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 ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖周辺で宣教活動をし、数々の奇跡を起こしたイエスは、次第に民衆の心をとらえ、一部には熱狂的な支持を得て行きました。しかし、ユダヤ教の律法学者は、イエスの説いた教義が律法をないがしろにするものだと考えていた、最とも嫌悪した点は、イエスが自ら神の子(メシヤ)と称したことだった。人々の心をとらえ、自ら神の子と名乗るイエスに、司祭長や律法学者たちは脅威を感じ、結果的にイエスを十字架へと追い込んでいきました。イエスがピラトの官邸で行った裁判で有罪とされてから、十字架を背負い歩くゴルゴダへの道が、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)で、その終着が聖墳墓教会でした。<br /><br />1. ヴィア・ドロローサ<br /> イエスがピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへの道が、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼ばれています。旧市街の中にあり、街の造り、雰囲気は、当時も今もほぼ同じです。時は、「過ぎ越しの祭り」の直前で、各地からユダヤ人が集まって来ており、多くの人ごみの中を揉まれながら歩いて行ったことがわかります。<br /><br /> 第1留  イエスが、死刑の判決を受けたアントニア要塞。(エル・オマリヤ・スクール)<br /> 第2留  イエスが、十字架を背負わされたところ。(鞭打ちの教会)<br /> 第3留  イエスが、最初につまずいたところ。<br /> 第4留  マリアが、十字架を背負ったイエスを見たところ。(苦悩の母のマリアの教会)<br /> 第5留  クレネ人のシモンが、イエスに代わり十字架を背負わされたところ。<br /> 第6留  ベロニカが、イエスの顔を絹のハンカチで拭いたところ。(ベロニカ教会)<br /> 第7留  イエスが、2度目に倒れたところ。<br /> 第8留  イエスが、悲しむ娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と語ったところ。(聖ハラランボス・ギリシャ正教会の修道院)<br /> 第9留  イエスが、3度目に倒れたところ。<br /> 第10留 イエスが、衣を脱がされたところ。(聖墳墓教会)<br /> 第11留 イエスが、十字架に釘づけにされたところ。(聖墳墓教会)<br /> 第12留 磔になったイエスの十字架が立てられ、イエスが息を引き取ったところ。(聖墳墓教会)<br /> 第13留 マリアが、イエスの亡骸を受け取ったところ。(聖墳墓教会)<br /> 第14留 イエスが、墓に納められたところ。(聖墳墓教会)<br /><br />2. 聖墳墓教会<br /> イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたのはゴルゴダの丘で、ゴルゴダとは「しゃれこうべ」という意味を持ち、この丘に建てられたのが聖墳墓教会です。教会の内部には、ゲッセマネで捕えられたイエスが一晩過ごしたとされる「イエスの牢獄」やイエスが十字架にかけられた地点とされる「祭壇の下の銀の輪」、十字架から降ろされイエスの亡骸に香油を塗ったとされる「赤い大理石」、キリスト教の各派が共同管理している「イエスの墓」などがあります。この場所に最初に教会が建てられたのは336年で、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによってであった。614年にササン朝ペルシアに、1009年にはエジプトのカリフ・ハーキムに破壊されるが、そのたびによみがえり、1099年の十字軍時代に大幅に増改築されています。現在の建物は、1808年の大火災後再建されたものです。<br /><br /> 新約聖書ヨハネ13章、ルカ22章・23章、マタイ27章;最後の晩餐からイエスが十字架の上で死ぬまでの過程は次のようになっています。<br /><br /> 木曜日<br />   夕方      最後の晩餐が始まる。<br />   夜9時     ゲッセマネでイエスが祈る。<br />   夜10時    ユダの裏切りによってイエスが逮捕される。<br />   夜10時半  元大祭司アンナスにより予備審問を受け、大祭司カヤパのもとへ引きわたされる。<br />   夜11時    カヤパによる尋問。ペトロの裏切り。鶏が3度鳴く。<br /> 金曜日<br />   明け方、7時 総統ピラトによる裁判。ヘロデ(ヘロデ・アンテパス=ガリラヤ地方の支配者)にイエスを送る。<br />   8時      ヘロデがイエスをピラトに送りかえす。十字架刑が決まる。<br />   9時      刑場に送られる。<br />   12時     十字架刑が執行される。<br />   12時〜3時 暗闇が続く。<br />   3時      イエスが十字架で死ぬ。<br />   3時〜5時  ヨセフがイエスを埋葬する。<br />   6時     (日付が土曜日に変わり)安息日が始まる。 <br /><br />3. 神殿の丘と嘆きの壁<br /> エルサレム神殿は、古代エルサレムのユダヤ教の礼拝の中心地で、唯一の神ヤハウエの聖所です。紀元前10世紀頃にソロモン王が建設した第1神殿、紀元前515年バビロニアの捕虜から解放されたユダヤ人たちが再建、紀元前20年にヘロデ大王により大改築され第2神殿が完成されるが、紀元後66年からのユダヤ戦争によって、ローマ帝国軍とその同盟軍により破壊されます。神殿崩壊後、ユダヤ人は年に1度の許可されているエルサレムへの帰郷の時、部分的に残った第2神殿の西側の外壁に集まり、神殿の再建と救世主の来臨を祈るようになりました。現在の嘆きの壁の高さは21mあり、下から7段目までは第2神殿時代のもの、その上の4段がローマ時代に付け足された部分で、さらにその上にある小さな石組はマムルーク朝時代のものです。

イスラエルの旅(7)・・ヴィア・ドロローサ、イエス終焉の地聖墳墓教会、嘆きの壁を訪ねて

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2012/03/12 - 2012/03/12

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YAMAJI

YAMAJIさん

 ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ち、ガリラヤ湖周辺で宣教活動をし、数々の奇跡を起こしたイエスは、次第に民衆の心をとらえ、一部には熱狂的な支持を得て行きました。しかし、ユダヤ教の律法学者は、イエスの説いた教義が律法をないがしろにするものだと考えていた、最とも嫌悪した点は、イエスが自ら神の子(メシヤ)と称したことだった。人々の心をとらえ、自ら神の子と名乗るイエスに、司祭長や律法学者たちは脅威を感じ、結果的にイエスを十字架へと追い込んでいきました。イエスがピラトの官邸で行った裁判で有罪とされてから、十字架を背負い歩くゴルゴダへの道が、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)で、その終着が聖墳墓教会でした。

1. ヴィア・ドロローサ
 イエスがピラトの官邸で行われた裁判で有罪とされてから、十字架を背負って歩くゴルゴダへの道が、ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼ばれています。旧市街の中にあり、街の造り、雰囲気は、当時も今もほぼ同じです。時は、「過ぎ越しの祭り」の直前で、各地からユダヤ人が集まって来ており、多くの人ごみの中を揉まれながら歩いて行ったことがわかります。

 第1留  イエスが、死刑の判決を受けたアントニア要塞。(エル・オマリヤ・スクール)
 第2留  イエスが、十字架を背負わされたところ。(鞭打ちの教会)
 第3留  イエスが、最初につまずいたところ。
 第4留  マリアが、十字架を背負ったイエスを見たところ。(苦悩の母のマリアの教会)
 第5留  クレネ人のシモンが、イエスに代わり十字架を背負わされたところ。
 第6留  ベロニカが、イエスの顔を絹のハンカチで拭いたところ。(ベロニカ教会)
 第7留  イエスが、2度目に倒れたところ。
 第8留  イエスが、悲しむ娘たちに「私のために泣くな、自分たち、また自分の子供たちのために泣くがよい」と語ったところ。(聖ハラランボス・ギリシャ正教会の修道院)
 第9留  イエスが、3度目に倒れたところ。
 第10留 イエスが、衣を脱がされたところ。(聖墳墓教会)
 第11留 イエスが、十字架に釘づけにされたところ。(聖墳墓教会)
 第12留 磔になったイエスの十字架が立てられ、イエスが息を引き取ったところ。(聖墳墓教会)
 第13留 マリアが、イエスの亡骸を受け取ったところ。(聖墳墓教会)
 第14留 イエスが、墓に納められたところ。(聖墳墓教会)

2. 聖墳墓教会
 イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたのはゴルゴダの丘で、ゴルゴダとは「しゃれこうべ」という意味を持ち、この丘に建てられたのが聖墳墓教会です。教会の内部には、ゲッセマネで捕えられたイエスが一晩過ごしたとされる「イエスの牢獄」やイエスが十字架にかけられた地点とされる「祭壇の下の銀の輪」、十字架から降ろされイエスの亡骸に香油を塗ったとされる「赤い大理石」、キリスト教の各派が共同管理している「イエスの墓」などがあります。この場所に最初に教会が建てられたのは336年で、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによってであった。614年にササン朝ペルシアに、1009年にはエジプトのカリフ・ハーキムに破壊されるが、そのたびによみがえり、1099年の十字軍時代に大幅に増改築されています。現在の建物は、1808年の大火災後再建されたものです。

 新約聖書ヨハネ13章、ルカ22章・23章、マタイ27章;最後の晩餐からイエスが十字架の上で死ぬまでの過程は次のようになっています。

 木曜日
   夕方      最後の晩餐が始まる。
   夜9時     ゲッセマネでイエスが祈る。
   夜10時    ユダの裏切りによってイエスが逮捕される。
   夜10時半  元大祭司アンナスにより予備審問を受け、大祭司カヤパのもとへ引きわたされる。
   夜11時    カヤパによる尋問。ペトロの裏切り。鶏が3度鳴く。
 金曜日
   明け方、7時 総統ピラトによる裁判。ヘロデ(ヘロデ・アンテパス=ガリラヤ地方の支配者)にイエスを送る。
   8時      ヘロデがイエスをピラトに送りかえす。十字架刑が決まる。
   9時      刑場に送られる。
   12時     十字架刑が執行される。
   12時〜3時 暗闇が続く。
   3時      イエスが十字架で死ぬ。
   3時〜5時  ヨセフがイエスを埋葬する。
   6時     (日付が土曜日に変わり)安息日が始まる。 

3. 神殿の丘と嘆きの壁
 エルサレム神殿は、古代エルサレムのユダヤ教の礼拝の中心地で、唯一の神ヤハウエの聖所です。紀元前10世紀頃にソロモン王が建設した第1神殿、紀元前515年バビロニアの捕虜から解放されたユダヤ人たちが再建、紀元前20年にヘロデ大王により大改築され第2神殿が完成されるが、紀元後66年からのユダヤ戦争によって、ローマ帝国軍とその同盟軍により破壊されます。神殿崩壊後、ユダヤ人は年に1度の許可されているエルサレムへの帰郷の時、部分的に残った第2神殿の西側の外壁に集まり、神殿の再建と救世主の来臨を祈るようになりました。現在の嘆きの壁の高さは21mあり、下から7段目までは第2神殿時代のもの、その上の4段がローマ時代に付け足された部分で、さらにその上にある小さな石組はマムルーク朝時代のものです。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
4.0
グルメ
3.5
交通
4.0
  • 左の壁の中に第一ステーションのエル・オマリヤ・スクールがあります。イエスが「死刑判決を受けた」アントニア要塞があったところです。全長約1kmのヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の始まりです。

    左の壁の中に第一ステーションのエル・オマリヤ・スクールがあります。イエスが「死刑判決を受けた」アントニア要塞があったところです。全長約1kmのヴィア・ドロローサ(悲しみの道)の始まりです。

  • 第二ステーションは、鞭打ちの教会です。イエスが「鞭を打たれ、茨の冠と紫の衣を着せられ、十字架を背負わされた」ところです。

    第二ステーションは、鞭打ちの教会です。イエスが「鞭を打たれ、茨の冠と紫の衣を着せられ、十字架を背負わされた」ところです。

  • 鞭打ちの教会に隣接する、ホッケ・ホモ教会です。<br />「鞭を打たれ、茨の冠と紫の衣を着せられ、十字架を背負わされた」様子が再現されています。

    鞭打ちの教会に隣接する、ホッケ・ホモ教会です。
    「鞭を打たれ、茨の冠と紫の衣を着せられ、十字架を背負わされた」様子が再現されています。

  • 茨の冠を被らされたイエスです。

    茨の冠を被らされたイエスです。

  • お土産と生ジュースを売っているお店がありました。

    お土産と生ジュースを売っているお店がありました。

  • ホッケ・ホモ・アーチです。<br />135年にローマの皇帝ハドリアヌスが、エルサレム征服を記念し建造された、3重の凱旋門の一部が残ったものです。

    ホッケ・ホモ・アーチです。
    135年にローマの皇帝ハドリアヌスが、エルサレム征服を記念し建造された、3重の凱旋門の一部が残ったものです。

  • イエス時代の石畳です。

    イエス時代の石畳です。

  • 美味しそうなパンを売っていました。

    美味しそうなパンを売っていました。

  • 第三ステーションは、アルメニア・カトック教会です。イエスが「十字架の重みに耐えかね、最初につまずいた」ところです。

    第三ステーションは、アルメニア・カトック教会です。イエスが「十字架の重みに耐えかね、最初につまずいた」ところです。

  • アルメニア・カトリック教会です。

    イチオシ

    アルメニア・カトリック教会です。

  • 第四ステーションは、苦悶の母のマリア教会です。「母マリアがイエスを見た」ところです。

    第四ステーションは、苦悶の母のマリア教会です。「母マリアがイエスを見た」ところです。

  • 苦悩の母のマリア教会です。

    苦悩の母のマリア教会です。

  • 韓国の団体が十字架を背負いイエスの追体験をしていました。

    イチオシ

    韓国の団体が十字架を背負いイエスの追体験をしていました。

  • 第五ステーションの「シモンが代わって十字架を背負わされた」ところです。

    第五ステーションの「シモンが代わって十字架を背負わされた」ところです。

  • クレネ人のシモンが無理やり十字架を担がされています。

    クレネ人のシモンが無理やり十字架を担がされています。

  • イエスの手形が残つています。

    イエスの手形が残つています。

  • イスラム教徒地区が続きます。<br />イエス時代の道は、完全なアーチの幅分(現在の約倍の幅)は、あったようです。

    イスラム教徒地区が続きます。
    イエス時代の道は、完全なアーチの幅分(現在の約倍の幅)は、あったようです。

  • 第六ステーションは、ベロニカ教会です。「ベロニカがイエスの顔を拭いた」ところです。

    第六ステーションは、ベロニカ教会です。「ベロニカがイエスの顔を拭いた」ところです。

  • 壁にはイエスの汗が残つているといいます。

    壁にはイエスの汗が残つているといいます。

  • ヴィア・ドロローサは続きます。

    ヴィア・ドロローサは続きます。

  • 第七ステーションのイエスが「二度目に倒れた」ところです。<br />審きの門があったところで、その敷居につまづいて倒れたとされています。

    第七ステーションのイエスが「二度目に倒れた」ところです。
    審きの門があったところで、その敷居につまづいて倒れたとされています。

  • 審きの門の上に、イエスの死刑判決書が貼り付けられていました。

    審きの門の上に、イエスの死刑判決書が貼り付けられていました。

  • 賑やかな通りを通過します。

    賑やかな通りを通過します。

  • 洋品店です。

    洋品店です。

  • お菓子屋さんです。

    お菓子屋さんです。

  • 貴金属店です。

    貴金属店です。

  • 第八ステーションは、聖ハラランボク・ギリシャ正教会です。イエスがエルサレムの娘に「私のことで泣いてはいけない」と慰めたところです。<br />第九ステーションは、聖墳墓コプト教会です。イエスが「三度目に倒れた」ところです。<br />今回は残念ですが、第八と第九ステーションには、立ち寄りませんでした。<br />キリスト教地区に入ってきました。

    第八ステーションは、聖ハラランボク・ギリシャ正教会です。イエスがエルサレムの娘に「私のことで泣いてはいけない」と慰めたところです。
    第九ステーションは、聖墳墓コプト教会です。イエスが「三度目に倒れた」ところです。
    今回は残念ですが、第八と第九ステーションには、立ち寄りませんでした。
    キリスト教地区に入ってきました。

  • 聖墳墓教会に到着です。<br />現在キリスト教の6つの宗派(ギリシャ正教、ローマカトリック、エチオピア正教、コプト教、アルメニア正教、シリア正教)が分割管理しています。

    聖墳墓教会に到着です。
    現在キリスト教の6つの宗派(ギリシャ正教、ローマカトリック、エチオピア正教、コプト教、アルメニア正教、シリア正教)が分割管理しています。

  • 教会の入口です。<br />336年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによっ創建されました。その後、幾たびもの戦火や破壊、火災などのたびに復興され現在にいたっています。<br />

    教会の入口です。
    336年に、ローマ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナによっ創建されました。その後、幾たびもの戦火や破壊、火災などのたびに復興され現在にいたっています。

  • 第十ステーションは、階段の上のゴルゴダの丘です。イエスが「服を脱がされた」ところです。

    第十ステーションは、階段の上のゴルゴダの丘です。イエスが「服を脱がされた」ところです。

  • 第十一ステーションは、ローマ・カトリックの小聖堂の祭壇です。イエスが「十字架に釘づけにされた」ところです。

    第十一ステーションは、ローマ・カトリックの小聖堂の祭壇です。イエスが「十字架に釘づけにされた」ところです。

  • 第十二ステーションは、ギリシャ正教会の小聖堂の祭壇です。イエスが「十字架で息を引き取った」ところです。

    第十二ステーションは、ギリシャ正教会の小聖堂の祭壇です。イエスが「十字架で息を引き取った」ところです。

  • 十字架の建てられた場所には、銀の輪が埋められています。

    十字架の建てられた場所には、銀の輪が埋められています。

  • 祈りのローソクです。

    祈りのローソクです。

  • 壁面には鮮やかなモザイク画が残っています。

    壁面には鮮やかなモザイク画が残っています。

  • 第十三ステーションの赤い大理石板です。イエスが「十字架から降ろされ香油を塗られた」ところです。

    イチオシ

    第十三ステーションの赤い大理石板です。イエスが「十字架から降ろされ香油を塗られた」ところです。

  • 第十四ステーションは、イエスの墓です。イエスが「墓に葬られた」ところです。ヴィア・ドロローサの終点です。

    第十四ステーションは、イエスの墓です。イエスが「墓に葬られた」ところです。ヴィア・ドロローサの終点です。

  • イエスの墓の上にある聖墳墓教会のクーポラです。

    イチオシ

    イエスの墓の上にある聖墳墓教会のクーポラです。

  • イエスが埋葬された洞窟です。

    イエスが埋葬された洞窟です。

  • 聖ヘレナ聖堂です。<br />見事なモザイクが残っています。

    聖ヘレナ聖堂です。
    見事なモザイクが残っています。

  • 嘆きの壁広場と神殿の丘です。<br />

    イチオシ

    嘆きの壁広場と神殿の丘です。

  • 嘆きの壁です。<br />1948年からヨルダンの管理下に入り、1967年にやっとイスラエルの手に戻り、ここで祈ることが許されるようになりました。約1900年にも及ぶ悲願が達成されました。

    嘆きの壁です。
    1948年からヨルダンの管理下に入り、1967年にやっとイスラエルの手に戻り、ここで祈ることが許されるようになりました。約1900年にも及ぶ悲願が達成されました。

  • 男性は左、女性は右側と別れてお祈りします。

    男性は左、女性は右側と別れてお祈りします。

  • 高さ21mあり7段目までが第2神殿時代のものです。

    高さ21mあり7段目までが第2神殿時代のものです。

  • 男性側は空いていました。

    男性側は空いていました。

  • 熱心に祈る正統派のユダヤ教徒です。

    熱心に祈る正統派のユダヤ教徒です。

  • 壁の隙間は、お願い事が書かれた紙で埋まっています。

    壁の隙間は、お願い事が書かれた紙で埋まっています。

  • 左奥には祈祷所があります。

    左奥には祈祷所があります。

  • 海外からの観光客も大勢います。

    海外からの観光客も大勢います。

  • イスラエル軍の女性兵士です。

    イスラエル軍の女性兵士です。

  • 糞門から嘆きの壁に向かうバル・ミツバの行進です。<br />糞門は、エルサレム旧市街の城壁の南西に位置している門です。嘆きの壁や神殿の丘に最も近い門です。かってはこの門から人々の排泄物を運び出していたためこの名前がつきました。

    糞門から嘆きの壁に向かうバル・ミツバの行進です。
    糞門は、エルサレム旧市街の城壁の南西に位置している門です。嘆きの壁や神殿の丘に最も近い門です。かってはこの門から人々の排泄物を運び出していたためこの名前がつきました。

  • バル・ミツバは、ユダヤ人の13歳の成人のお祝いです。

    バル・ミツバは、ユダヤ人の13歳の成人のお祝いです。

  • まだ幼く見えるが立派な成人です。

    まだ幼く見えるが立派な成人です。

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