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 済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示してあった資料の紹介です。済州牧官衛に関係する古文書を拡大した資料類です。済州島の歴史を簡単に振り返りますと、朝鮮王朝の初代王、李成桂(太祖:在位1335~1408年))の時代、それまで王国の伝統を守って来た耽羅は、完全に朝鮮王朝に併合されました。その後の主な出来事は、<br />①1402年(太宗2年):王国伝統の星主と王子の称号が廃止され、星主の高鳳礼と王子であった文忠世は、左都知官と 石都知官に任命。<br />②1416年(太宗16年):漢拏山の分水嶺を境として、山北を済州と呼んで牧使を置き、山南を両分して県監を置いて統 治。<br />③1864年(高宗1年):旌義、大静の両県を郡に昇格させて済州牧から分離し、全羅道観察使の管轄下に置く。1880年 (高宗17年)元の県に戻る。<br />④1895年(高宗32年):済州牧を府に改編、その後も改廃が続く。<br />

2007春、韓国旅行記17(19/20:補遺2):済州牧官衛址関係資料

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2007/04/30 - 2007/05/05

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旅人のくまさん

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 済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示してあった資料の紹介です。済州牧官衛に関係する古文書を拡大した資料類です。済州島の歴史を簡単に振り返りますと、朝鮮王朝の初代王、李成桂(太祖:在位1335~1408年))の時代、それまで王国の伝統を守って来た耽羅は、完全に朝鮮王朝に併合されました。その後の主な出来事は、
①1402年(太宗2年):王国伝統の星主と王子の称号が廃止され、星主の高鳳礼と王子であった文忠世は、左都知官と 石都知官に任命。
②1416年(太宗16年):漢拏山の分水嶺を境として、山北を済州と呼んで牧使を置き、山南を両分して県監を置いて統 治。
③1864年(高宗1年):旌義、大静の両県を郡に昇格させて済州牧から分離し、全羅道観察使の管轄下に置く。1880年 (高宗17年)元の県に戻る。
④1895年(高宗32年):済州牧を府に改編、その後も改廃が続く。

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  • 少し字体が異なる文字もありますが、タイトルは右から読んで『施義操点』のタイトルのようです。済州島の城塞都市の勢力を表すような数字が記されていました。その主なものは、<br />①民戸:1436戸<br />②田圃:140結<br />③城丁軍:664名<br />④馬:1178匹<br />⑤黒牛:228首<br />⑥倉穀:4250余石<br />等でした。<br />

    少し字体が異なる文字もありますが、タイトルは右から読んで『施義操点』のタイトルのようです。済州島の城塞都市の勢力を表すような数字が記されていました。その主なものは、
    ①民戸:1436戸
    ②田圃:140結
    ③城丁軍:664名
    ④馬:1178匹
    ⑤黒牛:228首
    ⑥倉穀:4250余石
    等でした。

  • 『旌義養老』のタイトルです。右下に、90歳以上5名、80歳以上17名の数字が記されていました。3つの城門がある城壁の中に、お墓も描かれていました。

    『旌義養老』のタイトルです。右下に、90歳以上5名、80歳以上17名の数字が記されていました。3つの城門がある城壁の中に、お墓も描かれていました。

  • 『旌義講射』ののタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、訓練の規模を示すようです。<br />①各面訓長:5(名)<br />②各面教射長:7(名)<br />③講儒:166人<br />④射員:87人<br />

    『旌義講射』ののタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、訓練の規模を示すようです。
    ①各面訓長:5(名)
    ②各面教射長:7(名)
    ③講儒:166人
    ④射員:87人

  • 『正方探勝』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長80余尺、廣5尺の文字がありました。海上で行われているイベントのようです。湾には2艘の船が描かれています。

    『正方探勝』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長80余尺、廣5尺の文字がありました。海上で行われているイベントのようです。湾には2艘の船が描かれています。

  • 『天渕射●』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長50余尺、廣10余尺の文字がありました。滝に綱渡りの場面のようです。海に直接落下する西帰浦(ソギポ)の西房瀑布(チョンバンポッポ)が舞台のようです。

    『天渕射●』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長50余尺、廣10余尺の文字がありました。滝に綱渡りの場面のようです。海に直接落下する西帰浦(ソギポ)の西房瀑布(チョンバンポッポ)が舞台のようです。

  • 『西帰操点』のタイトルです。右下に、済州島の海沿いの城塞都市、『西帰(浦)』の勢力を表すような数字等が記されていました。その主なものは、<br />①将軍:元徳全<br />②城丁軍:68名<br />③馬:237匹<br />等でした。<br />

    『西帰操点』のタイトルです。右下に、済州島の海沿いの城塞都市、『西帰(浦)』の勢力を表すような数字等が記されていました。その主なものは、
    ①将軍:元徳全
    ②城丁軍:68名
    ③馬:237匹
    等でした。

  • 『懸瀑射●』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長50余尺、廣5尺の文字がありました。2段になった滝が描かれています。

    『懸瀑射●』のタイトルが付いた絵図面です。右下に瀑長50余尺、廣5尺の文字がありました。2段になった滝が描かれています。

  • 『羔園訪古』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『地方官大静県監崔東済・旋義県監』らしい文字が記されていました。地方の小集落の首長名のようです。塀の中も外も松林の光景のようです。<br />『羔園』は地名を示すようです。<br />

    『羔園訪古』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『地方官大静県監崔東済・旋義県監』らしい文字が記されていました。地方の小集落の首長名のようです。塀の中も外も松林の光景のようです。
    『羔園』は地名を示すようです。

  • 『山房杯酌』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『壬午11月初10日過站』の文字だけが記されていました。山の中腹に、『山房窟』の文字がありましたから、済州島西南にある山房山が舞台のようです。

    『山房杯酌』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『壬午11月初10日過站』の文字だけが記されていました。山の中腹に、『山房窟』の文字がありましたから、済州島西南にある山房山が舞台のようです。

  • 『大静操点』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、済州島の城塞都市の勢力を表すような数字が記されていました。その主なものは、<br />①人民:797戸<br />②田圃:149結<br />③城丁軍:224名<br />④馬:849匹<br />⑤黒牛:228首<br />⑥倉穀:1950余石<br />等です。『大静』は、『大静県』を示すようです。<br />

    『大静操点』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、済州島の城塞都市の勢力を表すような数字が記されていました。その主なものは、
    ①人民:797戸
    ②田圃:149結
    ③城丁軍:224名
    ④馬:849匹
    ⑤黒牛:228首
    ⑥倉穀:1950余石
    等です。『大静』は、『大静県』を示すようです。

  • 『大静拝箋』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『壬午11月初11日留』の文字だけが記されていました。

    『大静拝箋』のタイトルが付いた絵図面です。右下には、『壬午11月初11日留』の文字だけが記されていました。

  • 『大静養老』のタイトルの絵図面です。右下に、90歳以上1人、80歳以上11人の数字が記されていました。3つの城門がある城壁の中に、神聖な場所を示すホンサル門が描かれています。日本の鳥居に相当します。

    『大静養老』のタイトルの絵図面です。右下に、90歳以上1人、80歳以上11人の数字が記されていました。3つの城門がある城壁の中に、神聖な場所を示すホンサル門が描かれています。日本の鳥居に相当します。

  • 『大静講射』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、訓練の規模を示す数字のようです。<br />①各面訓長:5(名)<br />②各面教射長:5(名)<br />③講儒:42人<br />④射員:21人<br />

    『大静講射』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、訓練の規模を示す数字のようです。
    ①各面訓長:5(名)
    ②各面教射長:5(名)
    ③講儒:42人
    ④射員:21人

  • 『●●天簿』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、守備隊の責任者と兵士数などです。『●●』は地名ですが、解読できない文字でした。<br />①代点軍官前万戸・柳星瑞<br />②助防将・呉世仁<br />③防軍騎歩兵等(?):24名<br />④軍器什物<br />

    『●●天簿』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、守備隊の責任者と兵士数などです。『●●』は地名ですが、解読できない文字でした。
    ①代点軍官前万戸・柳星瑞
    ②助防将・呉世仁
    ③防軍騎歩兵等(?):24名
    ④軍器什物

  • 『遮帰天簿』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、守備隊の責任者と兵士数などです。<br />①代点軍官司果・洪遇(?)聖<br />②助防将・金国俊<br />③防軍騎歩兵等(?):20名<br />④軍器什物<br />

    『遮帰天簿』のタイトルの絵図面です。右下に記された文字は、守備隊の責任者と兵士数などです。
    ①代点軍官司果・洪遇(?)聖
    ②助防将・金国俊
    ③防軍騎歩兵等(?):20名
    ④軍器什物

  • 上側の図面には1703年の年号が記されています。右端が現在も残る観徳亭の建物です。弓術の練習か試合が行われている図のようです。<br />下側の文字が記された図面には、1768年の年号があります。『耽羅防営総覧』と記された、建物と守備の責任者と人員配置のようです。<br />

    上側の図面には1703年の年号が記されています。右端が現在も残る観徳亭の建物です。弓術の練習か試合が行われている図のようです。
    下側の文字が記された図面には、1768年の年号があります。『耽羅防営総覧』と記された、建物と守備の責任者と人員配置のようです。

  • 発掘調査を元に再建工事が行われることが決まった済州牧官衛の募金活動の様子のようです。寺院などでも行われている寄進瓦の募金です。右下が、再建途中の建物光景です。

    発掘調査を元に再建工事が行われることが決まった済州牧官衛の募金活動の様子のようです。寺院などでも行われている寄進瓦の募金です。右下が、再建途中の建物光景です。

  • 同じ場所の三連の写真です。一番上が発掘調査前の済州牧官衛址です。まだ立ち退き前の建物の姿があります。中間が発掘調査中の光景、一番下が、発掘調査を終え、建物配置が確認された状況のようです。

    同じ場所の三連の写真です。一番上が発掘調査前の済州牧官衛址です。まだ立ち退き前の建物の姿があります。中間が発掘調査中の光景、一番下が、発掘調査を終え、建物配置が確認された状況のようです。

  • 同じ場所の三連の写真です。一番上が発掘調査前の済州牧官衛址です。まだ立ち退き前の建物の姿があります。中間が発掘調査中の光景、一番下が、発掘調査を終え、建物配置が確認された状況のようです。<br />発掘作業前から発掘作業中、再建工事途中から、完成した後の済州牧官衛址の全景です。<br />

    同じ場所の三連の写真です。一番上が発掘調査前の済州牧官衛址です。まだ立ち退き前の建物の姿があります。中間が発掘調査中の光景、一番下が、発掘調査を終え、建物配置が確認された状況のようです。
    発掘作業前から発掘作業中、再建工事途中から、完成した後の済州牧官衛址の全景です。

  • 済州牧官衛址の正門に相当する『外大門』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『外大門』の建物光景です。

    済州牧官衛址の正門に相当する『外大門』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『外大門』の建物光景です。

  • 州牧官衛址の蓮池の左後ろに位置する『友蓮閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『友蓮閣』の建物光景です。

    州牧官衛址の蓮池の左後ろに位置する『友蓮閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『友蓮閣』の建物光景です。

  • 上側の2枚の写真は、左がハック調査後の蓮池、右が再建された蓮池です。<br />下側の3枚の写真は、左が古文書に描かれた1703年時点のキガンシチュ(旗竿支柱)の絵図、右上が発掘途中、右下が建て直された旗竿支柱の写真です。<br />

    上側の2枚の写真は、左がハック調査後の蓮池、右が再建された蓮池です。
    下側の3枚の写真は、左が古文書に描かれた1703年時点のキガンシチュ(旗竿支柱)の絵図、右上が発掘途中、右下が建て直された旗竿支柱の写真です。

  • 済州牧官衛址の中間左手に位置する『弘化閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『弘化閣』の建物光景です。

    済州牧官衛址の中間左手に位置する『弘化閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『弘化閣』の建物光景です。

  • 済州牧官衛址の中間右手に位置する『延儀閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『延儀閣』の建物光景です。

    済州牧官衛址の中間右手に位置する『延儀閣』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した『延儀閣』の建物光景です。

  • 済州牧官衛址の中間右手に位置する『橘林堂』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した建物光景です。

    済州牧官衛址の中間右手に位置する『橘林堂』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した建物光景です。

  • 済州牧官衛址の中間右手に位置する『ヨンジュ協堂』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した建物光景です。『ヨンジュ』は、『済州』の古名です。

    済州牧官衛址の中間右手に位置する『ヨンジュ協堂』の発掘作業と、再建工事の状況です。右下が完成した建物光景です。『ヨンジュ』は、『済州』の古名です。

  • 済州牧官衛址の再建工事の様子と、それに伴う神事の模様です。中間の左の写真は、三聖の子孫の方達のようです。一番下の写真が、神事に参加された方達の記念撮影のようです。

    済州牧官衛址の再建工事の様子と、それに伴う神事の模様です。中間の左の写真は、三聖の子孫の方達のようです。一番下の写真が、神事に参加された方達の記念撮影のようです。

  • 右上の写真には『済州牧使到任巡暦行次』らしい文字が見えました。済州島の首長に当たる牧使の着任行列の再現のようです。済州牧官衛址の再建工事の完了祝い行事かも知れません。

    右上の写真には『済州牧使到任巡暦行次』らしい文字が見えました。済州島の首長に当たる牧使の着任行列の再現のようです。済州牧官衛址の再建工事の完了祝い行事かも知れません。

  • 済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示された資料の数々です。一通り撮影しました。

    済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示された資料の数々です。一通り撮影しました。

  • 同じく、済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示された資料の数々です。

    同じく、済州牧官衛址に復元された『回廊』と呼ばれる建物の壁に展示された資料の数々です。

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