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 飯田に所縁の民俗学の泰斗、柳田國男の記念館の紹介です。柳田國男氏の人となりと業績等を紹介する『展示室』と、柳田の著書他が並ぶ大書斎『柳田國男記念室』のほか、民間の研究団体『柳田國男記念伊那民俗学研究所』の活動拠点が置かれています。

2011秋、紅葉は少し早かった飯田(9/10):10月30日(9):柳田國男館、愛用のクロッカー、朱筆が入った初版本、絵葉書

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2011/10/29 - 2011/10/30

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旅行記グループ 2011秋、飯田散策・同期会

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 飯田に所縁の民俗学の泰斗、柳田國男の記念館の紹介です。柳田國男氏の人となりと業績等を紹介する『展示室』と、柳田の著書他が並ぶ大書斎『柳田國男記念室』のほか、民間の研究団体『柳田國男記念伊那民俗学研究所』の活動拠点が置かれています。

交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 柳田國男館の建物光景です。東京都世田谷区成城にあった柳田國男氏の書屋が、この場所に移築されたものです。現在は飯田市美術博物館の別館となっています。

    柳田國男館の建物光景です。東京都世田谷区成城にあった柳田國男氏の書屋が、この場所に移築されたものです。現在は飯田市美術博物館の別館となっています。

  • 柳田國男館の出入口光景です。入場は無料、室内の撮影もOKでした。国際連盟派遣から帰った昭和2年(1927年)、イギリスの社会人類学者フレーザーの書斎に倣って新築された建物です。『喜談書屋(きたんしょおく)』と呼ばれました。

    柳田國男館の出入口光景です。入場は無料、室内の撮影もOKでした。国際連盟派遣から帰った昭和2年(1927年)、イギリスの社会人類学者フレーザーの書斎に倣って新築された建物です。『喜談書屋(きたんしょおく)』と呼ばれました。

  • 壁に飾ってあった柳田國男のレリーフ像です。柳田國男氏の旧姓は松岡、兵庫県生まれです。明治34年(1901年)、東京在住の旧飯田藩士・柳田家の養嗣子となり、3年後に養父柳田直平氏のの四女孝と結婚されたことで、飯田とに絆が出来ました。

    壁に飾ってあった柳田國男のレリーフ像です。柳田國男氏の旧姓は松岡、兵庫県生まれです。明治34年(1901年)、東京在住の旧飯田藩士・柳田家の養嗣子となり、3年後に養父柳田直平氏のの四女孝と結婚されたことで、飯田とに絆が出来ました。

  • 柳田國男愛用のクロッケーです。クロッケーは、芝生のコートで行われるイギリス発祥の球技です。日本におけるゲートボールの原型となりました。

    柳田國男愛用のクロッケーです。クロッケーは、芝生のコートで行われるイギリス発祥の球技です。日本におけるゲートボールの原型となりました。

  • このクロッケーは、ご子息の柳田為正市からの寄贈品です。庭の芝生でクロッケーを試みた柳田國男氏の苦戦ぶりの一文が寄せられていました。日本の芝には合わなかったようです。

    このクロッケーは、ご子息の柳田為正市からの寄贈品です。庭の芝生でクロッケーを試みた柳田國男氏の苦戦ぶりの一文が寄せられていました。日本の芝には合わなかったようです。

  • 柳田國男氏の上半身の肖像画です。晩年近くに描かれたもののようです。額のガラスに、外の景色が写り込んでしまいました。

    柳田國男氏の上半身の肖像画です。晩年近くに描かれたもののようです。額のガラスに、外の景色が写り込んでしまいました。

  • 柳田國男氏の上半身の肖像画が飾ってあった、2階の書斎のコーナー部分の光景です。『喜談書屋(きたんしょおく)』と呼ばれたこの部屋は、四方に天井までの書棚が設えてあります。

    柳田國男氏の上半身の肖像画が飾ってあった、2階の書斎のコーナー部分の光景です。『喜談書屋(きたんしょおく)』と呼ばれたこの部屋は、四方に天井までの書棚が設えてあります。

  • 肖像画の下に飾ってあった木彫の文字です。柳田國男氏の署名入りの一文です。『立ちかへり又みの川のみなかみにいほりせん日は夢ならでいつ』と読むのでしょうか。

    肖像画の下に飾ってあった木彫の文字です。柳田國男氏の署名入りの一文です。『立ちかへり又みの川のみなかみにいほりせん日は夢ならでいつ』と読むのでしょうか。

  • 書斎の光景です。

    書斎の光景です。

  • 高い場所の本を取り出すため、梯子が常設してあった書歳の光景です。

    高い場所の本を取り出すため、梯子が常設してあった書歳の光景です。

  • 梯子は、複数の場所に設置してありました。

    梯子は、複数の場所に設置してありました。

  • 書斎の蔵書のアップ光景です。

    書斎の蔵書のアップ光景です。

  • 同じく、書斎の蔵書のアップ光景です。

    同じく、書斎の蔵書のアップ光景です。

  • 2階の書斎に飾ってあった写真です。この部屋に集まった、当時の人達との写真です。この部屋は、『喜談書屋』と呼ばれたようです。その中央に椅子と机を配したことから、『民俗学の土俵』の呼び名のことも紹介されていました。

    2階の書斎に飾ってあった写真です。この部屋に集まった、当時の人達との写真です。この部屋は、『喜談書屋』と呼ばれたようです。その中央に椅子と机を配したことから、『民俗学の土俵』の呼び名のことも紹介されていました。

  • 柳田國男氏は、兵庫県神東郡田原村辻川(現:神崎郡福崎町辻川)で、松岡操、たけの六男として誕生しました。その後、柳田家に養子で入りました。この家系図は柳田家のものです。

    柳田國男氏は、兵庫県神東郡田原村辻川(現:神崎郡福崎町辻川)で、松岡操、たけの六男として誕生しました。その後、柳田家に養子で入りました。この家系図は柳田家のものです。

  • 遠野物語など、柳田國男の初版本です。これらの初版本は、柳田國男國男氏自身が手元に置いていたものであり、長男の為正氏からの寄贈品であることなどが記されていました。

    遠野物語など、柳田國男の初版本です。これらの初版本は、柳田國男國男氏自身が手元に置いていたものであり、長男の為正氏からの寄贈品であることなどが記されていました。

  • 柳田國男氏自身が朱を入れた初版本です。再版のために氏が用意されたものとされます。柳田國男全集等には、生かされていないことも説明書きにありました。

    柳田國男氏自身が朱を入れた初版本です。再版のために氏が用意されたものとされます。柳田國男全集等には、生かされていないことも説明書きにありました。

  • 筑摩書房刊行の『海上の道』の初版本です。これにも多くの書き込みがあるようです。日本文化が沖縄諸島から南島づたいに伝播してきたという考察です。現在は岩波文庫としても発刊されています。

    筑摩書房刊行の『海上の道』の初版本です。これにも多くの書き込みがあるようです。日本文化が沖縄諸島から南島づたいに伝播してきたという考察です。現在は岩波文庫としても発刊されています。

  • これらも初版本のようです。底本・柳田國男集の第21巻や第19巻などです。定価1100円の文字も見えます。筑摩書房の出版です。

    これらも初版本のようです。底本・柳田國男集の第21巻や第19巻などです。定価1100円の文字も見えます。筑摩書房の出版です。

  • 表紙の部分に書き込みがあった、『大白神考』の初版本です。東北地方の旧家に行なわれるオシラサマ信仰を掘り下げ、養蚕の起源譚やオシラ祭文と巫女との関係などを考証した本のようです。

    表紙の部分に書き込みがあった、『大白神考』の初版本です。東北地方の旧家に行なわれるオシラサマ信仰を掘り下げ、養蚕の起源譚やオシラ祭文と巫女との関係などを考証した本のようです。

  • 同じく、表紙の部分に書き込みがあった、『老読書歴』の初版本です。右上には『再刊用定本・柳』等の書き込みです。

    同じく、表紙の部分に書き込みがあった、『老読書歴』の初版本です。右上には『再刊用定本・柳』等の書き込みです。

  • 飯田藩の柳田家の家系図と、その説明です。藩主の堀氏に同行し栃木から飯田に移封となり、江戸詰めのお側用人として仕え、明治維新で飯田に戻ってきたことが説明されていました。

    飯田藩の柳田家の家系図と、その説明です。藩主の堀氏に同行し栃木から飯田に移封となり、江戸詰めのお側用人として仕え、明治維新で飯田に戻ってきたことが説明されていました。

  • 松岡國男氏が継養子として柳田家に入籍したのは明治34年、その3年後に四女の孝(たか)氏と結婚されました。右が婚礼時の写真です。養父は、大審院判事の柳田直平氏です。和歌が取り持った縁とされます。

    松岡國男氏が継養子として柳田家に入籍したのは明治34年、その3年後に四女の孝(たか)氏と結婚されました。右が婚礼時の写真です。養父は、大審院判事の柳田直平氏です。和歌が取り持った縁とされます。

  • 伊那谷の民俗学の額との方たちとの交流の写真です。柳田國男氏は、20回以上信濃に旅行し、そのうち6回は伊那谷を訪れたとされます。

    伊那谷の民俗学の額との方たちとの交流の写真です。柳田國男氏は、20回以上信濃に旅行し、そのうち6回は伊那谷を訪れたとされます。

  • 左上の少年期から、右下の文化勲章受賞までの記念写真です。文化勲章は、1951年(昭和26年)に受賞されました。

    左上の少年期から、右下の文化勲章受賞までの記念写真です。文化勲章は、1951年(昭和26年)に受賞されました。

  • 日露戦争の旅団長として従軍中の安藤貞美・陸軍少将宛の柳田國男氏の絵葉書です。明治37年頃に差し出されたようです。安藤貞美氏は、養父の同母弟で台湾総督等を務めた人です。

    日露戦争の旅団長として従軍中の安藤貞美・陸軍少将宛の柳田國男氏の絵葉書です。明治37年頃に差し出されたようです。安藤貞美氏は、養父の同母弟で台湾総督等を務めた人です。

  • 安藤菊子氏宛の絵葉書です。安藤菊子氏は、柳田直平氏の実母で、國男氏の養祖母に当たる方です。和歌の会が契機で、当時17歳だった孝夫人との縁談を取りまとめた方としても知られます。

    安藤菊子氏宛の絵葉書です。安藤菊子氏は、柳田直平氏の実母で、國男氏の養祖母に当たる方です。和歌の会が契機で、当時17歳だった孝夫人との縁談を取りまとめた方としても知られます。

  • 安藤貞美氏宛の絵葉書です。柳田國男氏が国際連盟の委任統治委員として2度目の欧州旅行中の合間に、ドイツから送った絵葉書です。

    安藤貞美氏宛の絵葉書です。柳田國男氏が国際連盟の委任統治委員として2度目の欧州旅行中の合間に、ドイツから送った絵葉書です。

  • 書斎の窓からの庭の光景です。

    書斎の窓からの庭の光景です。

  • 2階の光景です。階段の周りの廊下があり書斎以外の部屋もありました。

    2階の光景です。階段の周りの廊下があり書斎以外の部屋もありました。

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2011秋、飯田散策・同期会

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