2006/05/23 - 2006/05/23
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中国の風景さん
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「天に天堂(天国)地に蘇抗(蘇州杭州)あり」と昔から住み易い所と言われています。長江のデルタ地帯で農作物が豊富、養蚕が盛んで絹織物で高収入が得られました。富豪や役人が多く住み、芸妓も含め美人が多く集まった為、蘇州は美人が多いと言われました。今は上海の方が多い(私の好み)と思います。司馬遼太郎の著書に「街道をゆく、19、中国、江南のみち」があります。今回はこの中で25年前に著者が見た蘇州の場所を司馬遼太郎風に見て廻りました。著者は世界遺産である名園(留園、拙政園)は成金趣味で芸術性に乏しく見るに耐えない、「蘇州の美しさの第一は、民家である」と言っています。以下「江南のみち」に書いてある文章を引用しながら見てみましょう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
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- グルメ
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- ショッピング
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- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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宝帯橋は蘇州の南側で京抗大運河に流れ込む小運河を跨いで、大運河に沿って造られています。石造りの橋では中国一の長さ(317m)があります。中国四大古橋の一つです。その割には橋の上にはペンペン草が生えていました。
造ったのは唐の名臣仲舒(761〜822)である。名文家で晩年、刺史としてやってきて、民生の為にいくつかの土木工事をおこなった。その後、清の同冶十二年(1873)に大補修する。この石碑については(江南のみち)には書いてありません。 -
世界の二大運河の一つ、北京から蘇州を経て杭州に至る。隋の初代文帝が587年准水と長江を結ぶ?溝を開削し南北を統一した。二代皇帝煬帝が黄河と准水を結ぶ済渠を造り、黄河と天津を結ぶ泳済渠、長江から杭州へ江南河が造られ610年総延長2500kmを完成、これにより南北の流通が発展しました。その後 元、明、清とルートを変えて改良、現在中華人民共和国により2000トン級の船が通行出来るようになりました。
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唐代のとき、ある地方長官が自分の玉帯を売ってこれを架けたと言う。その故事によって、「宝帯橋」とよばれる。橋は南北にかかり、橋脚だけで五十二脚、つまり五十三のアーチが水面上に美しい半円を描いている。この橋の特異さは橋上が平坦なことである。「橋上から、運河をさかのぼる船を曳っぱるためにそのようにしたのです」と呂先生が言う。長橋は中央だけが橋らしくぷっくりとふくらんでいるのが特徴である。その橋脚だけが高く、三つのアーチが大きい、小舟は他のアーチをくぐるが、大船はこの中央のアーチをくぐる。(江南のみち)より
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運河にかかる橋も、二基、複合するようなたたずまいになっている。一つの橋は呉門橋という。いま一つのりっぱな古橋には名が無い。まことに鷹揚というか...(江南のみち)より
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橋上からみると、石塁と煉瓦壁と瓦屋根で構成されたみごとな造形が展けてきた。「盤門です」呂先生は、むこうに見えるアーチ型の城門、それにその上に銃丸の凹凸のある壁上をさされた。この城門が、蘇州でただ一つ残る城門なのである。(江南のみち)より
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橋上からこの付近の構造をみると、まず城内に小運河が流れこんでいる。その小運河を、階段つきの小さな石橋がまたいでいる。そのむこうに城門がある。ただし、是は水門としての城門である。(江南のみち)より
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歩いて、陸地の城門に至った。城門も城壁も、赤味をおびたりっぱな花崗岩の石塁で、とくに城門を構造している切石は方形に切られ、井井と積まれている。アーチ型の城門をくぐりつつ、その厚みをはかると、小またで十歩ほどもある。(江南のみち)より
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歩いて、陸地の城門に至った。城門も城壁も、赤味をおびたりっぱな花崗岩の石塁で、とくに城門を構造している切石は方形に切られ、井井と積まれている。アーチ型の城門をくぐりつつ、その厚みをはかると、小またで十歩ほどもある。(江南のみち)より
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盤門は二重になっていまして前に城壁の門があり、後に屋根の付いた立派な盤門があります。しかも水陸両方の門を備えています。二重の城門の間の四角い小空間は石塁でかこまれている。立っていると、箱の底に落ち込んだ小人のようなきがしてくる。足もとは、石畳でない。 -
著者の頃は外国人に見せるようにはなっていなかったと書いてある。いまは蘇州盤門景区として入場料(38元)をしっかり取っています。内濠の船賃もふくまれています。
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蘇州飯店の門をまもっている服務員にことわって門外へでると、そこはプラタナス並木の大通りである。商店はすくなく、夜になれば繁華ではない。すでに陽がおちているため、通行人もいなかった。(江南のみち)今は昼も夜も人がいっぱいの商店街です。大通りの名前も友誼路から十全街に変わっています。
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門をでてすぐその大通りを横切ってみた。つまりは、小路をたどった。
たどるというほどもなく、十数歩で石橋に達した。言いかえれば、友誼
路の北側の家並みの裏に、運河が流れているのである。橋路の形は半円
でなく、登ってゆくとしばらくして勾配はやみ、平坦になる。十数歩平
坦な橋上をあるき、やがて勾配をくだる。(江南のみち)より -
白い壁の家並みが、運河に沿ってひしめくようにならび、わずかにだいだい色の外灯が夜気をはらっているのみで、橋畔に佇んでいると、墨絵の墨のなかにまぎれこんでしまったような感じがした。(江南のみち)写真は夜でないので外灯がなくやや雰囲気がものたりません。
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大通りを横断し、無名の石橋をわたり、対岸から運河ぞいの家並みをみた。この景観、壁のしみひとつ変わっていないように見えるが、印象は以前よりも、すばらしかった。「パリの壁よりすばらしいです」と須田画伯がいった。(江南のみち)より
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蘇州の古い民家は、煉瓦を積んで四囲の壁とし、その壁の強度だけで、重い瓦屋根をのせるという、構造的にはごく簡剄なものである。煉瓦は露わではなく、その上にシックイを塗り、そのことで煉瓦壁を強くするとともに雨がしみこむことをふせいでいる。(江南のみち)より -
私どもは。壁と壁とのあいだの薄暗い小道にはいりこんでみた。足もとは石畳である。山崎氏は、溜息をつくように、「いよいよスペインです」とつぶやいた。(江南のみち)より
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ウダツは、隣家まできた火をふせぐ。隣家とのあいだに、障壁をつくるのである。妻の壁面いっぱいがウダツになっている場合もあれば、二階の両はしにせり出させているだけの場合もある。ウダツには屋根がついていなければならない。ウダツの屋根は、ウダツの壁もろとも本屋の屋根よりも高く突き出ている。(江南のみち)より
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樋というのは、りっぱな漢字だが、しかし中国においてはある種の樹木の名をさし、日本で言う「ひ」や「とい」の意味はまったく持たない。蘇州の古い民家を見て変におもったのは、雨がふればそのまま屋根から雨水が流れ落ちてくるはずで、樋がなかった。
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民家は運河のふちに密集している。どの民家も白壁に暮らしの膏がしみついていて、建てられて何百年も経ている家も多いだろうとおもわれた。古びて陋屋になりはてた家ほど美しく、その美しさは、水寂びともいえるようなにおいがある。(江南のみち)今は塗り替えられて古びた壁を探すのに苦労しました。写真は水郷の同里で見つけました。
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