2009/04/16 - 2009/04/16
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ドクターキムルさん
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奈良県吉野郡吉野町にある金峰山寺は天台宗単立の金峯山修験本宗の総本山のお寺で国軸山金峰山寺という。創建は7世紀後半で、開基は役小角(えんのおづぬ)と伝わる。本尊は蔵王権現である。
金峯山寺の所在する吉野山は、古来桜の名所として知られ、南北朝時代には南朝の中心地でもあった。「金峯山」とは、単独の峰の呼称ではなく、吉野山と、その南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳を含む山岳霊場を包括した名称であった。吉野山の金峯山寺と山上ヶ岳の大峯山寺(おおみねさんじ)とは、近代以降は分離して別個の寺院になっているが、近世までは前者を「山下(さんげ)の蔵王堂」、後者を山上の蔵王堂と呼び、両者は不可分のものであった。「金峯山寺」とは本来、山上山下の2つの蔵王堂と関連の子院などを含めた総称であった。
明治元年(1868年)に発布された神仏分離令によって、長年吉野山で行われてきた神仏習合の信仰は禁止され、寺院は廃寺になるか、神社に名を変えて生き延びることになる。明治5年(1872年)には追い討ちをかけるように修験道廃止令が発布され、1874年(明治7年)には中心寺院の金峯山寺も廃寺に追い込まれた。その後、明治19年(1886年)には「天台宗修験派」として修験道の再興が許され、金峯山寺は寺院として存続できることになった。ただし、山上の蔵王堂は「大峯山寺」として、金峯山寺とは分離され、今日に至っている。
昭和23年(1948年)に天台宗から独立して大峯修験宗が成立し、昭和27年(1952年)には金峯山修験本宗と改称、金峯山寺が総本山となっている。
黒門(金峯山寺の総門)を潜って暫く行くと仁王門が見える。仁王門から入ると巨大な蔵王堂(本堂)がある。大きくて中々カメラに納まらない。内部の柱には、ツツジ、チャンチン、梨などと称される柱が用いられ、原木の曲がりを残した自然木に近い柱のままで使われていることが特色である。また、豊臣秀吉奉納とされる金箔を施した柱もある。
お坊さんに尋ねると寺宝は火災や明治維新の廃寺などの混乱で殆んど残っていないという。実際には、仁王門と蔵王堂は国宝であるし、大和国金峯山経塚出土品も国宝になっている。また、相当数の重文もある。それでも多くの寺宝が失われているということであろう。
(表紙写真は金峯山寺蔵王堂)
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黒門。金峯山寺の総門である。昭和60年(1985年)に再興。
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銅鳥居(かねのとりい)(重文)。室町時代に再興。
聖地への入口を示し、吉野から大峯山(山上ヶ岳)までの修行道には発心門、修行門、等覚門、妙覚門という4つの門がある。 -
銅鳥居(かねのとりい)。神仏習合の名残りで鳥居がある。
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仁王門(国宝)。康正2年(1456年)の再興。
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仁王像(阿形)。
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仁王像(阿形)。
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仁王像(吽形)。
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蔵王堂(本堂)(国宝)。天正19年(1592年)に豊臣家の寄進で再建。
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蔵王堂(本堂)。
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蔵王堂(本堂)。
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蔵王堂(本堂)。前の石柵内に立つ銅燈籠(文明3年(1471年)銘)は重文。
四本桜は元弘3年(1333年)、北条軍に攻められた大塔宮護良親王が落城前に最後の酒宴を催した故地とされている。大塔宮護良親王は明治になって鎌倉宮(大塔宮)に祀られている。 -
鐘楼。
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威徳天満宮。
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威徳天満宮。
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威徳天満宮。
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威徳天満宮。
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威徳天満宮。
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久富大明神。
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吉富稲荷大明神。
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導之稲荷社。
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「金峯山蔵王堂」の標石。
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金峯山寺下を通る道。
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金峯山寺に園児(小学校低学年?)が参拝する。
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