2013/05/04 - 2013/05/04
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たびたびさん
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今回の宇和島の楽しみは、昔食べた丸水の鯛飯。愛媛には、鯛飯といっても二種類あって、松山辺りの鯛飯は鯛の炊き込みご飯。それに対して、宇和島の鯛飯は鯛の刺身に生卵の入ったとろとろの出汁をご飯にかけていただく、まさに漁師料理なんです。初めて食べた時は、すっごく感動したんですよね。
一方で、宇和島伊達藩の8代藩主、伊達宗城(だて むねなり)が、幕末に福井藩主松平春嶽、土佐藩主山内容堂、薩摩藩主島津斉彬とともに「四賢侯」と謳われ、面目を保ったことは宇和島の誇り。外部から人材を招いたり、積極的な進取の姿勢には目を見張るようでした。
そして、南予の人柄。散策では、何度も道に迷ってしまいましたが、道を聞くたびに、地元の人が「そこまで一緒に行きましょう」とかとても親切。後ろを振り返ると、私が迷っていないかしばらく見届けているような人もいて、明らかに違いを感じました。見ず知らずの東北からこの地に入った伊達家にとって、こうした風土はとてもありがたかったかも。いろんな面での宇和島を考えさせられる旅になりました。
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今日が愛媛の旅も最終日。
宇和島駅から、朝の散策を開始します。宇和島駅 駅
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「汽笛一声 新橋を はやわが汽車は 離れたり」で始まる鉄道賛歌の作詞者は、大和田建樹という宇和島市出身の人。宇和島駅前に、蒸気機関車と並んで、詩碑がありました。詩碑の目印は、この蒸気機関車です。
なお、東京新橋駅には、「鉄道唱歌の碑」もあります。宇和島駅 駅
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少し歩いて、龍光院。宇和島には、同名で四国八十八箇所の龍光寺という寺があって、紛らわしいですが、ここは四国八十八箇所ではありません。
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小山の上に続く立派な石段があって、ここはちょうど宇和島城の鬼門にあたることから、宇和島藩伊達家の祈願所となったようです。確かに、境内に上がると正面に宇和島城が見えて、向き合うような感じの位置関係です。
ギャップがとても面白い城になっています。 by たびたびさん宇和島城 名所・史跡
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続いて、近くの高野長英の隠家。住宅地の中にひょっこりありました。高野長英は、蕃社の獄で捕らえられますが、火災に乗じて脱出し、各地に潜行します。その時、高野長英の傑出した見識を知った8代藩主伊達宗城は長英を密かに招き、ここにかくまいました。長英が宇和島に潜伏したのは9か月余だったようですが、宇和島藩の有意の人材に大きな影響を与えることになりました。
8代藩主伊達宗城が長英を密かに招き、かくまった場所 by たびたびさん高野長英の隠家 名所・史跡
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これもすぐそばにある穂積橋。日本初の法学博士の一人で、東京帝国大学法学部長も務めた穂積陳重ゆかりの橋です。
老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし by たびたびさん穂積橋 名所・史跡
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穂積の死後、銅像建立の話が持ち上がったのですが、「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」との生前の言葉があり、遺族はそれを固く辞退。それではと改築中のこの橋を「穂積橋」と命名することで提案、遺族も了承し、橋の名前となったそうです。生前の言葉は、傍らに碑となっており、地元でもこれを知らない人はいないほど有名な話です。
老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし by たびたびさん穂積橋 名所・史跡
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そこから、今度はお城の方に歩きます。
まだ朝が早いので、お店はほとんど開いていなかったのですが、開いていたのは寿堤夢という洋菓子屋さん。最近、テレビでも紹介されたというシュートリュフをいただきました。テレビでも紹介されたというシュートリュフをいただきました by たびたびさん寿堤夢 グルメ・レストラン
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シュークリームをチョコでコーティングしてココアパウダーをまぶしたものですが、コーディングのチョコはガリッと堅いし、全体がよく冷えてアイスのようなところもあるし、とてもさわやかなひと品。うまいです。
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お店の前からは、お城がちらり見えていて、宇和島らしい風景。ちょっと、懐かしい感じもしてきます。
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田中蒲鉾本店にも寄ってみましょう。ここもお店は開いていて、さっそくじゃこてんをいただきました。
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じゃこてんは、宇和島の名物ですかと聞いたら、八幡浜でも松山でもありますけど、「宇和島のじゃこてんは、塩味がちょっときついのが特徴かもしれませんね」と教えてくれました。清潔感のある、きれいなお店です。
八幡浜駅 駅
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少し落ち着いたところで、お城の周辺を散策します。
これは、山家公頼の邸宅跡。現在は、丸の内和霊神社となっています。 -
山家公頼は、山家清兵衛。伊達政宗の命により、宇和島に入封する伊達秀宗に従い、藩主を補佐し、領民からも敬慕されていたという人物。しかし、宇和島藩は、当初、父伊達政宗から多額の借金をしており、その返済を迫られます。
結局、10万石のうち3万石を政宗の隠居料として分割返済することになるのですが、藩は疲弊。この献策をした山家清兵衛への讒言を信じた秀宗の意によって、山家邸は襲われ、清兵衛ほか、幼い四男までも井戸に投げ入れて殺害するという凄惨な事件が起きました。なんとも痛ましい事件です。 -
こちらは、大津事件で、司法の独立を守ったことで「護法の神様」と評価され、欧米列強からも日本の近代化の進展を示すと評価された児島惟謙の生誕地碑。生家は、現在の宇和島税務署内。宍戸家の家臣であった金子家の二男で、宍戸屋敷内の長屋で生まれた、その宍戸邸跡です。
大津事件で、司法の独立を守ったことで「護法の神様」と評価された児島惟謙 by たびたびさん児島惟謙の生誕地 名所・史跡
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宇和島には、地元の名物じゃこてんを扱う店が40軒くらいあるそうですが、野中かまぼこ店もその一つ。大抵の店が加工場は見れないのですが、ここは脇にある加工場が丸見え。
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イチオシ
忙しそうに何人もの作業をしている人がいて、なんか安心して買い物ができました。写真は、ヒイラギを捌いているところ。さっきまでハランボを捌いていたんだけど、これは安い魚の方だそうでした。
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傍らにはハランボの頭だけが残っていました。
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市内の散策をさらに続けます。
穂積陳重・八束兄弟の生家跡は、何でもない住宅地の一角に小さな説明板があるだけのもの。地図で確認した通りを行ったり来たりしましたが見つからず、近所の方に聞いて、やっと見つけることができました。説明によれば、陳重は、法学者。藩の貢進生として上京、イギリス・ドイツに五年間留学し法学を研究した後、東京大学教授兼法学部長に進み、法学博士となった。八束も、上京して大学予備門東京大学文学部政治学科に学び、帝国大学法科大学教授、法学博士となったそうです。
地図はあったのですが、同じ通りを行ったり来たり。近所の方に道を尋ねてやっと探し当てました。 -
ここは光圀寺。境内には史跡のお墓があるはずなんですが。。
自分で探しても全然わからない。お寺の方に聞いて、申し訳ないですが、案内してもらいました。 -
こちらは中野逍遙の墓。中野逍遙という名前は、初めて聞きましたが、宇和島の出身で、大学予備門に進学。正岡子規・夏目漱石らと同級・友人で、漢詩に優れた才能のあった英才だったようです。ただ、28歳で永眠。
墓は、中野家の墓。先祖代々の墓と並んで、囲いの中にありました。 -
こちらは、油屋熊八の墓。油屋熊八は、大阪の米相場で一旦は富を築くものの、相場に失敗してすべてを失いますが。一念発起して、縁のあった別府温泉で再起を図ろうと移り住みます。別府では、今の温泉マークを考案するなど 数々のアイデアを繰り出し、別府の発展に貢献。熊八を慕って、今でも、別府からお参りの人がいるのだそうです。面白い人物です。
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ここまででももうかなり歩いていますが、宇和島伊達家のお墓が楽しみ。場所は、ちょっと離れますが、金剛山です。
ほとんど金剛山に近い辺りなのですが、小高い山の中腹に立派な社殿が見えたので、寄ってみた神社。 -
ここは、宇和島城下の総鎮守、南予総鎮守一宮だそうで、立派なのは当然です。伝統的な八ツ鹿踊りと牛鬼の練りが行われるのは、この神社のようです。なるほど。
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やっと金剛山大隆寺が見てきました。ここは、等覚寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺。5代、7代、9代のほか、正室や重臣の墓も。奥深い山の斜面に配されて、歴史の重みを感じる雰囲気が漂っています。
なお、墓所の始まりは5代藩主伊達村候が自らの墓所と定めたため。寺の名前も、村候の法号から大隆寺と改められたようです。ちなみに、寺の名前が藩主の法号なので、地元では、この寺を大隆寺と呼ばず、金剛山と呼ぶのがならいです。等覚寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺 by たびたびさん金剛山大隆寺 寺・神社・教会
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金剛山庭園は、宇和島藩主伊達家の菩提寺である大隆寺にある庭園。江戸時代の後期に、築庭された池泉観賞式庭園で、宇和島市の指定名勝となっています。しかし、現在は、非公開。一方、本堂前の庭も台杉があったり、立派な庭なので、ここから名勝庭園を想像した次第です。
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本堂の裏手から、墓地のエリア。
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イチオシ
代々の当主の墓が
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並んでいます。
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もうかなりふるぼっけた感じなのですが、
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それぞれの墓所はしっかりした囲いがあったり、門が付いていたり。やっぱり大名の格式が窺われます。
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家族の墓に、重臣の墓も混じっているような様子でした。
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こちらの和霊廟は、伊達家の墓所がある金剛山大隆寺の隣り。さほど大きくはない廟ですが、山家公頼の廟です。ちなみに、山家公頼は、伊達政宗の家臣であったのですが、政宗の子秀宗が宇和島に封ぜられた際、これに従うよう政宗から命ぜられた人物。宇和島藩の財政立て直し等に腕を振るいますが、讒言により、命を奪われます。公頼は、現在でも「おたまや様」と呼ばれ、慕われているようです。
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こちらは少し離れた龍華山等覚寺。金剛山大隆寺と並んで宇和島藩主伊達家の菩提寺です。
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大きく、西墓所と東墓所に分かれていて、
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イチオシ
これが西墓所にある、初代藩主伊達秀宗の墓。
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この小さいお墓は、幼くして亡くなった当主のようですね。
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一つ一つに
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何代当主と
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表示が出ています。
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そして、これが東墓所にある8代藩主伊達宗城の墓。伊達宗城は、幕末に島津久光とも交友関係を持って公武合体を推進し、四侯会議に参加するなど活躍した人物です。
墓石も他のお墓よりちょっと大きめですね。 -
イチオシ
桑折宗臣の墓も、伊達家墓所のある龍華山等覚寺の一角。というのも、桑折宗臣は、宇和島藩初代伊達秀宗の四男。幼少で桑折家の養子となり、後に、城代家老となっています。
一方で、和歌・俳諧・書画・茶道など、才能にあふれた人物であったようで、「宇和島百人一句」を編纂したりしています。 -
期待していた通り、宇和島伊達家のお墓はかなりの迫力でした。今でも地元の尊敬を集めている。というか、これが地元のアイデンティティになっているんでしょう。郷土を愛する思いと伊達家を尊重する気持ちは重なっているのだと思います。
さて、大どころを見たので、ここから先は気楽。こんな場所でもふとお遍路さんが歩いていたりして、改めてのどかな宇和島を感じます。 -
こちらは、大村益次郎の居宅。
近代兵制の創始者として有名な大村益次郎ですが、その才能が開花するのは、この宇和島から。緒方洪庵の適塾で蘭学を学び、塾頭を勤めたほどの秀才だったのですが、郷里の長州では開業医をしていただけ。宇和島藩主伊達宗城は、高野長英が去ってから、これに代わる洋学者を求めていたところに、緒方洪庵の推薦を受けて大村益次郎を呼び寄せるのです。宇和島には二年余でしたが、兵法を極め、その後は、明治維新の隠れた立役者となって行くことになります。 -
宇和島市内の泰平寺という寺に「平和の鐘」という鐘があります。これは、中川千代治という人が、世界の多くの人の願いをこめるため、世界各国のコインとメダルを鋳込んで作りたいとして、当時自分が回って集めていた26カ国のコインを入れて鐘を鋳造。これに「世界絶対平和万歳の鐘」と銘を入れ、寄贈したものだそうです。
その後、この動きはさらに大きくなり、国際的な協力の中で、ニューヨーク国連本部にも「平和の鐘」が置かれることとなりました。世界各国のコインとメダルを鋳込んで作った平和の鐘 by たびたびさん平和の鐘 名所・史跡
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イチオシ
こちらの松根東洋城句碑は、伊達博物館の敷地内。松根東洋城は、父は宇和島藩家老松根図書の長男、母は宇和島藩主伊達宗城の2女の子供として、東京築地に生まれました。俳句は、夏目漱石、正岡子規に学び、高浜虚子とは同世代にあたり、多くの俳人を育てたそうです。
刻まれた句は、「我が祖先ハ奥能最上や天の川」。伊達家に従って、宇和島に来た祖先を思った句だと思われます。 -
この天赦園はまだ見ていなかった場所。そういう意味では、ここもどうしても見たい場所でした。
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん by たびたびさん天赦園 名所・史跡
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この門をくぐって入ります。
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天赦園は幕末に7代藩主伊達宗紀が作った池泉回遊式の大名庭園。
馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん by たびたびさん天赦園 名所・史跡
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奥へ進んでいきますと、
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お茶席もあるようです。
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そして、こちらが園の中心。
真ん中の池の周囲には、いくつかの建物が配されています。 -
全体としては起伏のない平べったい地形なのですが、
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イチオシ
意外に景色の変化を感じる庭園だと思います。
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鯉がものすごく人に慣れていて、餌をやるとバシャバシャ面白いように集まってきます。
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規模はさほどではありませんが、国の名勝指定。
ちなみに、天赦園の名前は、伊達政宗の歌「馬上少年過ぐ 世は平らかにして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん」から取ったもの。「馬上少年過ぐ」までは知っていても、ここまでは知りませんでした。馬上に少年過ぎ 世は平にして白髪多し 残躯は天の赦す所 楽しまずして是を如何せん by たびたびさん天赦園 名所・史跡
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これは西郷隆盛と伊達宗城が会見した場所。西郷はこんなところまで来たことがあったんですね。逆に、伊達宗城の大きさも想像できます。
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これが、伊達博物館の入口。宇和島の伊達家に伝わる武具・甲冑や古文書などを展示する博物館です。
宇和島の伊達家に伝わる武具・甲冑や古文書などを展示する博物館 by たびたびさん宇和島市立伊達博物館 美術館・博物館
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初代の伊達秀宗は、伊達政宗の嫡男でしたが、秀吉の養子となったことで苦しい立場に。その後、伊達家の大阪夏の陣の働きに報いる形で、宇和島に入ります。
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遺品は、どれも保存状態がよくて、歴史的な意味だけでなく、見ていて美しいものが多いと感じました。さすが、伊達家の家柄でしょう。
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再び、市内の散策です。
松根邸跡は、幕末宇和島藩の家老として、四賢候と評された伊達宗城を補佐し、大政奉還などにも関与、宇和島藩の富国強兵にも尽力した松根図書邸の跡です。
市立宇和島病院の敷地内にあって、「松根邸址」の石碑は、孫の俳人松根東洋城の書によるものです。大政奉還などにも尽力した松根図書邸の跡 by たびたびさん松根邸跡 名所・史跡
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鉄道賛歌の作詞者、大和田建樹の生家跡は、宇和島城の南の端。丸の内です。詩碑が宇和島駅にあって、そのうえで、この生家もしっかり観光地図に載っていて、宇和島での扱いは手厚いです。しかし、生家跡には看板があるだけ。かつての屋敷は等覚寺に移築されているようですが、いずれにしてもここはちょっとさみしい観光スポットです。
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ここから宇和島城の上り立ち門は、すぐ。藤堂高虎が築城した宇和島城で、現存する建造物は、天守とこの上り立ち門の二棟のみ。門は、薬医門で国内最大級だということです。
ギャップがとても面白い城になっています。 by たびたびさん宇和島城 名所・史跡
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上り立ち門の脇にあるのが児島惟謙の銅像。
児島惟謙は、明治24年、日本を訪問中のロシア帝国皇太子・後のニコライ2世が、警備にあたっていた警察官に突然斬りつけられるという大津事件の裁判に際し、行政の干渉を受けながらも司法の独立を維持します。坂本龍馬、五代友厚らと親交があったり、脱藩して京都に潜伏し、勤王派として活動した経歴もあるようです。 -
なお、ここから天守閣まで、一気に登る石段がありますが、お城は昼飯を食べてからにしましょう。丸水に向かいます。
丸水は、宇和島の鯛めしの老舗 by たびたびさん丸水 グルメ・レストラン
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宇和島きさいやロードを過ぎて、
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ここが楽しみにしていた丸水。宇和島の鯛めしの老舗として有名です。30年くらい前にここで食べた鯛飯がとても印象に残っていて、やっと念願の再訪です。
丸水は、宇和島の鯛めしの老舗 by たびたびさん丸水 グルメ・レストラン
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5月の連休期間中であることもあって、1時間近く待ってのご対面。
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鯛の刺身を秘伝の出汁で溶いた卵に漬けて、
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イチオシ
これをそのままご飯にぶっかけていただきます。
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うーん、うまい。求めていたのはこの味です。
ただ、二杯目は黄みがなくなってしまって、だしと鯛の刺身のご飯になってしまいまして、これはちょっとさみしい味。こうなってみると、結局、自分の求めていたのは、黄みのうまさが基本だったような気もしてきて、そんなことだったのかなあと考えてしまいました。鯛めしは、漁師料理。やっぱりそれだけ単純な料理なのかもしれません。 -
丸水の後は、すこしきさいやロードをふらふら。
宇和島は、伊達家。その伊達の名前を冠した「伊達侯」が百波の看板商品です。ということはそれなりにの自信作のはず。期待を持っていただきました。 -
最中なのですが、皮の層が厚くてしっかり。そして、その間に大納言小豆の粒餡。餡子の甘さはさほどではないし、量もそうはないのですが、何かほっこりした存在感があって厚い皮との相性がとてもいい。最中は、皮が薄くて、餡子がぎっしり詰まっているといい最中ような感じになるのですが、これはそうではない。新鮮な感覚がありました。
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木下正月堂へも入ってみます。ここの名物はなんですかと聞いたら、大番という答え。餡子にゆずが入っていて、宇和島らしいお菓子なんだそうで。でも、ゆずって、高知が産地なんですけどねえと言ったら、愛媛でも高地に近い場所がゆずの産地なんだそうです。それでは、いただきましょう。
餡子にゆずが入っていて、宇和島らしいお菓子 大番 by たびたびさん木下正月堂 グルメ・レストラン
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なるほど、この大番。すごくうまいです。ゆずの香りの餡子に、これを挟んだカステラ、カステラにまぶされた砂糖。それぞれが、はっきりと存在感がある。メリハリがあるというか、どのポイントも印象的なお菓子でした。これは、いいお菓子です。
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勢いで、並びのおのがみ菓子舗へも。
大番は宇和島の名物お菓子 by たびたびさんおのがみ菓子舗 グルメ・レストラン
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店頭に、木箱に入った大番が並んでいて、これはびっくり。聞くと、焼いた大番をこうやって冷ましているんだそうです。それにしても、壮観ですねえ。
大番は宇和島の名物お菓子。さっき食べてきましたけどと言ったら、うちのも食べてみてください。大番は大番組合というのがあって、何軒かで作っていますけど、食べ比べする人は多いですよと笑って教えてくれました。
大番は、餡子と餡子を挟んだカステラ、それとカステラにまぶしてある砂糖の三つのコラボがうまいです。ここの大番は、この三つがよくまとまっているように思いました。 -
宇和島きさいやロードにはお菓子屋さんが多いんですね。この甘党ぽっぽは、生菓子中心に扱う地元密着型のお店。近所の常連さんらしき人が、店の中では楽しくおしゃべりしながら買い物をしていました。
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私は、豆大福をいただきました。豆がもうちょっと歯ごたえがないのかなあとか、お餅がこんなに柔らかくなくて、もうちょっともちっとしていないかなあとか、思わないではないのですが、かと言って、それがどうした。ちゃんとうまいでしょという味わい。なるほど、わざわざ作ったような味は必要ない。こうしたコンセプトが受けているのだと思いました。
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菓子舗こうのは、ちょっと奥まったところに建っているので、目立たないかも。しかし、店内に入ると、五月の節句の女性のような視点で繊細な飾りつけがあったりして、これはいい感じ。
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柏餅をいただきましたが、柏の葉っぱってこんなに大きかったかなあと思ってしまうほど立派な葉っぱ。そこから、まん丸の形の良いお餅が出てきた時は、本当にうれしくなってしまいました。久しぶりにおいしい柏餅を食べた気がしました。
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さて、お城に登るのは、この桑折氏武家長屋門から。宇和島城の北登城口にあたります。宇和島藩の家老、桑折氏の長屋門として使用されていたものを移築したもので、建てられたのは、江戸の中期ごろ。門の右室は馬屋で、左室は門番と家付の使用人はじめ、仲間等が居住していたということです。
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石段が続く登り道。
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石もごつごつしているし、
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その分、足場が安定しないので、けっこう登りにくいですね。
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途中の井戸跡を過ぎて
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引き続き、険しい道が続きます。
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もうちょっとでしょうか。帰るグループが降りてきます。みなさん、お疲れ様でした。
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ところで、宇和島城は、城造りの名手、藤堂高虎が築いた本格的な近世城郭として、最近注目を集めています。
ギャップがとても面白い城になっています。 by たびたびさん宇和島城 名所・史跡
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街の真ん中にある城山は、標高80m足らずなのですが、石段は幅があるし、登るのに一苦労。
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意外に険しいことに驚きました。
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やっと天守閣に到着。
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今でも海が近くに見えるのですが、
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当時は半分は海の中。難攻不落の名城とされました。
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イチオシ
ただ、一方で今の天守閣は、伊達氏になってから。これは、逆に、鉄砲を撃つ窓もなければ、石落としの仕掛けもない。
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天守閣の正面に玄関があってこれを入ると、階段は広くて、踊り場まである。
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障子も付いているという、拍子抜けするほど守りをまったく考えていない設計。このギャップがとても面白い城になっています。
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イチオシ
天守閣からはこんな風に海が見えて、箱庭のような眺めです。
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城山郷土館は、宇和島城天守閣を見た帰りに寄ってみました。
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神社の神輿や古い道具類が雑然と置かれていましたが、宇和島の牛鬼のほかに、
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おたふくと天狗の巨大なお面が展示されているのにはちょっと驚きました。これは何なんでしょうねえ。なお、見学は無料です。
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宇和島城の城山公園は、宇和島城の中腹といった場所。かつての、長門丸といわれるエリアです。宇和島城は、街中にあってさほど険しい感じはしないのですが、北口から登るとかなりしんどい。
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この城山公園から登るのが正解です。
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また商店街を通って、宇和島駅の方に戻ります。
宇和島駅 駅
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途中の山田屋まんじゅう。宇和島にもあるんだなあと思ったら、本店は西予市宇和町。こっちがル山田屋まんじゅうのルーツのお店だったんですね。
山田屋まんじゅう 国道店 グルメ・レストラン
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ちなみに、 山田屋饅頭は現在五代目。一子相伝の製法として?・辻家当主に伝わっているのだそうです。紫がかった白餡のきめ細かくて滑らかな味わいは、とてもおいしい。名前は平易ですが、味は奥深さがあるお菓子だと思います。
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いや志やは、山田饅頭の並び。宇和島には、いくつも蒲鉾屋さんがあるのですが、宇和島駅に一番近いのはここですね。
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いただいたのは、野菜入りじゃこてん。ごぼうの歯ごたえがしっかりあって、うまい。ご主人もきさくで、「宇和島のうちでは、つねに冷蔵庫にじゃこてんがないと「どうしてないの?」ってことになる。それくらい親しまれる食べ物なんですよ。」と教えてくれました。
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帰りの列車まで時間が少しあるので、もうひと踏ん張りで回ってみます。
この和霊公園は、宇和島駅から北に向かって歩いて10分くらいの川沿いにある公園。 -
面積は1ha以上ある、桜の名所でもあります。
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もうシーズンは終わっていましたが、公園の木々は大木が多いし、新緑がやたらときれい。
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街中の公園なのに、うっそうとした緑があって、霊神社の前庭にあたるということも関係しているからでしょう。
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そして、これが和霊神社。宇和島藩家老・山家公頼(やんべきんより)を祀る神社です。
神社は、びっくりするくらい大きな規模。石造りとしては日本一の大鳥居です。神社は、びっくりするくらい大きな規模 by たびたびさん和霊神社 寺・神社・教会
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繰り返しになりますが、公頼は、伊達政宗の家臣。
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政宗の長男・秀宗が宇和島に移るのに従って、家老として藩政を支えました。公頼は租税軽減や産業振興の実績を上げますが、讒言により、公頼は殺害されるという苦い事件は心が痛みます。
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さらに歩くこと15分くらい。ここは多賀神社です。
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境内にあるこの凸凹神堂は、世界一の性のコレクションが陳列されています。
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それほど興味があるわけでもないのに、入場料800円は高いなあと思いましたが、ここまで来ては引き返すわけにも行かず、思い切って入ってみました。一階から三階まで、ぎっしりと、古来から現代までのもの。世界中から集めたもの。抽象的なものから、リアルなものまで、宗教や風物には限っているのでしょうが、これでもかこれでもかといった感じ。コレクションは、だんだんたまって、いつの間にかこんなになりましたと娘さんが教えてくれましたが、このエネルギーがどこから出たのか、そっちの方に興味が湧いてしまいました。
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それにしても、入り口に撮影料は2万円と書いてあったのにはつい失笑してしまいました。
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時間が迫ってきて、早い晩飯は、宇和島駅のすぐそばの「とみや」にしました。鯛めしやさつま汁などの郷土料理を手軽に味わえる店として人気急上昇のお店です。
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一方で、宇和島には、歴史を持った名店も多いので、実はそんなに期待はしていなかったのですが、それは大きな間違いでした。
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さつま定食をいただきましたが、ご飯にかけていただくさつま汁はもちろん、マグロの刺身に、鯛の煮つけ、わかめの吸い物。わかめの吸い物は鶏がらスープといりこ出汁を合わせたと言っていましたが、これにわかめの香りが加わって、玄妙な深い味わい。
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イチオシ
どれもが、おいしくて尋常ではない工夫がしてあるような気がしました。大将は、若い時は、ちょっとチャレンジが過ぎたんですが、最近は落ち着いてきましたと笑っていましたが、なるほど。そんな大正の人生までが感じられる味わいです。
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宇和島駅から松山駅までは、一気に特急で。そこから松山市駅経由で、松山観光港へ向かいます。
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松山観光港からは最終便の広島行きフェリー。
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もうとっぷりと日が暮れて、最終日もとってもハードでした。
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ちなみに、広島と松山を結ぶのは、スーパージェット(高速船)片道6,900円、1時間10分が一般的かもしれませんが、フェリーも3,500円、2時間40分で、急ぐ旅でなければ、とてもお得。
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ただし、松山発の最終便は、広島着が22:50。ここで、市内電車に乗り継ぐのですが、広電前という電停止まりで、広島駅まではもう行きません。なので、広島駅まで行く人は、呉で降りて、JRに乗り換えるか、皆実町6丁目の電停で降りて、30分歩いて行くか、どちらかになります。ご注意を!
以上で、愛媛の旅は終了です。お疲れ様でした。
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