2012/03/11 - 2012/03/12
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YAMAJIさん
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エルサレムは、英語でジェルーサレム、ヘブライ語でイェルシャライム、アラビア語でアル・クドゥスと呼ばれる。4000年の昔から神の名のもとに、あるいは民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台になってきました。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、どの信者にとっても聖地です。ユダヤ人は、嘆きの壁の前で、ダビデ王とソロモン王の治世を思い、神殿の再建とメシヤの来臨を願い祈り続けます。キリスト教徒は、イエスが十字架を背負って磔刑に処せられるため歩いた道、ゴルゴダの丘に続くヴィア・ドロローサをたどり祈りをささげます。イスラム教徒は、預言者ムハンマドが天使を従え天馬に乗って昇天した岩のドームで、メッカの方向に向かって祈りささげます。
1. 最後の晩餐の部屋
イエスがユダヤ教の指導者たちによって捕えられる前夜、イスカリオテのユダを含む弟子たちとともに食事をし、ユダの裏切りを予言したところです。現在の建物は十字軍が建てたもので、ゴシック様式になっています。中は非常に殺風景で、レオナルド・ダ・ヴィンチの名作とは似ても似つかない、がらんとした場所でした。
新約聖書ヨハネ13章1〜10節、ルカ22章1〜39節;イエスたちは、食事をする部屋を借りる。イエスは、この世を去り父のもとに行くときが来たことを知った。イエスは弟子たち全員の足を洗った。イエスを真ん中にして、3人1組でみなが長いすに座った。そして、左腕のひじで頭を支え、右手で食事を口に運んで食べていた。この食事の途中で、イエスは、このなかにいる弟子のひとりが自分を裏切ることを告げた。これを聞いた弟子たちはとても悲しみ「主よ、まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるいった。ユダもこういったとき、イエスは彼に、「いや、あなただ」と答え、「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」と告げた。ユダはパン切れを受け取るとすぐ外へ出ていった。また、全員で食事をしているとき、イエスはパンを取り、神に感謝し、祝福してから、これを裂いて、弟子に与え、「取って食べなさい、これは私の体である」といった。それからぶどう酒の入った杯を取り、神に感謝の言葉をささげてから、「みな、この杯から飲みなさい。これは私の契約の血である。罪を赦すために多くの人のために流されるものである。みなにいっておく。私の父のみ国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、私はもはやぶどうの実でつくったものを飲むことはない」と告げた。そして全員で神を賛美する歌を歌ってから、オリーブ山に出かけた。
2. ダビデ王の墓
古代イスラエル2代目の王(BC1011〜BC971頃在位)であるダビデ王の墓です。ダビデはソロモン王の父で、最初はユダヤの王、後にイスラエルの王となり、エルサレムを中心とした統一国家を作った伝承の王です。墓はダビデの星が刺繍されたビロードの布に覆われていて、ダビデの継承者である22人の王を表す、22のシルバーの聖書を納めた経筒で装飾されています。
旧約聖書サムエル記?、?;羊飼いの末の子ダビデが神の目にかなう。小さなダビデが信仰の力で巨漢ゴリヤテを倒す。嫉妬に狂うサウル(イスラエルの初代王)に追われるダビデ。2度にわたってサウルの命を助けたダビデ。無残なサウルの最後。ダビデがユダ族の王になる。ついにダビデがイスラエル全土の王になる。ダビデのもとでイスラエル王国が栄える。ダビデが姦淫と殺人の罪を犯す。預言者ナタンによるダビデへの叱責。ダビデ家で起こった近親相姦、レイプ、兄弟殺し。実の息子に追われ逃げまわるダビデ。ダビデがふたたびイスラエルの王に復帰する。
3. 嘆きの壁トンネルツアー
トンネルツアーはまず、第2神殿の模型の説明から始まります。現在のレイヤーを取り除き、ローマ時代のレイヤーを取り除くと、第2神殿時代の模型が現れます。そして次に、祈りの場所へ、トンネルツアーのハイライトは、最も地下深くにある第2神殿時代のものとされる大きな石壁です。石の大きさは横幅約13m、高さ3m、重さは570トンと言われ、その巨大さゆえに破壊を免れたといわれています。
4. 岩のドーム
エルサレム神殿跡に立ち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとつて重要な関わりを持つ「聖なる岩」を抱え込むように建っています。アブラハムがわが子イサクを神に捧げようとしたモリヤの丘だとされており、ダビデ王が神との「契約の箱」を祀った場所でもありました。また、預言者ムハンマドが、天使を従え天馬に乗り昇天した場所といわれ、岩の上部にはムハンマドの足跡や大天使ガブリエルの手の跡といわれる物が残っています。岩のドームの礼拝堂は、ウマイヤ朝時代の691年に建設され、幾度かの改築を繰り返し、1522年のオスマン朝時代にブルーのペルシャタイルが加えられ、1964年にドームは金メッキのアルミ板になりました。
コーラン開扉章、第1章全7節;
慈悲ふかく慈愛あまねきアッラーの御名において・・・・・
讃えあれ、アッラー、万世の主、
慈悲ふかく慈愛あまねき御神、
審きの日の主催者。
汝をこそ我らはあがめまつる、汝にこそ救いを求めまつる。
願わくば我らを導いて正しき道を辿らしめ給え、
汝の御怒りを蒙る人々や、踏みまよう人々の道ではなく、
汝の嘉し給う人々の道を歩ましめ給え。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
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シオン門です。
エルサレム旧市街の城壁の一番南側にある門です。「ダビデの墓」が近いことからダビデ門とも呼ばれています。 -
銃弾の跡が残るシオン門です。
1948年のイスラエル建国に伴う、第一次中東戦争で、この地区は激戦となり、シオン門にも数多くの銃弾の跡が残っています。 -
ダビデ王の墓に向かいます。
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竪琴を持つダビデ王の像が迎えてくれます。
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ダビデ王の墓の2階が、イエスと十二使徒の最後の晩餐の部屋です。
現在の建物は十字軍が建てたもので、ダヴィンチの名作のイメージとはまったく違いました。 -
部屋のオリーブのオブジェです。
この部屋には似つかわしくありません、無い方がよいのでは・・・。 -
部屋のミフラーブです。
15世紀のオスマン朝時代には、イスラム寺院として使われていました。 -
部屋を出て階段を下りて奥にダビデ王の墓があります。
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ダビデ王の墓のお参りは男女別々です。
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ダビデ王の墓で祈るユダヤ教徒です。
3日前から、パレスチナ自治区のガザからミサイルが100弾以上、イスラエルに打ち込まれています。イスラエルも反撃しているようです。熱心に平和を祈り続けているのでしょう。 -
ダビデの墓です。
全長3mの石棺が中央で仕切られ、男女別々に参拝します。 -
嘆きの壁広場です。
これから、嘆きの壁トンネルツアーに向かいます。 -
広場には正装のユダヤの少女がいました。
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嘆きの壁トンネルツアーの入口です。
現在の嘆きの壁の地面は、第2神殿時代の地面よりはるか上に位置しており、地下には、かっての地面が埋もれています。 -
地下トンネルの入口です。
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第2神殿時代の模型で説明を受けます。
現在と第2神殿時代の神殿の丘の違いを説明してくれました。 -
神殿の丘へ通じるロビンソン・アーチです。
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地下の嘆きの壁に向かい、熱心にお祈りする、ユダヤ教徒の女性です。
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イチオシ
第2神殿の巨大な石壁(横13m、高さ3m)です。
巨大ゆえに破壊から免れたと聞きました。 -
石組みには隙間がないことが判ります。
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アーチの入口は、全て石で塞がれていました。
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岩盤も現れたてきました。
神殿は岩盤の上に建てられています。ソロモン時代の第1神殿は、バビロニアの侵攻により破壊されています。今残る神殿の壁は、ユダヤ人がバビロニアから帰還してから建設された、第2神殿以降のものです。 -
どんどん通路は狭くなっていきます。
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通路の床に張られたガラス越しに、床下の深部の様子が見えるようになつています。
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ヘロデ大王時代の道路跡です。
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壁沿いのトンネルの突き当りのアーチです。
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地下水路跡を進むと、貯水池へ出ます。
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ヘロデ大王時代の貯水池です。
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イチオシ
嘆きの壁と神殿の丘への通路です。
木でできた通路を通って、神殿の丘に向かいます。 -
神殿の丘に向かうセキュリティ待ちの行列です。
神殿の丘の管理は、イスラム教徒が行っているため、異教徒はセキュリティ・チェックを受けます。 -
神殿の丘への通路です。
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通路の隙間から、嘆きの壁が良く見渡せます。
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嘆きの壁で祈るユダヤ教徒です。
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神殿の丘のアル・アクサー・モスクです。
715年にワリード1世により創建され、1066年に現在の姿になっています。ムハンマドが神とともに夜空を旅行した地が、アル・アクサー=エルサレムだといわれており、イスラム教徒にとって岩のドームとともに重要な場所になっています。 -
アル・アクサー・モスクのドームです。
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アル・アクサー・モスクのミナレットです。
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岩のドームへ。
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お清めの水場、アル・カスです。
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お祈りをするイスラム教徒です。
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階段を登って岩のドームへ。
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イチオシ
階段は記念撮影ポイントです。
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岩のドームです。
691年にアブドゥル・マリクによって創建されています。この地は、メッカ、メディナに続くイスラム教第3の聖地です。預言者ムハンマドが、天使を従え天馬に乗り昇天したという聖なる岩を抱え込むように建っています。 -
黄金のドームです。
1964年に金メッキのアルミ板が張られています。 -
ブルータイルです。
1522年のオスマン朝時代に、ブルーのペルシャタイルが張られました。 -
鎖のドームです。
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昇天のドームです。
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神殿の丘の黄梅です。
神殿の丘の帰りは、別の門からノーチェックで通過です。
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