2011/08/24 - 2011/09/07
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prinprinさん
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コルドバは、世界中の知識人の憧れの地でした。
イスラムの人々は、「知恵の宝庫」と呼ぶギリシャ文明、ペルシャ文明(イラン)、インド文明を、アラビア語に直し、積極的に取入れました。
それを、さらにラテン語に訳し、学問をしに来た人によって、最先端の学問をヨーロッパ中に広めることとなりました。
8:00セビリア発 AVANT、朝食を買って乗り込みました。
8:45コルドバ着。RENFE駅の向いの、白いバスターミナルにコインロッカーがあります。荷物を預けて、タクシーで出発!
コルドバの歴史をひとくさり: (東京MXテレビ「まだ見ぬスペイン 古の都巡り8000キロ」 他)
コルドバは、古くからイベリコ(スペイン)の重要な都市として知られていました。
BC152年共和制ローマが属領の首都を置き、多くの学者や詩人を輩出し、アンダルシアの中心地として栄えました。
661年ダマスカス(シリア)にウマイア王朝が誕生して、繁栄していました。
711年(西ゴート王国の内紛により)イスラム教徒がイベリア半島に侵攻、
瞬く間に半島を制圧し、 西ゴート王国滅亡。
750年に政変が起こり、アッパーズ王朝に取って代わられたうえ、ウマイヤ朝一族は全員虐殺されてしまいます。
奇跡的に1人だけ生き延びた王子(アブドラマーン1世)が、母の故郷・北アフリカに逃れ、イベリア半島に渡って、
756年にコルドバで、後ウマイヤ王朝を建国、その後スペインに続くイスラム王朝の基礎となりました。
一方、宿敵アッバース王朝は、ダマスカス(現シリアの首都)からにバグダード(現イラクの首都)に首都を遷し、繁栄していきました。
そのバクダードをしのぐ都を造ろうと、コルドバは繁栄します。
後ウマイヤ王朝は、前から居たキリスト教徒、ユダヤ教徒に、改宗を強制しなかったので、文化が融合して街が栄え、世界の中心になって行きました。
10世紀に全盛期を迎え、中世ヨーロッパでは人口1万人で大都市と言われた時代、人口30万とも100万とも言われています。
東ローマ帝国(ビザンチン帝国 公用語ギリシア語)の首都コンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)と繁栄を競いました。
11世紀に入ると、内乱によって衰退し始め、1031年に後ウマイア朝は崩壊して、イスラム支配地は地方政権が乱立する時代が始まります。
12世紀には、キリスト教王国に献納金を支払って、同盟関係になり、
1236年コルドバは、フェルナンド3世によってキリスト軍に奪還される。
1248年 同王が、セビリヤを奪還。
1492年 グラナダでレコンキスタ(キリスト教徒による再征服活動)が完了。
同年 コロンブスが新大陸を発見 →セビーリャは発展しました。
が、コルドバは、衰退の道をたどって行きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
メスキータ:
10:00まではミサ中なので、無料でした。
外壁右側の入口(免罪の門)を入ると、オレンジの木を植えた中庭。
ここの噴水で手足を洗ってから、イスラムのお祈りをしていました。
写真に見えているのは、イスラムのお祈りの時を知らせるミナレット。
モスク内部へは、オレンジの中庭を横切り、右奥・おじさんのいるパルマス(しゅろ)門から入ります。
タンクトップの女性が、「門でスカーフを借りて、肩を隠しなさい。」と言われていました。 -
入るといきなり、有名な赤白アーチと856本の柱が広がっています。
赤いレンガと白い石の、イスラム独特の配色で組み合わされていて、重量を分散させる為に、アーチが2重になっています。
神秘的で圧倒されます。 2万5千もの人がお祈りできたらしい。
ローマ時代の柱を再利用して造られたので、柱が短くて土台が高いのや、柱が長くて床を掘り起こしたの、レンガじゃなくて赤く塗っただけの所もわかりました。
入口近くが、最も古くからある部分。 -
756年、後ウマイヤ王朝を作ったアブドラマーン1世は、西ゴート時代の教会を買い取り、
786年故郷ダマスカスのモスクを回想して、メスキータ(モスク)を建立しました。
当時、宗教だけでなく政治の役割も司っていたと言われています。
←マクスラ(支配者がお祈りをするミフラブ前のアーチ) -
一番奥に、メッカ (サウジアラビア。世界最大のモスク「カーバ神殿」がある。)
の方向を示す、ミフラブがあります。キリスト教の祭壇に当たります。
絢爛なアラベスク模様の装飾は、ビザンチン皇帝(キリスト教国)が贈ったモザイクガラスでできており、当時は友好関係にあったことをうかがわせます。
コルドバはこのメスキータ(世界第2位の大きさ)があるため、「ヨーロッパのメッカ」と言われていました。
イスラム教の礼拝は、昔はエルサレムに向かってお祈りをしていましたが、マホメットがユダヤ教徒と敵対反目するようになった後、メッカの方角に変更しました。 -
メスキータの中央部分は、明るいキリスト教カテドラルになっていて、やはり、ミサを行っていました。
私は、メスキータ(モスク)という名からイスラムの礼拝を想像していたのですが、完全にキリスト教の物なんですね。
←左奥が、中央のカテドラルです。(ゴシック&早期ルネッサンス)
白い大理石で上に光窓があるので、明るくてとてもきれいです。
白壁の装飾がきれいだったので撮ろうとカメラを構えたら、ミサ中だったので「No photo please」って言われました。
イスラム寺院を取り壊してしまわないでキリスト教会を造った事から言えば融合でしょうが、無理やりキリスト教会を入れた感じがします。
宗教の融合というのは、溶け合うmeltingではないんですね。
キリスト教側にすれば「奪還」でしょうが、イスラム側にすれば「乗っ取り」でしょう。 -
レコンキスタ後、コルドバ市議会は、メスキータの改修を禁止していましたが、
カトリック両王の孫・カルロス5世の時代(1523年)に、甥の司教や教会勢力の願いによって、メスキータの中央にカテドラルを建設しました。
しかし3年後、コルドバを訪れたカルロス5世は、現場監督に「世界のどこにも無い物を壊して、どこにでもある物を造った」と嘆いたといいます。 -
メスキータを出て、ローマ橋に向かいます。
メスキータを囲む外壁もすてきで、左写真のパターンがつながっています。
この内側は、どこのカテドラルもあるように、キリスト教の小礼拝堂が並んでいました。
下の方に金色の扉がありますが、これは昔はなくて、イスラム教徒がお祈りに入れたんじゃないでしょうか? →後のカラオラの塔のところで書きます。 -
坂を5分下ると、ローマ橋に着きます。
左が、ローマ橋の入口・プエンテ門(16世紀、ルネッサンス様式)、右は、聖ラファエル勝利の塔。
←メスキータから見たプエンテ門。 メスキータのすぐ下です。 -
ローマ橋:
基礎の台座部分は、2000年以上前の物で、このグアダルキビル川(アラビア語で偉大なる川)の下流には、セビリアがあります。
橋の真ん中には、1651年ペストの猛威が収まった時祭られた、街の守護聖人ラファエルの像があり、川の中に、古い水車小屋があります。
これは、12世紀の水車を復元した物で、高度な水路の構造で城内に水を送ったり、農業にも使われていました。
←ローマ橋から見たメスキータ(右) -
対岸・カラオラの塔は、3階建ての小さな歴史博物館になっています。無料の日本語パンフレットと、英語のオーディオガイドがあります。
コルドバが繁栄した時代の、アラブ・イスラムの生活の様子がわかります。
当時の外科手術の道具もありました。12世紀には、白内障の手術もしていたそうです。
昔のメスキータの模型がありました。
やはり、イスラム寺院の頃はすっ通しで、メスキータ外壁の金の扉は、無かったんです。
お祈りの時間を伝える音を合図に、たくさんのイスラム教徒がお祈りをしに、いろんな方向から入って来たんでしょう。
キリスト教は「叩けよ。されば開かれん。」というけど、イスラムは扉自体ないのね。 -
イスラム教のお祈りの順番がわかる模型、
まずオレンジの中庭で足を洗い、その後左から、立ってお辞儀をし、座ってお祈りをしています。
この博物館おもしろかったです。
私たちは、モスクと言うとドームを頂いたイスラム寺院をイメージしますが、あのドーム型は、
東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(トルコ・イスタンブール)に、6世紀に建設された世界最大のキリスト教大聖堂を、1453年東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国がイスラム寺院アヤソフィアにしたことが始まりで、
それまでは、このように中庭を囲んだり、シリアのウマイヤド・モスクのように多くの柱がそびえていました。 -
カテドラルの鐘楼(メスキータのミナレット)が振り返って見える、花の小道。
この時期はあまり花がありません。日本人だらけでした。
お決まりのアングルですが、通っている人を見ると、いかに狭いかわかると思います。
ユダヤ人街(フーデリア):
ユダヤ人はフェニキア時代からイベリア半島に暮らしていましたが、(キリスト教に奪還された後)1278年からはユダヤ人街に住むように命じられました。
祖国がなかったユダヤ人たちは、世界のどこででも生きられよう、工芸職人、商人、医者が多くいました。
ユダヤ人は特に建築様式を持たなかったので、家やシナゴーグは外から見ると他の建物と区別がつきませんが、中に入ると祈りの部屋の柱の方角がエルサレムに向いています。
スペインに3つしか現存しないシナゴガ(ユダヤ教寺院)の1つが、コルドバにあります。(もう2つはトレドにあります。トレドで行ったので、行きませんでした。)
また、「セファラ(イベリア半島のユダヤ人)の家」というユダヤ文化センターもあるそうです。 -
12:00 まだお腹がへらないので、ビアナ邸に行ってみました。
緩い上りの道を歩いて25分、ビアナ邸:
12のパティオと1つの庭園がある侯爵邸で、
見学は、館内のガイド付きツアーで廻るか、庭だけ自分で廻るかのチョイスになっています。
ツアーの時間(1時間毎)まで待てないので、庭だけ。(3ユーロ)
←このパティオが1番きれいでした。 -
←ビアナ邸のパティオの1つ
コルドバでは5月の2週間パティオ祭りが開かれ、多くの家の中庭が解放されます。
町を歩きながら、入り口の両側に2本の木を置いてあるのを目印に、たくさんの庭めぐりができます。
タクシーでメスキータに戻り、
「エル・カバーリョ・ロホ」で、ラボ・デ・トロ(牛テールの煮込み 17ユーロ)を食べました。
ゴロッと3切れ。2切れでお腹いっぱい、トロッとしているけど、デミグラスソースより軽くておいしかったです。
レストランを出て、隣の店で、お土産を買いました。
他の店より趣味が良く、陶器、カラフルな時計、ブローチなど種類が豊富でした。
若いきれいな女性店員で、英語ができました。
まだ時間があるので、坂を下って、バスでバスターミナルに戻りました。
(歴史地区の外は、広々していました。) -
15:30発 ムルシア行 ALSAバスで、グラナダに向かいました。 トイレは付いていません。
マドリッド周辺もそうだったけど、ここも、行けども行けどもカサカサの大地。
あっても、オリーブ畑ばかりで、野菜畑は1度も見ませんでした。
先ほどのカラオラの塔に、昔の灌漑の模型がありましたが、牧草すら生えないのでしょうか。冬だったら小麦くらいできるのかしら?
ガイドブックに「スペイン北部は温潤」と書いていたので、北部では採れるのかもしれませんが、広い国なのに、スペインの農業どうなっているのでしょう。 -
2時間40分でグラナダ・バスターミナル着。
タクシーでホテルへ行く途中、赤レンガの闘牛場がありました。
グランビア通りには、ネオゴシックやモデルニスモ様式の建物が並んでいます。
レコンキスタ後、グラナダは安定した発展が続きました。
19世紀、地中海沿岸の砂糖製造で新たな繁栄の時を迎え、財産を築いた人たちが建てた家です。
地中海に面した地域では、サトウキビが栽培された。
植民地で大量生産するために、サトウキビの栽培をキューバなどカリブ海の国に伝えたのは、コロンブスだった。
20世紀初頭スペインが植民地を次々失い、ここで砂糖製造が始まり、100軒以上の工場があった。
20世紀半ば外国産の安い砂糖が輸入されるようになり、砂糖製造は衰退していき、2006年に150年続いた最後の砂糖工場が閉鎖された。
現在は外国産のサトウキビからラム酒を作っている。 -
ホテル・AC・パラシオ・デ・サンタ・パウラ:
5つ星のクラシックホテルで、洗面室は近代的で、快適でした。(アルハンブラ宮殿のパラドールの半額くらいでした。)
帰国してから、クラシックホテルを紹介するTV番組で、ここがとりあげられていました。
このホテルは、14世紀イスラム時代の身分の高い人の住宅を改築して、1543〜1978年サンタ・パウラ修道院だった。
文化財に指定されて造りを変えることが禁止されていて、グランビア通りに面したモダンなフロント棟(上階は客室)を建て加えて、2001年にホテルになった。
フロント棟の3階に上がると、修道院のモロー人瓦の屋根が、斜めに大きく食い込んでいる。
ホテルの裏側に、修道院の入口ファサードが残っている。
いろいろなタイプの客室があり、イスラム様式の装飾天井が残っている?号室は、アルハンブラに匹敵する価値がある。
←レストランのあるアンダルシア風パティオの敷石に、修道女の墓石が残っている。
もう1つのパティオの、石柱は古代ギリシア様式のイスラム建築。
礼拝堂はパティールームになり、鐘が吊るされていた場所は226号室のテラスになり修道院時代の壁で囲まれている。
レストラン・エル・クラウストロでは、液体窒素で回りを凍らせたサルモレホスープやデザートなど、現代的なスペイン料理が楽しめる。
ホテルのフロントが近代的なので、雰囲気のある客室の高い天井も、(写真と違うほうの)パティオの木製廊下も、複製だと思っていました。 -
ホテルで休憩して、
20:30 アルバイシンの展望レストラン「カルメン・ミラドール・デ・アイシャ」へ行きました。
タクシーで、上り坂をぐるぐる上がります。
レストランの入口を入ると、すぐアルハンブラ宮殿が大きく見えて、3人とも「わ〜っ!」と声をあげたので、
レストランのおじさんが、うれしそうに笑っていました。
まだ2組目の客だったので、テラスの一番前の席をくれました。
(最後のグラナダ王ボアブディルの母親が、王妃アイシャ)
(カルメン : 大きな庭を持つグラナダの家のことで、噴水とぶどう棚や糸杉の日よけが配される。)
(ミラドール mirador : 張り出し窓) -
ライトアップされたアルハンブラ宮殿も、幻想的で素敵でした。
時々、白い光がピカッと光っていました。アルハンブラのナイトツアーの人達のフラッシュでしょう。
料理もおいしくて、リオハ産赤ワインを飲みながら、2時間も眺めていました。
(肉眼には、明るい時のほうが大きく見えます。)
明日は、あのアルハンブラ宮殿に行きます。
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この旅行記へのコメント (5)
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- ニッキーさん 2011/10/02 00:18:38
- 旅行記見に来ました。
- prinprinさん やっと旅行記拝見しました。
さすがは個人旅行なので、セビリア、コルドバをたっぷり回っていらっしゃって羨ましいです。
ビアナ邸ってとてもきれいなお庭があるんですね。
中庭がたくさんあるなんてすてきです。行きたかったなー。
それからカラオラの塔。
中は博物館だとは知っていましたが、展示がなかなか面白そうですね。
展示物の写真はあまり見たことがありませんでした。
貴重なのではないでしょうか?
次はいよいよアルハンブラ宮殿ですね。
楽しみにしています。
ニッキー
- prinprinさん からの返信 2011/10/04 13:18:47
- RE: 旅行記見に来ました。
- ニッキーさん、こんにちわ
?ヘネラリーフェ、拝見しました。とても、良かったです。
私疲れて、ヘネラリーフェに行かなかったんです。見れてヨカッタし、
グラナダの旅行記を書いているのですが、暗くてシャッターが長かったせいか手振れで、室内はほとんど撮れてなくて困ってしまいました。(フラッシュを使わなかった気がします。)
ニッキーさんの旅行記を見て、楽しむことにします。
ライオンの中庭は、柱の1m位までビニールを貼って工事をしていて、見る影もなかったです。上の方も、遠くてよく見えませんでした。
室内のライオンさんたち、写真撮っても減るもんじゃなし、撮らせて欲しかったよね。
続き、楽しみにしています。
- ニッキーさん からの返信 2011/10/04 17:38:33
- RE: 写真、同感です。
- ホント、暗い場所の撮影は難しいですね。
というか私はオートで撮るしかわからないので、難しいも何も良くわかってないんですけどね。
仕方がないので、少々ならブレ写真でも載せちゃってます。
ライオンさんは、私も写真撮らせて欲しかった〜
ライオンの庭が工事中なんですもの、撮らせてくれてもいいですよね。
ヘネラリーフェ、楽しんでくださって嬉しいです。
長い旅行記ばかりで恐縮です。
またよろしくお願いします。
ニッキー
-
- churros さん 2011/09/30 08:48:06
- 拝見しましたグラナダ編
- pirnprinさん、おはようございます。
コルドバの観光は観る処がまとまっているので暑い時期でもイイですよね、ミサで良かったですね6エウロ儲うかっちゃった、ちょっとセコイ考え方でしたね。
「カルメン・ミラドール・デ・アイサ」は良かったでしょ〜、グラナダの一番のお奨めなんですよ、年代物の木で作った椅子に座り心地の良い籐で編んだ座り面、自宅に持って帰りたいくらい気に入りました、アーチ型の窓の外の夜景は料理よりも美味しい一品ですよね〜。
churros
- prinprinさん からの返信 2011/10/01 22:28:10
- RE: 拝見しましたグラナダ編
- churrosさん、こんにちは。
カルメン・ミラドール・デ・アイサは、本当に素晴らしくて、忘れられない日になりました。ありがとうございました。
UPした旅行記が気になって、しょっちゅう編集するので、なかなか進みません。
旅行記を書いていると、これも見たかった・あれもしたかったというのが出てきて、またアンダルシアに行きたくなりますね。
グラナダの旅行記を書おうとしているのですが、手振れでほとんど撮れてなくて困っています。
ちょっと休憩にして、スペインを懐かしんで地中海風の料理を作ったりしてるので、またぼちぼち書きます。
円高すごいですね、ハワイ楽しんできてください。
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