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我々の家族だけの観光バスは、西安市内から高速に乗り、市街地を過ぎた辺りで、北西に舵を取り、田園風景と云うには緑が少ない景観が広がる道をほぼ一直線に走る。<br /><br />「乾陵」の付近は全く田舎の景観。<br />入り口前には、綺麗な色彩だが、いかにも素朴な地方の玩具を飯台に広げただけ土産屋の前で、その振る舞いまでもいかにも地方風の老女が一人土産の玩具を客に掲げて立っいた。<br /><br />そんな様子から中に入るまでは「乾陵」がこんなに凄いところとは想像できなかった。<br /><br />「乾陵」は西安の中心から約80km北西の1047mの梁山を丸ごと陵墓とした、唐王朝の三番目の皇帝高宗李治と皇后則天武后の合葬墓。<br />方位が乾位に当るとかで「乾陵」と呼ばれるようになったらしい。<br /><br />入場した位置は「司馬道」云われる石畳の参道の途中で、右(北側)はなだらかに登る「司馬道」の正面に高宗の陵墓、梁山を望み、手前の司馬道の両脇に、陵墓を守るが如く一対に獅子の座像(石獅)が構える。<br /><br />その更に手前に両脇にレンガを積み上げた様な監視塔(闕塔)跡、とそこから儀仗隊の役目をなす文武重臣の石人の立像が続く。<br /><br />石獅の間の石段を登ると、正面に「唐高宗乾陵」の碑があり、その後部に梁山の頂上への参道が伸び、目を凝らすと頂上付近に人影が見える。<br /><br />闕塔跡に隠れるように、袋手の恰好で整然と並ぶ立像が有る。<br />しかし何れも首から上が無くなっている。<br />この一見不気味な立像群は参道の両脇に合わせて61体並んでおり、高宗の葬儀に参列した各国の高官像らしいが、後に何らかの理由で全て首を刎ねられたらしい。<br /><br />中央の「唐高宗乾陵」の手前にもう一つ碑が有って、それには「乾陵」の下に「唐高宗与則天武后皇帝合葬之墓」と刻まれている。<br /><br />その「則天武后皇帝」の碑は東の闕塔の奥に建つ、「無字碑」と名付けられた石塔。<br /><br />14才で高宗の父、名君の誉れ高き太宗の後宮に入り、後に太宗の妾女と成った武照(後の武則天)は、太宗の死後、太宗の息子高宗の側室となり、漲る才智と、権謀術策によって、皇后、更に皇帝に上り詰め、高宗の皇后や子供達、わが子や親族をも反抗する者たちを全て殺害してしまう恐怖政治を布いたとして、中国3大悪女のトップにあげられている。<br /><br />しかし武則天は中国唯一の女帝でもあり、一般市民に対しては善政も多く、人材を育てたと云う評価もある。<br /><br />これらが複雑に絡み合い、武則天は自らの墓を一切の添え書きを省いた「無字碑」をたて、「唐高宗及則天武后皇帝合葬之墓」として「乾陵」に残したとされる。<br /><br />左(南)に向きを変えると、峰火台が女性の乳首のように見えるので「乳峰山」と呼ばれる一対の丘の間を、儀仗隊に守られた「司馬道」が延々と続き、遥か彼方に南門のシンボルの塔、一対の華表が窺える。<br /><br />南門には華表の他、ペガサス(翼馬)や駝鳥の石像が並び、更に南には先が霞んで天にも昇るかと思わせる真っすぐな道が延びている。<br /><br />

chi27唐高宗と則天武后の陵墓・「乾陵」と延々と続く一直線の参道

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2010/11/06 - 2010/11/06

1105位(同エリア1561件中)

WT信

WT信さん

我々の家族だけの観光バスは、西安市内から高速に乗り、市街地を過ぎた辺りで、北西に舵を取り、田園風景と云うには緑が少ない景観が広がる道をほぼ一直線に走る。

「乾陵」の付近は全く田舎の景観。
入り口前には、綺麗な色彩だが、いかにも素朴な地方の玩具を飯台に広げただけ土産屋の前で、その振る舞いまでもいかにも地方風の老女が一人土産の玩具を客に掲げて立っいた。

そんな様子から中に入るまでは「乾陵」がこんなに凄いところとは想像できなかった。

「乾陵」は西安の中心から約80km北西の1047mの梁山を丸ごと陵墓とした、唐王朝の三番目の皇帝高宗李治と皇后則天武后の合葬墓。
方位が乾位に当るとかで「乾陵」と呼ばれるようになったらしい。

入場した位置は「司馬道」云われる石畳の参道の途中で、右(北側)はなだらかに登る「司馬道」の正面に高宗の陵墓、梁山を望み、手前の司馬道の両脇に、陵墓を守るが如く一対に獅子の座像(石獅)が構える。

その更に手前に両脇にレンガを積み上げた様な監視塔(闕塔)跡、とそこから儀仗隊の役目をなす文武重臣の石人の立像が続く。

石獅の間の石段を登ると、正面に「唐高宗乾陵」の碑があり、その後部に梁山の頂上への参道が伸び、目を凝らすと頂上付近に人影が見える。

闕塔跡に隠れるように、袋手の恰好で整然と並ぶ立像が有る。
しかし何れも首から上が無くなっている。
この一見不気味な立像群は参道の両脇に合わせて61体並んでおり、高宗の葬儀に参列した各国の高官像らしいが、後に何らかの理由で全て首を刎ねられたらしい。

中央の「唐高宗乾陵」の手前にもう一つ碑が有って、それには「乾陵」の下に「唐高宗与則天武后皇帝合葬之墓」と刻まれている。

その「則天武后皇帝」の碑は東の闕塔の奥に建つ、「無字碑」と名付けられた石塔。

14才で高宗の父、名君の誉れ高き太宗の後宮に入り、後に太宗の妾女と成った武照(後の武則天)は、太宗の死後、太宗の息子高宗の側室となり、漲る才智と、権謀術策によって、皇后、更に皇帝に上り詰め、高宗の皇后や子供達、わが子や親族をも反抗する者たちを全て殺害してしまう恐怖政治を布いたとして、中国3大悪女のトップにあげられている。

しかし武則天は中国唯一の女帝でもあり、一般市民に対しては善政も多く、人材を育てたと云う評価もある。

これらが複雑に絡み合い、武則天は自らの墓を一切の添え書きを省いた「無字碑」をたて、「唐高宗及則天武后皇帝合葬之墓」として「乾陵」に残したとされる。

左(南)に向きを変えると、峰火台が女性の乳首のように見えるので「乳峰山」と呼ばれる一対の丘の間を、儀仗隊に守られた「司馬道」が延々と続き、遥か彼方に南門のシンボルの塔、一対の華表が窺える。

南門には華表の他、ペガサス(翼馬)や駝鳥の石像が並び、更に南には先が霞んで天にも昇るかと思わせる真っすぐな道が延びている。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
観光バス 飛行機
航空会社
中国国際航空
旅行の手配内容
個別手配

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