桂林 旅行記(ブログ) 一覧に戻る

桂林のホテルに到着したのは夜遅くなってからでした。<br /><br />桂林というところは、風光明媚な小さな町だと勝手に想像していましたから、空港からの車窓に見た大きな街並みを見て<br />「結構大きな街だな」<br />と思ったものでした。それは、日本で言えば地方の県庁所在都市という感じでしょうか。それでも、びっくりでしたけどね。<br /><br />さて、一夜が明けて、きょうは桂林市内の観光です。<br />桂林は風光明媚で且つ、歴史のある町でした。<br />桂林市内を走っているだけでも、カルスト地形の独特の形をした山が遠くにも・近くにも数多く見られ、桂林に来たことを実感させてくれます。川のある風景も心を癒やされます(川のお蔭で、洪水に見舞われやすい町でもあるようです)。<br />歴史遺産としては、なにより明代初期に建設された靖江王府があげられるでしょう(靖江王府は、広西師範大学のキャンパスの一つに使われていますが、様々な展示があって私たち観光客も入場料を払って区域内に入ることが出来ます)。<br />もともと早くから都市が形成され、唐代には城郭も形成され、貨幣も鋳造されていた街だったようです。この時の城郭は「外城郭」で、靖江王府は内城と言われていたようです。<br />ですから、市内各地に様々な歴史の名残りを見ることが出来、これもまた桂林の大きな魅力ですね。<br /><br />ところで、桂林というのはどこの省?だと思われますか? 私は広東省か四川省かな?と思っていました。 それがね、全く的外れで、広西チワン族自治区というところなんですよ。また、桂林は中国語読みで「コイリン」というのだそうです。皆さんご存知のことなのに、私は今ごろ今ごろ気がつきました。これも、旅に出たからなんですね(^O^)(~o~)<br /><br />それでは、桂林観光に出掛けましょう。<br />「おかあさん、バスに乗るよ〜(^_^)」<br /><br /><br />(※)地図は右上の「航空写真」に切り替えてご覧下さい。<br />  「地図」ですと、位置がずれます。

桂林・漓江下りと長江クルーズ(その2・桂林)

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2011/03/06 - 2011/03/19

40位(同エリア708件中)

    116

    桂林のホテルに到着したのは夜遅くなってからでした。

    桂林というところは、風光明媚な小さな町だと勝手に想像していましたから、空港からの車窓に見た大きな街並みを見て
    「結構大きな街だな」
    と思ったものでした。それは、日本で言えば地方の県庁所在都市という感じでしょうか。それでも、びっくりでしたけどね。

    さて、一夜が明けて、きょうは桂林市内の観光です。
    桂林は風光明媚で且つ、歴史のある町でした。
    桂林市内を走っているだけでも、カルスト地形の独特の形をした山が遠くにも・近くにも数多く見られ、桂林に来たことを実感させてくれます。川のある風景も心を癒やされます(川のお蔭で、洪水に見舞われやすい町でもあるようです)。
    歴史遺産としては、なにより明代初期に建設された靖江王府があげられるでしょう(靖江王府は、広西師範大学のキャンパスの一つに使われていますが、様々な展示があって私たち観光客も入場料を払って区域内に入ることが出来ます)。
    もともと早くから都市が形成され、唐代には城郭も形成され、貨幣も鋳造されていた街だったようです。この時の城郭は「外城郭」で、靖江王府は内城と言われていたようです。
    ですから、市内各地に様々な歴史の名残りを見ることが出来、これもまた桂林の大きな魅力ですね。

    ところで、桂林というのはどこの省?だと思われますか? 私は広東省か四川省かな?と思っていました。 それがね、全く的外れで、広西チワン族自治区というところなんですよ。また、桂林は中国語読みで「コイリン」というのだそうです。皆さんご存知のことなのに、私は今ごろ今ごろ気がつきました。これも、旅に出たからなんですね(^O^)(~o~)

    それでは、桂林観光に出掛けましょう。
    「おかあさん、バスに乗るよ〜(^_^)」


    (※)地図は右上の「航空写真」に切り替えてご覧下さい。
      「地図」ですと、位置がずれます。

    同行者
    カップル・夫婦(シニア)
    交通手段
    観光バス 徒歩
    利用旅行会社
    ツアー(添乗員同行あり)
    旅行の満足度
    5.0
    観光
    5.0
    ホテル
    5.0
    グルメ
    4.5

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    • 一夜明けて、ホテルから見えた桂林の景色です。<br /><br />お天気は曇りですが、何となく靄が張り、よどんだ感じの風景になっていました。<br />自然の靄なのか? 排ガスなのかと余計なことまで考えてしまいましたね。<br />写真の真ん中を流れる川は、私たちが目指してきた漓江です。

      一夜明けて、ホテルから見えた桂林の景色です。

      お天気は曇りですが、何となく靄が張り、よどんだ感じの風景になっていました。
      自然の靄なのか? 排ガスなのかと余計なことまで考えてしまいましたね。
      写真の真ん中を流れる川は、私たちが目指してきた漓江です。

    • ホテルの前に見える湖は、「杉湖」とのことです。<br />丸く突き出しているところは、何でしょう?<br />時間があったら行ってみたいですね。<br />湖には二つの塔もありますし、写真を撮りに行くとイイでしょうね。

      ホテルの前に見える湖は、「杉湖」とのことです。
      丸く突き出しているところは、何でしょう?
      時間があったら行ってみたいですね。
      湖には二つの塔もありますし、写真を撮りに行くとイイでしょうね。

    • 杉湖の中に浮かぶ九重の塔は「日月双塔」と言われ、大小二つの塔があります。金と銀に輝く双塔とも言われています。  手前が日塔(金色)で9階建て(41メートル)で、後に重なって見えるのが月塔(銀色)で8階建て(35メートル)だそうです。<br /><br />二つの塔は銅で建築されているとのことで、世界的にも珍しいとのことです。この二つの塔は水面下で繋がっているというのですから、面白いですね。<br /><br />★杉湖と「日月双塔」の場所は↓にて。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&amp;msa=0&amp;msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&amp;ll=25.273849,110.291346&amp;spn=0.005685,0.004914&amp;t=h&amp;z=18&amp;iwloc=00049ff093832eb447f37

      杉湖の中に浮かぶ九重の塔は「日月双塔」と言われ、大小二つの塔があります。金と銀に輝く双塔とも言われています。 手前が日塔(金色)で9階建て(41メートル)で、後に重なって見えるのが月塔(銀色)で8階建て(35メートル)だそうです。

      二つの塔は銅で建築されているとのことで、世界的にも珍しいとのことです。この二つの塔は水面下で繋がっているというのですから、面白いですね。

      ★杉湖と「日月双塔」の場所は↓にて。
      http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&msa=0&msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&ll=25.273849,110.291346&spn=0.005685,0.004914&t=h&z=18&iwloc=00049ff093832eb447f37

    • きょうは桂林市内を観光する予定です。<br />先ずは朝ご飯をいただいて、一日のパワーを付けましょう(~o~)<br /><br />これはお決まりの料理でした(-_-;)<br />大型客船のようにあれもこれもと食べられるわけではありません。

      きょうは桂林市内を観光する予定です。
      先ずは朝ご飯をいただいて、一日のパワーを付けましょう(~o~)

      これはお決まりの料理でした(-_-;)
      大型客船のようにあれもこれもと食べられるわけではありません。

    • きょうは靄が酷いですね(-_-;)<br /><br />私たちの部屋の正面に見えるあの山は、桂林では有名な「象鼻山」のような気がするんですが、ちょっと自信がないです(-_-;)<br />きょうの観光の結果で分かるかも知れませんけどね。

      きょうは靄が酷いですね(-_-;)

      私たちの部屋の正面に見えるあの山は、桂林では有名な「象鼻山」のような気がするんですが、ちょっと自信がないです(-_-;)
      きょうの観光の結果で分かるかも知れませんけどね。

    • 早くもバスを降りて独秀峰に向かっているところですけど、城壁のような壁が現れました。<br /><br />この城壁は周囲約1.5Km(東西250m、南北500m)で、城壁の表面は方形の石が積まれ、内側には砂と砕石が打ち固められているとのことです。東西南北にそれぞれ門がひとつずつ設けられているようです。<br />ヨーロッパの城壁は石とローマンコンクリートで造られたようなものが多いですが、こちらは砂と採石で固めた上に、表面を四角な石で積み固めているんですね。<br /><br />★↓はドイツ・ハイデルベルク城の城壁です。<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20235796/src.html

      早くもバスを降りて独秀峰に向かっているところですけど、城壁のような壁が現れました。

      この城壁は周囲約1.5Km(東西250m、南北500m)で、城壁の表面は方形の石が積まれ、内側には砂と砕石が打ち固められているとのことです。東西南北にそれぞれ門がひとつずつ設けられているようです。
      ヨーロッパの城壁は石とローマンコンクリートで造られたようなものが多いですが、こちらは砂と採石で固めた上に、表面を四角な石で積み固めているんですね。

      ★↓はドイツ・ハイデルベルク城の城壁です。
      http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/20235796/src.html

    • どうやら棋生募集のようですね。<br /><br />囲碁は中国の占星術が変化・洗練されものと言われるようですから、やっぱり中国が本場なんですね。<br />囲碁はとっても複雑な思考を要するゲームのようで、未だにコンピュータの囲碁ソフトが人に勝てないそうです。<br />日本の囲碁と中国の囲碁とでは、どちらが強いのでしょうか??(^o^)<br /><br />左側のマンガが、あまりにも見慣れてしまってるような感じですね〜(^o^)

      どうやら棋生募集のようですね。

      囲碁は中国の占星術が変化・洗練されものと言われるようですから、やっぱり中国が本場なんですね。
      囲碁はとっても複雑な思考を要するゲームのようで、未だにコンピュータの囲碁ソフトが人に勝てないそうです。
      日本の囲碁と中国の囲碁とでは、どちらが強いのでしょうか??(^o^)

      左側のマンガが、あまりにも見慣れてしまってるような感じですね〜(^o^)

    • ↑の城門を入ってから、振り返って見た様子です。<br />城壁はかなり厚い感じですね。昔はこの上に建物があったようです。<br /><br />門の上に「状元及第」と書かれていますが、「状元」とは昔の中国の官吏登用試験(科挙)でトップの成績を取った人を指す「称号」のようです。<br /><br />科挙に合格するとうのは大変困難なことで、幼いころから朝から晩まで一日も欠かさず哲学・文学・史学・古典ほかあらゆる分野の勉強をし、それらを徹底的に丸暗記しなければならないというのです。問題はそうした「知識」が誰のためにどう使われるか!ですけど、そこまで言ってしまうとちょっとガッカリしますね。<br /><br />状元に及第した人はいきなり「従六品」という官職を与えられるなど、地位・名誉・権力の最短コースを駆け上がり、大きな富を持つことが出来たそうです。それは確かに目出度いことですが、どうしてそれが門の上に書いてあるのか?<br />それは、桂林出身の竜啓瑞(1814〜1858)が状元に及第したことで作られたもののようです。一旦は壊されたものの、竜啓瑞以後に2人が状元となって国中を驚かせたので、また再建したというのです。中国で一番困難な試験をトップで合格した人が地元から出たなんて言えば、誰でもびっくりしますし記念したくなりますねぇ(^o^)<br /><br />ちなみに、二番目の成績の人は「榜眼及第」と呼ばれるそうです。官僚登用試験を受ける人なんて相当にアタマのいい人たちですね(-_-;) <br />また、日本人の「阿倍仲麻呂(698〜770年)」も、科挙に合格し結構な高級官僚に出世したようです。<br /><br />日本では、官吏登用試験の主席合格者への称号など、なかったとのことです。<br />中国って意外な面があったのですね。<br /><br />★科挙については↓をご覧下さい。<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99<br />★状元については↓をご覧下さい<br />http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%B6%E5%85%83<br />★阿倍仲麻呂のことは↓にて<br />http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22038990/<br />★本では、「科挙と官僚制(平田茂樹・山川出版社)」が、ページ数も少なくて、読みやすいです。

      ↑の城門を入ってから、振り返って見た様子です。
      城壁はかなり厚い感じですね。昔はこの上に建物があったようです。

      門の上に「状元及第」と書かれていますが、「状元」とは昔の中国の官吏登用試験(科挙)でトップの成績を取った人を指す「称号」のようです。

      科挙に合格するとうのは大変困難なことで、幼いころから朝から晩まで一日も欠かさず哲学・文学・史学・古典ほかあらゆる分野の勉強をし、それらを徹底的に丸暗記しなければならないというのです。問題はそうした「知識」が誰のためにどう使われるか!ですけど、そこまで言ってしまうとちょっとガッカリしますね。

      状元に及第した人はいきなり「従六品」という官職を与えられるなど、地位・名誉・権力の最短コースを駆け上がり、大きな富を持つことが出来たそうです。それは確かに目出度いことですが、どうしてそれが門の上に書いてあるのか?
      それは、桂林出身の竜啓瑞(1814〜1858)が状元に及第したことで作られたもののようです。一旦は壊されたものの、竜啓瑞以後に2人が状元となって国中を驚かせたので、また再建したというのです。中国で一番困難な試験をトップで合格した人が地元から出たなんて言えば、誰でもびっくりしますし記念したくなりますねぇ(^o^)

      ちなみに、二番目の成績の人は「榜眼及第」と呼ばれるそうです。官僚登用試験を受ける人なんて相当にアタマのいい人たちですね(-_-;) 
      また、日本人の「阿倍仲麻呂(698〜770年)」も、科挙に合格し結構な高級官僚に出世したようです。

      日本では、官吏登用試験の主席合格者への称号など、なかったとのことです。
      中国って意外な面があったのですね。

      ★科挙については↓をご覧下さい。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99
      ★状元については↓をご覧下さい
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%B6%E5%85%83
      ★阿倍仲麻呂のことは↓にて
      http://4travel.jp/traveler/2egatsrofsu/pict/22038990/
      ★本では、「科挙と官僚制(平田茂樹・山川出版社)」が、ページ数も少なくて、読みやすいです。

    • そしてやってきたのはココです。<br /><br />門の正面上には「靖江王府」って書いてあるけど、右側には「広西師範大学(こうせいしはんだいがく)」と書いてありますね。ヨーロッパでも見られるように、昔はお城か何かで、今では大学になっているというでしょう(^o^) 学生は3万人ほどで、教職員は2180人もいるそうです。<br /><br />門の真ん中でお姉ちゃんが頑張っているところを見ると、大学でありながら中に入るのにお金を取られそうな感じですね(これは、大学の収入源としての工夫なのか?)。

      そしてやってきたのはココです。

      門の正面上には「靖江王府」って書いてあるけど、右側には「広西師範大学(こうせいしはんだいがく)」と書いてありますね。ヨーロッパでも見られるように、昔はお城か何かで、今では大学になっているというでしょう(^o^) 学生は3万人ほどで、教職員は2180人もいるそうです。

      門の真ん中でお姉ちゃんが頑張っているところを見ると、大学でありながら中に入るのにお金を取られそうな感じですね(これは、大学の収入源としての工夫なのか?)。

    • 門の正面奥の方を覗いてみますと高い岩山があって、その上に仏塔のようなものがあります。

      門の正面奥の方を覗いてみますと高い岩山があって、その上に仏塔のようなものがあります。

    • 門を入ってしまうと、こういう感じになります。<br /><br />正面に聳えるのが「独秀峰」で、高さ70mとかです。足腰の弱い私にはその二倍くらいには見えましたね(^^;) 頂上への階段もとても急で、306段もあるそうです。<br /><br />正面の建物は「承運殿」というのだそうです。明の時代の1372年に建てられたもので、靖江王府の主要な宮殿とのこです。当時の靖江王がここで軍務をしたということです。<br />また、2度火災にも遇ったようですが、2度目の再建後は1947年で広西省政府事務所として使われたようです。<br /><br />ところで、靖江王府とは何なのでしょう。<br />「王城」とも言われますが、多くの場合「王府」と呼ばれています。<br />「靖江王府」は、明の太祖洪武帝(明の初代皇帝・〔本名・朱 元璋〔しゅ げんしょう〕」、1328年10月21日生、在位1368年 − 1398年)が全国の支配体制確立のために一族を各地に配置した一環として、1370年に甥の子である朱守謙をこの地に靖江王として配置し(封じ)、この地域の支配の拠点として建設されたもののようです。桂林は明が滅亡する(1644年)まで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていたとのことです。<br />この時洪武帝が親族を封じた地方国家(日本の藩のようなもの?)は、18にのぼると言われていますが、桂林を除く17の地方では1368年に配置が完了していたのです。桂林だけが二年後の1370年になって甥の子を配置してきたのです。

      門を入ってしまうと、こういう感じになります。

      正面に聳えるのが「独秀峰」で、高さ70mとかです。足腰の弱い私にはその二倍くらいには見えましたね(^^;) 頂上への階段もとても急で、306段もあるそうです。

      正面の建物は「承運殿」というのだそうです。明の時代の1372年に建てられたもので、靖江王府の主要な宮殿とのこです。当時の靖江王がここで軍務をしたということです。
      また、2度火災にも遇ったようですが、2度目の再建後は1947年で広西省政府事務所として使われたようです。

      ところで、靖江王府とは何なのでしょう。
      「王城」とも言われますが、多くの場合「王府」と呼ばれています。
      「靖江王府」は、明の太祖洪武帝(明の初代皇帝・〔本名・朱 元璋〔しゅ げんしょう〕」、1328年10月21日生、在位1368年 − 1398年)が全国の支配体制確立のために一族を各地に配置した一環として、1370年に甥の子である朱守謙をこの地に靖江王として配置し(封じ)、この地域の支配の拠点として建設されたもののようです。桂林は明が滅亡する(1644年)まで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていたとのことです。
      この時洪武帝が親族を封じた地方国家(日本の藩のようなもの?)は、18にのぼると言われていますが、桂林を除く17の地方では1368年に配置が完了していたのです。桂林だけが二年後の1370年になって甥の子を配置してきたのです。

    • こんな碑がありました。<br /><br />ちょっと見えにくいですが、上の方に「全国重点文物保護単位 靖江王府」と書いてあります。<br />日本流に言えば、「重要文化財」と言うことでしょうか(^^)<br /> <br />靖江王府造営は西暦1372年に建設が始められ、1393年に完成したとのことです。明朝が崩壊した後、(清代に)科挙の試験場である「貢院」に使われたそうです。中華民国の時代には孫文が北伐の司令部を置いたこともあり、日中戦争中の一時期には八路軍の一部が司令部を置いたこともあるとのことです。<br />まさに、歴史の証人ですね。<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

      こんな碑がありました。

      ちょっと見えにくいですが、上の方に「全国重点文物保護単位 靖江王府」と書いてあります。
      日本流に言えば、「重要文化財」と言うことでしょうか(^^)

      靖江王府造営は西暦1372年に建設が始められ、1393年に完成したとのことです。明朝が崩壊した後、(清代に)科挙の試験場である「貢院」に使われたそうです。中華民国の時代には孫文が北伐の司令部を置いたこともあり、日中戦争中の一時期には八路軍の一部が司令部を置いたこともあるとのことです。
      まさに、歴史の証人ですね。

      (Nさんご提供の御写真です)

    • そして、こんな案内図がありました。<br /><br />ちゃんと日本語表示もありましたよ〜!(^^)!(^_^)v<br />私たちは今、あの赤い●のところにます。<br /><br />この図によれば、先ほどの「状元及第」と書かれた門は「体仁門(大学地図では“東華門”)」と言うことになりますね。また、「広西師範大学」の看板が掛けられていた黄色の門は「承運門」になるということですね。<br />なんか、ちょっとややこしくなってきました(^^;)<br /><br />(Nさんご提供の御写真です)

      そして、こんな案内図がありました。

      ちゃんと日本語表示もありましたよ〜!(^^)!(^_^)v
      私たちは今、あの赤い●のところにます。

      この図によれば、先ほどの「状元及第」と書かれた門は「体仁門(大学地図では“東華門”)」と言うことになりますね。また、「広西師範大学」の看板が掛けられていた黄色の門は「承運門」になるということですね。
      なんか、ちょっとややこしくなってきました(^^;)

      (Nさんご提供の御写真です)

    • ↑の建物(承運殿)はあの階段を上ったところにあるのですが、真ん中の階段はエライ人しか上れず、一般庶民は両側にある階段を上るわけなんです。<br /><br />この時代だから、この階段を解放すればいいのにねえ。私はいいけど、当家のカミさんにはココを歩いて欲しかったね(^o^)

      ↑の建物(承運殿)はあの階段を上ったところにあるのですが、真ん中の階段はエライ人しか上れず、一般庶民は両側にある階段を上るわけなんです。

      この時代だから、この階段を解放すればいいのにねえ。私はいいけど、当家のカミさんにはココを歩いて欲しかったね(^o^)

    • 「承運殿」の入り口に控えていた可愛いお姉ちゃん(^-^)(*^_^*)

      「承運殿」の入り口に控えていた可愛いお姉ちゃん(^-^)(*^_^*)

    • 内部ではこんな展示がしてあります。<br />1200年ほど前の唐時代(618年− 907年)の桂林の地図のようです。<br />靖江王府が建設されたのは1370年代からですから、それ以前の桂林の様子が分かります。<br />これを見ますと、川に囲まれた中洲のようなところが城壁で固められていますね。凸凹の線は城壁だと思います。門を数えますと、12ヶ所あります。<br />これはヨーロッパの城郭都市のように、城郭都市と言える形だと思います。城郭の内部にたくさんの民家があるかどうかはちょっと分かりません。<br />唐代と言えば今から1750年も前のこと、興味深いですね。<br /><br />もうちょっと落ち着いて、丁寧に写真を撮れば良かったなと反省しております(-_-;)。<br /><br />この城郭の凸凹線をGoogle map 上で描いてみました。<br />↓をクリックして、赤い線ををご覧下さい。<br />線上でクリックされますと、説明がでます。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&amp;msa=0&amp;msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&amp;ll=25.257107,110.280279&amp;spn=0.010965,0.009774&amp;t=h&amp;z=17&amp;iwloc=0004a42567df74492c4ee<br />

      内部ではこんな展示がしてあります。
      1200年ほど前の唐時代(618年− 907年)の桂林の地図のようです。
      靖江王府が建設されたのは1370年代からですから、それ以前の桂林の様子が分かります。
      これを見ますと、川に囲まれた中洲のようなところが城壁で固められていますね。凸凹の線は城壁だと思います。門を数えますと、12ヶ所あります。
      これはヨーロッパの城郭都市のように、城郭都市と言える形だと思います。城郭の内部にたくさんの民家があるかどうかはちょっと分かりません。
      唐代と言えば今から1750年も前のこと、興味深いですね。

      もうちょっと落ち着いて、丁寧に写真を撮れば良かったなと反省しております(-_-;)。

      この城郭の凸凹線をGoogle map 上で描いてみました。
      ↓をクリックして、赤い線ををご覧下さい。
      線上でクリックされますと、説明がでます。
      http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&msa=0&msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&ll=25.257107,110.280279&spn=0.010965,0.009774&t=h&z=17&iwloc=0004a42567df74492c4ee

    • もうちょっと丁寧に撮るべきでした(T_T)<br /><br />この地図はちょっと歪んでいますね(~o~)<br /><br />桂林にこのような城が築かれるような街になったのも、秦の始皇帝が珠江の支流である漓江と揚子江の支流である湘江とをつなぐ 「霊渠(れいきょ)」という運河を建設したことから、桂林が物流の要衝となって発展してきたことによるとのことです。<br /><br /> 霊渠(れいきょ)というのは紀元前214年前に完成した世界最古の運河ということです。36もの水門で水位を調節しているとのことです。本来は軍事物資の輸送が目的のようでしたが、灌漑用として利用されて多くの農地を潤しているとのことです。現在はミニチュア模型でその様子を見ることが出来るそうです。<br />中国って、本当に先進的な経験が豊富なんですね。

      もうちょっと丁寧に撮るべきでした(T_T)

      この地図はちょっと歪んでいますね(~o~)

      桂林にこのような城が築かれるような街になったのも、秦の始皇帝が珠江の支流である漓江と揚子江の支流である湘江とをつなぐ 「霊渠(れいきょ)」という運河を建設したことから、桂林が物流の要衝となって発展してきたことによるとのことです。

      霊渠(れいきょ)というのは紀元前214年前に完成した世界最古の運河ということです。36もの水門で水位を調節しているとのことです。本来は軍事物資の輸送が目的のようでしたが、灌漑用として利用されて多くの農地を潤しているとのことです。現在はミニチュア模型でその様子を見ることが出来るそうです。
      中国って、本当に先進的な経験が豊富なんですね。

    • 「靖江王府(現・広西師範大学)」内にある岩山・独秀峰の写真です。<br />明日行く予定の、漓江下りで見る山々もこんな感じかと思わせるものがありますね。<br /><br />大学構内にこんな山があるなんて、羨ましいですね。

      「靖江王府(現・広西師範大学)」内にある岩山・独秀峰の写真です。
      明日行く予定の、漓江下りで見る山々もこんな感じかと思わせるものがありますね。

      大学構内にこんな山があるなんて、羨ましいですね。

    • 「靖江王府」の模型です。<br /><br />「靖江王府」の周囲は1783メートルとのことで、南北557.5メートル、東西336メートル、面積は18.7万平方メートルと言われています。城壁の高さ7.92メートル、厚さ5.5メートル、4つの門があります。<br />それだけでなくて、何度もお話ししています独秀峰もその中に含まれているのです。岩峰を庭園に見立てしまったのでしょうか?山城ならともかく、平地において岩峰を城の区域に含んでいるのは面白いですね。<br />そして、この時代の城と城郭がよく保存されているのは、中国でも珍しいと言われていて、<br />北の紫禁城、南の靖江王府と言われているとのことです。<br /><br />★↓は靖江王府の場所です。<br />http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&amp;ie=UTF8&amp;brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&amp;msa=0&amp;msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&amp;ll=25.282614,110.295589&amp;spn=0.01137,0.010482&amp;t=h&amp;z=17&amp;iwloc=0004a329710b2f05cda32

      「靖江王府」の模型です。

      「靖江王府」の周囲は1783メートルとのことで、南北557.5メートル、東西336メートル、面積は18.7万平方メートルと言われています。城壁の高さ7.92メートル、厚さ5.5メートル、4つの門があります。
      それだけでなくて、何度もお話ししています独秀峰もその中に含まれているのです。岩峰を庭園に見立てしまったのでしょうか?山城ならともかく、平地において岩峰を城の区域に含んでいるのは面白いですね。
      そして、この時代の城と城郭がよく保存されているのは、中国でも珍しいと言われていて、
      北の紫禁城、南の靖江王府と言われているとのことです。

      ★↓は靖江王府の場所です。
      http://maps.google.co.jp/maps/ms?hl=ja&ie=UTF8&brcurrent=3,0x34674e0fd77f192f:0xf54275d47c665244,0&msa=0&msid=215057171961161454984.00049cdfd36f42da20e4b&ll=25.282614,110.295589&spn=0.01137,0.010482&t=h&z=17&iwloc=0004a329710b2f05cda32

    • ↑の模型の反対側(実物で言う南側)です。<br /><br />中央の建物は大きいのですが、明らかに「ちゃんとした2階建て」と“見える”建て方はあんまりしなかったようですね(一階分が大きい割りに、その屋根と大屋根が接近した“中二階”的な建て方が多いように感じます。例=北京・天安門の建物など)。<br />その建て方の意味は、なんなのでしょうか?

      ↑の模型の反対側(実物で言う南側)です。

      中央の建物は大きいのですが、明らかに「ちゃんとした2階建て」と“見える”建て方はあんまりしなかったようですね(一階分が大きい割りに、その屋根と大屋根が接近した“中二階”的な建て方が多いように感じます。例=北京・天安門の建物など)。
      その建て方の意味は、なんなのでしょうか?

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      • by ちょびれ さん 2011/05/27 09:11:36
        ながーい中国の歴史!
        カメちゃんさん

        おはようございますです^^

        会長もぽちこさんも仰るように・・・むずかしー!だめだ・・・頭が回らない〜(汗)こんな旅行記を書けるのはアドバイザーカメちゃんでこそだ!と
        実感しました、もっと勉強しよう・・・50からの手習い・・・

        桂林のイメージ、水墨画のような景色・・・が大体の旅行会社のパンフレット
        にあるものだけど、都会の部分もあるんですね〜
        初めて知りました。

        ほんと、中国は広い!ひとつの国の中でも漢族だけでなくいろんな少数民族
        の方々もいるし、大都会と田舎とではこんなに違うのか!の部分は沢山
        ありそうですよね。
        習慣も文化もいろんな違いがありますものね〜

        ちょっと戸惑う場面も沢山あったかなー(笑)

        沢山の異文化体験をされて、実りある旅・・・ですね♪

        ちょびれ

        カメちゃん

        by カメちゃん さん 2011/05/27 12:51:32
        RE: ながーい中国の歴史!
        ちょびれさん こんにちは〜(^^)

        その後、余震などは減っているのでしょうか?
        気にはなりながら、コレといって何もできない私ですm(_ _)m

        桂林の旅行記をご覧いただいて、とっても嬉しく思います!!(^_-)!(^^)!

        > 桂林のイメージ、水墨画のような景色・・・が大体の旅行会社のパンフレット
        > にあるものだけど、都会の部分もあるんですね〜

        ちょびれさんも、桂林のイメージをこのように描いておられたんですか(~o~)
        私とおんなじで、ホッとしました!(^^)!
        これまでは中国といえば、北京とか上海などのイメージばかり・・。
        桂林があんなに大きな街で、しかも2,000年以上もの歴史ある街だなんて、分からなかったですね〜(^_^;)
        ホントに、行ってみないと分からないですね。

        > ほんと、中国は広い!ひとつの国の中でも漢族だけでなくいろんな少数民族
        > の方々もいるし、大都会と田舎とではこんなに違うのか!の部分は沢山
        > ありそうですよね。
        > 習慣も文化もいろんな違いがありますものね〜

        お話のように、元々が多民族で多文化で習慣もいろいろあるようですね。その上広大な国だけに、何ごともスンナリいかないなんてことも考えてしまいます。
        中国を見ていつも思うのは、こんな国をまとめるのは大変だな〜!!ということですね。

        それにしても中国は面白いですね!!
        1980年頃から急速に動き出した中国のこと、「遅れている〜!!」というのではなく、日本でいう100年の歴史を圧縮して、それを輪切りにした断面を見る感じがしますね。

        日本でも1960年代までは、大都市と田舎では大変な違いがありましたけど、中国の今はあの頃に似ているかな?なんて思いながら見ましたね(~o~)←都市の様相は変わりましたけど。 
        あの時代は、それを誰も「格差」なんて言わなかったし、その田舎が都市生活者の心の故郷として、またイザ!!というときの身の置き場として彼らを支えていたなんてことも、言われた時代でしたね。

        ちょっと余計なことまでお話ししてしまいました。
        これからもよろしくお願いしますね(^_-)
        ありがとうございました。
        カメちゃん
      • by ぽちこ さん 2011/05/14 23:19:49
        むむむ…
        こんばんは、カメちゃん^_^

        むずかし〜(+o+)
        難し過ぎる漢字の数々…(泣)

        読めない漢字がある…あてずっぽうでよいのか?

        さすが中国の旅行記です。
        カメちゃんやっぱさすがじゃね♪
        亀の甲より、年の功よりカメちゃんの孝!

        うまい♪
        座布団ちょうだい!

        私のお気に入りは銅で作ったというツインの塔。
        水面下でつながってるなんて夫婦みたい。

        ま、カメちゃん夫妻は堂々と地上でつながってますけど♪

          ぽちこ

        カメちゃん

        by カメちゃん さん 2011/05/15 15:26:35
        RE: むむむ…
        ぽちこさん こんにちは〜(^_^)v
        お返事遅くなってごめんなさいねm(_ _)m

        桂林編に早々とご訪問いただき、ありがとうございます!!(^_-)!(^^)!

        桂林と言えば、あの漓江下りのイメージしかなかったので(^_^;)、今回の旅行で桂林があんなに歴史ある街だったなんて、ホント、ちょっとビックリでした(-_-)

        > 難し過ぎる漢字の数々…(泣)

        感じの世界ですから、一部が読めて理解できるところなんか親しみを感じる中国ですが、やっぱり難しい漢字が多いですね。
        むしろ、簡単な英語表示の方が分かり易かったりすることがありますね〜(~o~)

        > 読めない漢字がある…あてずっぽうでよいのか?

        「あてずっぽう」ですっ飛ばすのがコツですよ〜〜(~o~)!(^^)!
        あんまり拘ると、頭が痛くなりますからね(^o^)

        > 亀の甲より、年の功よりカメちゃんの孝!

        嬉しいお話を!!(^-^)
        私は亀の甲ですよ!!なんてったって、「カメちゃん」ですから(~o~)
        亀の甲! カミさんに孝!(~o~)
        そういうことで頑張りたいと思っていますので、ご声援をよろしくね!!
        アッ、耐え妻会にも忠孝を尽くしますね!(^_-)

        > 座布団ちょうだい!

        嬉しいお言葉に、10枚!!(^_-)
        20枚あげたいけど、落ちそうだから止めとくね(^O^)
        10枚でも落ちないように頑張ってね!!

        > 水面下でつながってるなんて夫婦みたい。
        > ま、カメちゃん夫妻は堂々と地上でつながってますけど♪

        あれまぁ、水面下でコッソリと??(^-^)(*^_^*)
        でも、し・あ・わ・せ〜〜!!(^-^)(^_^)v

        当家では、「カカア天下」の張り詰めた空気で繋がっていますよ!!
        そうそう、ケータイで指令が来るから、電波でも繋がってるしね〜〜〜(~o~)
                      ↑やっぱりオトコは辛い!! 

        中国旅行記はこれからが本番です!!
        のんびり書きますけど、またのぞきに来て下さいね!!

        ありがとうございました。
        カメちゃん

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