本で食べるチーズケーキより軽い感じ。
チョコレートソースがかかってておいしい。 -
Nさんが頼んだホットアップルパイもちょっと分けてもらっちゃった。
「りんご」!って感じで甘酸っぱくっておいしい!
これだけ食べて1人65ズロチ。
安い!
中央広場という最高の立地のレストランなのに。 -
お店を出ると中央広場にはパフォーマンスをする人が。
-
あとはのんびりホテルに戻る。
このショーウィンドウがかわいくって写真を撮っている時に悲劇が…。
Aさんがしゃがんで写真を撮ろうとした時「ガシャン」という音が。
さっき買ったはちみつ酒が地面に当たって割れてしまった…。
瓶の底に残っていた瓶だけなんとかペットボトルに入れて回収したけどほとんどは流れてしまった…。
もったいない。 -
彼女たちとはホテルが違うので途中でお別れ。
でも彼女たちが泊まっていたホテル、私が最後まで迷っていたホテルだった。
もしそっちにしてたらホテルも一緒だったんだ!
ともあれ彼女たちのお蔭で楽しい時間を過ごせた。
ありがとうございました!
明日はホテルをチェックアウトしなきゃ。
この続きの旅行記は↓
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この旅行記へのコメント (2)
-
- まほうのべるさん 2015/03/15 18:53:13
- アウシュヴィtッツへの訪問は
- こんにちは、1Rinさん。
アウシュヴィッツでは中谷さんの説明でまわられたんですね。
ポーランドに行かれる方は必ずのようにアウシュヴィッツへの訪問を
どうしようか悩みますね。
特に1人での訪問はとてもきついものがあります。
でもポーランドに行ってアウシュヴィッツをパスするのもいかがなも
のかと思ったりべるも出発直前まで悩み個人で訪れる選択をしました。
でも帰国していろんな方の旅行記を見ているうちに、やはり中谷さん
に説明を受ければ良かったのかなと思ったりしています。
いつまでも忘れることなく次の世代に伝えていく事が必要なのだと強く
思いました。
アウシュヴィッツで一緒だった方たちと食事をしたり買物をしたり楽し
い時間でしたね。
1人で食事をとることが出来ないでいるので、現地で一緒に食事をする
なんてとても羨ましいです。
でもなかなか日本人を見かけることがないんですよね。
だからデザートを食べるのがやっとかな。
byまほうのべる
- Rinさん からの返信 2015/03/16 23:58:07
- RE: アウシュヴィッツへの訪問は
- べるさん、こんばんは。
アウシュヴィッツはツアーでも自由選択になっている場合が多いですよね。
その点でも他の観光地とは明らかに違う位置づけですよね。
私も悩みましたが行ってよかったと思います。
また中谷さんのガイドを聞き、第二次世界大戦でナチスが何をしていたのか知っているつもりで全く知らなかったのだと愕然としました。
人が人に対してここまで残虐なことが出来るのかと…。
あの場所に行ったからにはこの事実を伝えなければ…という気持ちになりますよね。
今も残念ながら紛争の種は尽きませんが、あの時代に比べればずっと平和なのだと思い知りました。
私も実はあまり自分から声をかけられるタイプではないです。
でも2日も同じツアーに参加するという御縁はなかなかないですし、とても話しかけやすい方たちだったよかったです。
そういえばべるさんの旅行記では街歩き中の食べ物の記述が少ないなぁ…と思ってたのですが、もしかして食べてなかったんですか??
私も昔は一人旅でもレストランに入れなくってホットドッグやピザばかり食べてましたが、最近なんとか元気な時なら一人でもレストランに入れるようになりました。
一人旅も楽しいんですが、食事だけは今でも悩みの種です。
確かにポーランドでは日本人少なかったですね。
というかアジア系にほとんどお目にかからなかったです。
まだまだマイナーな国なんでしょうね。
Rin
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