2008/04/12 - 2008/04/20
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2008年4月に新婚旅行でスペインへ行ってきました。マドリッドに始まり、トレド、グラナダ、コルドバ、セビリア、バルセロナなどを巡る7泊9日の旅。
旅行4日目の午前にグラナダのアルハンブラ宮殿とアルバイシン地区を観光した一行は、午後にグラナダを出発してN-432号線で一路北西へ。途中、寄り道してモンティージャという所でスペイン・ワインの酒蔵に立ち寄りワインを試飲した後、グラナダの北西約160~170km離れた街、コルドバへ。コルドバで僕等を待っていたのは、4月というのに27~29度という暑さと白い家々、そしてグラナダ同様にカトリック圏とイスラム圏がミックスした独特の雰囲気を持つ風土でした。
メスキータやユダヤ人街などのイスラム文化が色濃く漂うコルドバの地で、思いっきり異国情緒に浸ってきたのでありました。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ブリティッシュエアウェイズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
4/15、15:30。
僕等はグラナダからコルドバへと向かう途中で、昔の駅舎を改造したドライブインで途中休憩。そこではオレンジジュースを飲んだりしました。
その後、僕等はモンティージャという所にあるALVEARというボデガ(酒蔵)を訪れました。ALVEARは1729年創業のスペインで3番目に古い酒蔵で、2008年現在は9代目が経営しているのだそうです。
4月でも日によっては30度まで気温が上がるアンダルシア地方ですが、ワイン樽の貯蔵庫の中は日の光も入ってこず、とっても涼しい場所でした。
当然、中はとても暗かったので、写真は一応撮ってみたけど、スローシャッターで手ぶれがひどかったのでボツにしました。 -
ALVEARで試飲した3本のワイン。左から順に紹介すると、
(左) C.B. …ものすごく辛口の赤ワイン、アルコール15%でこのボデガでの販売価格は4.2ユーロ。
(中) FESTIVAL …中甘の赤ワイン、アルコール15%でこのボデガでの販売価格は4.8ユーロ。
(右) Pedro Ximénez 1927 (ペドロ・ヒメネス1927) …まるで貴腐ワインのように糖度が高く甘〜い赤ワイン、アルコール16%でこのボデガでの販売価格は8.95ユーロ。 -
モンティージャのボデガを出発した後、17:10頃にコルドバでこの日宿泊するホテル、OCCIDENTAL CORDOBAに到着。
コルドバの観光名所からは離れているものの、リゾートホテルといった佇まいで、なかなか素敵なホテルだ。 -
OCCIDENTAL CORDOBAの庭の方に回るとプールがありました。この写真自体は翌日の朝に撮影したもので、この時にはまだ朝食の時間帯だったこともあってか、他には誰もいませんでした。
-
ホテルのロビー付近にて。ホテルにはアンダルシア地方の建物に特有のパティオ(中庭)があり、植物も多く植えられていました。僕等が宿泊した日には、東南アジアからと思われる宿泊客が目立っていた。
-
19:15。ホテルでチェック・インして少しの間部屋でのんびりした後、僕等は夕食をとるためコルドバの中心街付近へ。
僕等はグアダルキビル川のほとりでバスを下車。そこには、川に架かるローマ橋と向こう岸のメスキータを望むことができる絶好のビュースポットがありました。 -
僕等が食事をとったレストラン"EL MIRADOR"は、そのビュースポットから300mほど川沿いの道をサン・ラファエル橋方面へと歩いた場所にありました。
この日の夕食は・・・ -
何とも贅沢なイベリコ豚のステーキですっ!!
肉が軟らかく、とても美味しかったっす〜! -
翌朝9:25。
僕等は昨晩夕食をとった"EL MIRADOR"とはグアダルキビル川を挟んで反対側にいた。もちろん、この日のコルドバ観光の目玉、メスキータとユダヤ人街を訪れるためだ。
写真に写っている柱は、「サン・ラファエルのトリウンフォ」と呼ばれる18世紀建造のロココ調のモニュメントで、メスキータの南側に位置する。 -
メスキータに入る前に僕等はユダヤ人街を少し散策することに。ユダヤ人街は、防衛上、外敵が道に迷いやすいように、あるいは照りつける強い日差しを遮るように、あえて狭く曲がりくねった道が多く造られ、ガイド同行でないとすぐに現在地が分からなくなってしまう。
そんなわけで、結局僕等はひとかたまりになって、ユダヤ人街に入っていきました。 -
メスキータのミナレット(尖塔)。ミナレットは、イスラム寺院であるモスクの建築上の特徴の1つですね。
もともと「メスキータ」はスペイン語で「モスク」という一般名詞だったのが、今ではここコルドバの大聖堂を指す固有名詞として使われることが多いのだそう。 -
現地ガイドに案内されて、狭く白い路地をくねくねと歩いていきます。
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アンダルシア地方の旧市街では、通りの角の家や壁にその通りの名前が書かれていることが多いんですねぇ。写真の家にも通りの名前が書かれています。
この家の右側の道を進めばすぐにメスキータの脇に出るんだけど、それじゃつまらないだろう(笑)ということで、ガイドさんはあえて左へ進んで僕等をユダヤ人街への奥深くへと導いていきます。 -
なにやら訳の分からないパティオの中を通り抜けてゆく。
写真に写っているオレンジはもっぱら観賞用で食べても旨くないんだとか。「仮に食用にするとしてもマーマレードにするぐらいじゃないかな」なんて現地ガイドさんは言っていました。アンダルシア地方ではよく街中にもオレンジの樹を見かけたけど、殆どが観賞用なんだそうですよ。 -
いよいよユダヤ人街の路地深くに迷い込んだこの雰囲気がたまりませんなぁ。
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狭い路地を抜けて再び通りへ。といっても、ここの通りも狭いことには変わりなし。この店はただ今開店準備中?
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一見、何の変哲もない小径に入ってゆく。でも、この道こそが有名な「花の小道」なんですね。
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一歩通りに入ってゆくと両脇の白壁に可憐な花々の鉢植えが飾られています。
そして、この小道を抜けて後ろを振り返ると・・・ -
なんということでしょう!
赤い可憐な花で飾られた小道の向こうには、メスキータのミナレットがのぞいているではありませんか。
かわいらしい道ですねぇ。
ちなみにこの花の小道、ちょうどこの写真を撮った場所が中庭のようになっていて、そこで袋小路になっています。 -
花の小道にあった革製品の土産屋の看板。
日本人観光客が多いのか、日本語でも案内が出ております。日本語でも案内を出してくれる気持ちは素直に嬉しいわけなんだけど。。。
いったい誰が教えたんでしょうかね、「コルドバの皮の専問店」って(爆)
本当は「コルドバの革の専門店」だって知ったら、店主はどう思うんだろうか。。。 というか、他の言葉もこんな調子で間違っているんじゃないだろうか?
・・・いろいろと気になってしまう看板でした。 -
花の小道を出た後、僕等はいよいよメスキータへと向かうことに。
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メスキータの外壁の門を抜けてオレンジの中庭に入る。中庭も結構広い。この中庭に入るだけなら入場料はかからないので、中庭はメスキータの見学者だけでなく、市民の憩いの場にもなっているようです。
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オレンジの中庭から見たカテドラル。
メスキータは8世紀後半にコルドバを中心に興ったイスラム王朝である後ウマイヤ朝の初代君主アブド・アッラフマーン1世の命によって建てられた。もともとこの場所には西ゴート時代のサン・ビエンテ聖堂と呼ばれるキリスト教の教会跡があり、コルドバを占領したイスラム教徒は、当初その聖堂の半分をキリスト教徒と分け合って利用していたが、アブド・アッラフマーン1世がやがて聖堂をすべて買収して巨大モスクの建造に取りかかったのだそう。 -
メスキータはコルドバの町の発展と呼応するかのように規模が拡張されていった。785年にアブド・アッラフマーン1世によってメスキータが創設された後、848年にはアブド・アッラフマーン2世が最初の拡張工事を行い、続くアブド・アッラフマーン3世が写真の鐘楼に組み込まれる塔を建設した(鐘楼部分はレコンキスタの後に建設)。
更に961年にはアルハカム2世が、987年にはアルマンスールがそれぞれ拡張工事を行い、メスキータは現在の規模になった。そして、コルドバの人口もこの頃には100万人に達し、コンスタンチノープル、バグダッドと並ぶイスラム文化の中心地となったのである。
ちなみに、現在のコルドバ市の人口は約30万人というから、いかにその当時多くの人々がこの街に集まってきたかが分かりますね。 -
メスキータの辿る数奇な運命はまだまだ続きがあるのだけど、とりあえずは中に入る時が来たので、まずは入ってみよう。
メスキータの特色といったら、なんと言ってもこの「円柱の森」と呼ばれる大理石の柱の群れ。隣り合う柱と柱の間には、赤煉瓦と白い石を交互に組み合わせたアーチがずっと続いていて圧巻です。
実はメスキータの中では、うっかりして低感度設定のまま撮影を行ってしまったため、殆どの写真が大なり小なり手ぶれ写真になってしまってます。僕のカメラは手ぶれ補正機能がないんですよ(泣)。そんなわけで、見づらい写真が続いてしまいますがご勘弁を。 -
この地で大きな勢力を築いたイスラム王朝ではあったが、やがてキリスト教徒のレコンキスタにより1236年にコルドバは陥落。さらに1492年にレコンキスタが完了し、スペイン国内のイスラム王朝がスペインから撤退すると、16世紀にはカルロス5世がメスキータの中心部にカテドラルを建造することを決定。
そのため、アルマンスールによる最後の拡張工事が終わった時、このメスキータには1000本以上の円柱が立ち並んでいたが、カテドラル建設のためにメスキータ中心部の柱は取り除かれてしまい、現在では約850本の円柱が残っている。
ちなみに、この写真だけ屋内の明るさの感じが違って見えるけど、これは奥さん撮影の写真。なんか、こっちの方が上手く撮れてるなぁ。。。 -
また、本来は内部にも光が差し込んで明るいはずのモスクだが、5つの門を除いて周りを壁で塞がれてしまい、現在ではご覧のように暗い空間が広がっている。
こうしてメスキータの一部はカトリックの聖堂へと転用されることになったが、それでも残りの円柱が残されることになったのは、当時のコルドバの人々が優れたイスラム建築であるメスキータの円柱を取り除くことを反対したからなんだとか。
その結果、メスキータはイスラム教のモスクでありながらカトリックの礼拝堂も持つ非常に珍しい建物として残ることになったんですって。 -
円柱の森の中を古い時代のものから順に、だんだん新しい時代の方へと進んでいく。
写真の柱はメスキータの中でも2本しかないという、明かりを透かす柱。柱が明かりを透かしているところの写真を撮ることはできなかったけど、もし興味があれば実際に目で見て確かめてくださいな。もっとも、たくさん柱がある中のたった2本だけなので、現地ガイドさんがいないと到底見つけられないだろうけど。 -
入り口を入ってアルハカム2世時代の拡張部分の奥に来ると、ミフラーブと呼ばれるメッカの方向を示す壁面がある。
完全に手ぶれでボケてしまったのが、かえすがえすも悔やまれる。とても綺麗な装飾でした。 -
ミフラーブの前の空間の天井部。ドームの天蓋部分や壁の複雑な文様がとても美しいなあ。
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大聖堂の宝物殿にある聖体顕示台。
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メスキータの柱には、その柱を加工した職人のサインが刻まれている。
ここに展示されているのは、そうした柱に刻まれたサインの複製。
柱もアルマンスールの時代に拡張された部分は黒い柱が目立つ。 -
残念ながら中央のカテドラル部分は修復作業中でご覧の通り。
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この写真はカテドラルの中央祭壇部分を撮影したものだったと思うのだけど、よく覚えていません。
何だったっけなぁ・・・? -
10:42、メスキータの円柱の森を抜けて、再びオレンジの中庭へと出てきた。僕等が入ってきた時に比べて格段に観光客が増えています。
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11:15、メスキータを出た僕等は近くの土産やで自由時間を取った後、コルドバを出発。
次に向かうはアンダルシア自治州最大の都市、セビリアだ。
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