2005/10/15 - 2005/10/25
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kojikojiさん
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杭州2日目はバスに乗って龍井村に行きました。ロンジン茶の龍井です。どこへどう行けば全く分からずにバスに乗ったのですが、なんとなく他の乗客がおりていくので、ちょっと不安になっていると「龍井村はここよ。」と教えてくれたおばさんがいました。一緒に下りてついて行ったらお茶農家のおばさんの家でした。偶然だったのか分かりませんが、普通に歩いていても普通の村なので、どこへ行っていいかもわからなかったと思いますので、良い出会いだったと思います。筆談を交え龍井茶についていろいろ教えてもらいました。試飲させてもらったお茶は何とも清々しい香りと味でした。値段は3種類あり、一番高いものは100グラムで300元もしました。いろいろ調べてみると大体の相場は1斤2800元(500グラムで約5万円)なので、100グラム4,000円とすると高い買い物では無かったようです。良い買い物も出来たので良しとしましょう。村で食事が出来そうな所に入ったら、「日本の雑誌に紹介されたのよ。」と本を見せてくれたおばさんがいたり楽しい所でした。茶名を使った料理も美味しかったです。午後はバスを降りるところを間違えたりしながら「霊隠寺」に行きました。本当は「杭州茶葉博物館」に寄ってからお寺に行くつもりだったのでガッカリです。この博物館は約10年後にようやく行くことが出来ました。この日は朝から小銭入れを無くしたりバス停を間違えたり散々な日でした。霊隠寺からはタクシーに乗って「六和塔」にも行きました。塔に登って銭塘江を眺めて杭州市内の観光はほぼ終わりです。翌日はバスターミナルから紹興への日帰り旅行をして、同じく杭州郊外の「富春山居」でくつろぐ旅へと続きます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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杭州のホテル近くの少年宮から路線バスに乗って龍井村であろう所に着きました。何となくたくさんの人が降りていくので、様子を見ていると停留所で降りるおばさんが「龍井に行くならここで良いのよ。」と教えてくれました。別に客引きされている感じも無くついて行ったら「寄っていく?」と言われ、特に何処に行く当てもないのでお茶農家を見せてもらいました。
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茶畑を見せてもらい、お茶の花を初めて見たので、興奮して妻に「お茶の花だよ!」と言ったら困った顔をされました。「あたしの実家の周りは全部お茶畑なんだけど!」妻の実家の玄関を開けて表に出ると正面に富士山が見え、居間から表を見ると一面のお茶畑の向こうに駿河湾が望めます。
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家に戻るといろいろなお茶を飲ませてもらいました。
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家長のおじいさんが説明してくれますがサッパリ言葉が通じません?もちろん英語も通じません。筆談も交え聞いてみると一番摘みと二番摘み三番摘みの違いの説明のようでした。一番摘みでも街中よりも安いので少し分けてもらうことにしました。
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1番摘みの茶葉。
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2番摘みの茶葉。
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3番摘みの茶葉。
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茶葉は下に並んだ布袋で保管しているようです。
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お酒でもお茶でも造っているその場所にどうしても行きたくなります。グラッパを買いにバッザーノ・デル・グラッパへ行き、シェリー酒を買いにヘレス・デラ・フォロンテーラへ行き、シチリアのマルサラにポルトを買いにポルトの川も遡りました。日本にいてお茶を飲んだり、お酒を飲んでもその時の光景が蘇るので、自分たちにとってかけがえのない体験です。
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天秤計りなんて日本ではもうお目にかかれないので触らせてもらいました。最後に触ったのは40年くらい前に家に来た古新聞回収のおじさん持っていたものでしょうか?
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ホテルの部屋に戻って飲む分までもらえたのが嬉しいです。これは後日「富春山居」で美味しくいただきました。
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龍井村の集落を一歩外に出ると一面の茶畑に変わります。この辺りはだいぶ山間部に近いエリアですが、茶葉博物館の辺りはゆるい傾斜の開かれた茶畑になります。
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見事な畑です。スリランカのヌワラエリアやマレーシアのキャメロンハイランドの茶畑のようにも見えます。そちらは紅茶用の畑ですが木は変わりません。
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最近は条件が良くなってきたようですが、一日手摘みで茶葉を摘んでも200元(3,600円)くらいにしかならないそうです。
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しばらく村を散歩していると看板も何も無い所でテーブルが出ています。妻が聞いてみると食事が出来るとのことでした。日本人と分かるとおばさんは雑誌を持ってきて「私が載ってるのよ。」と見せてくれました。女子十二楽坊が流行っていた頃の雑誌です。
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これがこの店の看板と言っても良さそうです。
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メニューも何も無いので妻が厨房に入って、「これとこれを炒めて。」なんて感じで出てきたのがこの料理です。茶葉に付け込んだ鶏肉料理と大根と豚肉を煮込んだ料理など美味しかったです。
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こちらは瓜と白エビを炒めたもの。農家の料理にしては少し高かったのは雑誌の影響でしょうか?食事は80元で、お茶は10元だったと思います。ここでも茶葉を勧められましたが、もうこれ以上は必要ありません。
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龍井村からバスに乗って「杭州茶葉博物館」に向かいました。思い込みでバスを降りようとしたら妻が「違う!」と止めるのも聞かずに降りてしまいました。妻の言う通りバスを降りるところを間違えて、茶葉博物館には行けず、霊隠寺まで1時間ほど歩く羽目になりました。バス代は1人2元でした。
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霊隠寺は天竺僧の慧理によって、東晋の咸和元年(326年)に創建されます。9世紀の「会昌の廃仏」によって寺は廃寺になりますが、となりますが建隆元年(960年)に呉越王の銭弘俶によって霊隠寺が再建されます。南宋時には五山のひとつに指定され、清の康煕帝によって「雲林禅寺」と名を改められます。
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康熙帝直筆の額が天王殿に残るほか、康熙帝と乾隆帝の碑亭もあります。「太平天国の乱」で大部分の建築物は焼失し、現在の霊隠寺のほとんどの建物はその後に再建されたものだそうです。
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寺の近くの「飛来峰」には呉越時代から元代にいたる時代に刻まれた300体を越える石刻像があり、全国重点文物保護単位に指定されています。「飛来峰」の由来は慧理が「これはインドにある霊鷲山にそっくりだが、いつごろここに飛来してきたのだろう。お釈迦様がご存命であった頃は、多くの神霊たちがこの山にかくれ住んでいたものだ。」といったことに始まるそうです。
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山には青林洞や玉乳洞や竜泓洞など数多くの洞窟があり、また変わった形の岩石も点在しています。石壁には仏像や菩薩像と祖師像が彫刻されていて、浙江省で最大規模の彫塑群です。
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飛来峰彫塑群の布袋弥勒像は冷泉渓の南側に位置し、飛来峰では最も目立つ彫像です。飛来峰で最大の造像であり、長さ9.9メートルで、高さ3.6メートルあります。弥勒は腹と胸を出し、笑顔で人々を眺め落ち着いて座っています。両側に十八羅漢が擁護しているかのように控えています。弥勒は片手で布袋を押しながら、片手で数珠を持ちニコニコと笑っています。1000年前に彫刻されたこの宋代の傑作は飛来峰彫塑群のシンボルとなっています。
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霊隠寺の境内に入りました。とても大きく山の斜面なので登りがきついです。大雄宝殿は正殿、あるいは大殿とも呼ばれ、釈迦牟尼佛をまつる本堂です。
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中央に蓮花台の上で結跏趺坐をする仏像が釈迦如来仏の彫像です。彫像の高さは24.8メートル、石の蓮花座から背光頂までの高さは19.6メートル、仏像は9.1メートル、仏像の耳だけで1.3メートルあります。この仏像は24本の楠の木材でできたもので、樟の木彫りの坐像としては中国で最大のもので、仏像の中でも2番目に大きな仏像でもあります。
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釈迦牟尼佛の彫像の後ろの壁は、「童子が観音を拝む」をテーマとする「善財童子五十三参」海島の立体群像です。この一連の彫像は高さ20メートルで、主に粘土で造られ、島の上には150体の大小の塑像があります。一つ一つ表情と姿勢が異なっており生き生きとた表情です。
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中国仏教芸術の最高峰と言えるこの壁の群像は仏教の「華厳経」を経典としています。つまり、善財童子が南へ遊学し、五十三人もの有名な師匠を訪問したということです。
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本堂を周ってきて心洗われる気がしました。参拝が終わってありがたい気持ちになっていたのですが、ここから「六和塔」にタクシーで行こうとしたのに乗車拒否されます。本当に杭州のタクシーには腹が立ちます。文句を言っていたら一番気の弱そうな人を捕まえてきて「お前が行け。」って感じでした。まあ乗れたので良しとしましょう。送ってくれた人は感じの良い寡黙な人でした。メーターで20元くらいだったと思います。
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「六和塔」に着きました。北宋の開宝3年(970年)に銭塘江の逆流を鎮めることを願い、智覚禅師によって建てられました。また塔の明かりは川を行き交う船のための灯台の役割も果たしたそうです。
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北宋の宣和年間に「方臘の乱」のために焼失しますが、南宋の紹興22年(1152年)に僧侶智曇のはたらきかけにより、現在まで残る磚(レンガ)造りの塔身が再建されます。 清の光緒26年(1900年)に木造の外層が造られ、7階建ての塔身は南宋時代のもので、13層の外層は清末に増築されたものになります。したがって外観は13階ですが、中を登ると7階しかないことになります。
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「六和塔」の上から見る銭塘江の流れです。銭塘江の海嘯は「銭塘江潮」とも呼ばれます。 海嘯は太陰太陽暦の日付で1日から3日、および15日から18日ごろに発生するので、中秋節と重なる中国暦8月18日ごろの潮が古来有名であり、杭州では月餅を食べながら見物する伝統があるそうです。
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この上流の銭塘江がもっと狭くなる場所によっては解消の高さは9メートルにもなるそうです。いつか見に来たいとは思いますが、まだ叶ってはいません。
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紹興や南寧の方面へ行く列車が鉄橋を渡っていきます。旅情をそそる景色です。この後の旅で東北地方を旅しますが、多くは高速鉄道での移動でした。大連から旅順の往復とハルピンから夜行で大連に戻る寝台車はこのような列車でした。
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7階建てのビルを上ったようなものなのでかなり疲れました。
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塔の上から眺めた夕日は物悲しい気持ちになります。蘇州から始まった旅は半分を過ぎてしまいました。
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内部は7階建ての六和塔の階段です。永遠に続くのかと思うほど長かったです。 表の売店のおばさんは日本から働きに来てる人かと思うくらい日本語が上手でした。よくある中国人の話す日本語感が全く感じられませんでした。
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六和塔からタクシーで雷峰塔の脇を通って杭州市内へ戻りましたが、運よく市内へ戻るおばさんドライバーに乗せてもらえました。
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杭州の滞在から「富春山居」で2泊3日過ごし、ホテルで呼んでもらったタクシーで杭州市内へ戻りがてらに「楼外楼」で食事をしました。ここまでのタクシーは120元でした。「楼外楼」は杭州では有名なレストランです。この店発祥の料理など名物料理がたくさんあります。
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「楼外楼」は今回の旅では外せないレストランでした。蘇州の「王四酒家」と「得月楼」と続いた名店巡りの港周辺で、この後上海と周荘へと続きます。
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「叫化童鶏」明代末か清代の初め頃に食べるものに困った乞食が偶然に鶏を手に入れますが、家も無く調理する手段がありませんでした。仕方なくそのまま泥で鶏を包み、土中に埋め、その上でたき火をします。火が消えた後に鶏を掘り出して食べたところ、柔らかくて大変に美味な上に泥と一緒に羽根もきれいに取ることができました。 これがきっかけとなって「下ごしらえをした鶏を蓮の葉でくるんだのち、粘土で全体を包み、オーブンで蒸し焼きにする」という料理法が生み出されます。
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1882年に常熟市の「山景園菜館」のメニューとなり、蘇州市の「王四酒家」の名物料理として定着します。料理名の「叫化」は江蘇省や上海市、湖南省や貴州省などで乞食や物乞いを意味する言葉だそうです。写真には残っていませんが「東坡肉」も美味しかったです。蘇軾が考案したとされ、料理の名前は彼の号である「蘇東坡」に由来します。
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「蜜汁火腿」金華腿と蓮の実を氷砂糖と一緒に蒸したもので甘くて塩辛いです。
杭州周辺でハム(火腿)と言えば金華火腿を指し、中国で有名な火腿は雲南火腿と金華火腿ですが、金華火腿は、浙江省の金華地区で飼育されている金華豚から造ります。 -
「西湖純菜湯」 西湖特産のジュンサイのスープです。西湖のジュンサイの形は小さな荷の葉の形をしていて栄養価値が高いといわれます。この料理も「楼外楼」の名物料理です。どの料理も美味しかったのですが、ここでも完食には至れませんでした。帰りに売店で「西湖藕粉」を買って帰りました。
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食事の後に荷物を持って店の前にたむろしているタクシーに乗ろうとしたら又も乗車拒否されます。チャーターしか受け付けないとのことです。仕方ないので近くの香格里拉ホテルまで歩いて行き、ベルボーイにタクシーを呼んでもらい、バスターミナルまで送ってもらいました。
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杭州のバスターミナルです。市内からは少し離れていました。上海行きのチケットも無事に買え、バスを待つひとときです。妻は周りの人に溶け込んでしまって、見失いそうです。この喧騒がたまに懐かしく思い出すときがあります。上海に戻った後は周荘への旅が始まります。
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