2011/08/24 - 2011/09/07
583位(同エリア2816件中)
prinprinさん
- prinprinさんTOP
- 旅行記82冊
- クチコミ127件
- Q&A回答41件
- 288,138アクセス
- フォロワー31人
↑スペインで一番美しいと言われるシベーレス広場です。(市庁舎本部)
初めてのスペイン10泊。 内、マドリッド4泊。
「アンダルシアは40℃を超える」とガイドブックで読んで、ビビりましたが、大丈夫でした。一番暑い時期は、もう過ぎたんだと思います。
セビーリャでも、東京を少し乾燥させたくらい。朝(?9:00)は、長袖のカーディガンが必要です。
過去行ったヨーロッパはどこもそうでしたが、雨が降ると夏でも寒いです。
でも、乾燥が半端じゃありません!
冷房と乾燥のダブルパンチだと思いますが、喉がイガイガして、3人とも(娘は3日後、私は7日後から)咳をするようになりました。
顔がパリパリして、シワがよるほどです。リップクリーム、栄養クリームはお忘れなく。私は完全に肌荒れしたので、オロナインを持っていて助かりました。
甘酸っぱいキャンディーも、持っててヨカッタ。 生ハムになりそうです!
8月25日(木)
マドリッドは、スイスの首都より高い標高800mにあります。
行きたかった所は1日で全て廻ることができました。 1日で廻れなければ、セゴビア日帰りか、トレド日帰りの夕方に行こうと思っていましたが、丸1日よく歩きました。
5か所入りましたが、全て館内撮影禁止でした。
日本語のマドリッド観光情報 http://www.esmadrid.com/ja/portal.do?IDM=106&NM=1
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
マドリッドの歴史:
16~17世紀の大航海時代「陽の沈まない国」と言われた。
1561年、それまでスペイン各地を転々としていた宮廷を、フェリペ2世(父はカール5世。カール5世の母方の祖母が有名なイサベル女王)が、スペインの中央に位置するマドリッドに移した。
(カール5世は神聖ローマ皇帝としての名前で、ヨーロッパではそれぞれの国の言語で呼ぶので、スペイン語ではカルロス・キントと呼びます。スペイン王としてはカルロス1世という名前があるので、ひ孫のカルロスは2世となります。)
フェリペ3世 (病弱で、怠惰王と呼ばれた)の時代に、マドリッドは正式に首都として定められ、街の整備がすすめられた。(マヨール広場など)
黄金の世紀は幕を閉じます。
フェリペ4世も政治に関心がなく、目利きとしてヨーロッパ最高の美術コレクションを築き、後のプラド美術館の礎となりました。(ベラスケスを重用した王様)
次のカルロス2世は度重なる近親婚が祟って病弱で、子孫を残さず死亡して、1700年スペイン・ハプスブルグ家は断絶。
1702年スペイン継承戦争(英国、オランダ、オーストリア、カスティーリャ(バルセロナ)等が反対した)の結果、フランス太陽王ルイ14世の孫フェリペ5世の即位でスペイン・ブルボン朝が始まる。
カルロス3世は、啓蒙(迷信や偏見を打ち破り、合理的、理性的に社会を改革しようという、フランスの先進的思想) 君主で人格者として尊敬を集め、荒廃していたマドリッドの再開発を行い、現在の街並みを造った。(プラド通りやシベレス広場の噴水)
←プエルタ・デル・ソル広場の(マドリッドの紋章を表した)クマとヤマモモの像。この広場の騎馬像が、カルロス3世。 -
デスカルサス・レアレス修道院: ソル駅より徒歩5分
着いたのは、まだ開館前でした。10:05入館
撮影不可。入館は、1時間のガイド付きツアーのみ。日本語なし、英語もこの日の午前は12:00のみ。20人位ずつグループになって進みます。
ガイドさんがていねいに説明してくれるんだけど、英語は一言もない。「プラド」「ルーベンス」しか聞き取れなかった。
でも、ゆっくり廻れて良かったです。
木枠の窓がある廊下に囲まれた中庭も、趣があります。
最新号の「地球の歩き方2011?12」には5ユーロとあったが、7ユーロになっていた。
16世紀半ば、ここは独身を貫き神に仕えることを選んだ王侯貴族の子女が共同生活をおくる場でした。彼女たちが納める持参金で修道院は豊かな財力を得ました。
しかし20世紀を迎える頃、修道女たちの生活は困窮するようになったため、教皇が、美術館として収蔵品を公開することを特別に許しました。
伊達政宗に遣わされた支倉常長は、スペインに到着4か月後、フェリペ3世が臨席の元、この修道院で洗礼を受けました。
聖遺物保管室(未公開)には、フェリペ3世に贈った、らでん漆の洋風宝箱が展示されています。
娘が宗教画の説明をしてくれた。私は初めて知ることだらけで、おもしろかった。なるほど、キリスト教絵画って、場面が決まっている。
→旅行記「キリスト教宗教画の見かた」にしました。
娘によると、待合室の大きな4枚の絵は、新約聖書にある4つの福音書の筆者(4大使徒)。
内部は、壁一面の壁画、山ほどの宗教画、金銀の宗教的な宝物。宗教画の他は、王様の家族の絵が大階段に1枚あるだけ。 -
デパート・エル・コルテ・イングレスで水を買い、歩いて15分、エンカルナシオン修道院
←写真がなくてごめんなさい。 ここの近く、王宮前にいたホースガードです。
撮影不可。7ユーロ。←「歩き方」には3.6ユーロとなっているけど、ここも入館はスペイン語のカイドツアー50分のみ。
12:05の見学ツアーに参加。宗教画、宗教的な宝物がたくさん。上記修道院より小ぶり。
違うのは、王様の家族の肖像画がたくさんある部屋と、宝物を天井まで陳列した納骨室。天井近くに並んだ顔像の台座に、骨らしき物が見える。
ここにあった、みんなが覗き込んでいた十字架が、年に1度液化するという殉教者・聖パンタレオンの血かな?(木みたいだった) -
歩いて5分、マドリッド王宮: 13:54
10.0ユーロ、撮影禁止。カメラを持った東洋人が、女性警備員に撮影の中身をチェックされていた。
外観はさっぱりしてるけど、中はどの部屋もコッテリやな?!
住みたいとは思わない。たしかに、今の王様は他の所に住み、行事の時だけここを使うそうだ。
1700年、カルロス2世は子を残さず死去して、ハプスブルグ家が断絶。
イスラム教徒がキリスト教徒と戦うために建てた要塞の跡地に、ハプスブルグ家が建てた王宮は、1734年の火災で焼失してしまい、
ブルボン家フェリペ5世がそこに新しい王宮の建設を命じた。
17年かかって1755年完成。息子カルロス3世から1931年まで歴代国王の居城となった。 -
1789年フランス革命。
1799年ナポレオンがフランスの政権を掌握した。
(愚王カルロス4世の時)イベリア半島にも侵攻、
1808年ナポレオンの兄がスペイン王に就き、ブルボン王家が一時中断した。
マドリッド王宮の中には、銀のお宝がたくさん展示されていましたが、兄ナポレオンの時代にもっと沢山の銀を溶かして使ってしまったらしい。
兄ナポレオンが、修道院にあった美術品の目録を作らせたのが元になって、ナポレオン美術館を作ろうと思いつき、プラド美術館ができた。
カフェで休憩。メロンとスイカ、冷えてるけどおいしくない。バイキングの昼食もあった。
自動販売機のミネラル・ウォーターは1.50ユーロ。エル・コルテ・イングレスは、0.22ユーロだったよ。 -
地下鉄に乗るために、スペイン広場まで15分歩いて行きました。
白いセルバンテスの像と、その前にドン・キホーテとサンチョパンサの像。
高層ビルに囲まれており、そんなに大きな広場ではありません。
「ゲルニカ」と、プラド美術館に行くために、地下鉄でプエルタ・デル・エスパーニャ駅からアトーチャ駅へ。ソフィア王妃芸術センターで、ピカソ「ゲルニカ」とピカソを集めた部屋と、ミロを少しだけ見て出る。
スペインは1936~39年、フランコ将軍が人民戦線政府(共和派・社会主義勢力)に反乱を起こし、内戦になった。フランコはナチスドイツに支援を頼み、1937年4月26日ゲルニカの町を空爆(史上初の無差別都市空爆)した。
その年ピカソは、パリ万国博覧会のスペイン館の壁画を依頼されており、2か月弱で「ゲルニカ」を描き上げた。
フランコ将軍が勝ち、1937~75年までフランコ政権が続く。「ゲルニカ」はスペインに帰れず、アメリカMoMa美術館で展示されていた。スペインに帰ってきたのは1981年、最後の亡命者の帰還と言われた。 -
王立植物園の横を10分歩いて、プラド美術館:
ムリーリョ口は出るだけ、中央ベラスケス口は閉まっていて、前美術館で3美術館共通券(17.6ユーロ)を買っていたが、チケット売り場・ゴヤ像のあるヘロニモス口しか入れなかった。
展示物が多すぎるが、一番記憶に残っているのは、並んで展示されていたゴヤの代表作「裸のマハ」と「着衣のマハ」。日本で2ついっしょに見れる事は無いもんね。
ゴヤ(1746〜1828年)
28歳、王立タペストリー工場の原画画家になる。→(まだ美術館がない時代)王家のコレクションを真近で見れる。
高く評価されるようになって、43歳、カルロス4世によって宮廷画家になる。
46歳、油絵の具の鉛中毒で聴覚を失う。
マハ(小粋な女)のモデルは諸説あるが、
筆頭はゴヤのパトロンで愛人と言われ、スペイン一の名門で大金持ち、美貌も合わせ持つ、第13代アルバ女公爵(未亡人)。
また、精力絶倫だった首相ゴドイの愛人ペピータとも、顔と体はモデルが違う、とも言われる。
首相ドゴイは、(愚王カルロス4世の)王妃マリア・ルイサの愛人で、アルバ女公爵とも愛人の時期があった。
先に、1797〜1800年「裸のマハ」が描かれ、アルバ女公爵が死後(王妃とゴドイが毒殺したと言われる)、「着衣のマハ」が描かれた。
ゴヤが描いた王妃マリア・ルイサの家族の絵もプラドにありました。(王妃の両側の2人の子は、ゴドイの子らしい。左奥に絵を描くゴヤも描いています。)
←台座には「裸のマハ」が寝そべっています。
ゴヤが生きたのは、時代の変わり目(フランス革命の前後)でした。王族の肖像画だけでなく、ナポレオンがスペインに攻めて来た時の惨状(スペイン独立戦争)も多数描きました。その「プリンシペ・ピオの丘での銃殺」もプラドにありました。 -
首相ゴドイが失脚逮捕された後、絵画コレクターでゴヤのパトロンでもあったドゴイの邸宅から、2枚の「マハ」が発見された。
スペイン帝国が没落の一途をたどったこの時代、まだ裸の女性を描くのは極めて危険な事だった。
そのため、ゴドイの依頼を受けて描かれたものと言われている。
裸婦を描いたゴヤは異端審問にかけられたが、晩年も沈黙を守り続けたのでその神秘性を深める事となった。
絵は100年近くプラド美術館の地下にしまわれ、公開されたのは1901年のことだった。
ゴヤは、王宮の西のマンサナレス川西岸に9haもの別荘を持つほどでしたが、フェルナンド7世の圧政に絶望し、異端審問や親フランス(ナポレオン)派だった事でスペインに居づらくなったのか、晩年亡命するようにフランス・ボルドーに移り住み、4年後(1828年)82歳で亡くなりました。
若い頃のタペストリー原画として描いた絵は明るいのに、絶頂期には陰鬱になり、晩年の絵は暗く、特に77歳で描いた「我が子を食らうサトゥルヌス」は、グロテスクだった。
←シベーレス広場の市庁舎本部(コムニカシオネス宮殿)。
ここのバンコ・デ・エスパーニャ駅からホテルに帰りました。
この向いの赤レンガの大きな建物が、元・アルバ公爵邸(ブエナビスタ宮殿)。
現在の第18代アルバ女公爵は、50以上の爵位を持つ大金持ちだそうだ。 -
ホテルで休んでから、夕食に行きました。ソル駅のホテルから歩いて8分、マヨール広場:
アフリカ風の音楽とダンスをする人たちが、盆踊りみたいに輪になって踊っていました。
広場の四方を囲むアーケード部分にはレストランや土産物店が並び、テラス席も出ています。役所関連のオフィス、観光案内所などの他、今でも住宅が入っています。
広場中心に立つ騎馬像は、マヨール広場を造らせた怠惰王ハプスブルグ家フェリペ3世。 (当時プロテスタントに改宗した王家とは結婚できず、フランス王家、ポルトガル王家と仲が悪かったので、彼以降オーストリア・ハプスブルグ王家と近親結婚を重ねることとなった。) -
北側の建物(1590年築のカサ・デ・ラ・パナデリア)には、きれいなフレスコ画が描かれています。
国王や貴族が催し物を見学した、いわばロイヤルボックス。
市場、王室や行政の儀式、拷問や宗教裁判の焚刑、闘牛が開かれ、広場を取り囲むバルコニーからその様子を眺めることができた。
3年かけて1619年に完成、400年近く残る広場。
3度の火災や大改装の後、現在の赤い壁に囲まれた状態となったのは1953年のこと。
メソン・チャンピニヨン:
奥にテーブル席が10卓くらい。
ドリンクメニューは日本語。料理のメニューも写真付きなので、注文しやすかった。
看板メニューのマッシュルーム(6.2ユーロ)など食べました。量が多くて、安い。
オルガン弾きがいて、宇多田光、現代風「さくらさくら」、ビートルズなど弾いた。リクエスト曲も訊いてくれる。3人で、43.4ユーロ。
サン・ミゲル市場(混んでました)を横目に通り、エル・コルテ・イングレスで、水1.5リットル(0.27ユーロ)3本を買って、ホテルに帰る。明日から、小分けにして持ち歩きます。日本から粉末のポカリスエットを持って行きました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2011夏: スペイン&ミラノ
-
2.生ハムになりそう、初めてのスペイン~マドリッドの歴史
2011/08/24~
マドリード
-
1.直行便のないスペイン アエロフロートで到着
2011/08/24~
マドリード
-
☆キリスト教宗教画の見かた。
2011/08/24~
マドリード
-
3.セゴビア日帰り アルカサル、こんな陸の巨塔によく住むわ
2011/08/24~
セゴビア
-
4.トレド日帰り アルカサルと迷路で疲れて、体力が続かなかった
2011/08/24~
トレド
-
5.日曜のセビーリャ(1日目) アトーチャ駅より
2011/08/24~
セビリア
-
6.歴史にハマッた、セビーリャ(2日目) 月曜なのにアルカサルが開いてた
2011/08/24~
セビリア
-
7.歴史にハマッた。コルドバの神秘的なメスキータと グラナダの夜景
2011/08/24~
コルドバ
-
8.歴史にハマった グラナダ。 もう1度行きたいアルハンブラ宮殿
2011/08/24~
グラナダ
-
9.3軒のモデルニスモ建築 バルセロナはボッタ!
2011/08/24~
バルセロナ
-
10.すてき!サグラダファミリア(バルセロナ2日目)
2011/08/24~
バルセロナ
-
11.コモ湖 しっかり働けイタリア人
2011/08/24~
コモ
-
12.歴史にハマッたミラノ スリにあいそうになった!
2011/08/24~
ミラノ
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
マドリード(スペイン) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2011夏: スペイン&ミラノ
0
10