2012/10/06 - 2012/10/06
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ドクターキムルさん
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鎌倉市扇ガ谷1に鎮座する正宗稲荷は、鎌倉時代の刀匠正宗(五郎入道正宗)の屋敷に祀られていた稲荷社と伝わり、刃稲荷(やきばいなり)とも呼ばれる。『鎌倉廃寺辞典』(有隣堂、昭和55年(1980年)12月15日第1刷発行)には「刃稲荷 やきばいなり 扇ヶ谷、今小路」と紹介されている。
「正宗稲荷ともいう。『鎌倉志』に「鍛冶正宗屋敷跡ハ勝橋ノ南ノ町 西頬也」とみえ、ここにいまも刃(ヤキバ)の稲荷という小祠があるといっている。いまも、勝の橋から南へ約一五〇メートル行って右へ折れる小路を約三〇メートルもゆくと右側大木の下にある。亀田「鎌倉」三の…。なお、無量寺谷にも正宗焼刃と称するものがある、という(赤星直忠氏談による)。」
現在も石祠があり、『鎌倉廃寺辞典』に掲載すべき稲荷社ではないのかも知れない。しかし、刃は「やいば」ではなく、「やきば」と読むべき理由が理解できる。また、天明2年(1782年)9月に松尾百遊らが建立したた社号標石「稲荷社 正宗屋敷 焼刃渡」にある「焼刃渡」が稲荷社の名称「刃稲荷」に関わるものであることも理解できよう。
正宗は新藤五国光に師事し、「相州伝」を完成させた鍛冶職人である。
正宗稲荷は、江戸時代に松尾百遊らが再興したものといわれている。百遊は、六地蔵の芭蕉の句碑を建てた人物である。今はないが、祠には正宗が鍛えた刀が納めてあったという。
なお、「正宗工芸」は正宗稲荷の南、今小路から踏切側に少し入ったところの御成町にあり、24代目綱廣が正宗の伝統を継承している。
本覚寺には、正宗父子の墓(どちらがどれかは不明)と正宗の供養塔(宝篋印塔)があり、正宗工芸に飾られている正宗の肖像画は大巧寺(だいぎょうじ)(おんめさま)に伝わるものの写しだという。
(表紙写真は正宗稲荷)
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