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 鎌倉市材木座6にある補陀洛寺(ふだらくじ)は真言宗大覚寺派のお寺で、南向山帰命院補陀洛寺という。補陀洛寺は源頼朝の祈願所として、養和元年(1181年)に、開山は文覚上人、開基は頼朝として創建されたと伝えられている。のち、鶴岡供僧頼基が中興した。本尊は十一面観音である。<br /> 「補陀洛」はサンスクリット語の「ポータラカ」で、「観音の浄土」を意味する。日本語に翻訳されたとき「補陀洛迦」の字を当てた。「ホダラク」あるいは「フダラク」と読まれる。<br /> 大正12年(1923年)の関東大震災で全壊し、現在の本堂は大正13年(1924年)春の建立である。<br /> 午前中に電話して法事などがないことを確認して補陀洛寺を訪れた。若い住職は庭の掃き掃除で体中に大粒の汗をかいていた。「午前中に電話した者ですが、頼朝公の像を参拝させてください。」とお願いした。庫裡横の戸を開けてくれたのだが、本堂の戸を開けてくれるものだと勘違いして、本堂の戸を開けようとすると、一番左側の戸が開いたので本堂に入った。<br /> 須弥壇には仏像が並び、ご本尊などは小さなものである。左側にも祭壇があり、二品頼朝公の位牌と奥に小さな頼朝公の像が安置されている。小さくて見え難いからといっても、近くまで入るべきではなかったのでお顔の表情までは良くは分からなかった。写真も撮れなかったので、おそらくは、「鎌倉の古道と仏像」(原田寛著)の44ページ(http://books.google.co.jp/books?id=DeZnAAAAQBAJ&amp;pg=PA44&amp;lpg=PA44&amp;dq=%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E5%83%8F&amp;source=bl&amp;ots=9-B6MOzpnN&amp;sig=t7aHSszu695oZ1eWaGxCk5CPkYQ&amp;hl=ja&amp;sa=X&amp;ei=VRrxU-f1G4-78gW8ooDYBQ&amp;ved=0CCgQ6AEwBw#v=onepage&amp;q=%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E5%83%8F&amp;f=false)に掲載されている写真と同じものなのだろう。玉眼がない甲斐善光寺の源頼朝坐像よりは白幡神社に伝わったとされる東京国立博物館の伝源頼朝坐像のお顔(http://4travel.jp/travelogue/10881307)に似ているという感じもした。掛け軸もあったが神護寺の模写であろうか。<br /> 住職は、源頼朝坐像は寺伝では自刻像とされるが、寺の創建(1181年)よりも下がるのではないかという。それが1199年正月以前までに入るのか、どうかである。それにしても、自刻像とされる源頼朝坐像が北条政子のそれ(乗蓮寺の二位尼将軍公御尊像)のように等身大ではなかったことが残念であった。逆に政子も頼朝を真似て高さ30cm程度の像を残していたならばあれほどの感動(http://4travel.jp/travelogue/10877023)はなかったであろう。二品と二位は同じだとされるが、自刻像では30cm程度か等身大かの違いがあった。<br /> 樹齢200年は越えるであろうサルスベリが境内一杯に枝を広げて花を付けている。私が見たなかでは鎌倉一のサルスベリの木である。<br />(表紙写真は補陀洛寺のサルスベリ)

鎌倉補陀洛寺の源頼朝像-2014夏

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2014/08/18 - 2014/08/18

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市材木座6にある補陀洛寺(ふだらくじ)は真言宗大覚寺派のお寺で、南向山帰命院補陀洛寺という。補陀洛寺は源頼朝の祈願所として、養和元年(1181年)に、開山は文覚上人、開基は頼朝として創建されたと伝えられている。のち、鶴岡供僧頼基が中興した。本尊は十一面観音である。
 「補陀洛」はサンスクリット語の「ポータラカ」で、「観音の浄土」を意味する。日本語に翻訳されたとき「補陀洛迦」の字を当てた。「ホダラク」あるいは「フダラク」と読まれる。
 大正12年(1923年)の関東大震災で全壊し、現在の本堂は大正13年(1924年)春の建立である。
 午前中に電話して法事などがないことを確認して補陀洛寺を訪れた。若い住職は庭の掃き掃除で体中に大粒の汗をかいていた。「午前中に電話した者ですが、頼朝公の像を参拝させてください。」とお願いした。庫裡横の戸を開けてくれたのだが、本堂の戸を開けてくれるものだと勘違いして、本堂の戸を開けようとすると、一番左側の戸が開いたので本堂に入った。
 須弥壇には仏像が並び、ご本尊などは小さなものである。左側にも祭壇があり、二品頼朝公の位牌と奥に小さな頼朝公の像が安置されている。小さくて見え難いからといっても、近くまで入るべきではなかったのでお顔の表情までは良くは分からなかった。写真も撮れなかったので、おそらくは、「鎌倉の古道と仏像」(原田寛著)の44ページ(http://books.google.co.jp/books?id=DeZnAAAAQBAJ&pg=PA44&lpg=PA44&dq=%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E5%83%8F&source=bl&ots=9-B6MOzpnN&sig=t7aHSszu695oZ1eWaGxCk5CPkYQ&hl=ja&sa=X&ei=VRrxU-f1G4-78gW8ooDYBQ&ved=0CCgQ6AEwBw#v=onepage&q=%E8%A3%9C%E9%99%80%E8%90%BD%E5%AF%BA%E3%81%AE%E6%BA%90%E9%A0%BC%E6%9C%9D%E5%83%8F&f=false)に掲載されている写真と同じものなのだろう。玉眼がない甲斐善光寺の源頼朝坐像よりは白幡神社に伝わったとされる東京国立博物館の伝源頼朝坐像のお顔(http://4travel.jp/travelogue/10881307)に似ているという感じもした。掛け軸もあったが神護寺の模写であろうか。
 住職は、源頼朝坐像は寺伝では自刻像とされるが、寺の創建(1181年)よりも下がるのではないかという。それが1199年正月以前までに入るのか、どうかである。それにしても、自刻像とされる源頼朝坐像が北条政子のそれ(乗蓮寺の二位尼将軍公御尊像)のように等身大ではなかったことが残念であった。逆に政子も頼朝を真似て高さ30cm程度の像を残していたならばあれほどの感動(http://4travel.jp/travelogue/10877023)はなかったであろう。二品と二位は同じだとされるが、自刻像では30cm程度か等身大かの違いがあった。
 樹齢200年は越えるであろうサルスベリが境内一杯に枝を広げて花を付けている。私が見たなかでは鎌倉一のサルスベリの木である。
(表紙写真は補陀洛寺のサルスベリ)

  • 補陀洛寺。

    補陀洛寺。

  • 五輪塔。

    五輪塔。

  • 補陀洛寺のサルスベリ。

    補陀洛寺のサルスベリ。

  • 補陀洛寺本堂。

    補陀洛寺本堂。

  • 補陀洛寺本堂の二品源頼朝像。<br />「征夷大将軍二品幕下頼朝神儀」と記された位牌の後ろにある霊像。42歳の時の像とも言われる。<br />

    補陀洛寺本堂の二品源頼朝像。
    「征夷大将軍二品幕下頼朝神儀」と記された位牌の後ろにある霊像。42歳の時の像とも言われる。

  • 横浜・乗蓮寺の二位尼将軍公御尊像(北条政子坐像)。

    横浜・乗蓮寺の二位尼将軍公御尊像(北条政子坐像)。

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