2014/03/15 - 2014/03/19
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トラッキー☆さん
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5年以上前、ホロコースト(ユダヤ人に対する大虐殺)に関する本「夜と霧」を読んだことがあった。
これを読んでから、どんな過酷な状況下でも人は生きる意味を見出すことができると信じることができた。これは、私が今の仕事をする上で重要な考え方であり、かなり影響を受けてきたと思う。
でも、なぜか最後まで読み切ることができなかった。
一度は行ってみたいと思っていたアウシュヴィッツ強制収容所。
ついに、行く機会を得ることができた。
せっかく行くなら、ちゃんと勉強してから行こう。
2週間前に決めた旅・・・とりあえず、図書館でホロコーストに関する本を借り、読めるだけ読んだ。
ホロコーストに関する映画も見た。
「地球の歩き方」に載っていた中谷氏(アウシュヴィッツ博物館唯一の外国人公式ガイド)へメールを送った。
3/16 13時(4名)、3/17 10時30分(5名)の案内予定があり、入館案内料は参加者全体で250ズロチとのこと。クラクフ―アウシュヴィッツミュージアム間の交通情報が添付されていた。
あまりにも衝撃が大きすぎて、下手な旅行記は作れないなと思っていたけど、見学しているうちに、この事実を少しでも多くの人に知って欲しいという使命感みたいなものが湧いてきた。
<本> ★既読 ☆未読
★「アンネの日記」アンネ・フランク
★「もうひとつの『アンネの日記』」アリソン・レスリー・ゴールド
★「砂のゲーム」ウリ・オルレブ
★「ハンナのかばん」カレン・レビン
☆「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル
☆「アウシュヴィッツの地獄に生きて」ジュディス・S・ニューマン
☆「アウシュヴィッツ収容所」ルドルフ・ヘス
☆「アウシュヴィッツは終わらない」プリーモ・レーヴィ
★「なぜ、おきたのか?」クライヴ・A・ロートン
☆「杉原千畝物語」杉原 幸子
☆「日本人に救われたユダヤ人の手記」ソリー・ガノール
★「アウシュヴィッツ博物館案内」中谷 剛
<映画>
★「シンドラーのリスト」1993年 アメリカ
★「戦場のピアニスト」2002年 フランス・ドイツ・ポーランド・イギリス
[1日目]
成田⇒ヘルシンキ
ヘルシンキ⇒ワルシャワ(泊)
[2日目]
ワルシャワ⇒クラクフ
クラクフ⇒オシフェンチム
★アウシュヴィッツ・ビルケナウ ナチスドイツの強制絶滅収容所
オシフェンチム⇒クラクフ(泊)
[3日目]
クラクフ⇒ヴィエリチカ
☆ヴィエリチカ岩塩抗
ヴィエリチカ⇒クラクフ
☆クラクフ歴史地区
クラクフ⇒ワルシャワ(泊)
[4日目]
☆ワルシャワ歴史地区
ワルシャワ⇒ロンドン
ロンドン⇒
[5日目]
⇒成田
<ガイドブック>
とっておきのポーランド
地球の歩き方 チェコ ポーランド スロヴァキア '09〜'10
<旅のレート>
☆GPA外貨両替専門店 http://www.gpa-nrt.biz/exchange/index.html
1ズロチ 38.67円(2014.3.15現在)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
http://4travel.jp/travelogue/10866218の続き。
ホテルをチェックアウト。
大きなスーツケースは、ホテルに預けて・・・
朝6時05分の列車に乗るため、ワルシャワ中央駅へ。
ショッピングセンターは開いていないので、中を通り抜けることはできず。 -
ここは、ワルシャワ中央駅のメインホール。
この窓口でチケットを購入できる。
チケットを買うのに行列になると聞いていたから、昨日のうちに買っておいたけど、朝早かったせいかガラガラ。
ワルシャワからクラクフまで、3時間ちょっとで行ける列車もあれば、11時間以上かかる夜行列車もある。
日中でも6時間かかる列車もあるので、事前に時刻表をチェックしておいた方がいい。
http://pkp.pl/ -
ワルシャワ⇒クラクフ 60ズロチ
6時05分、ワルシャワを出発。 -
コンパートメントタイプ、指定席だった。
9時33分に到着する予定だったが、なかなか着かない。
ホントは、駅近くのホテルに荷物を預けてから、10時18分のオシフィエンチム行きの列車に乗るつもりだった。
荷物をコインロッカーに預けるとしても、10時18分のオシフィエンチム行きの列車に乗れなかったら、中谷氏のガイドに間に合わない。
間に合わなかったら、予定が狂っちゃうよ〜。
ドキドキ・・・でも、結局、15分遅れでクラクフ駅に到着。
とりあえず、10時18分のオシフィエンチム行きの列車に間に合ってよかった。 -
オシフィエンチム行きの列車をチェック。
窓口で切符を購入しましょ。
9.5ズロチ、カード決済。 -
列車の到着が遅れたせいで、ホテルに荷物を預ける時間がなくなっちゃったよ。
コインロッカーに預けようっと。
ロッカーの大きさによって、金額はまちまち。8〜15ズロチ。
クラクフ駅のトイレは有料2.5ズロチ。
トイレの近くに両替機あり。 -
ワルシャワからクラクフ行きの列車に食堂車があると思ってたけど、見つけられなかった。
なので、クラクフ駅で買ってみた。
6.9ズロチ。
駅のホームで食べていたら、鳩が寄ってきたゾ。 -
列車が来た〜。
-
10時18分発、オシフィエンチムには12時07分に到着予定。
ちなみに、アウシュヴィッツへはクラクフからバスでも行ける。
でも、行きは列車に乗りたかった。
アウシュヴィッツ強制収容所への移送は列車だったから・・・
1つの貨物列車に100人以上詰め込まれ、何日もかけてアウシュヴィッツへ。
みんな、どんな思いで列車に乗っていたのだろう。
希望?絶望??
私は、エアコンの効いた列車でアウシュヴィッツへ。 -
12時07分、オシフィエンチム駅に到着。
ここから、20分歩かなければならない。
中谷氏とは、13時にアウシュヴィッツ博物館の入場棟で待ち合わせ。
ちょうどいいかも。 -
オシフィエンチム駅。
「駅前の大通りを右方向へ、ロータリー交差点を左へ、そのまままっすぐ10分ほど歩くと、左手にアウシュヴィッツミュージアムの駐車場がある」と、中谷氏のメールに書いてあった。 -
最初の交差点では曲がらず、ロータリー交差点で左へ。
-
雨が降ってくるし、寒いし、誰も歩いてないし・・・すごく遠く感じた。
ひたすらまっすぐ歩くと、看板あり。
道に迷っていないことがわかって一安心。 -
駐車場の奥に入場棟あり。
-
13時、中谷氏と合流。
5日前、メールした時点では4人の予約があったけど、実際、私を含めて9人となった。
3月、卒業旅行シーズンだったからか、私以外みんな20代の若者だった。 -
1人50ズロチを中谷さんへ支払い、イヤホンガイドをもらって、ツアー開始。
館内、写真撮影は可能(一部撮影不可)だけど、ここは「墓地のない墓地」、遺族の方もたくさんいるので・・・他の観光地のような撮影はしないようにと。
ここで、100万人以上のユダヤ人が殺されたという事実・・・「ユダヤ人だから」という理由だけで。 -
雨が・・・もっとちゃんと撮りたかったゲート。
「働けば自由になる」という意味だが、収容者たちは死ぬまで働かされた。
この写真ではわかりづらいけど・・・「B」の文字が上下逆さまになっている。これは、収容者のせめてもの抵抗の証だった。 -
雨は降ったり、止んだり・・・時折、強く降った。
-
バラックには、番号がつけられている。
-
バラック
-
収容所内には、ポプラも植えられた。
-
5キロのチクロンBで1500人もの殺傷能力があるという。
-
ナチスは、収容者の財産を回収し、細かく記録をしていた。
GOLD、SILVER・・・ -
中谷氏について歩く。
風が強くて、ゴーゴーとマイクにノイズが入り、聞き取りにくいことも。 -
回収された義足。
-
収容者が使っていた食器類。
-
アウシュヴィッツで何が待っているのか知らずにやってきた収容者たち。
財産を旅行鞄に詰め込んだ。
鞄に名前を書かせ、あたかも手元に戻ってくると思わせておきながら、全財産を没収した。 -
子どもたちも多く収容され、多くが殺された。
医師により人体実験も行われた。 -
収容者の靴。
フランクルの「夜と霧」では、飢餓浮腫でぱんぱんになった足を靴の中に突っ込み、半ばむき出しの足はいつも濡れていて、雪が入り込み、すぐに凍傷になったという。
死体から、少しでも状態のいい靴を交換した。 -
収容者の写真、39000枚のネガが見つかった。
収容人数が増え、のちに写真が撮られることはなくなった。
ここにある写真の中に、強制収容所を生き延びた者は一人もいない。 -
カポーという「エリート」被収容者が入っていた部屋。
収容者の中で、暴力的で犯罪的性向のある収容者がカポーになり、収容者を痛めつけ、ガス室へ送り、死体を始末をした。
ナチスは、自分たちの手を汚さずに大虐殺しようと考えた。 -
収容者たちが使っていた三段ベッド。
向こうに見えるのが、中谷氏。 -
死の壁、ナチスはここで何千人もの収容者を射殺した。
-
集団絞首刑台。
-
逃亡防止のため、電流を流した有刺鉄線で二重に囲んだ。
-
収容所生活に耐えきれず、自ら鉄条網に飛び込む収容者も・・・
-
アウシュヴィッツ収容所初代司令官だったルドルフ・ヘスの家。
彼は、家族や動物を愛する、命令に従順だった軍人だった。 -
その近くには、ルドルフ・ヘスの絞首刑台とガス室がある。
-
ガス室に入ってみた。
-
裸にされ、髪を剃られた。
「自分のハンガーの番号を覚えておけ」と言われたが、もちろん、再び、服を着ることはなかった。
「消毒する」と言われ、ここで一度に多くの収容者が殺された。
少しでも新鮮な空気を吸おうと、収容者たちは上へ上へ重なり、ガス室の中は死体が山なりになったという。
裸にするのも、髪を剃るのも、ガス室へ誘導するのも、カポーの仕事。
剃られた髪を袋詰めにし、工場へ送られ、生地となった。
三つ編みや束になった髪がそのまま残され、展示されていた。
ごく一部とはいえ、まとまった大量の髪を見ると心が痛む・・・撮影禁止。 -
一昼夜に遺体を340体焼却できたという。
ビルケナウに大規模な焼却場を建設したあとは、使われなくなった。
遺体を焼却するのもカポーの仕事。
遺体から金歯を抜き、溶かして、売られた。 -
鉄条網の外から見たバラック。
14時半の無料シャトルバスでビルケナウへ。 -
ビルケナウの監視塔で中谷氏と合流した。
やっぱり雨・・・このどんよりした天気が、当時の過酷な状況を彷彿させる。 -
多くのユダヤ人を乗せた貨物列車が通った「死の門」。
ここは、映画「シンドラーのリスト」でも撮影に使われた。 -
収容者は何も知らず、ここまで運ばれてきた。
貨物列車を降りると、ドイツ人医師が最初の選別を行った。 -
病人や衰弱した人たち・・・労働に適さないと判断された収容者(約75%)は「ガス室送り」。
この先にはガス室・・・ここを歩いたのだろうか。 -
ナチスが証拠隠滅のために壊したガス室。
死の宣告を受けた収容者たちは、「入浴施設」と書かれた建物に入り、石けんを持たされた。 -
輸送後すぐに殺処分となった何千人ものユダヤ人が、ここでガス死させられ、焼却された。
ビルケナウの焼却場では、一昼夜に遺体を1440体焼却する能力があったという。
破壊されたガス室の向こうに、イスラエルの国旗を掲げた団体が見える。
当時、彼らが生きていたら、ここで殺されていたかもしれない。
彼らは、ここアウシュヴィッツで何を思うのだろう。 -
アンネ・フランクも、このビルケナウのどこかに一時的に収容されていた。
-
収容者たちが見た窓からの景色。
-
ビルケナウの煉瓦造りバラック内のベッド。
死にかけている人々のうめき声、汗や排泄物の悪臭にあふれ、そこら中にシラミがわき、ネズミが住み着いていた。
寝台の一段には、平均して5人が寝かされていた。 -
ガイドツアーだと、のんびり写真が撮れない。
実際、立ち止まって、写真を撮っていたら、みんなお構いなしに行ってしまう。
写真撮って、走って・・・の繰り返し。
でも、こうして、中谷氏に案内してもらえてよかった。
ガス室や展示室は、どこも行列・・・必ず人はいるけど、広いビルケナウではそうはいかない。
一人じゃ、バラックに入ることさえできなかっただろう。
みんなで入れば怖くない。 -
中谷氏は淡々と話すが、若者たちに何かを訴えようとしている熱意が伝わってきた。
-
館内の説明はもちろん、その「歴史」や「今、起きていること」を絡めて話してくれたので、「過去」のことではなく、「現在」の問題として考えなければならないことを痛感。
都内の図書館で「アンネの日記」が破られたというニュース、Jリーグで差別的横断幕が掲げられたという事件、ウクライナ情勢・・・ -
煙突は、原始的な暖房設備の跡。
-
厨房、運搬車も残っていた。
-
こういった溝も収容者たちによって掘られた。
-
木造のバラック。
収容者が急激に増えたので、簡易的に作られた。
すきま風もあり、冬は寒かっただろう。 -
トイレは1日2回と決められていた。
決められた時間外に排泄すれば、悪臭の中での生活を余儀なくされる。
人前で裸にされ、排泄し、罵倒され、殴られ、目の前で仲間が死ぬ・・・羞恥も恐怖も同情も憤りもなくなり、感情は喪失していったという。 -
木造のバラック内のベッド。
-
大きなバラックに、暖炉は1つだけ。
この冬は暖冬なのか、雪は全く積もっていなかった。
中谷氏によると、毎年4月まで雪が積もっているという。
その中で生活し、労働させられていた収容者たち。 -
中谷氏のパスカードで、ビルケナウ監視塔に上がることができる。
ビルケナウが広すぎるのか、天気が悪いからか、ビルケナウ全体を見渡すことはできなかった。
16時(満車になると早めに出発する)の無料シャトルバスでアウシュヴィッツへ戻り、15時50分のバスでクラクフへ。
アウシュヴィッツ⇒クラクフ バス 14ズロチ
出発前、周りからは「暗くなりそうだね」と言われた。
確かに、ホロコーストに関する本を読んだり、映画を見たりしたときは、さすがに気持ちが沈んだ。
でも、実際に行ってみたら、決してそんなことはなく、ここを訪れる誰もが平和を願っていた。
「経済発展」「安全保障」、当時も今も目指しているものは同じ・・・
ここで実際に見たことを家族や友人、大切な人たちに伝え、同じ過ちを繰り返さないよう、次世代に引き継がなければならないと心に誓った。
http://4travel.jp/travelogue/10868405へ続く。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- CANさん 2014/03/21 17:31:30
- 見入ってしまった・・・
- トラッキー☆ちゃん
こんにちは!アウシュヴィッツ強制収容所の旅行記拝見しました。
もう・・見入ってしまいました。
何と人間の愚かなこと。。
私も高校の頃、ホロコーストのドラマだったかな。。
学校で見た覚えがあります。
メリル・ストリープが出ていたと思います。
オランダに行った時にはアンネの家にも行きましたよ。
旅行記を見るだけで胸が締め付けられるような気持になるんだから
実際に行ったトラ☆ちゃんはどんな思いだったのか・・
今度会ったとき聞かせてね。
- トラッキー☆さん からの返信 2014/03/23 09:13:56
- RE: 見入ってしまった・・・
- CANちゃん、旅行記見てくれてありがと〜!!
> こんにちは!アウシュヴィッツ強制収容所の旅行記拝見しました。
> もう・・見入ってしまいました。
> 何と人間の愚かなこと。。
どの国も目指すものは、「経済発展」と「安全保障」。
当時のドイツもそうだったのに、何を間違えたのか、こんなことになってしまった。
> 私も高校の頃、ホロコーストのドラマだったかな。。
> 学校で見た覚えがあります。
> メリル・ストリープが出ていたと思います。
>
> オランダに行った時にはアンネの家にも行きましたよ。
アムステルダムにアンネの隠れ家があるんだよね。
いつか、私も行ってみたいと思ってるよ。
あそこに2年も暮らしてたなんて、信じられない。
> 旅行記を見るだけで胸が締め付けられるような気持になるんだから
> 実際に行ったトラ☆ちゃんはどんな思いだったのか・・
いろんな国から見学に来てたけど、みんな真剣だったよ。
雨も降ってたから、気持ちもどんより。
傘をさしてたから、なかなかうまく撮れなくて・・・
> 今度会ったとき聞かせてね。
早く、来月の勤務表出ないかなぁ〜。
とら☆
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