2011/01/17 - 2011/01/18
222位(同エリア952件中)
mingさん
メキシコシティのど真ん中でアステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿が発掘された。ソカロはアステカ文明の盛衰、植民地支配、革命・内乱と歴史的な出来事の舞台であった。
【生活費】7万円
【飛行機】31万円
【通貨単位】1ペソ=8円
【英語通用度】5人に1人
【旅程】9日間
1/12ダラス→マイアミ
1/13リオデジャネイロ
1/14リオデジャネイロ
1/15イグアス
1/16イグアス
1/17メキシコシティ
1/18メキシコシティ
1/19メキシコシティ→ダラス
1/20帰国
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道
- 航空会社
- アメリカン航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(1)『メキシコシティ到着』
1/17 12:00にダラスを経由してメキシコのベニート・フアレス空港に到着した。
さらにメトロ(3ペソ=24円)を乗り継ぎ、13:00過ぎにアジェンデ駅近くのリオハに到着した。
中心街のソカロまで5分と近い割に1泊230ペソ(=1,840円)と安すぎたため、少し心配であった。
マヨ通りに入口をひっそりと構え、ソカロの喧騒から離れた落ち着いた環境であった。内装もコロニアル風のとても雰囲気の良いホテルであった。 -
(2)『テオティワカンへ』
14:00 到着日は月曜日で、休みの施設が多かったため、郊外のテオティワカンへと出発した。
メトロで北バスターミナルに向かい、そこからバスで乗った。所要1時間と地球の歩き方には書いてあったが、夕方の渋滞に巻き込まれ、1時間30分かかり閉館10分前の16:50にギリギリ入場することができた。 -
(3)『太陽のピラミッド』
太陽のピラミッドは高さ65m、底辺225mで、階段だけでも248段もある。
高さではエジプトの2つのピラミッドに劣るものの、容積では世界一の建造物である。
紀元後100年から250年頃にかけて建築された。
当時は最上階に木造で茅葺き屋根の神殿があった。
1971年に太陽のピラミッド中心部の地下に天然の洞窟と宗教色の強い器物が発見された。
この発見により、もともと洞窟信仰がされていた神域の真上にピラミッドが建設されたことが判明した。 -
(4)『テオティワカンの繁栄』
テオティワカンはメキシコ高原で最初に誕生した強固な中央集権国家である。紀元前350年から紀元後650年に最盛期を迎えており、マヤにもアステカにも属さない文明である。
テオティワカンの名前はアステカ人がナワトル語で「神々の都市(=テオティワカン)」と名付けたことに由来している。
14世紀初頭にメキシコ高原に到達したアステカ人がテオティワカンのスケールの大きさに驚き、「神が作った町だと思った」という有名な逸話が残っている。
町は海抜2400mの高原盆地に建設されたため、周囲の山々から運ばれる雪解け水が豊富で、土地が肥沃で、農業生産力も高かった。さらに近くにメソアメリカで有用な黒曜石の産地があったことも、テオティワカンが強大になった理由の一つとされている。
全盛期には人口が10万人から20万人だったと推定されている。人口の密集に耐え得るように、都市の住民が暮らす集合住宅まで建設された。 -
(5)『月のピラミッド』
月のピラミッドは高さ47m、底辺150mで、テオティワカンで2番目に巨大な建造物である。
紀元後100年から400年頃にかけて建築された。7基ものピラミッドが重なっており、増築されるたびに古いピラミッドは新しいピラミッドで覆われた。
周囲には天文学的な発想に基づいた12の建物が配置され、大きな宗教儀式は月のピラミッドを中心に行われたとされている。 -
(6)『死者の道』
全長約3km、幅約50mの大通りである。
アステカ人は左右に建ち並ぶ小ピラミッド神殿を神々の墓と見なして、「死者の道」と名付けた。
真北から15度25分東にずらして造られており、すべての建物はその方位に忠実に造られた。 -
(7)『カフェ・デ・タクバ』
1/18 9:00アジェンデ駅近くのカフェ・デ・タクバで朝食をとった。
1912年の創業でかつてフリーダ・カーロが結婚披露宴を開き、壁画や内装もおしゃれな気品のあるレストランであった。
濃いめのチョコラーテ(31ペソ=248円)とパンを2つ(24ペソ=192円)注文した。パンが焼き立てでおいしかったのだが、チョコラーテの予想以上の濃さのためレモネード(21ペソ=168円)をヘルプで追加した。
1時間弱であったが、とても心地のよい時間を過ごせた。 -
(8)『太陽の石』
11:00 アウディトリオ駅から10分ほど歩き、国立人類学博物館に到着した。
中央部の広いフロアに、直径3.6m・重さ25tの巨大な石にアステカの暦を図形化した太陽の石(アステカ・カレンダー)が展示されている。
太陽の石は16世紀のエルナン・コルテスの征服以降に地中に埋められていたが、約250年後の1790年にソカロで発掘された。
中央の太陽神の周りにある4つの四角形囲まれた文様は、宇宙が今まで経てきた4つの時代を示している。
世界は過去に4度滅び、現在は5番目の時代である。
マヤ文明の長期暦が2012年12月23日に終わることから、2012年人類滅亡説が連想される一因となった。 -
(9)『パカル王の翡翠の仮面』
マヤ室に展示されているパカル王の翡翠の仮面は、太陽の石と並ぶ国立人類学博物館の目玉である。
パカル王は7世紀にユカタン半島で栄えたパレンケの最盛期の王である。
1949年に「碑文の神殿」と呼ばれる地下神殿が発見された。
この事はパレンケのピラミッドが墓の役割を果たしていたことを証明した大発見であった。
パカル王の翡翠の仮面は、200もの破片を復元させたものである。 -
(10)『メトロポリタン・カテドラル』
アステカの伝説によると、1519年に伝説の神ケツァルコアトルが東からテノチティトランに戻ってくるといわれていた。
白い肌のエルナン・コルテスをケツァルコアトルと間違えたアステカ皇帝モクテスマ2世は、都に滞在することを許可した。その2年後の1521年、繁栄を誇ったテノチティトランは徹底的に破壊され、廃墟の上にヌエバ・エスパーニャ(=植民地時代のメキシコ)の建造物が建設されていった。
メトロポリタン・カテドラルはアメリカ大陸最古で最大のキリスト教建造物で、1563年から100年以上の歳月をかけて完成した。
カテドラルは破壊されたケツァルコアトルの神殿の上に作られた。コルテスは先住民にカトリックを心理的に根付かせるため、カテドラル建設の労働を先住民たちに課した。 -
(11)『テンプロ・マヨール』
15:00 国立宮殿を回った後、テンプロ・マヨール(=大神殿)へと向かった。
1978年の電気工事の際にアステカ時代の3.25mの石板が発見された。その後の調査で、この遺跡がアステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿であることがわかった。
かつてのテノチティトランは、テスココ湖に浮かぶ幻想的な都であった。太陽の神殿と雨の神殿があったピラミッドは、その痕跡を残して破壊され、生贄の儀式に使われたチャックモールも当時のままに保存されていた。
ソカロ、カテドラル、国立宮殿の下にも遺跡が埋まっていると推測され、この地域一帯がスペイン侵略の跡を生々しく伝えていた。 -
(12)『ルチャ・リブレ』
17:00 火曜日はルチャ・リブレが開催されるので、クアテモック駅からアレナ・メヒコに立ち寄り、当日券(120ペソ=960円)を購入した。
19:30の試合開始まで近くのシウダデラ市場へと足を延ばした。出店が200軒以上並び、とうがらし柄の灰皿と派手なピンクの小物入れを合わせて50ペソ(=400円)で購入した。
ルチャ・リブレは、善玉のテクニコと悪玉のルードが戦うというわかりやすい仕組みである。アレナ・メヒコは時間とともに観客で埋め尽くされていった。エンターテインメント性が高く、男女・年齢問わず家族・友人で楽しんでいた。
肝心の試合は、タッグマッチや女性の団体戦などが3試合行われた。「正義の味方が勝つものだ。」と先入観を持って見ていると、3試合中2試合が悪玉の勝利で、「無残にも正義の味方が敗れる」という意外なオチで幕を閉じた。
翌朝5:00発の便に備え、早く休むことにした。
メキシコシティはかつてアステカ文明、植民地支配、革命・内乱と衝撃的な出来事の舞台となり、大都市のエネルギッシュさと悲劇的な歴史の両面を併せ持つ奥深い街であった。
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