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1).旅の始めに<br /><br />             まず祝へ  笈負う哈哈と 年忘れ<br /><br />                                                                                                                                                                カナダの大学で博士(chemical engineering)の学位を取得した知人のお嬢さんが、この年末、中國へ戻るので、それに合わせ、僕も、クリスマス前に、二泊の予定で、中国に出かけることにした。   <br />  実は、3年ほど前に蘇州の城門を辿る旅を、【江蘇省 蘇州 * 旧城の城門(跡)を旅する(1),(2)】として纏めたが、その後、「東濠河」沿いに、「相門」と「婁門」が復元されて、北濠河にある「平門」は、蘇州駅南口が完成したため、その雰囲気も、大きく変わったという話も聞き、冬至に、1年余ぶりに、中国へ向かった。<br /><br />2).「哈哈(ハハ)博士」お祝い会 <br />     <br />  「お祝い会」は、冬至の日に、観前街の老舗「松鶴楼」で、行われることになっていた。冬至に、蘇州の街を歩くと、季節外れの金木犀の香りが、漂ってくる。蘇州では、冬至には、金木犀の香りの「冬醸酒」を飲む習慣がある。 <br />    この日は、食にはうるさい生粋の蘇州人との会食であるから、僕は黙って、江南料理を楽しむ事にした。夫が上海の有名ホテルの調理人であるヨヨちゃんが、メニューを取り上げ、順次注文をし始めたが、この席に座っている他の蘇州人も、料理選びには黙ってはいなかった。<br />  中国語の方言の中でも、極めて穏やかにして、円やかな話し言葉だと言われる蘇州弁は、話し言葉としては難しい言葉のようだ。日本で最初にノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士のすぐ下の弟で、中國学者の小川環樹博士は、若いころ、国の給費生として、この地で、その難しい蘇州弁の研究をされていたようである。<br />  中国の男性にとり、女性が話す、円やかな蘇州弁を聞くと、堪らない魅力を感じると、聞いたことがある。この夜、僕は生粋の老若の蘇州女性達に囲まれ、浴びるほど、生粋の蘇州弁を聞いたのだが・・・・。<br /><br />3).「唐納故居」<br /><br />  翌日、水郷に沿い歩いていたら、「胡廂使巷」で、『唐納故居』と書かれた家を見つけた。中を覗くと、無秩序で、草臥れた住宅であった。 『唐納』と言えば、蘇州の名家の出であり、1930年代の俳優で、演出家というか、それより彼を有名にしたのは、女優であった「藍蘋」の恋人であり、のちに結婚し夫となった人である。当初から、「藍蘋」の奔放に振り回され、彼は三度自殺未遂をしたようだ。結局、「藍蘋」は彼から去り、当時共産党が籠っていた「延安」に、別の男と走っている。文化大革命時に、四人組の首領として権力を揮った毛沢東夫人「江青」女史も、若き日の「藍蘋」と呼ばれていた蘇州時代には、恋に、心弾ます思いに耽る時もあったのだろう。<br /><br />4).「婁門」へ<br /><br />  この後、僕は、「婁門橋」の際に、最近復元されつつある「婁門」を見に行こうと、「白塔東路」から動物園の前に出て、「東北街」を通り、更に東に向かった。「婁門橋」の北詰めの東濠河に沿って、城壁と「婁門」の復元工事が進められており、鉄骨の足場が、残されてはいたが、最終仕上げの段階のようであった。   <br />  この城門の名前の由来は、漢代には、この地の名を、「婁県」に改名されており、その名前を取って「婁門」と付けられている。<br /><br />5).『相門』へ<br /> <br />            相門を   くぐりて時雨     聴く夜かな<br /><br />  蘇州のメインストリートのひとつに、街の中心を東西に走る「干将路」があるが、この道と、東濠河とが交差する「相門橋」の北西角あたりに、最近、城壁の一部と、蘇州旧城の城門の一つである「相門」が復元されていた。「相門橋」を東から西に渡りながら、橋の中央辺りから右手の、真新しい城壁と、「相門」を、写真で撮った。<br /><br />6).蘇州駅「南口広場」に置かれた銅像群<br />  <br />   蘇州の「南口広場」は大きく変わっていた。この広場には、8つの銅像が建てられており、広場中央には、高さ(台座は除く)7.2mの「範仲淹」の銅像が、駅舎を向いて置かれている。そして広場の西側には、「泰伯」、「吉偃」、「白居易」、「顧炎武」の銅像があり、東側には、「伍子胥」、「孫武」、「祖沖」の銅像があり、これら銅像は、「範仲淹」像の高さより、低く抑えられていた(台座を除き、3.5mから4m前後の高さ)。<br />  中央に置かれている「範仲淹」は、北宋時代の役人で、「蘇州」(蘇州市呉県)生まれで、蘇州府知事の経歴もあり、蘇州学府を創立している。「範仲淹」の著作『岳陽楼記』の中の、『人に先んじて憂い、人に遅れて楽しむ』(先憂後楽)思想は、岡山、東京の「後楽園」の名前からも、日本でも、広く知られていた。「範仲淹」の『先憂後楽』の思想は、今も為政者に強く望まれる思想であろう。(完) <br />  <br /><br />  * Coordinator: H. Gu                                             <br /><br /><br />

【江蘇省】 蘇州 * 旧城の城門(跡)を 旅する(補遺)

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2013/12/22 - 2013/12/24

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彷徨人MU

彷徨人MUさん

1).旅の始めに

             まず祝へ  笈負う哈哈と 年忘れ

  カナダの大学で博士(chemical engineering)の学位を取得した知人のお嬢さんが、この年末、中國へ戻るので、それに合わせ、僕も、クリスマス前に、二泊の予定で、中国に出かけることにした。   
  実は、3年ほど前に蘇州の城門を辿る旅を、【江蘇省 蘇州 * 旧城の城門(跡)を旅する(1),(2)】として纏めたが、その後、「東濠河」沿いに、「相門」と「婁門」が復元されて、北濠河にある「平門」は、蘇州駅南口が完成したため、その雰囲気も、大きく変わったという話も聞き、冬至に、1年余ぶりに、中国へ向かった。

2).「哈哈(ハハ)博士」お祝い会 
 
  「お祝い会」は、冬至の日に、観前街の老舗「松鶴楼」で、行われることになっていた。冬至に、蘇州の街を歩くと、季節外れの金木犀の香りが、漂ってくる。蘇州では、冬至には、金木犀の香りの「冬醸酒」を飲む習慣がある。
   この日は、食にはうるさい生粋の蘇州人との会食であるから、僕は黙って、江南料理を楽しむ事にした。夫が上海の有名ホテルの調理人であるヨヨちゃんが、メニューを取り上げ、順次注文をし始めたが、この席に座っている他の蘇州人も、料理選びには黙ってはいなかった。
  中国語の方言の中でも、極めて穏やかにして、円やかな話し言葉だと言われる蘇州弁は、話し言葉としては難しい言葉のようだ。日本で最初にノーベル賞を受賞された湯川秀樹博士のすぐ下の弟で、中國学者の小川環樹博士は、若いころ、国の給費生として、この地で、その難しい蘇州弁の研究をされていたようである。
  中国の男性にとり、女性が話す、円やかな蘇州弁を聞くと、堪らない魅力を感じると、聞いたことがある。この夜、僕は生粋の老若の蘇州女性達に囲まれ、浴びるほど、生粋の蘇州弁を聞いたのだが・・・・。

3).「唐納故居」

  翌日、水郷に沿い歩いていたら、「胡廂使巷」で、『唐納故居』と書かれた家を見つけた。中を覗くと、無秩序で、草臥れた住宅であった。 『唐納』と言えば、蘇州の名家の出であり、1930年代の俳優で、演出家というか、それより彼を有名にしたのは、女優であった「藍蘋」の恋人であり、のちに結婚し夫となった人である。当初から、「藍蘋」の奔放に振り回され、彼は三度自殺未遂をしたようだ。結局、「藍蘋」は彼から去り、当時共産党が籠っていた「延安」に、別の男と走っている。文化大革命時に、四人組の首領として権力を揮った毛沢東夫人「江青」女史も、若き日の「藍蘋」と呼ばれていた蘇州時代には、恋に、心弾ます思いに耽る時もあったのだろう。

4).「婁門」へ

  この後、僕は、「婁門橋」の際に、最近復元されつつある「婁門」を見に行こうと、「白塔東路」から動物園の前に出て、「東北街」を通り、更に東に向かった。「婁門橋」の北詰めの東濠河に沿って、城壁と「婁門」の復元工事が進められており、鉄骨の足場が、残されてはいたが、最終仕上げの段階のようであった。   
  この城門の名前の由来は、漢代には、この地の名を、「婁県」に改名されており、その名前を取って「婁門」と付けられている。

5).『相門』へ
 
            相門を  くぐりて時雨  聴く夜かな

  蘇州のメインストリートのひとつに、街の中心を東西に走る「干将路」があるが、この道と、東濠河とが交差する「相門橋」の北西角あたりに、最近、城壁の一部と、蘇州旧城の城門の一つである「相門」が復元されていた。「相門橋」を東から西に渡りながら、橋の中央辺りから右手の、真新しい城壁と、「相門」を、写真で撮った。

6).蘇州駅「南口広場」に置かれた銅像群
  
   蘇州の「南口広場」は大きく変わっていた。この広場には、8つの銅像が建てられており、広場中央には、高さ(台座は除く)7.2mの「範仲淹」の銅像が、駅舎を向いて置かれている。そして広場の西側には、「泰伯」、「吉偃」、「白居易」、「顧炎武」の銅像があり、東側には、「伍子胥」、「孫武」、「祖沖」の銅像があり、これら銅像は、「範仲淹」像の高さより、低く抑えられていた(台座を除き、3.5mから4m前後の高さ)。
  中央に置かれている「範仲淹」は、北宋時代の役人で、「蘇州」(蘇州市呉県)生まれで、蘇州府知事の経歴もあり、蘇州学府を創立している。「範仲淹」の著作『岳陽楼記』の中の、『人に先んじて憂い、人に遅れて楽しむ』(先憂後楽)思想は、岡山、東京の「後楽園」の名前からも、日本でも、広く知られていた。「範仲淹」の『先憂後楽』の思想は、今も為政者に強く望まれる思想であろう。(完)
  

* Coordinator: H. Gu


同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配

PR

  • 哈哈ちゃん(向かって右手に、立っている女性)の博士号授与式<br /><br />カナダの大学の構内<br /><br />

    哈哈ちゃん(向かって右手に、立っている女性)の博士号授与式

    カナダの大学の構内

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />糟香鴨舌,<br />

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    糟香鴨舌,

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『金牌素焼鵞鳥』,<br />

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『金牌素焼鵞鳥』,

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『桂花糖藕』,<br />

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『桂花糖藕』,

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『緑葉桜桃肉』<br />

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『緑葉桜桃肉』

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『蟹粉豆腐』,

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『蟹粉豆腐』,

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />響油〇糊,(魚片に善と書いて田鰻のこと)

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    響油〇糊,(魚片に善と書いて田鰻のこと)

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『清溜河蝦仁』

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『清溜河蝦仁』

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『紫砂〇四宝』(とろ火で煮込む)<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『紫砂〇四宝』(とろ火で煮込む)






  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『白灼芥蘭』(アブラナ科の青菜)

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『白灼芥蘭』(アブラナ科の青菜)

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『蘭花糟魚片』(ブロッコリーと魚切り身) 

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『蘭花糟魚片』(ブロッコリーと魚切り身) 

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『紅湯桂魚』,

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『紅湯桂魚』,

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『金花菜』

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『金花菜』

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br /><br />『〇〇酥餅』(大根餅)

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼


    『〇〇酥餅』(大根餅)

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『蘇式棗泥拉糕』(棗入りの蒸し菓子)

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『蘇式棗泥拉糕』(棗入りの蒸し菓子)

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『紅焼羊肉〇』(羊肉の煮込み鍋)

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『紅焼羊肉〇』(羊肉の煮込み鍋)

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『手工葱油拌麺』

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『手工葱油拌麺』

  • 蘇州 老舗の料理店 松鶴楼<br /><br />『秘制椒麻鶏』

    蘇州 老舗の料理店 松鶴楼

    『秘制椒麻鶏』

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路<br /><br /><br />『唐納故居』

    蘇州 平江路


    『唐納故居』

  • 蘇州 婁門<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【婁門】<br />僕が行った時は、工事の最終チェックをしているようであったので、おそらくまもなく完成だろう。

    蘇州 婁門

    【東濠河】(東外城河)に面した【婁門】
    僕が行った時は、工事の最終チェックをしているようであったので、おそらくまもなく完成だろう。

  • 蘇州 婁門<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【婁門】<br />僕が行った時は、工事の最終チェックをしているようであったので、おそらくまもなく完成だろう。

    蘇州 婁門

    【東濠河】(東外城河)に面した【婁門】
    僕が行った時は、工事の最終チェックをしているようであったので、おそらくまもなく完成だろう。

  • 蘇州 相門<br /><br />【東濠河】を挟み【相門】が見える。<br /><br />

    蘇州 相門

    【東濠河】を挟み【相門】が見える。

  • 蘇州 相門<br /><br />【東濠河】に面した【相門】<br />

    蘇州 相門

    【東濠河】に面した【相門】

  • 蘇州 相門<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門<br /><br />相門の通用門の向こうに見える建物は、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡である。

    蘇州 相門

    相門の通用門の向こうに見える建物は、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡である。

  • 蘇州 汪兆銘の夫人陳璧君が収容されていた刑務所跡<br /><br />  相門の背後には、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡。<br />

    蘇州 汪兆銘の夫人陳璧君が収容されていた刑務所跡

      相門の背後には、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡。

  • 蘇州 汪兆銘の夫人陳璧君が収容されていた刑務所跡<br /><br />  相門の背後には、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡。

    蘇州 汪兆銘の夫人陳璧君が収容されていた刑務所跡

      相門の背後には、先の戦争末期に、蒋介石と対立し、日本との講和を主張した、南京政府の総理であった汪兆銘の夫人陳璧君が、戦後蘇州の江蘇高等法院で漢奸として、無期懲役の判決を受け、収監されていた『獅子口監獄』跡。

  • 蘇州 相門の夜景<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門の夜景

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門の夜景<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門の夜景

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門の夜景<br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br /><br />

    蘇州 相門の夜景

    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門の夜景<br /><br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門の夜景


    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 相門の夜景<br /><br /><br />【東濠河】(東外城河)に面した【相門】<br />

    蘇州 相門の夜景


    【東濠河】(東外城河)に面した【相門】

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 平江路

    蘇州 平江路

  • 蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口<br /><br /><br />中央の銅像は、蘇州出身の、北宋時代の政治家で文筆家である範仲淹。<br />彼の『岳陽楼記』の中に書かれている「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)から、岡山、東京の【後楽園】の名前がつけられている。

    蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口


    中央の銅像は、蘇州出身の、北宋時代の政治家で文筆家である範仲淹。
    彼の『岳陽楼記』の中に書かれている「先憂後楽」(「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」)から、岡山、東京の【後楽園】の名前がつけられている。

  • 蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口<br />

    蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口

  • 蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口駅前<br />  <br />【北濠河】(北外城河)を介して、蘇州城門のひとつである【平門】が見える<br /><br />

    蘇州 鉄道駅 蘇州駅南口駅前
      
    【北濠河】(北外城河)を介して、蘇州城門のひとつである【平門】が見える

  • 上海 レストラン梅龍鎮<br /><br />向って左が『馬蘭頭』、『水晶肴肉』<br /><br />

    上海 レストラン梅龍鎮

    向って左が『馬蘭頭』、『水晶肴肉』

  • 上海 レストラン梅龍鎮<br /><br />蟹粉蒸蛋

    上海 レストラン梅龍鎮

    蟹粉蒸蛋

  • 上海 レストラン梅龍鎮<br /><br /><br />水晶河蝦仁

    上海 レストラン梅龍鎮


    水晶河蝦仁

  • 上海 レストラン梅龍鎮<br /><br /><br />萕菜冬笋<br /><br /><br /><br />

    上海 レストラン梅龍鎮


    萕菜冬笋



  • 上海 レストラン梅龍鎮<br /><br /><br />豆豉油蒸笋壳魚<br />

    上海 レストラン梅龍鎮


    豆豉油蒸笋壳魚

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