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 鎌倉市山ノ内字藤源治には山を上る鎌倉石の階段が見える。下の民家の庭に銀杏の木があるのでこのあたりは廃寺跡ではないかと尋ねてみると、神社の参道に植えられた銀杏の木が今では参道が無くなり、民家の庭になっているのだとという。今でも神社が奥の石段の上に鎮座しているという。早速、上ってみた。<br /> 鳥居が建ち、白山大権現の石の祠を中心に、右に石仏の石塔、左に鎌倉石の祠が祭られている。<br /> 文化文政年間(1804年〜1829年)に描かれた浦賀道見取絵図にも山ノ内の白山神社は載っているという。磨り減った鎌倉石の階段や銀杏の木の大きさから、江戸時代からあってもおかしくはない。この山の南側は崖になっており、その崖には3、4つのやぐらが見られる。山の下には国登録有形文化財の高崎家住宅があり、東の山の上には北鎌倉女子学園がある。また、上から向こうの山を望むと入母屋の銅葺き屋根が見える。東慶寺の客殿であろう。<br />(表紙写真は白山大権現の石祠(左))

北鎌倉・白山大権現(鎌倉市山ノ内)

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2013/03/23 - 2013/03/23

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市山ノ内字藤源治には山を上る鎌倉石の階段が見える。下の民家の庭に銀杏の木があるのでこのあたりは廃寺跡ではないかと尋ねてみると、神社の参道に植えられた銀杏の木が今では参道が無くなり、民家の庭になっているのだとという。今でも神社が奥の石段の上に鎮座しているという。早速、上ってみた。
 鳥居が建ち、白山大権現の石の祠を中心に、右に石仏の石塔、左に鎌倉石の祠が祭られている。
 文化文政年間(1804年〜1829年)に描かれた浦賀道見取絵図にも山ノ内の白山神社は載っているという。磨り減った鎌倉石の階段や銀杏の木の大きさから、江戸時代からあってもおかしくはない。この山の南側は崖になっており、その崖には3、4つのやぐらが見られる。山の下には国登録有形文化財の高崎家住宅があり、東の山の上には北鎌倉女子学園がある。また、上から向こうの山を望むと入母屋の銅葺き屋根が見える。東慶寺の客殿であろう。
(表紙写真は白山大権現の石祠(左))

  • 民家の庭に銀杏の木。かつて、参道に植えられた銀杏の木だという。

    民家の庭に銀杏の木。かつて、参道に植えられた銀杏の木だという。

  • 鎌倉石の石段。

    鎌倉石の石段。

  • 鎌倉石の石段。

    鎌倉石の石段。

  • 石段脇の欅の木。

    石段脇の欅の木。

  • 鳥居。

    鳥居。

  • 鳥居。

    鳥居。

  • 左に白山大権現の石祠、左に石仏の石塔。

    左に白山大権現の石祠、左に石仏の石塔。

  • 石仏の石塔(亨保4年(1719年)銘)。量善という字が読める。側面や笠の上に「木食、量阿、善大永、亨保四天六月六日」と彫られている。<br />こうしたものは北野神社(山崎)でも見た。

    石仏の石塔(亨保4年(1719年)銘)。量善という字が読める。側面や笠の上に「木食、量阿、善大永、亨保四天六月六日」と彫られている。
    こうしたものは北野神社(山崎)でも見た。

  • 白山大権現の石祠。「白山大権現」と彫られた石碑が納められている。「亨保(五)歳、霜月三(月)、木食、量阿心誉寿」と彫られている。亨保5年は1720年。

    白山大権現の石祠。「白山大権現」と彫られた石碑が納められている。「亨保(五)歳、霜月三(月)、木食、量阿心誉寿」と彫られている。亨保5年は1720年。

  • 左の欅の木の根本にも祠が。鎌倉石で磨耗している。

    左の欅の木の根本にも祠が。鎌倉石で磨耗している。

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