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 鎌倉市雪ノ下1の小町通と横大路の三叉路にある鉄ノ井(くろがねのい)は、水質が清らかで美味しく、真夏でも井戸の水が涸れることはなかった。昔、井戸から高さ5尺(1.5m)余りの鉄観音(くろがねかんのん)の首を掘り出したことから、この井戸を鉄ノ井と名付けた。鉄ノ井は江戸時代には道をはさんで西側にあった。この6月に開店したひもの屋さんのあたりに鉄観音堂と鉄ノ井があったことになろうか。<br /> 傍らに「鉄井」(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)の史跡碑が建ち、「鎌倉十井ノ一ナリ水質清冽甘美ニシテ盛夏ト雖涸ルルコトナシ往昔此井中ヨリ高サ五尺余リノ首許リナル鉄観音ヲ掘出シタルニヨリ鉄井ト名付クトイフ、正嘉二年(皇紀1918)正月十二日丑ノ剋秋田城介康盛ガ甘縄ノ宅ヨリ失火シ折柄ノ南風ニ煽ラレ火ハ薬師堂ノ後山ヲ越ヘ寿福寺ニ到リ郭内一宇ヲモ残サズ焼失セシメ余焔ハ更ニ新清水寺窟堂若宮宝蔵同別当坊等ヲ焼亡セシメタルコト東鑑ニ見エタリ 此ノ観音ハソノ火炎ニカカリ土中ニ埋モレシヲ掘出シタルモノナラン尊像ハ新清水寺ノ観音ト伝ヘ後此井ノ西方ナル観音堂ニ安置セラレシモ明治初年東京ニ移セリトイフ 昭和十六年三月建  鎌倉市青年團」とある。ここで、正嘉二年は1258年、丑ノ剋は午前2時頃である。<br /> 新清水寺は北条政子が扇ガ谷に創建した寺で、丈六の鉄造聖観世音菩薩を本尊として祀ってあった。この鉄観音はもと源頼朝の守護仏であり、新清水寺は寿福寺とともに、鎌倉屈指の霊場であった。浄光明寺前が清水寺谷である。清水寺谷に新清水寺があったのだろう。しかし、正嘉二年(1258年)の火事で焼失し土中に埋もれていたが、江戸時代に井戸から150cm余りの鉄観音の首を掘り出し、西の鉄観音堂に安置していた。鉄観音堂の前に鉄ノ井があり、今の鉄ノ井とは道をはさんで西側にあったことになる。しかし、明治維新の神仏分離の際に、この首像も鶴岡八幡宮の所有と誤られ破却されそうになったために、明治6年(1873年)に搬出されて深川御船蔵前の河岸に陸揚げされた。明治9年(1876年)には人形町通り蠣殻町2丁目に仮堂を営み、さらに明治13年(1880年)には許可を受けて大悲閣を建立したが、関東大震災により灰塵に帰した。昭和15年(1940年)にお堂が再建され、現在は大観音寺(東京都中央区日本橋人形町)に安置されている。<br />(表紙写真は鉄ノ井)

鉄ノ井(鎌倉十井)

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2010/01/03 - 2010/01/03

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ドクターキムル

ドクターキムルさん

 鎌倉市雪ノ下1の小町通と横大路の三叉路にある鉄ノ井(くろがねのい)は、水質が清らかで美味しく、真夏でも井戸の水が涸れることはなかった。昔、井戸から高さ5尺(1.5m)余りの鉄観音(くろがねかんのん)の首を掘り出したことから、この井戸を鉄ノ井と名付けた。鉄ノ井は江戸時代には道をはさんで西側にあった。この6月に開店したひもの屋さんのあたりに鉄観音堂と鉄ノ井があったことになろうか。
 傍らに「鉄井」(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)の史跡碑が建ち、「鎌倉十井ノ一ナリ水質清冽甘美ニシテ盛夏ト雖涸ルルコトナシ往昔此井中ヨリ高サ五尺余リノ首許リナル鉄観音ヲ掘出シタルニヨリ鉄井ト名付クトイフ、正嘉二年(皇紀1918)正月十二日丑ノ剋秋田城介康盛ガ甘縄ノ宅ヨリ失火シ折柄ノ南風ニ煽ラレ火ハ薬師堂ノ後山ヲ越ヘ寿福寺ニ到リ郭内一宇ヲモ残サズ焼失セシメ余焔ハ更ニ新清水寺窟堂若宮宝蔵同別当坊等ヲ焼亡セシメタルコト東鑑ニ見エタリ 此ノ観音ハソノ火炎ニカカリ土中ニ埋モレシヲ掘出シタルモノナラン尊像ハ新清水寺ノ観音ト伝ヘ後此井ノ西方ナル観音堂ニ安置セラレシモ明治初年東京ニ移セリトイフ 昭和十六年三月建  鎌倉市青年團」とある。ここで、正嘉二年は1258年、丑ノ剋は午前2時頃である。
 新清水寺は北条政子が扇ガ谷に創建した寺で、丈六の鉄造聖観世音菩薩を本尊として祀ってあった。この鉄観音はもと源頼朝の守護仏であり、新清水寺は寿福寺とともに、鎌倉屈指の霊場であった。浄光明寺前が清水寺谷である。清水寺谷に新清水寺があったのだろう。しかし、正嘉二年(1258年)の火事で焼失し土中に埋もれていたが、江戸時代に井戸から150cm余りの鉄観音の首を掘り出し、西の鉄観音堂に安置していた。鉄観音堂の前に鉄ノ井があり、今の鉄ノ井とは道をはさんで西側にあったことになる。しかし、明治維新の神仏分離の際に、この首像も鶴岡八幡宮の所有と誤られ破却されそうになったために、明治6年(1873年)に搬出されて深川御船蔵前の河岸に陸揚げされた。明治9年(1876年)には人形町通り蠣殻町2丁目に仮堂を営み、さらに明治13年(1880年)には許可を受けて大悲閣を建立したが、関東大震災により灰塵に帰した。昭和15年(1940年)にお堂が再建され、現在は大観音寺(東京都中央区日本橋人形町)に安置されている。
(表紙写真は鉄ノ井)

  • 「鉄の井」標石。

    「鉄の井」標石。

  • 「鉄の井」看板。

    「鉄の井」看板。

  • 鉄ノ井。

    鉄ノ井。

  • 「鉄井」(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)<br /><br />「鎌倉十井ノ一ナリ水質清冽甘美ニシテ盛夏ト雖涸ルルコトナシ往昔此井中ヨリ高サ五尺余リノ首許リナル鉄観音ヲ掘出シタルニヨリ鉄井ト名付クトイフ、正嘉二年(皇紀1918)正月十二日丑ノ剋秋田城介康盛ガ甘縄ノ宅ヨリ失火シ折柄ノ南風ニ煽ラレ火ハ薬師堂ノ後山ヲ越ヘ寿福寺ニ到リ郭内一宇ヲモ残サズ焼失セシメ余焔ハ更ニ新清水寺窟堂若宮宝蔵同別当坊等ヲ焼亡セシメタルコト東鑑ニ見エタリ 此ノ観音ハソノ火炎ニカカリ土中ニ埋モレシヲ掘出シタルモノナラン尊像ハ新清水寺ノ観音ト伝ヘ後此井ノ西方ナル観音堂ニ安置セラレシモ明治初年東京ニ移セリトイフ<br /> 昭和十六年三月建  鎌倉市青年團」。

    「鉄井」(昭和16年(1941年)3月、鎌倉市青年団)

    「鎌倉十井ノ一ナリ水質清冽甘美ニシテ盛夏ト雖涸ルルコトナシ往昔此井中ヨリ高サ五尺余リノ首許リナル鉄観音ヲ掘出シタルニヨリ鉄井ト名付クトイフ、正嘉二年(皇紀1918)正月十二日丑ノ剋秋田城介康盛ガ甘縄ノ宅ヨリ失火シ折柄ノ南風ニ煽ラレ火ハ薬師堂ノ後山ヲ越ヘ寿福寺ニ到リ郭内一宇ヲモ残サズ焼失セシメ余焔ハ更ニ新清水寺窟堂若宮宝蔵同別当坊等ヲ焼亡セシメタルコト東鑑ニ見エタリ 此ノ観音ハソノ火炎ニカカリ土中ニ埋モレシヲ掘出シタルモノナラン尊像ハ新清水寺ノ観音ト伝ヘ後此井ノ西方ナル観音堂ニ安置セラレシモ明治初年東京ニ移セリトイフ
     昭和十六年三月建  鎌倉市青年團」。

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